聖女の証

 集団で囲い、近接攻撃で急襲する。

 それは『空亡そらなき』と称されるほどに特異なレリックの『収納』に対して、比較的有効な手段のひとつだった。


 結局のところ『収納』の能力とは、いかに情報を把握し処理するかに掛かっている。つまり大量の情報が一気に押し寄せてきた場合——処理能力が飽和することはないにせよ——どうしても効率が落ちる。


 頭の中ストレージへ放り込むのに、人ひとり程度であれば造作もない。遠隔攻撃であれば雨のように降り注ごうとも問題にならない。だが、人間が大量かつ同時に距離を詰めてくると、処理にわずかな遅延が生じる。そして相手の速度によってはその遅延が致命的な隙となり得た。


 とはいえ無論、を最も理解しているのはレリック本人である。

 判断は早かった。突撃してきた神殿騎士たちの速さよりも。


 目の前に『防護壁』を展開させる。

 半球状ではなく、湾曲した塁壁るいへきのように。単純に相手の突進を妨害する形だ。


 キースバレイドの『遺骸』と戦った時にかなりの損傷を受けた『防護壁』だが、あれからおよそひと月を経て修理——という名のほぼ作り直し——は終わっている。よほどの攻撃でない限りは貫けないだろう。


 金属同士のぶつかり合うけたたましい音がこだまし、騎士たちの突進がこぞって防がれる。相手の受けた衝撃もそれなりのものになったはずだが、さしたる痛手ダメージを受けた様子はない。


 騎士たちは反動を利用して大きく一歩を飛び退くと、やや距離を置いて着地。鶴翼を保ったまま、あくまでこちらを包囲するようにじりじりと広がっていく。


 レリックは彼らをにらんだまま、その背後に立つダイモス府主教に問うた。


「あんたたち……な? 誰から聞いた?」


 思えば最初——顔合わせをした時からだ。

 ダイモスはこちらのことを『下賤な冒険者』と見下してはいたが、力量そのものについては疑問をていさなかった。


 レリックたち『落穂拾い』は、『荷物持ち』と『振り子使い』という、およそ戦闘に向かない職能ロールだけで構成されたパーティーだ。なにも知らない者であれば必ず不安を抱き、大丈夫なのかと問うてくる。いつかのフィックスのように、宿業ギフトを嘲る者もいる。


 だがダイモスにその様子はなかった。

 それはつまり、レリックとフローの力量を最初からわかっていたからだ。

 誰かから聞かされて、知っていたからだ。


「ほう」

 ダイモスは不敵な笑みを浮かべた。


「早くも気付くか。『ゆめ侮るな』という奴らのひょうは確かなようだ」

「『奴ら』? とすると『玄天こくてん教団』か」

「言葉尻を捕まえてくる。性根も悪いわ」

「褒め言葉をありがとう」


 混ぜっ返しつつ、思考する。


 これで『神殿』と繋がっているのがトラーシュではなく『玄天こくてん教団』の方であることがはっきりした。組織ぐるみなのかダイモス個人でなのかは判然としないが、なんにせよこちらの情報が伝わっていることは確かなようだ。


 騎士たちが初手に取った戦術がレリックに対する最適解であったのも、偶然ではないのだろう。ダイモスはおそらく、対策をあらかじめ教授されていた。

 教えたのはソラウミニスか——捕縛したのはひと月前だが、それ以前から繋がっていたと見るべきか。まったく面倒なことをしてくれる。


 とはいえ、だ。

 だからといって自分たちに負けの芽があるかと言われれば、


 レリックは敵の陣形を眺めやりながら一歩を踏み出す。

 彼我ひがの距離は十メートラをやや越えていて、なるほどこちらの射程距離もしっかり理解しているようだ。


 とすると、こちらとしてはの一手。再び来るであろう突撃を利用して、片端から対処すればいい。

 そのために『防護壁』を球体ではなく塁壁状に構築したのだ。


 つまり敢えて乗り越えさせる、もしくは迂回させる。障害物があれば全員同時に襲いかかることは困難となり、その時間差はレリックにとって遅延ラグを帳消しにするという果てしない有利を生む。


 鷹揚に相手の動きを見ていると、背後から声があった。


「ね、ねえ」


 かすかに震える、それでも甘ったるさの抜けない口調。

 ニーナだ。


 彼女はおっかなびっくり、けれど意を決したように問うてくる。


「冒険者さまは、お強いの?」


 助けを求めておいてなんだその言い草は、と思わず苦笑しそうになるが、頷く。


「ああ、そうだな。強い」

「騎士さまたちよりも? 八人もいるのに」

「問題にならない。だから心配しなくていい」

「あ、あの……だったら」


 きっと自分の身が助かるか不安だったのだろう。そう思っていたレリックだったが、ニーナは予想外のことを言った。


「お願い、騎士さまたちを

「……は?」


 思わず振り返りたくなるのをかろうじてこらえた。

 彼女は続ける。


「みんな、ニーナのお友達なんですぅ……ティアードも、スライさんも、フィリップくんも、ミダスも。リロウさんも、アッカーさまも、キプロズくんも、ライラちゃんも。府主教さまに操られているだけでぇ、ほんとはみんな、いい人たちばっかりで! だから……お願いします冒険者さま。冒険者さまがお強いんだったら……すっごく強いなら。どうか、どうか、ニーナだけじゃなくてみんなのことも! 助けてあげてください……っ」


