朽ちた魔導書
ギルドマスターに報告をあげ、それから三日の後。
レリックとフローは、冒険者ギルドのロビーでケイズに『遥かなる夕暮れ』の遺品を返却していた。
ひと通りの点検は済み、彼らの武器に証拠となる痕跡はないと判断された。ただそれぞれの遺体はまだ検死が済んでいない。アンデンサスが迷宮の復元を遅延させていたその
もちろんケイズにことの仔細を教える訳にはいかない。アンデンサスの起こした事件はそういう意味で闇に葬られることとなった。一般に公表などしてしまえばヘヴンデリート
故に表向きの建前として、曰く。
『遥かなる夕暮れ』の面々は、中層で落盤に巻き込まれ生き埋めになっていた。
発見して掘り返した時にはもう遺体はひどい有様でとても持ち帰れるような状態ではなく、かろうじて武器だけを拾うことができた——。
「……そうですか」
レリックから説明を受け、ケイズは深く息を吐いた。
表情には疲労にも似た
「私がいれば、岩盤の状態を『鑑定』できたんでしょうね」
「だろうね。でもそれは、たらればだ」
捏造された事実の前で、彼の想像は余計に空虚である。
だがよもや『五十年前の英雄によって壁の中に餓死するまで閉じ込められていました』などとは言えない。
ただ。
もしもケイズが『遥かなる夕暮れ』を追放されていなかったら。
彼がともにいる状態で、アンデンサスと出
『鑑定』持ちのいるパーティーを、アンデンサスは生贄に選んだだろうか。
いやむしろ——『鑑定』持ちを追放した事実を知って、アンデンサスは彼らを生贄にと決めたのではないか。
そんな想像がレリックの胸中に浮かんだ。
それこそ、たらればであるのに。
「依頼の品を返そう。すべて持ち帰ってきた」
レリックは椅子の脇に置いてあった大きな包みをテーブルの上に広げる。
まずはフリッジの盾。
それからオーウェンの剣。
続いてボウボウの杖。
最後に、マリィの魔導書。
「綺麗にしてくださったんですね」
「ああ、勝手にやってすまない。あのままではとても渡せなかった」
それぞれ洗浄されており——正確には付着していた遺体の一部を証拠としてすべて回収した結果なのだが——腐敗臭はもはやない。
ただマリィの魔導書だけが紙を用いているため、半ば朽ちてしまっている。
それぞれを撫でるように掌を滑らせるケイズへ、レリックは言った。
「余計なお世話かもしれないが……いや、状態を点検する時に中身を見てしまったから、突っ込んだ首を黙って抜く訳にはいかなくて。魔導書の中だ」
「……なんです?」
「確認してくれ」
魔導書とは、
革と金属で頑丈に装丁された表紙により、紙でできた
とはいえ、話の本筋はそこではない。
促され、ケイズは魔導書を開いた。
マリィの遺体が腐敗したのに巻き込まれてほとんど朽ち、もはや用を為せなくなった頁の間。そこに、布に包まれたものが挟まっている。
開くと、折り畳まれた紙が出てきた。
「……これは。手紙、ですか?」
「読むかどうかはあなたの自由だ」
レリックの言葉に、ケイズはしばらく
なにせ自分を捨てて他の男に
だが彼は意を決したようにその手紙を開き、目を通す。
そこに書かれていたのは、謝罪ではなかった。
ましてや後悔でもなかった。
正確には、手紙とすら呼べない。
ただの——ひとりの女性の、死を間近にした独白だった。
会いたい、と。
ケイズに会いたい。
もうすぐ死ぬ。それを意識して、思い出すのはあの人のことばかり。
会いたい。顔を見たい。最期に、ひと目だけ——。
短い文面をおそらくは暗がりの中、書き留めて。
わざわざ布に包み魔導書に挟んで。
それを抱きしめたまま、彼女は壁の中で死に、腐乱したのだ。
しばらくの間、ケイズは紙に書かれた短い文章を眺めていた。
何度も視線を走らせては読み返していた。
そうしてやがて
「……ありがとうございました。改めて、お礼を。レリックさんはこの中身を?」
「ああ。洗浄する過程で見てしまった。悪いとは思ったんだが」
「いえ、いいのです。むしろ話が早い」
少し笑って、彼は続ける。
