夜に阿る

 安全区画セーフエリアはやや小さかったが、それでも十二人という大所帯が夜を明かすには充分であった。


 だが府主教ふしゅきょうと聖女がそれぞれひと部屋を占有し、残る八人の騎士たちが居間や客間などに陣取ってしまうとなると話は変わってくる。


 レリックとフローは、最終的に台所へと追いやられた。


 野営に慣れている身としては、屋根があってしかも夜警の必要がないのであればそれだけで上等で、だから台所だろうと廊下だろうと実害そのものはない。とはいえそれでも理不尽なことには代わりなく、ふたりで憂さ晴らしとばかりに高級クッキーをむさぼるのである。


 幸いというべきか、ここは家屋といっても『それに限りなく似せて作られた迷宮』であるので、台所もまた炊事場としての用を為さない。焜炉こんろに火は入らず、戸棚に食器類が入っている訳でもない。故に、彼らが夕食を作るだのといった名目で台所へ押し入ってくることもなかった。


「しかしお偉方のふたり、迷宮の寝台ベッドは平気なのかね」


 そして、夜半。

 台所に作った寝床の上で行儀悪くお茶を飲みながら、レリックとフローは愚痴混じりの会話をしていた。


「あれ、冒険者だって気持ち悪がって使わない奴がいるのにな」

「あんまり深いこと考えてないんじゃないかな」


 寝室にはベッドが備え付けられている。敷布も毛布も新品同様にあつらえられ、そこで眠るのはまるで高級宿のように快適だ。

 そして汚れた衣服を着たまま床に入っても後始末のことは考えなくていい——朝になって宿泊客が出ていくと、迷宮の恒常性が働き元の状態へと復元されるのである。


 これを便利ととるか、不気味ととるか。

 冒険者の間でも意見が割れている。


「たぶん復元されるのも知らないと思うよ。というか、寝具の後片付けって概念すらないと思う。自分たちでシーツを洗濯したこととかなさそう」

「辛辣」


 まあ実際ないとは思うが。


「でもそれを言うならフローもじゃないか? 大きい洗濯物、いつも僕に押し付けてるじゃないか」

「今はそういう話をしてないでしょ? レリックの悪い癖だよ?」

「えっなんで僕が説教される雰囲気になってるの」

「わからないなら自分の人生を振り返ってよく考えてみて」

「絶対に答えが出ないやつだ」


 クッキーを口に放り込む。ちなみにふたりがかりで既に缶を三つ空にした。総額一万五千レデッツである。

 次に手を伸ばすと、


「あっそのチョコかかってるやつだめ。そっちの干し葡萄レーズンのやつ食べて」

「ついにり好みをし始めた」

「人は贅沢に慣れると不満が増えるんだね。悲しいことだよ」

「悲しむくらいならレーズンのやつ食べなよ」

「私がレーズンそんなに好きじゃないのを知ってるでしょ?」

「最初は『さすがブラスイ、レーズンも美味しい』って言ってたのになあ」

「それはそうだよ。でも私はチョコの方が好きなの!」

「正論なのに理不尽」


 ——と。

 廊下から人の気配がして、ふたりは会話をやめる。

 素知らぬ振りをしながら喫茶だけは続けていると、


「少しいいだろうか」

 台所へと騎士のひとりがやってくる。


 レリックたちとの渉外しょうがいを担っていた、あの居丈高な女騎士だった。鎧を脱ぎ平服に着替えていて、束ねていた髪も降ろしている。

 こうして見ると街娘のようでもあった。


「……なんだこれは、寝床か?」


 女騎士は入ってくるやきょとんとする。

 床に直接敷かれたふた組のそれは、確かにこちらでは珍しいかもしれない。


布団ふとんだよ。こういうものだから気にしないでくれ」


 ツバキに教えてもらったもので、彼女の故郷の文化だ。

 寝袋よりも遥かに快適なので下層で夜を明かす時にはいつも使っている。


「そうなのか。いや、にしても、いったいどこから」

「僕は『収納』持ちだ」


 最初に説明したはずなのだが、どうやらすっかり忘れられているらしい。レリックとフローがほとんど徒手てぶらでいたのを見ても察せられると思うのだが——向こうは冒険者でもなければこちらに興味の欠片もないのだから、それも当然なのかもしれない。


 などと考えていると、


「すまない」


 女騎士はふたりに向き直ると、軽くであるが頭を下げ、謝罪した。


「あなたがたを軽んじているのはわかっている。数々の失礼をお詫びする」


 あまりに意外な言葉に、レリックは一瞬ぽかんとしてしまう。

 顔合わせからこっち、上から有無を言わせず小間使いに対するような態度でいた彼女たちが、まさかこちらへの礼という概念を持っていようとは。

 更には、それを失していたことを謝罪するとは。


 黙って続きを促すと、女騎士は神妙な顔で語り始めた。


「私たち国教会と冒険者ギルドとでは、根本の価値観が異なる。利害が対立することも多いし、面子の問題もある。だからどうしても下手したてに出る訳にはいかない。それと……こちらも必死で余裕がないのだ。そこは理解してほしい」


「先代聖女さまのことか」

「先代ではない。継承が正式に行われるまで、聖女さまとはあの方のことだ」


 女騎士はレリックのつぶやきに、きっとした視線で返す。謝罪の最中であることを忘れたかのように放たれた鋭い感情は、聖女への敬愛をうかがわせた。


 とはいえ『神殿』にとって聖女とはそれだけ特別な存在であり、故に今回の依頼もまた、異常なものであることは確かだ。


 迷宮で聖女が行方不明になるなど、本来はあり得ないことなのだから。


 聖女は『神殿』の象徴であり、広告塔である。

 選ばれるのは、万人位ハイレア以上の治癒能力を持った『敬虔けいけんな乙女』——要するに姿。彼女たちは民衆の憧れとしてお布施を集める一方、治療行為を行うことでその権威を高める。


