虹を追う子供

『右腕』を奇怪に変貌させたソラウミニスと対峙しながら、レリックは高速で思索を巡らせていた。


 まず今の会話、それに状況から、わかったことがひとつある。

 狙撃——『防護壁』を貫くほどの矢は連続して放てないということだ。


 あれほどの高威力なのだ。連射すればそれだけでレリックたちは対処に追われ防戦一方になる。なのに未だ二射めが来ないということは、やはりそれなりの時間がかかるのだろう。


 となるとこちらのすべきはまず時間稼ぎ、それからソラウミニスへの牽制。

 相手がどんな策を弄しているかはわからないが、少なくともにはある程度の時間を要する。


 レリックは無言で初手を打った。

 頭の中ストレージに入れていた魔術をソラウミニスに向けて放つ。

 

「うおっ!?」


 使用したのは、雷電系汎用魔術第六階位——『紫電の汀ライトVI』。

 半月ほど前、かの『大魔導』アンデンサス=スフィアシーカーと戦った際に『収納』し、そのまま保管していたものだ。


「あっぶねえなあ、いきなり!」


 波のように水平に迫ってくる『紫電の汀ライトVI』へ、ソラウミニスは『右腕』を突き出した。爪を広げて受け止めつつ、うち数本を地面に突き刺して避雷針のように電撃を逃す。


 ——なるほど、電流は本体に流れていかない、と。


 分析しながら、次。

 氷雪系汎用魔術第五階位、『雪女の慟哭クリスV』。


「おいおい、まじかよ!」


 押し寄せる吹雪を前に、ソラウミニスの『右腕』は防御に回る。鈍色の骨は合わさり、一部は水銀のようにぐにゃりと形を変え、一枚の盾となった。


 次。

 火炎系汎用魔術第七階位『轟炎瀑布フレイムVII』——。


「ひええ……街の被害とか考えろよな!」


 なおもソラウミニスの軽口は変わらない。

 迫りくる炎の壁を盾と化した右腕で受け止め、やり過ごす。


 そうこうしていると、再び上空から矢が飛来する気配。


 気を張っていたので対処は容易だった。『防護壁』を三枚並べて受け止める。

 鉄を引き裂く不協和音とともに、貫かれたのは二枚——威力を上げてきたらしい。


 前回の攻撃からの間隔インターバルは六十七秒。間隔は威力に比例するのかしないのか、威力はこれで限界なのかまだ上があるのか。判断はできない。


 だが、

 

「ひゅう! 無詠唱の魔術ってのはおっかねえや。しかも狙撃にも対応してきてる。こいつは危ねえかもなあ」


 ソラウミニスが挑発してきた。おそらくは次の射撃までの時間稼ぎだろう。

 せっかくなので、乗ってやることにする。


「お前のそれ……魔術を完璧に防いでるな。さすがはトラーシュの特別製ってところか? いったいどうすれば破壊できる?」

「いいだろぉ? 偉大なるあのお方が直々に着けてくれたんだ。果たしてどうやったら破壊できるのか、おじさんも知りたいところさ」


 他人に用意してもらったものを、さも自分の手柄のように得意顔で語るのを横目に——レリックはちらりと、その『右腕』を一瞥する。


 正確には指の一本、その先端に付着した黒い粘性の物質。

 つまり、玄詛げんそを。


 ソラウミニスは気付いていない。

 さっき魔術を放った際、密かに少しだけ紛れ込ませていたのだ。『右腕』に『遺物に沈く渾沌レリック・アンダーグラウンド』が通じるのかを事前に測るためである。


 その玄詛げんそは『右腕』の骨格に纏わり付き、しかし破壊をもたらさず、染み込むように鈍色の骨に溶け込んで、消える。


 ——


 ソラウミニスの態度、それに材質や質感から、なんとはなしに予想していた。

 

