王女

 グレミアム王国は大陸の北東部を領有する大国で、世界四大迷宮のひとつたる『外套への奈落ニアアビス』を擁している。


 資源の宝庫である迷宮には人が集う。人が集えば街ができる。街ができれば文化が発展し、経済が潤う。天蓋都市ヘヴンデリートは物資、技術、流行などあらゆる面において、グレミアム王国の繁栄に多大な貢献をしていた。

 国家の政治的中枢を王都とするならば、ヘヴンデリートは経済的中枢なのだ。


 この特徴から、街の権力構造はやや複雑だ。


 実質的な発言力が強いのは冒険者ギルドである。彼らは迷宮探索、つまり都市の発展に必要不可欠な分野を担っており、住民たちからの覚えもいい。


 逆に、他の街よりも明らかに求心力が低いのが巴教はきょう——王国教会だ。とはいえ意識せずとも国民の生活と倫理に根付いているのが信教というもの、強権を振るえないというだけで決して規模が小さい訳ではない。


 そして街の政務を担っているのが貴族、ひいては王族であった。

 

 冒険者たちに自主独行じしゅどっこうの気風はあれど、それだけで都市の運営が回るはずもない。法のもとに治め、貨幣流通を取り仕切り、税をちょうし戸籍を管理し万人の生活を保障しなければ社会は立ち行かない。


 ヘヴンデリートは形式上、王家の直轄地となっている。王家は幾つかの貴族たちを束ねつつ、領主として都市に君臨している。

 実際は各貴族の思惑、ひいては市民議会なども絡んできて一枚岩ではないにせよ、少なくとも彼らはみな王家にひざまずき忠誠を誓う立場であるのだ。


 無論、国王は王都におわし、国家全体を見渡さねばならない。故に国王の名代みょうだいとして王族のひとりが執政官として赴任し、ヘヴンデリートに居を構えることで威光の旗印としている。


 現在の執政官は若き王弟、ヴィッカディア=ケルイ=ラ=グレミアム。

 そしてその補佐として派遣されているのが、国王の娘、第五王女——セラトラニカ=ヴィエリ=リ=グレミアムである。


 御歳おんとし未だ十九、うら若き王女が華々しき王都を離れてこんなところによこされているのには理由がある。

 ひとつはその宿業ギフトが強力無比であり、王都よりも天蓋都市で役立つと判断されたため。

 そしてもうひとつは、好奇心旺盛な本人の強い希望からであった。



 ※※※



「この度の不始末、執政官補佐としてお詫びいたしますわ。特に現場のあなた方には本当に申し訳ないことです」

「いえ、そのような……」


 決して簡単に下げてはいけない頭を下げてくるセラトラニカ——セラに、レリックは慌てつつも途方に暮れてしまう。彼女はなにせ王族、他の『特級』たちとはまた違った意味で対応に苦慮くりょするのである。


「堅苦しい言葉遣いも不要ですわ。どうかお気になさらず。あなた方はあなた方の流儀でわたくしに接してくださいな」

「セラ、久しぶり。元気だった? 忙しくしてたんじゃないの?」


 この発言へ、レリックよりも先にフローが順応を見せる。

 さっきまでおっかなびっくりレリックの陰に隠れていたというのに、いつの間にか前に出てきてそんな調子で問いかけた。


「フロー! お会いできて嬉しいわ」


 セラは満面の笑顔で少し前屈みになると、両の掌を並べて前に出す。

 フローも彼女と同様に掌を挙げ、


 そうして、ぱん、と。


 ふたりは再会を祝して手を打ち鳴らした。


「フロー、いつの間にそんな仲良く……」

 これにはレリックの方が唖然としてしまった。


 完全に友達である。

 というか、つい今し方までの緊張はなんだったのだ。


「王女殿下としてのセラトラニカさまにはちょっとどうしていいかわからないけど、冒険者のセラは別」

「ええ、ええ! フローとは時折、お食事をご一緒するんですのよ」

「三カ月前の特級女子会ぶり」

「先だってはお世話になりました。また開催いたしますよ」

「あまりにも初耳なんだけど?」


 なんなんだ特級女子会とは。いつの間にそんなものが開かれていたのだ。フローはひとりでそれに参加していたのか? 僕に黙って?

