聖女の首飾り

 家屋の立ち並ぶ広場を歩む。


 先頭にフロー、隣にレリック、その後ろに続くのは八人の騎士と、それに囲まれたひと組の男女。まるで行進パレードのようだと心中で思う。だとすると先導している自分たちはなんの役なのだろう。さきがけとしてくつわを噛まされた馬? だが一同はフローの振り子に従って進むほかになく、馬の気分で行き先が決まるパレードというのは実に滑稽だ。


 そんなことを考えながら、レリックは背後をちらりと見た。

 

 騎士たち。物々しい雰囲気である。周囲を最大限に警戒しており、それでいて靴音に淀みはない。同じ騎士でもいつぞやの貴族お付き——デクスマイナス子爵家の護衛連中とは佇まいや気配からして明らかに違う。有り体に言うと、彼らとは比べるべくもないほどに強い。


 そして彼らによって四方を護られた男女。

 壮年の男と、成年を少し過ぎた辺りの女性である。

 どちらも白を基調にした荘厳な衣装を纏っていた。


 男の方は横幅が広く上背も高く、つまりは巨躯であり、ただし身体を覆う衣服が体型を隠すほどに大仰なので、ただの肥満なのか鍛えた結果なのかは判然としない。浮かべた表情には権力に首まで浸かった者に特有の傲慢さと尊大さがあからさまで、一見は穏やかげな中に他者への軽侮けいぶが滲んでいた。


 そして女の方はといえば、これも男に負けず劣らずの豪奢ごうしゃな衣服だが、小柄な体躯とてくてくとした歩みは年齢に似合わずまるで小動物のようだった。男の横をぴったりと寄り添うように、しかし好奇心に満ちた視線を周囲に移ろわせながら、無邪気な笑顔でにこにこしている。


「あー! 府主教ふしゅきょうさまぁ、見てください! あの建物! なんだか美術館みたいですう!」


 女が右手前方——丘の上を指差して甘ったるい声をあげた。


「あれってなんなんでしょう? 府主教さまは知ってますかあ?」

「ふうむ。生憎あいにくと私めは詳しくないのですよ。騎士たちも同様でしょう。……おい冒険者! あれはなんだ?」


 問いかけられた男は愛想のよい笑みで女に応えると、一転、レリックたちを居丈高な態度で怒鳴りつける。


 レリックは心中で溜息をいた。


おっしゃる通り。美術館ですよ」

「わあ! ニーナ、行ってみたいですう!」


 女——ニーナがとんでもないことを提案してくる。


「聖女さまがお望みだ、立ち寄るぞ」

「いいのですか?」


 男——府主教が命令してきたのへ振り返り、今度こそ実際に嘆息たんそくした。


。あれは美術館であって美術館ではない。確かに美しい絵画や見事な彫刻が並んでいますが……風景画は見る者を中に閉じ込めます。人物画は毒の霧を吐くでしょう。静物画の植物は蔦を伸ばして襲いかかってきます。彫刻は言うまでもない。つまりすべてが美術品に擬態した魔物ミミックです。あの建物の中に入る冒険者はいない。たとえ一級であろうと命の保証がないからです。その上でもう一度お尋きしますが……いいのですか?」


「せ、聖女さま……さすがにあそこは危険では?」

 男はあからさまに狼狽うろたえ、小人物らしさを露呈する。


「えーっ……じゃあやめた方がいいってことですよね? 残念ですぅ」

 そして女は小首を傾げながら唇を尖らせた。


 そう——家屋の立ち並ぶ広場に、一行いっこう以外の人間はいない。


 見物に来るのは魔物たちであり、時折現れるそいつらを騎士が集団戦で倒しながら、レリックたちの先導で大通りを歩んでいく。

 つまりこれは行進パレードではない。行軍マーチである。


 そしてこの場所もまた、当然ながらヘヴンデリートではない。その地下深く、『外套への奈落ニアアビス』下層——『墟恒無人街きょこうむじんがい』だ。



 ※※※



 現在、大陸全土に生きる大半の者を信徒とし、また多数の宗派が存在する『ともえの教え』——即ち『巴教はきょう』において、グレミアム王国の国教に定められているものを、文字通り『王国教会』という。


 巴教はきょうは、『神、人、迷宮の三者ともえがそれぞれ互いに補い合い世界は連なっていくものだ』という思想を教義の根本としている。成立は先代文明崩壊期までさかのぼり、おそらくは迷宮の出現と文明の滅亡に際して人の価値観が大きく変わる中、既存の宗教を改変、或いは取って代わる形で生まれたのだろうと推察されている。


