振り返れども前にしかなく

「世話をかけたね」


 レリックが報告をすべて終えた後。

 冒険者ギルドの頭領マスター——フワウ=ヒスイは、たっぷり一分ほどの沈黙を経て、絞り出すように言い、頭を下げた。


 長く伸びた耳は心なしか垂れており、きっちりとまとめられた銀髪もまた、いつもの隙のなさではなくどこか乱れているような気さえした。


 フワウはエルフ百二十九氏族のひとつ、ヒスイ氏の生まれである。

 よわいは七十。しかし外見は三十代になるかならぬかといったほどだ。その美しさには陰りがなく、ただし実年齢相応に言動は老成している。見かけは美女でも中身は頑固な婆さん、というのが冒険者たちの共通認識だった。


 エルフは不老の種族と言われており、二十代前半以降は成長と老化が緩やかになるのが特徴だ。とはいえ寿命は普人ふじんと変わらないため、そろそろ引退したっていい年寄りではある。


 ただ、きっと今でも勇退せずにいるのは、過去の経験が理由なのだろう——アンデンサスと同じように。


「少し、昔語りをさせておくれ。口外無用で頼むよ」


 フワウはお茶をひと口飲むと、レリックたちに向けて言った。


 場所は冒険者ギルド内。ギルドマスターの個室けん応接室。

 人払いをしており話が漏れる心配はない。ここにいるのもレリックとフロー、そしてフワウの三人だけだ。


 ちなみにキッフスたちは来なかった。興味がないそうだ。中層に潜ったまま引き続き調査を進めるという——迷宮の拡張を維持した『くさび』の仕組みを解き明かしたいと言っていた。


 ともあれフワウの話である。

 レリックたちは黙って耳を傾ける。


「あいつ……アンデンサスは、昔は高慢ちきな奴でね。自分の宿業ギフト伝承位レジェンドなのを鼻にかけて、実にいけ好かない男だった。しかも宿業ギフトだけじゃなく才能まであるときてる。性格以外は完璧だったから、余計に腹が立ったもんさ」


 悪口でありながら、唇の端はしかし笑んでいた。

 回顧と懐古に思いを馳せて浮かんだ、自然な笑みだ。


「ラタトゥスのことも最初は見下していたっけね。あんたたちは……今の冒険者はみな知らんだろう? 『帰らざる神眼』とおくりなされたあいつの宿業ギフトを。それは私たちのせいさ。あの人が死んだ時にね、明かさないことにしたんだ。もし明かしたら……同じ宿業ギフトを持ったやからがこぞって憧れる。真似をする。真似をして、冒険者になると予想された。で、そのほとんどが犬死にするとも」


「……ひょっとして『鑑定』だったのか?」


「ああ。十人位コモンの、どこにでもいる、ありふれた宿業ギフトさ。……なにが神の眼だよ。は、他ならぬあの人自身が不断の努力と研鑽の末に磨き上げた、唯一無二の『鑑定』だったってのにね」


 フワウが——ひいてはギルドと『第七天アラボト』の面々が、情報を隠蔽いんぺいしたのもわかる。『鑑定』は戦闘向きの宿業ギフトではない。冒険者として活動するにはほぼ必ず、仲間に守ってもらう必要がある。


 だが人は英雄に夢を見る。理想を見る。そして英雄と同じ宿業ギフトを持つ者にも高望みをする。それは他人だけではなく、その宿業ギフトを持った当人ですらも。

 十人位コモンというありふれた、しかもじっくりと育てなければ使い物にならない宿業ギフトに対して過大な期待を託した結果、訪れるのは悲劇でしかない。


 それを諫めて最も説得力のあるラタトゥスはもうこの世にいない——しかも、非業の死を遂げたという講談的行為は、若者たちをますます盲目にする。


第七天アラボト』の判断はきっと正しかった。少なくとも、当時においては。


 結果、時を経て、『十人位コモン』としてケイズを追放した『遥かなる夕暮れ』のような初心者ニュービーが出てきてしまうことにも繋がってはいるのだが——さすがにそこまで求めるのは酷というものだろう。


 フワウは続けた。


「まあ、で、だ。ある時、アンデンサスは慢心からヘマをして死にかけた。そしてその窮地を救ったのがラタトゥスだった。あれ以来さ。アンデンサスはラタトゥスと親友になって、おまけに心酔した。考え方もがらりと変わった。宿業ギフト稀少度レアリティなどなんの意味もない、そんなもので人の価値ははかれない……ってね」