 万人位ハイレア以上の治癒系宿業ギフトは、救護院や病院では手に負えない重傷も治癒できる可能性があり、高額の寄付を払ってでも縋る者は多い。そうして快復した患者は巴教はきょうへの信仰をあつく捧げてくれる。


 そんな職務を担った『聖女』は——本来であれば迷宮に立ち入ることすらないはずなのだ。


「なんにせよ、聖女さまのみならず継承の証までが失われるかもしれない中で、気が急くあまりそちらに礼を失したのは確かだ。それに関して……教会としてはともかく、個人としてでもひと言あって然るべきだと思った」

「……わかった。受け取っておくし、僕らの胸の内にも留めておこう」

「汲んでいただいて感謝する。では」


 女騎士はもう一度だけ頭を下げると、そのまま踵を返して去っていく。そっけなく本当に謝辞があるのかと言いたくなる態度ではあるが、ひょっとしたら無愛想なのは彼女の性格なだけかもしれない、とは思った。


「……まあ、僕らのは変わらない、か」


 消えた後ろ姿へ、レリックは小さくつぶやく。


 彼女ら——『神殿』の連中がなにを考えているのか、聖女がなぜ迷宮で消えたのか。今の時点でわかっていることは少ない。

 だがそれでも依頼の品を探し、彼らを連れていく。

 連れていった先になにが待っているのか、なにが潜んでいるのか。

 すべてはであり、今の自分たちにできるのは、明日に備えてしっかりと寝ておくことだけだ。


 クッキーの缶を仕舞い、お茶を飲み干すと、ふたりは寝床に入る。

 ツバキの得意先からわざわざ買い付けた布団は台所であることを忘れるくらいには快適で、ふたりは紹介してくれたかの友人に感謝しながら眠りに就いた。



 ※※※



 そして翌日の午前九時。


 台所へこもっていたお陰で朝のうるさいあれこれを聞かされることなく、ふたりは玄関先で『神殿』の面々と合流する。


 既にかの女騎士は鉄面皮てつめんぴで集団に混じっており、こちらへの一瞥いちべつすらない。昨夜のことをおくびにも出さない態度はむしろ称賛すべきかもしれないと思う。


 代わりにレリックたちへ走り寄ってきた者がある。

 聖女だった。

 正確には聖女後継者——か。


「おはようございます、冒険者さまあ!」


 赤みがかった金髪をふわふわと上等な蜂蜜のように輝かせながら、なにが楽しいのか満面の笑みを浮かべ、甘ったるい声で挨拶してくる。


 そうして走ってきたそのままの勢いで、レリックの腕にぎゅっとしがみついた。


「今日もよろしくお願いしますねっ! ニーナ、頑張って歩きますから!」


 これに血相を変えたのは府主教、ダイモスである。


「……っ、なにをしておいでですか、聖女さま! 下賤の者にそのような馴れ馴れしい振る舞いを!」

「ええー、いいじゃないですかあ。ニーナは聖女ですよ。聖女って、たくさんの方々とお友達になるのが仕事じゃないです? だから、この方ともお友達になりたいなあって」

「限度というものがある!」


 ダイモスは手近にいた騎士のひとりを顎でしゃくった。

 指示を受けた騎士——精悍せいかんな若い男だ——は、無言で剣を抜きながらこちらへ歩んできて、レリックの眼前へと切っ先を突きつける。


「博愛のお心は感服致しますが、聖女さまにおかれましては不遜ふそんやからへと無闇に近付かれぬよう。下郎、く離れよ」


 勝手に走ってきて勝手にしがみつかれ、おまけに剣を向けられるとは。

 朝から盛大な溜息を吐きながら、レリックは作り笑いをした。


「とのことですので、聖女さま。あなたの護衛無駄に命を散らしてしまうことのないよう、ご配慮いただけると」

「……なんだと?」


 剣先に騎士の殺気が込もる。

 どうやら感情はあるようだ。しかも少々、浅薄せんぱくな。


「貴様、死にたいのか?」

「先に抜いたのはそちらだ。仮にここで殺し合いになったとしても僕らには名目が立っている。逆に尋きたいんだが、僕らに殺されるにせよ僕らを殺すにせよ、ここで依頼が終わってもあなたたちはいいのか?」


「もう、やめてティアード! ニーナ、冒険者さまとお友達になりたかっただけなのに……ティアードが嫌だったなら謝るから、ね?」


 ニーナがレリックの腕を離しながら、今度は騎士の腕を抱く。

 ティアードという名らしいその彼は、不機嫌そうな顔をわずかに赤らめながら一歩を引き剣を納めた。

 

 レリックは胸中で思う——もしかして嫉妬か?

 だとしたらとんだ茶番だ。あまりにもくだらなさすぎる。


 ティアードに連れられ、ニーナは騎士たちの下へと帰っていく。首だけで振り返り、にこにこと手を振りながら。


「レリック、聖女さまに粉かけられて嬉しかった?」

「……ああ、そうだな」


 だがレリックは、一連の茶番を横目にしながら唇を引き結ぶ。

 騎士たち——ひいては府主教がこちらに意識を向けていないのを確認し、フローの肩に身を寄せ、を見せながらささやく。


「あの娘から意識を離さないでくれ」

「……、うん、わかった」

 

 レリックの手には、小さな紙片かみきれがある。

 さっきニーナに抱きつかれた際、密かに渡されたものだ。


 その紙にはただひと言だけが書かれていた。

 ——『たすけて』と。

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