王女
グレミアム王国は大陸の北東部を領有する大国で、世界四大迷宮のひとつたる『
資源の宝庫である迷宮には人が集う。人が集えば街ができる。街ができれば文化が発展し、経済が潤う。天蓋都市ヘヴンデリートは物資、技術、流行などあらゆる面において、グレミアム王国の繁栄に多大な貢献をしていた。
国家の政治的中枢を王都とするならば、ヘヴンデリートは経済的中枢なのだ。
この特徴から、街の権力構造はやや複雑だ。
実質的な発言力が強いのは冒険者ギルドである。彼らは迷宮探索、つまり都市の発展に必要不可欠な分野を担っており、住民たちからの覚えもいい。
逆に、他の街よりも明らかに求心力が低いのが
そして街の政務を担っているのが貴族、ひいては王族であった。
冒険者たちに
ヘヴンデリートは形式上、王家の直轄地となっている。王家は幾つかの貴族たちを束ねつつ、領主として都市に君臨している。
実際は各貴族の思惑、ひいては市民議会なども絡んできて一枚岩ではないにせよ、少なくとも彼らはみな王家に
無論、国王は王都におわし、国家全体を見渡さねばならない。故に国王の
現在の執政官は若き王弟、ヴィッカディア=ケルイ=ラ=グレミアム。
そしてその補佐として派遣されているのが、国王の娘、第五王女——セラトラニカ=ヴィエリ=リ=グレミアムである。
ひとつはその
そしてもうひとつは、好奇心旺盛な本人の強い希望からであった。
※※※
「この度の不始末、執政官補佐としてお詫びいたしますわ。特に現場のあなた方には本当に申し訳ないことです」
「いえ、そのような……」
決して簡単に下げてはいけない頭を下げてくるセラトラニカ——セラに、レリックは慌てつつも途方に暮れてしまう。彼女はなにせ王族、他の『特級』たちとはまた違った意味で対応に
「堅苦しい言葉遣いも不要ですわ。どうかお気になさらず。あなた方はあなた方の流儀でわたくしに接してくださいな」
「セラ、久しぶり。元気だった? 忙しくしてたんじゃないの?」
この発言へ、レリックよりも先にフローが順応を見せる。
さっきまでおっかなびっくりレリックの陰に隠れていたというのに、いつの間にか前に出てきてそんな調子で問いかけた。
「フロー! お会いできて嬉しいわ」
セラは満面の笑顔で少し前屈みになると、両の掌を並べて前に出す。
フローも彼女と同様に掌を挙げ、
そうして、ぱん、と。
ふたりは再会を祝して手を打ち鳴らした。
「フロー、いつの間にそんな仲良く……」
これにはレリックの方が唖然としてしまった。
完全に友達である。
というか、つい今し方までの緊張はなんだったのだ。
「王女殿下としてのセラトラニカさまにはちょっとどうしていいかわからないけど、冒険者のセラは別」
「ええ、ええ! フローとは時折、お食事をご一緒するんですのよ」
「三カ月前の特級女子会ぶり」
「先だってはお世話になりました。また開催いたしますよ」
「あまりにも初耳なんだけど?」
なんなんだ特級女子会とは。いつの間にそんなものが開かれていたのだ。フローはひとりでそれに参加していたのか? 僕に黙って?
