第6話 地上:隻腕の男
虜囚は嗤う
午前七時、冒険者ギルドすら開いていない早朝のことである。
レリックたちの家へ来訪した
しかし、こと近接戦闘となるとレリックは肩を
それでも相手はこちらの主張をまるで聞かず、寝起きのふたりを着替えさせると裏庭まで連れだし、レリックへ容赦のない打ち込みを開始する。
なおフローには素振りが課せられ、彼女は絶望の顔をした。
「そらどうした! 腰が引けているぞ!」
「ん、なこと言われても……!」
手加減はされている。だが手加減をされているということは、こちらの力量を正確に把握できているということだ。そしてツバキほどの達人であれば、受け切れるぎりぎりのきつい
「もっと全身に力を
「……っ!」
「漲らせるのは筋力ではない、気力だ! 身体の力は抜け!」
「ええ……」
「剣だけを見るな、全体を見ろ、その上で意識を尖らせ剣に集中しろ!
「全然わからない!」
動きの流れや気配をよく観察すれば、攻撃がどう来るのかくらいはなんとなく理解することができる。そして普段のレリックであればそれだけで充分だ。
が、いざ『収納』を使わずに戦おうとすると、思考に身体が追いつかない。
「どうした、打ってこなければなにも始まらんぞ!」
「防ぐ、だけで……精一杯、だ!」
「フロー、怠けるな! 見ていないと思ったか!」
「ひゃん!」
ツバキの背後で素振りを休んでいたフローの額に、赤い
「
「少量だ、問題ない。ちゃんと手加減もしているだろう」
「そこじゃないんだよなあ」
「うう……私はちゃんとやってたもん……見てなかったくせに……」
「嘘をつくんじゃない。気配でわかる」
「ちくしょう……気配、殺してたのに」
「そこはさすがだ。有事であれば
「仕合してるじゃん」
「この程度、有事とは言えん」
「つまりレリックが弱いのが悪いってこと?」
「僕にとばっちりが来た!」
などと言っている間にも絶え間なく木刀が襲いかかってくる。
「防御からの立て直しが甘い!」
「ぐぁ!」
上段からの唐竹割りを防いだかと思ったら、木刀を構え直す前に横
「そら、打たれても隙を見せるな!」
「む、ちゃ言う、……な!」
——結局。
稽古は小一時間——朝の八時半を過ぎるまで続けられた。
後にはもう、汗だくで四肢を投げ出し裏庭に寝そべるレリックたちが残される。
「お前たちは強いが、肉体的な修練が足りないな」
ふたりがぜえはあと空を仰ぎ見ている間に、ツバキは朝食の用意を終えていた。
井戸から汲んできた水で冷茶を作り、それから持ってきていた包みを開く。中に並んでいるのは白米を握り込んだ『おむすび』——ツバキの故郷でよく食べられている携帯食である。
「
「おかか……」
「食べる前にちゃんと起きろ。あと水分も」
しっかりと食欲は残していたらしいフローがゆるゆると起き上がり、甘辛い
「お前たちの
「一朝一夕で身に付くことじゃないってのが難しいところだな」
とはいえツバキの助言は正しい。
戦闘手段の多さはそのまま手札の多さであり、手札がひとつ増えるだけで取れる戦術の数は跳ね上がる。それこそ『収納』や『
「……ツバキ」
「ん?」
「ありがとう」
フローと並んでおむすびをぱくつくツバキに礼を言う。
あれから——トラーシュ=セレンディバイトと再会してから——
ツバキは微笑み、おむすびで口をいっぱいにしながら応えた。
「
「食べてから喋れ。いいところの出のくせに」
「
「フローもだぞ?」
「次はこんぶにしよっと」
「おっと完璧に無視されたぞ」
「相変わらず梅は嫌いなのか」
「梅のすっぱいの、なんだかエルフ茶と似てて違和感あるんだよね」
「そうなのか?
「梅を先に知ってたらまた違うのかな」
もはやレリックを置き去りにしてきゃいきゃいと楽しそうにするふたりに苦笑しつつ、おむすびにかぶりつく。
麦とは違う異国の穀物の香りは何故か落ち着く味がして、きっとツバキの気遣いがそう思わせているのだろう。
※※※
窓のない部屋に、その男はいた。
今が昼か夜かは腹の具合で判断するほかない。食事は日に二度、贅沢は言えないがある程度の希望は叶えられる。前回は魚介の
捕らえられてそろそろ、ひと月ほどが経つ。
尋問が始まるや即座に、知る限りのことをすべて喋りそして協力を申し出た。代わりにこの
もっとも、捜査はあまり進展していないようだが。
それもそのはず、『
メンバー同士の連絡も秘密主義が徹底しており、幹部である男ですら、顔と名前の一致する仲間は数えるほどしかなく——もちろん彼らの情報は既に売ったが——そこから辿って組織の全容を掴むことは不可能だろう。
おそらく教団は、男のことを裏切ったとすら考えていない。
いや、そもそも『教団』としての統一意思はあるのか。
ともすれば国家権力の中にも構成員はいる。男のこの厚遇も教団が関与している可能性すらあった。
男は確信していた。自分は許される、と。
たとえ教団に関する情報のすべてを国に明け渡そうとも、その結果として何人かが破滅しようとも、己が生きていることそれ自体の価値はなお
何故ならば自分が、自分こそが、教団にとってトラーシュへの
思索に
男は顔を向けると、来客ににやりと笑み、鷹揚に椅子から立ち上がる。
「ようやく出所かい? おじさん、気が滅入っちゃったよ」
扉を開けた者は、
彼——もしくは彼女——は、男の軽口に応えず無言で外を促した。
「ここを出てからの指示は?」
紙片が手渡される。住所が書いてある。確認するとくしゃりとまるめ、口の中に放って飲み込んだ。
「まずい朝食だ。肉かなんかが食いてえよな」
男は軽口を叩きながら、一カ月の住処となっていた牢獄を出ていく。
隻腕——肘から下のない右腕の袖を、ひらひらと揺らしながら。
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