第6話 地上:隻腕の男

虜囚は嗤う

 午前七時、冒険者ギルドすら開いていない早朝のことである。


 レリックたちの家へ来訪した鬼人族きじんぞくの女性——ツバキは、着物の袖を振り木刀を投げて寄越すと、開口一番「剣の稽古けいこに付き合ってくれ」と言った。


 しかし、こと近接戦闘となるとレリックは肩をすくめて曖昧に微笑むことしかできない。必要最低限の立ち回りはできるがそれだけで、達人であるツバキの練習相手すら務まらないだろう。ましてやフローなどは「振り子ペンデュラムより重いものを持ったら死ぬ」と豪語するほどである。


 それでも相手はこちらの主張をまるで聞かず、寝起きのふたりを着替えさせると裏庭まで連れだし、レリックへ容赦のない打ち込みを開始する。

 なおフローには素振りが課せられ、彼女は絶望の顔をした。


「そらどうした! 腰が引けているぞ!」

「ん、なこと言われても……!」


 手加減はされている。だが手加減をされているということは、こちらの力量を正確に把握できているということだ。そしてツバキほどの達人であれば、受け切れるぎりぎりの案配あんばいを見極めることも可能である。


「もっと全身に力をみなぎらせろ!」

「……っ!」

「漲らせるのは筋力ではない、気力だ! 身体の力は抜け!」

「ええ……」

「剣だけを見るな、全体を見ろ、その上で意識を尖らせ剣に集中しろ! 融通無碍ゆうづうむげだ!」

「全然わからない!」


 動きの流れや気配をよく観察すれば、攻撃がどう来るのかくらいはなんとなく理解することができる。そして普段のレリックであればそれだけで充分だ。


 が、いざ『収納』を使わずに戦おうとすると、思考に身体が追いつかない。


「どうした、打ってこなければなにも始まらんぞ!」

「防ぐ、だけで……精一杯、だ!」

「フロー、怠けるな! 見ていないと思ったか!」

「ひゃん!」


 ツバキの背後で素振りを休んでいたフローの額に、赤いつぶてが直撃する。彼女の宿業ギフト——『朱雪あけゆき』による血の雫だった。


伝承位レジェンド宿業ギフト折檻せっかんに使うなよ!」

「少量だ、問題ない。ちゃんと手加減もしているだろう」

「そこじゃないんだよなあ」


 たれた額を押さえながら、フローが頬を膨らませた。


「うう……私はちゃんとやってたもん……見てなかったくせに……」

「嘘をつくんじゃない。気配でわかる」

「ちくしょう……気配、殺してたのに」

「そこはさすがだ。有事であればわれにもわからなかっただろうな」

「仕合してるじゃん」

「この程度、有事とは言えん」

「つまりレリックが弱いのが悪いってこと?」

「僕にとばっちりが来た!」


 などと言っている間にも絶え間なく木刀が襲いかかってくる。


「防御からの立て直しが甘い!」

「ぐぁ!」


 上段からの唐竹割りを防いだかと思ったら、木刀を構え直す前に横ぎがやってきた。レリックは見事に脇腹を打たれて顔を歪める。


「そら、打たれても隙を見せるな!」

「む、ちゃ言う、……な!」


 ——結局。

 稽古は小一時間——朝の八時半を過ぎるまで続けられた。

 後にはもう、汗だくで四肢を投げ出し裏庭に寝そべるレリックたちが残される。


「お前たちは強いが、肉体的な修練が足りないな」


 ふたりがぜえはあと空を仰ぎ見ている間に、ツバキは朝食の用意を終えていた。

 井戸から汲んできた水で冷茶を作り、それから持ってきていた包みを開く。中に並んでいるのは白米を握り込んだ『おむすび』——ツバキの故郷でよく食べられている携帯食である。


昆布煮こぶにと梅、魚節おかか、どれがいい」

「おかか……」

「食べる前にちゃんと起きろ。あと水分も」


 しっかりと食欲は残していたらしいフローがゆるゆると起き上がり、甘辛い魚節おかか入りのおむすびにかじりつく。レリックはまだ息が落ち着かない。それでもなんとか冷茶だけは受け取り、一気に飲み干した。


「お前たちの宿業ギフトは確かに強いし、それを活用した戦い方にも熟達している。だが、だからこそ不意の自体に備えておかなければならんぞ。手札を増やしておくことで戦術の幅も広がるだろう」

