忌め、黒く、呪え、宝石のごとく

 倒れた神殿騎士たちに、ニーナは安堵と不安の入り混じった複雑な笑みを見せた。

 助かってよかったと思う反面、本当に無事なのか心配しているのだろう。


 だがダイモス府主教ふしゅきょうはレリックによって『収納』され、もはや彼女を罵倒する者はいない。だからニーナは深呼吸をひとつすると決意したように顔を明るくさせ、


「みんなぁ!」

 と、声を張り上げながら駆け寄ろうとした。


「待った」

 ——レリックはそれを、制止する。


「え……?」

「すまない」


 彼女の心情をおもんばかると、好きなようにさせてやりたい。友人たちが気を失っているのならば、介抱したいと思うのは当然のことだ。


 


 ニーナを押し留めつつ倒れた神殿騎士たちへ振り返り、半ば独り言のように——けれど己ではなく他者へ聞かせるべく、言う。


「他者の精神を操作するというのは、本来、とてつもなく難しい。特に意思に反した行動を強制するのは」


 たとえばネネの持つ『隠蔽結界』、あれは正確に定義すると精神操作系の宿業ギフトだ。周囲にいる人間の意識を自分から逸らす、という。


 これはしかし、決して無条件で成功する訳ではない。効果範囲外にいれば無効で、事前に知っていれば防げることもあり、そもそも耐性の高い者にはかかりにくい。

『意識を逸らす』——ただそれだけの効果でさえ、幾つもの条件があるのだ。


 感情や思考をまるごと封じ込めたり、その上で高度な命令をくだしたりなどとなれば、実現させるにはいかほどの困難があるか。しかも八人という大人数を、だ。


 必ず入念な準備と手順が要る。ことによっては媒介と、そして、


「ダイモス府主教ひとりで、果たしてそれがやれるのか?」


 ——協力者も。


 宿業ギフトというのは確かに多種多様で、常識外れな現象を可能にさせるが——常識外れな現象すべてを宿業ギフトによるものだと思い込むと、足元をすくわれる。


「気付いたことがある。迷宮に入ってから今に至るまで、ずっと観察していて気付いたことだ」


 レリックは語る。


「神殿騎士たちの戦術。呼吸を合わせ、一糸乱れぬ統率のもと、効率的に敵をほふっていく、まるでひとつの生物のような動き——魔物と戦っていた時に見せていたあれはその実、僕とやり合った時の動きとさして違いがない」


 呆気にとられているニーナにではなく、


「それから、これまで彼らの取ってきた陣形、攻撃や防御に際しての人員配置。ひいては普段のやりとりに至るまで。このすべてに、ひとつ共通点がある」


 背後に控えているフローにでもなく、


「どの陣形であっても必ず、最も安全な位置に配置されていた者がいる。敵からの攻撃を食らいにくく、かつ全体を見渡せるような位置に、だ。そして『そいつ』は同時に、迷宮での活動において、総員を俯瞰ふかんできる立ち位置……つまり、雑用も引き受けていた」


 倒れている神殿騎士、そのうちの特定の人物に向けて。


「『そいつ』は、僕がダイモス府主教を『収納』した時、最後に倒れた者。まるで他の者たちを倒れさせた後、戦いの終わりを見極めてから一同の真似をしたかのように。……もういいだろう? 気絶などしていないのはわかっている。ライラと言ったな」


 『そいつ』——女騎士、ライラは。

 レリックの呼びかけに応じて、ゆっくりと立ち上がった。


「見事だ。いつ気付いた?」


 ライラは言う。その相貌そうぼうにはなんの感情も浮かんでおらず、声音からも考えていることは読めない。


「怪しいと思ったのはさっきの戦いの途中、僕が『防護壁』を出した時だ。あなただけ、目前に壁を出されてほんのわずかに動きが鈍った。驚いてのことなのか、そのまま衝突することに躊躇したのかはわからないけど。そこから思い返してみれば、不自然さがあった。最初は女性のあなたが特別扱いされていただけかと思ったが……おそらくはそれも含めて偽装工作カムフラージュだったんだろうな」


「思い返した、か。すべて覚えていたのか?」

「生憎とそういう体質でね。一度見聞きしたことは、意識しないと忘れられない」


「どういうこと? ライラちゃん……え? ふぇ?」

「ニーナ。あなたにひとつ、謝らなければならないことがある」


 状況を把握できずに戸惑っているニーナへ、ライラが笑った。

 その笑みは——どこか不自然で、まるで貼り付けたようだ。


 彼女は、告げる。


「え……?」


「本物のライラはもういない。死んでいる。先代聖女……エリザ=キシュリィとともに迷宮へ入って。知っているだろう? エリザとライラの関係を。彼女は聖女が自殺すると決めた際、共に行くことを選んだ」


 まるで他人事のように『ライラ』のことを語るライラ。


 関係とは? とレリックが無言で問うたのへ、ニーナは震えながら説明する。


「ライラちゃんは、お姉さま、の……実の妹、なんです。だからニーナともお友達になってくれて。お姉さまがおかしくなっていくのを一緒に心配して、いつか助け出そうって、それで」


 聖女エリザが、素性不明の誰かと迷宮に入っていったことはギルド側でも把握している。性別も種族も定かではない『頭巾フードをかぶった人物』——それがエリザの実妹であり神殿騎士の『ライラ』だったということか。


