神殿騎士

 当然のことであるが、迷宮の滞在時間は深く潜れば潜るほどに長くなる。


 これは魔物の強さや攻略難度は無論のこと、往復に要する道程みちのりも大いに関係していた。


 たとえば地上から上層中辺までは五分とかからない。これはヘヴンデリート各所の『潜宮口せんきゅうぐち』——迷宮へ続く門の幾つかが、上層上辺と中辺を繋ぐ縦穴のすぐ傍にあるからだ。

 開けた平原であることも相まって、上層の探索は総じて、魔物の討伐や採取にかかる手間を加味しても数時間で済む。


 問題は中層だ。入り組んだ『婚星暗窟こんせいあんくつ』は抜けるのに手間がかかる。当然ながら下へ進むための最短経路ルートというものは周知されているが、それでも歩くに消費するときは上層と比較にならない。


 そんな中層を越えて——地上から下層へ辿り着くのにかかる平均は、一般に八時間から十時間と言われている。つまり『墟恒無人街きょこうむじんがい』ともなると、ただ行って戻ってくるだけでも一日が潰れてしまうのだ。


 故に、下層からは糧食の確保や野営の技術などが生命を左右する。『墟恒無人街きょこうむじんがい』のあちこちに安全区画セーフエリアがあるのは神の慈悲とすら言われていた。もし下層の屋外で天幕テントなど張って寝ていたら、あっという間に魔物にたかられて終わるだろう。



 ※※※



 さて、では今回レリックたち——『神殿』のお偉いさんふたりとその護衛を含めた一同が下層到達までにいかほどを要したかといえば、およそ九時間である。


 これは驚嘆すべき数字だった。


 なにせ府主教ふしゅきょうと聖女は疲れただの景色が見たいだのの理由で頻繁に休憩を取りたがるし、歩みも遅い。にもかかわらず、実際には高等級冒険者のパーティーと比してもごく平均的な速度で進んでいたことになるのだ。


 理由は単純。

 ふたりを護衛する騎士たちが、圧倒的に強い。


 上層はもちろんのこと、中層、更には下層まで。あらゆる魔物が出現するや否や迅速にたおし、死体を一瞥すらせず先へ進めと促してくる。

 陣形は効率的かつ臨機応変、魔物の種類に合わせて的確に弱点を突き、それでいて動きに一切の乱れはない。個ではなく群としての動きを極限まで洗練させたその戦い方は、結果だけを見るならば一級冒険者に勝るとも劣らないだろう。


 以前、レリックとフロー、そしてツバキの三人が下層まで最短最速で進んだ際の所要時間は四時間ほどで、生半なまなかなことでは破られない自信があるが——少なくとも魔物の殲滅速度だけで言うならば、あれにも匹敵するのではないかと思わせた。


 とはいえそれでもレリックたちにしてみれば、時間はかかりすぎている。


 美術館の建つ丘をのぞむ住宅街の大通り——もはや何度めだと言いたくなるほどの小休止の中、騎士のひとりがレリックたちの元へやってきた。


「ここから最も近い『安全区画セーフエリア』はどこにある?」


 愛想もなく、用件だけを端的に告げてくるのは八人の中で唯一の女騎士。彼女は各種の雑用をはじめ、レリックたちへの使い走りも担当していた。


 分担作業の一環なのかそれとも単に地位が低いだけなのかは判然としない。騎士たちはみな府主教と聖女には唯唯いい諾諾だくだくであるし、そういう意味では平等なのだろうが。


 フローがぼそりとレリックの耳許で、位置を告げる。

 レリックは彼女の言葉をそのまま伝えた。


「およそ二キロ先」

「ではそこで宿泊する。五分後に出発だ」

「……ちょっと待った」


 用件だけを告げて踵を返しかけた女騎士を、レリックは呼び止めた。


「なにか?」

安全区画セーフエリアは先に使用している者を優先する、というのが冒険者ギルドの定めた規則ルールだ。もしその場所に先客がいたら、場合によっては使えない」


 下層の安全区画セーフエリアはほとんどが民家風の家屋であるので、親切なパーティーであれば一夜のを許してくれる。が、判断するのは向こうだ。断られればそれまでだし、この十二名という大人数ではその可能性も高いだろう。