 途中から声がくぐもったのは、頭を下げたからだろう。

 途中から声音が震えたのは、涙混じりになったからだろう。


 それはあまりにも子供じみた、あまりにも甘っちょろい——どうしようもないほどに我儘わがままな、懇願こんがんだった。


 普段なら無視するところだ。


 命を救うには、命を奪うよりも遥かに大きな力が要る。

 力を持たないのに掌の大きさを超えたものをすくおうとするのは梼昧とうまいだ。のみならず、それを他人任せにしようなどとはもはや呆れて物も言えない。


 けれど。


「はは。……そいつはいい」

 レリックは思わず笑った。


 ダイモスはどういう理由で、ニーナを次代の聖女と定めたのだろう。

 見目がよかったから? 頭が悪く操りやすそうだったから? なんにせよ、彼女を軽侮けいぶし、見下していたに違いない。

 

 ああ、、だ。


 他者を人形のように操りながら信仰をうたうダイモス。

 みんなお友達だから助けてほしい、だなどと世迷言をのたまうニーナ。


 ふたりのうちどちらがより見下されるべき存在なのかは——問うまでもない。


「聖女さまってのは、こうじゃなきゃ」

 

 いっそ痛快な心持ちになりながら、レリックは右手を前に掲げた。

 彼女の甘っちょろい世迷言を——叶えてやるために。


「……むせべ/色は白と黒」

 口元で小さく詠唱する。


 それは通常の魔術と比して、ごく短い。

 詠唱というよりも合図に近く、魔力の流れもほんのわずか。ただ世界の法則に働きかけ、との現象を、代償とともに引き起こすもの。

 つまりは、呪術である。


 創生したのは、光の球。

 暗い場所を明るく照らす——ただそれだけの目的しか持たない、汎用魔術でいうところの『灯光ルクスII』。

 それを背後に出現させる。


「なんだ? いったいなにを……」


 ダイモス府主教が顔をひそめた。いきなり光源を作った目的がわからないのだろう。彼の感情は正しい。何故なら、光源そのものに意味はないからだ。


 呪術には代償が伴う。プラスを起こせば、必ずどこかに逆のマイナスあらわれる。

 つまり——光を生むことで、闇を生じさせることができる。


「……っ、うおおおっ!?」


 ダイモスが困惑から一転、焦燥の悲鳴をあげた。

 顔の前で手をばたつかせる。

 己のを——払うように。


 だがその闇が消えることはない。何故なら代償であるからだ。レリックの背後でふわふわと浮かぶ光球、これが輝いている限り、ダイモスの周辺は夜よりもなお暗くあり続ける。


「っ、守れ! お前たち、私を守れっ!」


 案の定、ダイモスは神殿騎士たちにそう命令した。

 結局のところ——どんなに尊大に振る舞おうとも、この男の根っこは小人物であったのだ。ただ性根を飾っていただけ。見せかけていただけ。


 愚かしく見えたニーナがその実、したたかで慈悲深かったのと同様に。


 騎士たちは命令に従って動く。

 操り人形となっているが故、そこには寸毫すんごうの遅れもない。ただ一方で、個々の判断による機転もない。


 レリックは疾駆しっくした。


 迎え撃つ神殿騎士たちは、ダイモスを背後にした三角形——つまりは魚鱗ぎょりんの陣形。なるほど前方からの攻撃に対処するには最適だが、意図してのものではないだろう。とにかく己の身を護りたい一心で、壁を分厚くしたのだ。


 故に、次の手。

『収納』していた魔術を解き放つ。


 数週間前に頭の中ストレージへ収められ、捨てることなく保管しておいたものだ。かの『大魔導』アンデンサス=スフィアシーカーの手による、雷電系魔術第七階位——『雷華天網ライトVII』。


 それを神殿騎士たちへではなく、彼らの横、右側へと


 落雷の轟音が空間に響き、同心円系の水槽が震えた。魔物たちが反応して一斉にこちらを向き、何匹かが反応してごつごつと硝子ガラスへきに突進して阻まれた。

 ダイモス府主教の反応は、それら魔物とさして変わりない。


「ひいっ!」


 短い悲鳴。右から響いた雷鳴におののき、騎士たちの陣形を組み換える。正面に三名を残しつつ五名を移動させた。つまり壁が薄くなり、レリックはその分、より距離を詰めることができる。


 騎士のひとり、正面の先頭にいた男が剣を振りかぶりレリックを唐竹に割ろうと襲いかかってくる。が、問題ない。


 何故ならばもう、だ。


 頭上から高速で迫ってきていた騎士剣が、不意にその勢いを失う。

 技術も力もなくただ落下に任せるだけの斬撃を、半身になってかわす。

 刃は空を切り、そのまま床を叩く。剣を振り下ろしていた騎士はそのまま身体ごとけるようにして倒れる。


 そして倒れる騎士は、ひとりではない。

 最初のひとりに呼応するように、どさどさと連なるように次々と、合計八名、つまりは全員。

 急に糸が切れたように、その場で崩れ落ちる。


 そして彼らが囲み、護らされていた場所にはもう誰もいない。

 彼らを操っていた相手——つまりダイモス府主教はその衣服ごと、レリックの頭の中に『収納』されていた。


「誇るといい、ニーナ嬢」


 全員が気を失っているのを確認すると、レリックはニーナへ振り返り、笑った。


「こいつらが死ななかったのはあなたのお陰だ。証の首飾りとか、治癒能力とか、そういうのは関係なく……あなたは彼らにとって、紛れもなく聖女だ」






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 第5話は全10回の予定です。

(とか言いつつ11回になるかも……)

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