レリックの知らないフローがそこにいた。
確かにふたりは
あるが、
「女子会ってことは」
「セラ、ツバキ、イェムお姉ちゃん、シリィ、私。年に何回か『星の恵み』でご飯を一緒に食べる」
「よりによって『星の恵み』!」
ヘヴンデリートで最も格式高く値の張る
ちなみにレリックは一回しか行ったことがない。
「なんだろう、この言いようのない
「『特級』の殿方は、男子会などなさいませんの?」
「想像もしたことがない……」
レリックが一緒に食事をして楽しいと思えるのは、オズくらいのものだ。
「あの店、最低でも五万はしなかったっけ」
「全部セラとイェムお姉ちゃんが出してくれる」
「無料……だと……」
「ふふん。どんな気持ち? レリックが図書館に籠もって私の相手をしてくれない間、私は最高級レストランでやばやばのやばな料理に感動の涙を流していたよ。あれはやばい。
「よろしければ今度、レリックもご一緒いたしませんか?」
「えっほんとで「だめ」」
「フロー?」
「だめ」
「なんで」
「なんかやだ」
「あら! うふふ……フローはお可愛いですわね」
すりすりと優美な仕草でフローの頭を撫でるセラ。
人見知りが激しく知らない相手の前では口も開かないような性格のフローだが、同性に対してはレリックも知らない間に仲良くなっていることが多い。今回のもそれと同じだと思うことにした。
「わかったよ……僕がフローを連れて行けばいいんだろ」
「うん。今回の依頼が終わったらね」
「予約取れるかな……」
「ではわたくしの名前をお使いくださいな。お邪魔はいたしませんので、そのくらいはさせてください」
「それは助か……る。ありがとう」
「うふふ、嬉しい。レリックもわたくしとお友達になってくださいな。街にいる時のわたくしは一介の冒険者ですもの」
「こちらとしては、あなたの言葉遣いももっと砕けてくれた方が助かるんだけど」
「すみません、生まれた時からこうなのでどうしても直せなくて……無理に平民の方々と同じように話そうとすると、変な感じになっちまうそうですのだ」
「あっそのままで大丈夫です」
予想以上に変だった。
「……あの、そろそろいいです?」
——と。
会話が弾んでいたところへ、ネネが遠慮がちに切り出してきた。
「とりあえずお三方には街に出てもらいます。任務は対象の捜索と捕縛、期限は三日。宿は手配してありますが、レリックさんとフローさんの家に宿泊しても問題ありません」
ネネらしくない他所行きの言葉遣いに彼女も緊張しているようだが、よく考えればこれはギルド受付嬢としてはごく当たり前の対応である。王族を前に緊張しないとこの当たり前もできない女であった。
「ありがとうございます。『特級』として、任務は
「ええ、フワウもそれは承知していますので」
丁寧に頭を下げるネネ。
この会話から察するに、セラが出てきたのは様々な思惑の結果なのだろう。
今回の任務——ソラウミニスの再捕縛は、国の起こした不始末の尻拭いである。故に、これをこのまま達成してしまうと、ギルド側には功績が重なり王国側には瑕疵だけが残る。もちろんフワウにとっては『
そこでフワウは、王国側に落とし所を提示した。
即ち、セラの派遣である。
事態収拾に彼女が貢献すれば、国は『セラトラニカ=ヴィエリ=リ=グレミアム第五王女』が不祥事の始末をつけたことにできる。一方でギルド側は『特級冒険者セラ』が功を挙げたと見ることができる。
更に言えば「公務で多忙な中、王女殿下には冒険者として働いていただいた」という体面を作ることもまた、フワウの政治的な配慮なのだ。
双方が得をして、双方が損をしない。
セラトラニカはこういう時の要員でもある。国家と冒険者ギルドの間にある政治的な
国は強力な
「では参りましょうか。街を歩くのは久方ぶりですわ。ねえフロー、わたくし、この前あなたが仰っていた、屋台の食べ歩きというのを所望いたしますわ」
「任せて。でも十万レデッツ硬貨は大きすぎてお釣りがない。大丈夫?」
「ええ、こんなこともあろうかと一万レデッツ硬貨をたくさん持ってきたのですよ!」
「惜しい。あと一桁頑張って欲しかった」
「なんと……」
楽しそうにきゃらきゃらと笑うセラに、どこか救われた気持ちになる。レリックとフローだけでは深刻な顔で街をうろつく羽目になっていただろう。
これも見越して、フワウは彼女に依頼したのかもしれない。
周りの人に助けられていることを自覚し、レリックは思わず深い息を吐いた。
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