「こちらの決定に変更はない」


 それを説明しても、女騎士の表情は微塵も動かなかった。


「先客とやらがいたのなら出て行ってもらえ」

「勝手を言ってくれる。できる訳がない」

「それをやるのがお前たちの仕事だろう」


 そして今度こそ背を向け、一団へ戻っていく。

 レリックはあからさまに舌打ちするが、それも無視された。


「やな感じ。なにあれ」

 女騎士が去っていった後、フローが顔をしかめて小声で言う。


「こっちのことなんだと思ってるんだろ」

ていのいい道具くらいにしか思ってないんだろうな」

「もうやっちゃおうよレリック。全員『収納』しちゃってよ」

「物騒なことを言うんじゃありません。そもそもあの人数はちょっと無理かな……」


 生きた人間を『収納』するのは、すべて吐き出した空っぽの状態でおよそ二十人が限度である。そしてレリックの頭の中ストレージは、主に制御剣切り札によって半分以上が常に埋まっている。

 故に、容量ストレージが足りない。


「むう……それって生かしてたらでしょ? 死体なら入るよ」

「おっと物騒さが増したぞ」

「そうだ、頭だけ『収納』しちゃえばいいよ。そしたら容量も問題ないし全員死ぬし、すべて解決するよ」

「物騒を越えて純粋にひどい」

「レリックが敵にいつもやってることでしょ!」

「それはそうだけども」


 何故か怒られた。

 まあ、八つ当たりだろう——朝からずっと、あの一行には苛々いらいらさせられ通しであったから。


「ほんと、婆ちゃんの頼みじゃなかったらもう置き去りにして帰ってるところだよ。フローちゃんは怒りがあふれていかちゃんになりそう」

「ぶつ切りにして揚げると美味しそうだな」

「あっ思い出した。おととい食べた烏賊イカのフライ! レリック、私よりふたつ多く食べたでしょ! あの恨みを忘れないから!」

「忘れてないのに思い出せるのかあ。器用だなフローちゃんは」

「またそうやって揚げ足とって!」

「揚げた足だけに?」

「それは小粋な冗談のつもりか!? 何を食べて育ったらそんなつまらないことが言える……っ!」

「イカフライ」


 ばすばすと肩を殴ってくるフローの頭を撫でながら、レリックは「ともあれ」と背後を見遣った。


「あちらさんの撤収が終わりそうだ。休憩の度に絨毯敷いて、お菓子まで出してるのは恐れ入るね」


 彼らの手荷物はさほど多くなく、ひとりが背嚢はいのうっているのみだ。が、絨毯やお菓子、飲み物はそれとは別のところから出てきている様子。どうやら騎士のひとりに『収納』持ちがいるようだ。それも容量ストレージが多めの、優秀な。


「あとで私もお菓子食べたい」

「そうしよう。なにせ『ブラッドベリー・スイート』のクッキーだけでお腹いっぱいになるほどあるからな」


 休み返上の条件としてネネに買ってこさせた。高いやつを二十缶ほど。


「ネネっちが割とガチ泣きしてた気がするよ」

「あれは嬉し泣きだよ。僕にはわかる」


 さすがにかわいそうだったので、出させた金額の分だけ食事をおごってやろうとは思う。


「まあ、なにはともあれ、そろそろいい時間だ、日が暮れる前には安全区画セーフエリアに入りたい」


 午前九時過ぎに迷宮へ入って、かれこれ九時間。『上』では陽が傾き始める頃だ。


 もちろんここは迷宮、太陽は見えないし何時だろうと昼間のような明るさは変わらない。が、それでも冒険者は地上の時計に従って活動するのが通例だった。


 何故なら『地上の時刻』が夜になると魔物が凶暴化するのだ。いったいどういう理屈なのかはさっぱりわからないが、夜間の行動は探索の難易度が跳ね上がる。やってやれないことはないにせよ、無用な危険はごめんだった。


 ふたりは立ち上がる。

『神殿』御一行さまもまた撤収を終えてこちらへやってくる。

 そうして、フローの振り子に従った行軍は再開された。


 幸いなことに——まったく本当に、幸いなことに——辿り着いた家屋に先客はいなかった。

 一同は民家めいたその安全区画セーフエリアへと入り、夜明けを待つこととなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る