 レリックの知らないフローがそこにいた。


 確かにふたりは通年つうねん終日ひねもす一緒にいる訳ではない。いや基本的には常に行動を共にはしているのだが、それでもお互い、単独でどこかに出かけることはある。

 あるが、


「女子会ってことは」

「セラ、ツバキ、イェムお姉ちゃん、シリィ、私。年に何回か『星の恵み』でご飯を一緒に食べる」

「よりによって『星の恵み』!」


 ヘヴンデリートで最も格式高く値の張る料理店レストラントであった。

 ちなみにレリックは一回しか行ったことがない。


「なんだろう、この言いようのない寂寞せきばく感は……」

「『特級』の殿方は、男子会などなさいませんの?」

「想像もしたことがない……」


 レリックが一緒に食事をして楽しいと思えるのは、オズくらいのものだ。


「あの店、最低でも五万はしなかったっけ」

「全部セラとイェムお姉ちゃんが出してくれる」

「無料……だと……」

「ふふん。どんな気持ち? レリックが図書館に籠もって私の相手をしてくれない間、私は最高級レストランでやばやばのやばな料理に感動の涙を流していたよ。あれはやばい。万言まんげんを並べてもあの味は表現できない。やばいとしか言えないからやばい」


「よろしければ今度、レリックもご一緒いたしませんか?」

「えっほんとで「だめ」」

「フロー?」

「だめ」

「なんで」

「なんかやだ」

「あら! うふふ……フローはお可愛いですわね」


 すりすりと優美な仕草でフローの頭を撫でるセラ。


 人見知りが激しく知らない相手の前では口も開かないような性格のフローだが、同性に対してはレリックも知らない間に仲良くなっていることが多い。今回のもそれと同じだと思うことにした。


「わかったよ……僕がフローを連れて行けばいいんだろ」

「うん。今回の依頼が終わったらね」

「予約取れるかな……」

「ではわたくしの名前をお使いくださいな。お邪魔はいたしませんので、そのくらいはさせてください」

「それは助か……る。ありがとう」


 かしこまった言い回しを寸前でやめると、セラは嬉しそうに微笑んだ。


「うふふ、嬉しい。レリックもわたくしとお友達になってくださいな。街にいる時のわたくしは一介の冒険者ですもの」

「こちらとしては、あなたの言葉遣いももっと砕けてくれた方が助かるんだけど」


「すみません、生まれた時からこうなのでどうしても直せなくて……無理に平民の方々と同じように話そうとすると、変な感じになっちまうそうですのだ」

「あっそのままで大丈夫です」

 予想以上に変だった。


「……あの、そろそろいいです?」


 ——と。

 会話が弾んでいたところへ、ネネが遠慮がちに切り出してきた。


「とりあえずお三方には街に出てもらいます。任務は対象の捜索と捕縛、期限は三日。宿は手配してありますが、レリックさんとフローさんの家に宿泊しても問題ありません」


 ネネらしくない他所行きの言葉遣いに彼女も緊張しているようだが、よく考えればこれはギルド受付嬢としてはごく当たり前の対応である。王族を前に緊張しないとこの当たり前もできない女であった。


「ありがとうございます。『特級』として、任務はしかと達成してみせますわ。それから——フワウさまにはから『ご配慮を感謝します』とお伝えいただけたら」

「ええ、フワウもそれは承知していますので」


 丁寧に頭を下げるネネ。

 この会話から察するに、セラが出てきたのは様々な思惑の結果なのだろう。


 今回の任務——ソラウミニスの再捕縛は、国の起こした不始末の尻拭いである。故に、これをこのまま達成してしまうと、ギルド側には功績が重なり王国側には瑕疵だけが残る。もちろんフワウにとっては『第七天アラボト』の名誉を挽回する機会であるが、王国の体面が悪いままでは対外的によろしくない。こちらが上がる際に他所を下げれば要らぬ軋轢を生むのだ。


 そこでフワウは、王国側にを提示した。

 即ち、セラの派遣である。


 事態収拾に彼女が貢献すれば、国は『セラトラニカ=ヴィエリ=リ=グレミアム第五王女』が不祥事の始末をつけたことにできる。一方でギルド側は『特級冒険者セラ』が功を挙げたと見ることができる。

 更に言えば「公務で多忙な中、王女殿下には冒険者として働いていただいた」という体面を作ることもまた、フワウの政治的な配慮なのだ。


 双方が得をして、双方が損をしない。

 セラトラニカはこういう時の要員でもある。国家と冒険者ギルドの間にある政治的な軋轢あつれき折衷せっちゅうする便利な駒、という。


 国は強力な宿業ギフトを持つ王族を冒険者として送り込み、ギルドは王族を『特級』として取り込む。なんとも冷徹で無慈悲な話であるが、駒となった当の本人が今の状況を憂いていないのはせめてもの救いだろうか。


「では参りましょうか。街を歩くのは久方ぶりですわ。ねえフロー、わたくし、この前あなたが仰っていた、屋台の食べ歩きというのを所望いたしますわ」

「任せて。でも十万レデッツ硬貨は大きすぎてお釣りがない。大丈夫?」

「ええ、こんなこともあろうかと一万レデッツ硬貨をたくさん持ってきたのですよ!」

「惜しい。あと一桁頑張って欲しかった」

「なんと……」


 楽しそうにきゃらきゃらと笑うセラに、どこか救われた気持ちになる。レリックとフローだけでは深刻な顔で街をうろつく羽目になっていただろう。


 これも見越して、フワウは彼女に依頼したのかもしれない。

 周りの人に助けられていることを自覚し、レリックは思わず深い息を吐いた。

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