 懐かしむ表情はやがて、悲嘆に歪んでいく。

 外見が若いせいか、それはつい数年前の出来事なのではとすら錯覚する。


「だから——ラタトゥスの死を一番嘆いたのも、アンデンサスだった。あの人の生前の夢にもずっとこだわってた。いつも会う度に言っていたよ。もう一度迷宮に潜ろう、外套がいとう領域に挑もう、って。言わなくなったのは、子が生まれたくらいからかな。もういい加減に諦めたもんとばかり思ってたのに……そうじゃない。きっと、私たちのことを見限っただけだったんだ」


 アンデンサスがいつから『玄天こくてん教団』に身を寄せたのかはわからない。少なくとも五年前にはもう、教団はあった。トラーシュ当人は自身を崇拝する彼らのことを鬱陶しがっていたが、それでも第三者にとって、蓄積された知識と技術は一定の価値を持つ。


 ラタトゥスの夢を五十年もの長きにわたり追い求め続けたアンデンサスは、その果てに己の老いを自覚し、絶望し、教団を頼ったのだ。


「あいつと最後に会ったのは、孫が生まれた時か……あの時にはまだ、道を踏み外してはいなかったのかね。気付いてれば私たちは、止められたのかね」


「フワウ婆ちゃん、だいじょうぶ?」


 フローが立ち上がり、対面の長椅子ソファー——彼女の横に腰掛け、手をぎゅっと握る。


「ああ、大丈夫だよ。すまないね心配をかけて。わかってる、詮ないことさ」


 言いながら、フローの頭を愛おしげに撫でる。

 彼女もキースバレイド同様、未婚で子供もいない。若い頃の病で子ができない身体になったそうだ。そのせいか、レリックたちにこうして、まるで母親のような柔らかい顔をすることが時々ある。


 フワウはレリックに向き直ると、目礼した。


「あんたたちには礼を言うよ。あいつを……私の仲間を、止めてくれてありがとう。私の友達を、救ってくれてありがとう」


「婆さん、僕は……」


「いや、救ってくれたんだよ。ラタと同じ十人位コモン持ちに負けちまったんだ、アンデスもあの世で苦笑いしてるだろうさ。……胸を張りなレリック。他ならないこの私が、あんたのしたことを誇りに思う」


 外道に落ちたとはいえ己の友。

 それを殺した相手に向かって、フワウは笑んだ。


「それにしても……キースの件も含めて立て続けだ。これでヘヴンデリートに残った『第七天アラボト』は私だけになっちまったよ。そのうちこのばばあにも、なんかあるのかねえ」

「縁起でもないことを言わないでくれ」

「冗談だよ。残った私は忘れ形見を見守らなきゃいけない。ツバキが大成して、ソフィアが嫁に行くまでは死ねなくなっちまったよ」


 ソフィア——アンデンサスの孫にして、彼により自我を奪われ、魔力源として扱われていた少女。


 彼女は今、両親の許で療養している。意識はまだ戻らないが命に別状はないそうだ。医者の見立てではじきに目を覚ますだろうとも。


「……莫迦が。ソフィアが生まれた時、あんなにはしゃいでいただろう。どうして過去に囚われた。どうして未来を見なかった」


 フワウは独白のように、ここにはいない友を罵倒する。

 それはまるで血を吐くようだった。


「私たちだって過去を忘れた訳じゃないんだ。ただ、未来を見ようとした。私は子供が産めなかったから、ギルドのことを我が子だと思って成長を見守ったよ。キースもそうさ。不幸な事故があって妹一家が亡くなって……それでもあいつは、弟子を必死に育てた」


 やがて、ひとしずく、ふた雫と。

 彼女の目から涙が溢れて、頬に落ちる。


「アイシャの孫が冒険者になったって、この前、王都から便りがあったんだ。ヘヴンデリートに行くからよろしく、ってさ。トールエンドとジクトムも円環えんかん都市で、今は冒険者の育成に励んでる。なのにあんたは、あんただけが……ああ、だから許せなかったのかね。みんなが前を向いていることが。自分も前を向いてしまってたことが。もう前も後ろも向けなくなったラタに、申し訳が立たないと思ったのかね」


 まるで懺悔のようにつぶやく。

 隣に座ったフローが無言で彼女の頭を撫でた——ゆっくりと、けれどしっかりと。


 フワウ=ヒスイは。

 ヘヴンデリートの英雄、『第七天アラボト』のひとりであるその人は。

 かつて少女だった頃の記憶に想いを馳せながら、笑った。


「それでも、こんな結末を迎えたとしても。あの頃の私たちは、幸せだった。幸せで、楽しかったよ」

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