「なんと言いますか……身勝手なことを書き残すな、と思います。ざまあみろ、という気持ちも正直あります。マリィに対しても、それから思い出されもしていないフリッジに対しても。……でも一方で、だったら俺が振られたのはなんだったんだ、と虚しくなる。あの時、マリィは完全に俺への想いを失っていた。特別な事情なんてなにもなかった。脅されていたとか弱みを握られていたとか、そういうんじゃない。本当にただ、愛情がなくなって捨てられただけで。でも……ああ、上手く言えねえな」
言葉遣いが荒れていく。おそらくは彼の
「苛立ちとか、すかっとする気持ちとか、言葉にできないもやもやとか。そういうのの奥に、楽しかった思い出が浮かんでくる。幸せでいた時の記憶が。まるで昨日のことみたいに、浮かんでくるんだ」
ケイズは吐き捨てて、そのまま手紙を握り潰す。
「僕がなにか言えた義理でもないし、あなたの方が歳上だろうからガキの生意気な
「そうか……そういうもの、か。いえ、生意気なんて思いませんよ」
言葉遣いとともに、ケイズの顔は大人のそれへと戻っていた。
「これは全部まとめて、共同墓地に埋葬します。それでおしまいだ。私は先へ進む。商売人として
「ああ、もちろん。必要なものがあったら声をかけさせてもらう」
差し出された握手を、レリックは受ける。
それは力強くしたたかで、商売人としての決意に満ちていた。
※※※
同日、深夜。
——暗闇の中、少女は目覚めた。
意識は
首を左右に周囲を確認し、幼い頃から寝起きしていた自分の部屋であるらしいと気付き、息を吸った。吸って、吐いた。
両の掌を眼前に見詰め、五指を閉じてみる。開き、閉じて、また開く。
それから頬をぺたぺたと触り、布団の中に伸ばした足をばたつかせる。
彼女はしばらく、そんなことを繰り返す。
まるで——自分の身体が自分の思い通りに動くかどうかを、改めて確認するかのように。
やがて頬に添えられていた手が小さく震え始めた。
いや正確には、掌の下にある頬が、である。
「ふ、ふ……」
「ふふ、はは、はあ。よかった——よかった」
同時に、
「やっと……やっと、解放されたのね」
声は少しだけ
「ああ、虫唾が走る、気持ち悪い。あの老害、あのくそ野郎、あの呆けじじい……よくも私の身体を奪ったな、私の自由を奪ったな。ああ死んだ、やっと死んでくれた! ふふ……うふふ!」
つぶやきはすぐに歓喜の悲鳴へと変わる。だがそれは部屋の外に洩れぬよう注意を払われている。廊下に
「と、すると。あとは……」
少女は目を細め、暗闇の中で指を立て、集中し息を整える。
すると——その指の先に、
「火」ぽう、と、火が灯り。
「氷」しん、と、氷が浮かび。
「雷」ぱち、と、電光が走る。
「ふ、ふふふ——やったわ、最高」
「奪ってやった。奪ってやった! 教団の人たちがこっそり教えてくれた通りだったわ。あの爺い、莫迦な呆け老人め! どうして自分だけが私の
きゃらきゃらと哄笑は抑えきれず、廊下のメイドが声をかけてくる。
「お嬢さま……? お嬢さま、ひょっとしてお目覚めになりましたか!?」
それを無視して少女は、この場にいない、けれど脳裏にはしっかりと残っている少年の顔を思い浮かべ、頬を赤らめた。
「ふふ。ありがとう、くそじじいを殺してくれて。ありがとう、私を解放してくれて。ああ、レリックって言ってたわよね? 私を救ってくれた、私の王子さま! 早く会いたい、会いたいわ」
無限の魔力を持ち三つの災厄を操る、人造の
その瞳は爛々と輝き、灯火のように熱く氷雪のように冷たく、紫電のように
―――――――――――――――
これで第4話は終わりとなります。
お楽しみくださっていたら幸いです!
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(1話が終わる度に毎回書いてますが、感謝を伝えるのにちょうどいいタイミングなのでご容赦ください)
次回はおまけの設定紹介(キャラクター個別の
どうか引き続きお楽しみください。よろしくお願いします!
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