 レリックは背後のフローへ視線を送った。

尸童よりまし』は死者の魂を探知できる。もしライラの言う通りエリザと『本物のライラ』が死んでいるとするなら、残留思念は首飾りの近くに漂っているはずだ。


 フローは瞳をほの赤く染め、短く答える。


「いる。ふたり」

「……そうか」


 彼女の言っていることは嘘ではない、と。


 ライラ——己を偽物のライラだと名乗る『誰か』は、フローの探知を待っていたかのように再び口を開く。


「ダイモス府主教の宿業ギフトは『伝心』。思念を繋げて言葉を発することなく意思伝達ができるというものだ。私はこれを使い、ダイモスに指示を出していた。つまり、まるで彼が神殿騎士たちを操っているかのように振る舞わせていた」


 ゆっくりと両手を広げ、まるで子供に教えを授けるような口調。

 自分たちにすべてを説明するつもりか。


 ならば乗ってやろう——いや、乗らなければならない。


 レリックにはある予想があった。

『ライラ』がライラではないと明かしたその時に、或いは、と頭によぎった考えだ。

『彼女』が己の見た目を欺いているのならば——見かけ通りの姿ではないのならば。だとしたらそのは、もしや、と。


 そしてそれは疑ってみれば不思議なほど、レリックの心にすとんと落ちる。


 だから自分たちはこの女に付き合わなければならない。

 この予想を、この妙な納得感を、確かめなければならない。


「神殿騎士たちの意思を束縛し、実際に操作していたのは私だ。ではいつからか。最初からだ。迷宮に入る直前……私がライラと入れ替わった時から、神殿騎士たちはみな私の制御下にあった」


「ニーナ嬢を操らなかったのは何故だ?」

「方法ではなくそちらを問うてくるか。いい着眼点だ。ニーナのことは最初から成り行きに任せるつもりだった。それが聖女と『ライラ』との約束だ。彼女たちを迷宮に逃したのも私。……他者を操る術については、推察できているのか?」


「少なくとも宿業ギフトでないことはわかる」

「それはどうして?」

「八人もの人間の意思を同時に封じ、高度な命令を実行させる……それも数日にわたって。もしそんな宿業ギフトが実在するのなら、歴史に必ず残っているはずだ。持ち主によって国のひとつやふたつが傾いていてもおかしくない。だけど宿業ギフト記録史にそんなものは載っていない」

「記録史をすべて記憶しているのか?」

「さっきも言っただろう。一度でも見聞きしたことは忘れない」


「明察だよ」

 と、女は手を叩く。


 独特な仕草の拍手だった。

 胸の前で手を合わせ——掌の付け根同士どうしをくっ付けたまま、まるで獣の顎が開閉するような、少し変わった形の。

 この妙な仕草を、レリックたちは知っている。


 彼女は続けた。


宿業ギフトなんかではない。培った技術、掘り出した先史遺物アーティファクト、積み重ねた叡智、それらの結晶だ。まずは薬で思考を鈍らせ、衣服に仕込んだ魔道具で自由意志を封じ、食事に術式を混ぜて状態を維持する。命令を聞かせるのには『伝心』の宿業ギフトを使ったが、まあこれは例外としておこう」

「雑用係をしていたのにも理由があった、ということか」

「正解。ええと……まだ知りたいことはある?」


 そう問われたレリックは。

 知らず知らず早まっていた鼓動を深呼吸によって落ち着かせ、汗ばんでいた掌をぎゅっと握り込む。


 振り返り、フローを見遣った。

 堂々と敵に背を向けるなど、普段のレリックならば絶対にしない。が、襲ってきたりはしないという確信があった。何故なら理由がない。彼女はきっと、自分たちのことを敵だとすら思っていない。


 フローの顔色は血の気がなく、真っ白だった。

 けれど両目には強い意志が宿り、唇は引き結ばれている。

 彼女も理解しているのだ。それはそうだろう、レリックにわかってフローにわからないはずがない。


 レリックは再び彼女へ向き直って、最後の質問をした。


「昨夜、わざわざ僕らのところへ来たのは何故だ?」

「ふふ」


 彼女は、笑んだ。

 そしてそれは彼女が『ライラ』の姿で見せた、最後の笑みだった。


「ふたりの顔が見たかったのだ。他所行きの無愛想なものではなく、もっと自然なものを。あなたたちが……フロー、レリック」


 喋るに従って口調が変化していく。堅くつっけんどんな『ライラ』のものから、彼女本来の柔らかいものへと。


 それに伴い、外見もまた変貌していく。幻惑系の術式で装っていたのだろうか、それとも肉体構成をいじっているのだろうか。


 束ねていた金色の髪。ほどけつつ色が染まっていく。闇よりも深い漆黒へと。

 衣服。纏っていた鎧ががらがらと落下していく。その下に着込んでいた平服は生物のように蠢き、純白の長衣ローブに変貌する。

 顔。細く鋭い目鼻立ちは、優しげな、母性を感じるものへ。包み込むような慈愛の雰囲気がありながらその反面どこかぞっとさせられる美しさも持っている様は、食虫植物を連想させる。


 そして最後に、耳。

 普人ふじん族のまるみを帯びたものではなく、先端を尖らせた長い、まるで笹のような——妖精族エルフ特有のものに。



 ※※※



 かくして『ライラ』はいなくなった。

 彼女は、本来の姿に戻った。


 即ち、


「本当は、顔を見せるつもりはなかったんだけど。立派に育ってたからつい、会ってあげたくなっちゃった。フロー、よく生きていたわね。レリックに治してもらったの? レリック、受け答え完璧だったわ。成長したのねえ。ふたりとも元気でよかった。お母さん、嬉しくなっちゃった」


 トラーシュ=セレンディバイトは、小首を傾げて愛おしげに微笑んだ。

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