ざわめきの兆し、天使がきたる

 ソラウミニスが脱獄したとのしらせは、その日のうちに冒険者ギルドへと届いた。

 

 レリックたちは即座に召集され、会議室へと通される。そこではネネが珍しく真剣な顔で、書類に目を落としながら眉根を寄せていた。


「それで、どういうことなんだ」

 レリックは開口一番に問うた。声からは苛立ちが滲み出ていた。


「どうもこうもないよ。国の不手際」

 対するネネもまた深く溜息をく。


「最初から説明するね。……めーっちゃ腹立つ話だけど。我慢できなくなったらそこに飾ってる壺、腹いせに壊してもいいよ」

「それ僕が後で怒られるやつだろ。いいから頼む」


 テーブルを挟んで対面に腰掛けながら促すと、ネネは報告を始めた。


「レリックたちがひと月前に捕まえた、あのおっさん——ソラウミニス。『玄天こくてん教団』幹部にして、トラーシュ=セレンディバイトのもと助手。肩書き的に重要人物だったせいで、尋問するにあたって利権争いが発生したのね」


「ギルドと国とでか?」

「ギルドと国とヘヴンデリートとで」

「よりによって三つか……」


「マスターも頑張ったんだけど、国と市が結託してギルドうちは締め出されたんよ。功績をあげすぎるのを嫌ったみたい。あと……トラーシュ=セレンディバイトの遺物って、そこらの先史遺物アーティファクト以上じゃない? あわよくばその辺も入手できたら、みたいな打算もあったと思うな」


「莫迦か。不幸しか生まない呪具じゅぐだぞ。……で?」

「こっからは市じゃなくて国の独断。司法取引で、捜査協力をさせてたみたい。で、見返りとして留置所での待遇を厚くして、油断してたところに侵入者が来て。ほんと、ないないの極みって感じよ」


 浅黒い肌を上気させ、ネネは天井を仰ぎ見た。


「……おかしいとは思ってたんだ。僕らがあいつを捕縛してひと月だ。ひと月が経って、報告書のひとつも下りてこない」


 犯罪組織の構成員が捕縛された際、情報を引き出すために必要と判断されれば拷問が許される。そしてレリックたちの知るソラウミニスという男は、責め苦に耐えられるほど頑強な精神を持っていない。だからあいつはすぐに洗いざらい白状して、数日もすれば結果が知らされると予想していた。


 なのに月が変わっても音沙汰がなく、気になっていたところでこの報せである。まったく——冗談ではない。


 迷惑かつ理不尽な話だ。


 レリックたち現場がどんなに成果を出そうと、他所よその部署、他所の人間、他所の権力がそれをさらっていく。そして横取りしたものがどれほど危険なものなのかを理解せず、我欲によって無闇にいじくり回し、結果、取り扱いを誤って爆発させてしまう。

 そしてその後始末を、現場の人間がやる羽目になるのだ。


「内通者の可能性は?」

「どうだろうねー。仮にいたとしても、お役人とか権力者とかでしょ? うちら側からどうこうできることがない。考えるだけ無駄だよ。期待してたのが無駄になったのは痛いけど」

「……まあ、そうだな」

「一応お詫びのつもりなのか、ソラウミニスの自供した情報はこっちに送ってきたけどさ。これにしたってたいしたもんじゃないよ。『教団』の構成員が何人か判明しました、国の方で捕まえておきました、みたいなこと書いて寄越されてもね。うちらは蚊帳の外だよ」


ギルドマスター婆さんは?」

「対応でてんてこまい。『すまない』って謝ってたよ。でも仕方ないって思うな。政治が絡んで国が横槍を入れてきた以上、できることにも限界があるよ」


 冒険者ギルド首長マスターの任命権は王国側にある。もちろんあくまで形としてであり、好き勝手にはいかない。が、その気になればフワウを罷免して傀儡かいらいを送り込むことも不可能ではないのだ。


「たとえかつての英雄でも、あんま国に強くは出られないしね」

「……いや」


 無念そうなネネに、レリックは首を振った。


「今回ばかりは、かつての英雄、かもしれない」

「それってどういう……あ」

「『第七天アラボト』絡みの不祥事が続きすぎた。キースバレイドの爺さんに、アンデンサス。身内の小火ぼやを追及された可能性がある。婆さんは僕らに決して言わないだろうけど」


