聖女の軛

「行方不明になった先代の聖女——エリザ=キシュリィは、聖女の中の聖女と呼ばれていてね」


 過ぎること昨日さくじつ、冒険者ギルド本部。

 ギルドマスターたるフワウ=ヒスイは、召喚したレリックとフローに依頼のあらましを説明した後、そのことについて追補ついほした。


「見目麗しく品行方正、敬虔で人当たりよく都市民からの覚えもいい。『神殿』には縁のないあんたたちも、顔と名前くらいは知ってるんじゃないか?」


 レリックはもちろん覚えがあった。

 ヘヴンデリートで暮らしていれば、酒場や市場などで嫌でも名前は耳にする。いつだったか孤児院を慰問していたのを遠目に見たこともあった。

 フローはそもそも知らない人間に対して興味が薄いので今ひとつ要領を得ない顔をしていたが、実際、エリザ=キシュリィはかなり有名な人物だ。


「『神殿』が言うには、迷宮に入って行方知れずになった形跡がある、って。しかもそれ以上の説明は必要ないとばかりに口をつぐんでる。この私にすらそうなんだから、あんたたちもきっと、なにも教えちゃくれないだろうさ」


「婆さんが掴んでる情報は?」


「ああ。迷宮に入ったのは間違いない。頭巾フードを被った人物と一緒だったそうだよ。ただしそのフードの人物ってのは身元不明だ。冒険者証は偽物で、性別も種族もわからなかった。当然、ギルドにそういう依頼は来ていない」


 で、ここからが重要だが——と。

 フワウはそう付け加え、深刻な顔をしてレリックたちに告げたのだった。


「これはばばの勘だがね。『神殿』の奴らは、腹になにかを抱えてる。聖女エリザは、そのをなんとかするために迷宮へ消えたんじゃないかと思うんだよ。叛逆か、逃走か、阻止か、もっと他のなにかか、方法はわからないけどね」



 ※※※



 そして、現在。

墟恒無人街きょこうむじんがい』——水槽屋敷。


 先代聖女エリザの姿はどこにもなく、継承の証たる首飾りだけがぽつんと落ちている。今代聖女ニーナはレリックたちに助けを求め、ダイモス府主教ふしゅきょうらは敵意と殺意をまといこちらを睨み据えている。


「僕が思うに、あの首飾りだ」


 待ってはみたが『神殿』の連中が語ってくれる気配はなく、故にレリックは己の推測を口にする。


「あんたたちは聖女そのものではなく、首飾りに固執している。そしてあの首飾りは見たところ、ただの装飾品じゃない。魔道具——いや、そうと呼ぶのすら生温い力が秘められている」


 レリックの脳髄をもってしても『収納』が面倒そうな情報量。少なくともデクスマイナス子爵家の指輪——あの、病を先延ばしにする呪術よりも恐ろしい代物だろう。


ニーナこの娘は、さっき言った。『聖女になんかなりたくない』と。それはおそらく、役職を指したものではない。……違うか?」


「そ、そう。そうなんですぅ!」

 裸体に布を巻いたニーナが、ひょっこりと出した頭を縦にぶんぶん振った。


「ニーナは、知ってるんです! あの首飾りを着けると聖女になっちゃうって。ニーナが、ニーナじゃなくなるって! 教えてもらったの、お姉さまに!」


 甘ったるく間延びした喋り方はどうやら演技ではなくらしい——それはともかくとして。


「お姉さま、っていうのは?」

「エリザお姉さまよ! お姉さまはずっと……最近はもう、日に何時間かしかまともにお喋りできなくて。でも、正気でいらした時、ニーナに警告してくれたの。気を付けなさい、って。もし聖女に選ばれたら、逃げなさいって!」


「あなたは先代聖女とどういう関係だったんだ?」

「付き人……お姉さまのお世話をしてたの」


「先代聖女の様子はどんなだった? 普段、正気じゃない時だ」

「にこにこしてて、優しくて……でも、それだけだった。顔だけが笑ってた。言葉だけが優しかった。そうして、信者の人たちに治癒の魔術を施すだけで……横で府主教さまが高いお布施を要求してても、なにも言わなくて!」


「それは、あなたの知っている『お姉さま』じゃなかった?」

「あんなの、違う! それにお姉さまは、治癒魔術を使ってる時のこと、全然覚えてなかった! なのに最近はもうどんどんお痩せになって、顔色だって悪くて……夜は決まって熱を出して!」


「聖女が任期を終えると、付き人から次代を選ぶ仕組みか?」

「そうよ。お姉さまがそろそろ限界だからって、ニーナが選ばれて……」


 なるほど、およそ掴めてきた。

 レリックは故に最後の問いを発する。

 