「一朝一夕で身に付くことじゃないってのが難しいところだな」


 とはいえツバキの助言は正しい。


 戦闘手段の多さはそのまま手札の多さであり、手札がひとつ増えるだけで取れる戦術の数は跳ね上がる。それこそ『収納』や『尸童よりまし』が通用しない相手を前にした時に——、別の方法が取れたらなにかが変わっていたのかもしれない。


「……ツバキ」

「ん?」

「ありがとう」


 フローと並んでおむすびをぱくつくツバキに礼を言う。


 あれから——トラーシュ=セレンディバイトと再会してから——一週間いっしゅうかん。ふたりが意気消沈しているのを知り、ツバキは励ましに来てくれたのだ。その手段が剣戟けんげきというのはいささかどうと思うが、それでも気持ちは嬉しいし、言葉で慰められるよりもよほどいい。


 ツバキは微笑み、おむすびで口をいっぱいにしながら応えた。


はんのほほはらなんのことやら

「食べてから喋れ。いいところの出のくせに」

ほうはよふはひそうだよツバキ……ん。行儀が悪いよ」

「フローもだぞ?」

「次はこんぶにしよっと」

「おっと完璧に無視されたぞ」


「相変わらず梅は嫌いなのか」

「梅のすっぱいの、なんだかエルフ茶と似てて違和感あるんだよね」

「そうなのか? われはあまり思わないが……」

「梅を先に知ってたらまた違うのかな」


 もはやレリックを置き去りにしてきゃいきゃいと楽しそうにするふたりに苦笑しつつ、おむすびにかぶりつく。

 麦とは違う異国の穀物の香りは何故か落ち着く味がして、きっとツバキの気遣いがそう思わせているのだろう。



 ※※※



 窓のない部屋に、その男はいた。


 今が昼か夜かは腹の具合で判断するほかない。食事は日に二度、贅沢は言えないがある程度の希望は叶えられる。前回は魚介の汁物シチュー麵麭パン——給仕は夕食だと言っていた。あれからおそらくは半日ほど、今は朝方だろう。


 捕らえられてそろそろ、ひと月ほどが経つ。

 尋問が始まるや即座に、知る限りのことをすべて喋りそして協力を申し出た。代わりにこの厚遇こうぐうを得、釈放はされないまでも人として扱ってもらえている。まったくありがたいことだ。


 もっとも、捜査はあまり進展していないようだが。


 それもそのはず、『玄天こくてん教団』に実体はない。

 構成員メンバーはいるし組織としての体勢もある。方針が定められ各々の研究結果と活動成果は集積され、巨大な知識と技術を蓄えてもいる。だがそれらを蓄える場所は、建物や書物ではない。それぞれの頭の中だ。


 メンバー同士の連絡も秘密主義が徹底しており、幹部である男ですら、顔と名前の一致する仲間は数えるほどしかなく——もちろん彼らの情報は既に売ったが——そこから辿って組織の全容を掴むことは不可能だろう。


 おそらく教団は、男のことを裏切ったとすら考えていない。

 いや、そもそも『教団』としての統一意思はあるのか。


 玄天こくてん教団の唯一にして絶対の教義は『トラーシュ=セレンディバイトの背中を追え』、ただそれだけだ。男が仲間を売ったことも、それがトラーシュの背中を追うことに繋がっているのならば、であり非などない。


 ともすれば国家権力の中にも構成員はいる。男のこの厚遇も教団が関与している可能性すらあった。


 男は確信していた。自分は許される、と。


 たとえ教団に関する情報のすべてを国に明け渡そうとも、その結果として何人かが破滅しようとも、の価値はなおまさる。


 何故ならば自分が、自分こそが、教団にとってトラーシュへのよすがであるのだから。


 思索にふけっていると、部屋の扉、鍵の開く音がした。

 男は顔を向けると、来客ににやりと笑み、鷹揚に椅子から立ち上がる。


「ようやく出所かい? おじさん、気が滅入っちゃったよ」


 扉を開けた者は、頭巾フード付きの外套コートを着込み、顔はもちろん種族どころか性別すらわからない。

 彼——もしくは彼女——は、男の軽口に応えず無言で外を促した。


「ここを出てからの指示は?」


 紙片が手渡される。住所が書いてある。確認するとくしゃりとまるめ、口の中に放って飲み込んだ。


「まずい朝食だ。肉かなんかが食いてえよな」


 男は軽口を叩きながら、一カ月の住処となっていた牢獄を出ていく。

 隻腕——肘から下のない右腕の袖を、ひらひらと揺らしながら。

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