 かの『剣神』は弟子に殺されたが、これは悪意ある解釈をするなら「弟子から殺人犯を出した」となる。

『大魔導』に至っては言い訳も利かない。連続殺人、更には迷宮内での破壊活動、おまけに『玄天こくてん教団』との繋がりまであったのだ。


 これらは巡ってフワウの信頼問題にも波及し、更には政治的発言力の低下をもたらす。彼女にとって頭の痛い話だった。


「なんにせよ、起きたことをぐだぐだと言っても仕方ない。婆さんは婆さんでできることをやるだろう。だったら僕らも同じだ」

「そうだねー。レリックとフローにとっては二度手間になっちゃうことでもあるけど。教団幹部、ソラウミニスの。これも一種の失せ物探しってことで、お願いできる?」


 無論、いなやはない。ふたりは揃って頷く。


 ただ、とはいえ——今回のこれは、逃げ出した犬をもう一度追いかければそれでよし、といった単純な話ではない。

 少なくともレリックとフローにとっては、無視できないことがひとつある。


「懸念点は、あまりにも時期タイミングがよすぎる、ってことだ」

「……そうだね」


 隣のフローも神妙な顔をした。

 なにせなのだ。


「ソラウミニスの脱走と、トラーシュの帰還。関係ないとするにはさすがに楽観的すぎる」


 彼女が帰還したことを知った教団が、あの男を再び必要としたのか。

 或いは、本人が直接助け出したのか——。


「トラーシュとソラウミニスの関係ってどうなん? わざわざ助けたりするくらいには大事にされてる感じ?」

「正直、わからない。トラーシュの性格上、ソラウミニスのことはなんとも思っていないはずだ。けど一方で、なんらかの理由で必要だと判断すれば拾いにくるだろう。……つまりあいつの気紛れ次第、だ」


 曖昧な返答しかできない自分が情けない。


 レリックもフローも、トラーシュ=セレンディバイトの性格はよく知っている。ただそれは——、という意味だ。

 彼女の思考と行動は、あらゆる意味で予測できない。


「まあ、その辺に関しては最悪の事態を想定して動くしかないよね。ってわけで、ギルドとしては不確定要素を鑑みて、念には念を入れることになったよ」


 ——と。

 沈鬱な顔をしているふたりの気持ちを切り替えるように、ネネが笑顔とともに両手を打った。


 椅子から立ち上がり扉の前まで歩いていき、わざと明るい声で、


「なんとー! 『落穂拾い』に、協力者を派遣いたします!」

「……協力者? 誰だ?」

「めーっちゃ多忙な方で、ギルドも滅多に会えません! なので予定をねじ込むのにひと苦労でした!」

「いやだから誰」

「どうぞ!」


 ネネはがしゃりと扉を開ける。

 すると会議室へ、ひとりの女性がしずしずと入ってくる。


 その姿を見て、レリックは思わず立ち上がった。

 フローも驚いた顔をしたのち、慌ててレリックに追従する。


 彼女は凛とした立ち姿に、芍薬しゃくやくのような気配をまとっていた。


 よわいのほどは成人前後、確か御歳おんとし十九だったはずだ。

 美しい、という形容すら無粋になるほど整った面立ちは、まさしく神の造形だろう。

 白銀の髪は精霊銀ミスリルを溶かして流した川のようで、陽の下だろうと闇の中だろうと輝きを放って見る者を魅了する。

 すらりとした手足と伸びた背筋、つまり洗練された姿勢の良さは明らかに平民のそれではない。冒険者風の長衣ローブを身につけているものの、身体の芯から発せられる雰囲気がまったく隠しきれていなかった。


「ごきげんよう。お久しぶりですね、レリック、フロー」

 彼女は鈴のように品のいい声音で、穏やかに笑んだ。


「っ、お久しぶりにお目にかかります」

「いいのですよ、かしこまらなくても」


 ひざまずくべきかと迷いながら胸に手を置き礼をするレリックを、彼女は制止した。その仕草すら優美で、さすがだと感心してしまう。


 彼女の名は、セラトラニカ。

 セラトラニカ=ヴィエリ=リ=


 レリックたちの住むこの国、グレミアム王国の名を姓にする家系の生まれ——つまり、王国の第五王女である。


 正直、どう対応すればいいのやらわからない。

 レリックも会ったのはわずかに二度。これが三度めだ。


 ただの冒険者でしかないレリックに王女と拝謁する機会がいつあったのかといえば、これは仕事でである。そう——彼女はグレミアム王国第五王女という生まれでありながら、もうひとつ別の顔を持つ。


「ええと、なんとお呼びすれば……」

「構いません。通り名の通り、セラと呼び捨ててくださいませ。短い間ですが、として一緒に頑張りましょうね?」


 特級冒険者、序列二位。

天使片エンジェルソング』——セラ。


「こちらのお仕事は久しぶりです。わたくし、はりきっちゃいますわ!」


 彼女は優雅な微笑みをたたえたまま、胸の前でえいっと両手を握った。

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