「そうか。ではニーナ嬢。立ち入ったものだけど教えてくれると助かる。……あなたの宿業ギフトはなんだ?」


 それに、彼女は。

 びくりと身体を震わせたのち、すべてを察したように目を細めて答える。


「『氷魔術』……百人位アンコモンの、ありふれた宿業ギフト


「愚かな小娘めが。理解に苦しむ」


 ふたりの応答を、ダイモス府主教が忌々しげに吐き捨てた。


「黙って従っておれば聖女の地位と栄誉が望むままであったのに、むざむざ死を選ぶか。蒙昧もうまい、浅薄、暗愚。万言まんげんを費やしても評するに足りぬわ」


「な……なによお。ニーナは、ニーナじゃなくなるのが嫌だった! 地位とか栄誉とか知らない! 笑って楽しく暮らせないんだったら、そんなの要らない!」


「それが愚かだというのだ! 貴様ごときのくだらぬ人生になんの価値がある! 一身を以て民の信仰を集め教会のいしずえとなれるのだ。下賤げせんな小娘にとってこれ以上の幸せがあるものか!」


 断言し、それからにたりと俗な笑みを浮かべる。


「そこな娘の言った通りよ。あの『継承の首飾り』は着けたものの心と身体を縛り『聖女』にする。我らが笑えと言えば笑い、我らの意におもねるように喋り、そして我らの命令通りに癒す。民にとっての憧憬しょうけい、教会にとっては金の卵を産む雌鳥めんどりとなるのだ」


 その証言は大凡おおよそ、レリックの推察した通りだった。


 国教会の象徴であり、広告塔たる『聖女』。

 万人位ハイレア以上の治癒能力を持った『敬虔けいけんな乙女』が選ばれる——とされている。


 だが実態は、違う。違った。


 治癒能力を持った『敬虔な乙女』から選ばれるのではなかった。

 選ばれた娘が治癒能力を、『敬虔な乙女』にのだ。


 それを成し遂げるのは、あの首飾り。

 聖女の証である装飾品は、聖女の力そのものである魔道具なのだ。


 レリックはダイモス府主教を睨み付け、言う。


「あれは凶悪な魔道具。それも、呪具じゅぐだ。装着者に万人位ハイレア相当の治癒能力を付与し、加えて装着者の心身を強制的に操るような。着けられた者は『神殿』の命令に従いひたすらに治癒の力を行使する操り人形となり、そしておそらくは……代償として、大きく生命を削る」


 そう——代償だ。

 万人位ハイレアに匹敵するほどの治癒能力を宿業ギフトなしに成し遂げるなど、普通の魔術にはとても叶わない。ならばなにが必要か、どうすればできるのか。

 代償を支払う代わりにあらゆる奇跡を可能にする、呪術をおいて他にない。

 

 先史遺物アーティファクトを幾つか土台にし、そこに複雑怪奇な呪術を組み込んで、天賦の領域たる御業みわざで練り上げれば、こういうものができあがる。


 あの指輪——デクスマイナス子爵家が持っていた、対の指輪のように。


「全国各地の『神殿』に山ほどいる聖女たちがみんなあれを身に付けているとは思えない。ヘヴンデリート支部のみの独断……というより、暴走か」

「仕方ないではないか。天蓋都市ここは他の街とは違うのだ。万人位ハイレアの治癒能力者など、冒険者ギルドや病院があっという間に抱え込んでしまう。おまけに見目麗しく信仰篤い乙女だと? そんなもの、そうそういる訳がなかろう。見てくれのいい娘に宿業ギフトもどきを持たせ、従順に仕立て上げる方がよほど確実なのだ」


「そのために呪いに手を出すか。……いつからあの首飾りを使っている? いや、言い直そう。あれを『神殿』にもたらしたのは誰だ? 『玄天こくてん教団』か、それともトラーシュ=セレンディバイトか。ダイモス府主教、お前は?」


「騎士たちよ!」


 返答の代わりに発せられたのは、鋭い号令だった。


「かの者どもは我ら教会の怨敵おんてきである。神を、人を、迷宮を愚弄し、この均衡を崩さんとする者である。巴教はきょうの教えに背く者どもである。故に神殿騎士たるお前たちに命ずる。奴らをちゅうし、威光を示せ! 彼奴きゃつらの首を刎ね、その血を神へ、我らへ、迷宮へと捧げるのだ!」


 騎士たちが無言で鶴翼かくよくに展開する。

 最初から抜剣していた六名だけではなく、どこか戸惑う様子を見せていた残り二名も——一糸いっし乱れぬ動きで、下層の魔物にそうしていたように。


 そしてその表情はどこか、張り付いた仮面のようで。


「精神操作か」


 レリックは背後にフローとニーナを庇いながら身構えた。


「聖女の祭服と同じように、神殿騎士の鎧にも仕掛けを施していたか。首飾りの機能を応用しているのか? それとも、お前の宿業ギフトか?」

「死人に答える必要はない」


 ダイモスは唇を歪め、鷹揚に腕を掲げる。

 八人の騎士たちが、レリックたちに向かって突撃を開始した。

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