 あの『右腕』は玄詛げんそを吸着し、吸収する性質を持っている。

 つまりこいつの自信満々な態度は、レリックたちの切り札——大量の玄詛げんそを防ぐ手立てがあってこそのもの。


 こちらの思案を他所に、ソラウミニスは綽々しゃくしゃくと会話を続けようとする。


「ところで坊ちゃん、お前のその鉄の盾、いったいあと何枚残ってるんだ? さっき一枚、今回は二枚……もう使い物にはならんよな」

「そうだな。修理どころか作り直しになる」


「この前見た感じだと、全部で二十かそこらってところか? まあこっちとしては五十でも百でも構やしないんだが」

「狙撃手にはそれだけ余裕があるってことか?」


「そうやって隙あらば情報を引き出そうとしてくるの、抜け目がねえよなあ。でもまあ、おじさんだってその辺はちゃんと考えてんだぜ? 喋っちゃならんことまでは喋らんから、頑張っても無駄だと思うがな」

「……そうだな」


 レリックは相槌を打ちつつ思う。

 ——そろそろか、と。

 背後に気配を遣る。フローの準備はできているはずだ。


 ならば、決行する。


 己の無意識下、脳の片隅にある見えない箱ストレージへ手を突っ込む。

 奥底にしずの柄を掴み、


「浮上しろ。……『遺物に沈く渾沌レリック・アンダーグラウンド』」


 引き摺り出す。

 捻れた脊柱せきちゅうのような形状をした、純白の制御剣せいぎょけん——そしてそれに伴う大量の玄詛げんそ、呪術の果てたる漆黒の破壊物質。


 周囲に広がるのは闇よりもくらい汚泥の沼。

 そしてレリックの手に握られるのは、汚泥を掻き混ぜて操るための真っ白な背骨——。


「へえ」

 ソラウミニスが感嘆を装い、不敵に笑んだ。


「そんなすぐに切り札を出しちゃってもいいのかね? というか、がまだ通じると、本気で思ってんのかい?」


「……なあ、ソラウミニス」


 故に、レリックは。

 挑発と嘲弄ちょうろうを混ぜて、目前の敵に笑い返した。


「その『右腕』、実にたいしたものだ。さすがトラーシュが作っただけある。それにさっきから攻撃してくる狙撃手。精確な腕と強烈な威力、宿業ギフトなのか魔道具なのかはわからないけど驚嘆に値する。……でも、残念なことがひとつだけある」

「残念? なにがだ?」

だよ」


 わざと嘆息し、目を細めながら呆れ顔で、


「武器も上等、手駒も優秀。なのにそれを使うあんたが三流以下だ。あんたたちが負けるのは、武器のせいでも仲間のせいでもない……あんただよ。ソラウミニスという人間がつまらなくくだらない愚物だった、そのせいで負けるんだ」


「……、あぁ? てめえ、ふざけてんのか?」


「あんたは昔からそうだ。実際はたいしたことのない人間なのに、肥大した自尊心で己の領分を勘違いしている。まるで虹が掴めると勘違いして雨上がりのぬかるみを走り回る子供だ。虹をかける龍に憧れて、本当は泥遊びをしているだけなのに、自分も龍になれると思っている」


 ソラウミニスの宿業ギフトは『咒舎遮じゅしゃじゃ』という。


 魔術系宿業ギフトでいうところの『魔法士』——中級までの呪術に熟達したもので、稀少度レアリティ万人位ハイレア。トラーシュが持つ『咒堤賤壊陀羅尼じゅていせんかいだらに』の、よく言えば同系統、悪く言えば下位互換にあたる。


 汎用魔術と違い、呪術系の宿業ギフトはそもそもが珍しい。そういう意味でソラウミニスは限られた才能を持つ人間なのかもしれない。だが、だからといってトラーシュと肩を並べられるかと言われると、否だ。