 信徒の数と普及率を見れば、大陸において唯一最大の宗教であると形容しても過言ではない。これより他は民間信仰だったり種族や民族独自の教えであったりと規模がごく小さく、しかもそれらも大なり小なり巴教はきょうの影響下にある。


 宗教としての主な収入源は信徒からの布施ふせや冠婚葬祭の取り仕切りであるが、それぞれの地域特色へ宗派という名目で柔軟に対応し、国家権力にすらも食い込んでいる。


 もちろんここヘヴンデリートにも支部があり、曲がりなりにも『王国教会』という名を持つ以上、貴族はもちろん冒険者ギルドにとっても、鬱陶しくあれど決して無視できないだ。


 なにせ彼らの教義において『迷宮』は三つの柱のひとつである。巴教はきょうはその名目でもってギルドの運営に投資し、ギルド側は後援者スポンサーとしてそれなりの対応を要求される——という訳である。


 とはいえ、一般の冒険者たちにとってそんなことは関係ない。無論、信仰もである。迷宮攻略に必要なのは冷徹な現実主義であり、冒険者がじゅんじるべきは探究心と夢、そして金貨なのだから。


 故に、冒険者が巴教はきょう敬虔けいけんな信徒であることは少ない。王国への帰属意識すら薄いから『国教会』という呼称も滅多に使わない。

 彼らが拠点にしている建物の名称そのままに——『神殿』と呼ぶのみである。



 ※※※



 そんな『神殿の奴ら』が、今回の依頼主だった。


 レリックもフローも他の冒険者たちと同様、巴教はきょうへの信仰心などまったくと言っていいほどない。『神殿』と関係したのも、一年半前にキースバレイドの葬儀があった時が最後だ。


 ただ冒険者ギルド直属たる『特級』としては無視することもできず、フワウたっての頼みとあれば休日を返上して引き受けない訳にもいかない。故に重い腰を上げ、こうして依頼主を連れ立って迷宮へ潜った訳なのだが。


「……帰りたい」

「しっ」


 フローがぼそりとつぶやいた。後方の集団に聞き咎められでもしたら大事おおごとなので小さく制止はするが、レリックとて同様の思いである。

『神殿』——つまりは権力が相手なだけでも億劫なのに、依頼主が更にその中枢にいる人物なのだ。


「中層ほどではないが、ここもここでどうにも居心地が悪いな。おい、そろそろ休止にしろ!」


 巨躯の男が誰にでもなく大声で命令し、それはまかり通ってしまう。

 騎士たちが一斉に「はっ!」と歩みを止めて槍を立て、レリックたちもそれに従わざるを得ない。


『府主教』などという大層な役職名で呼ばれているそいつは、グレミアム王国教会ヘヴンデリート支部の支部長、ダイモス=シュワルド。

『神殿』の首長トップである。


「ふわああ。ありがとうございます府主教さまあ。ニーナ、そろそろおやすみしたいなあって思ってたんですう」


 そして隣の女性が、やたらと間延びした口調で彼に笑いかける。

 好意的な者にとっては可愛らしい、そして冷静な者にとってはわざとらしい、こてりと首を傾げた諂諛てんゆ。赤みがかった金髪は光の加減によって桃色にも苺色にも見え、華やいだあどけなさを演出している。

 清楚な印象を与える司祭服も胸元だけは小さく開いており、そしてそこをさりげなく強調する仕草もまた、計算尽くであるが故に効果的だろう。


「……あれが『聖女』ってがらなのかね」

「しっ」


 今度はレリックが小さくこぼし、フローがたしなめた。


 巴教はきょうにおいては各支部にひとりずつ『信仰の象徴たる敬虔な乙女』が任命される。要は地域ごとの偶像として人々の憧れとなるべく定められた、言わばお飾りである。


 役職名は『聖女』。

 そして、ヘヴンデリートにおいて、つい先月に代替わりしたばかりの聖女が彼女——ニーナ=セラトラニカだ。


 依頼は『神殿』、ひいては府主教ダイモスと聖女ニーナの連名において行われた。だがその内容は、レリックでさえ眉をひそめるような、有り体に言えばあからさまにきなくさいものであった。


 代々、ヘヴンデリートの聖女が代替わりとともに継承してきた首飾りがあるという。つまりは聖女であることを示す証である。


 それを——迷宮で行方不明となったその首飾りを、捜索しろというのだ。

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