 こいつはきっと、トラーシュのことを根本的に勘違いしている。


 呪術系宿業ギフトを持っているから異端なのではない。

 伝承位レジェンド宿業ギフトを持っているから天才なのでもない。


 生まれついての異端が、たまさかに呪術系宿業ギフトを持っていただけ。

 生まれついての天才が、偶さかに伝承位レジェンド宿業ギフトを持っていただけなのだ。


 だからソラウミニスはトラーシュに近付けない。決して彼女の隣には立てない。何故ならば彼は、呪術系宿業ギフトを持っているだけの凡人であるから。


 そして、では。


「『喋っちゃならんことまでは喋らんから、頑張っても無駄だと思うがな』。……さっきお前が僕に言った科白せりふだ」


 見聞きしたことを一言一句正確に覚えていられるような才を持ち、


「まったくその通りだと思うよ。大事なことは口に出してはいけない。策というのはこっそり張るものだ。引っかかった奴が『そんなのありか』と唖然とするような……予想外のところから予想外のものが出てくるような」


 思わせぶりな態度や虚勢に頼らず——素知らぬ顔で計略を巡らせることのできるレリックの方が、よほど彼女に近い。


「いいぞ、フロー。やってくれ」

「りょ」


 レリックの背後にいたフローが頷き、密かに詠唱してきた魔術を行使する。


「……『つたうそよかぜエアリアVII』」


 空風くうふう系汎用魔術第七階位。

 その効果は、

 そしてその魔術を活用するのは、無論、


「ありがとうございます、フロー。では……


 言葉という音の連なりにより宿業ギフトを行使できる、セラである。


「……は?」


 ソラウミニスが理解もできず、頓狂とんきょうな声をあげた。


「待てよ、どういうんだ? 第七階位の空風系魔術だと? それに、今の命令……伏兵は声の届くような距離には……」


 困惑を隠せないその顔を、レリックは無言で睥睨する。


 こいつはきっとまだ気付いていない。

 レリックが巧みな位置取りで、背後のフローをソラウミニスの視界から隠していたことを。

 そしてその陰で、彼女が瞳を光らせていたことを——つまり尸童よりましの力により、高階位魔術を詠唱していたことを。


 空風くうふう系汎用魔術第七階位『つたうそよかぜエアリアVII』は、大気の振動、つまり音を保存し、遠隔にまで届かせる魔術だ。

 その射程距離はおよそ十キロ

 これによりセラの『天意言霊てんいげんれい』は、彼女から十キロ以内にいるすべての人間の耳元でささやかれる。


 ほとんどの者にとっては意味不明な空耳として響いただろう。

 だが高所に潜んでいる狙撃手や、さっき遠ざけられた者たちや、そして仮にまだ見ぬ伏兵がいたとして——彼らはもはや、王女の勅命に逆らえない。


 ややあって広場にやってきたのは、四名。

 若い男がふたりと、中年の女がひとり。それから壮年の男がひとり。

 それぞれが茫然とした表情で、自分が何故ここに来ているのかわかっていない。


 セラが王族の顔で、彼らへ告げた。


「そこのあなた、?」

「いえ、あと、ひとり……います」

「では?」

「はっ、……はい」

「さすがに遠くにいた分、時間がかかるみたいですね。……よろしい。


「な……くそ、身体が動かん……おいソラウミニス、どうなっている!? 何故まだ片が付いていない!」

「……っ」


 ソラウミニスは仲間の詰問に返答できない。

 やがて最後のひとり——狙撃手の女性が広場へとやってきて、愕然とした顔のままセラの前に跪いた。


 それを見届けたのち、レリックは改めてソラウミニスを睨み付ける。


 手許に握るは捻れた背骨、制御剣。

 周囲に揺蕩たゆたう呪いの塊たちは墨絵のように静謐せいひつに、沼に立ち並ぶ枯れ木のごとき様相となり、黒の情景を象っている。


『右腕』に玄詛げんそが通じないと思われる理由も既に見当は付いた。故に無論、対策も考えてある。


「さあ一手を封じたぞ。次の札があるなら切ってみろ、ソラウミニス」

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