振り返れども前にしかなく
「世話をかけたね」
レリックが報告をすべて終えた後。
冒険者ギルドの
長く伸びた耳は心なしか垂れており、きっちりとまとめられた銀髪もまた、いつもの隙のなさではなくどこか乱れているような気さえした。
フワウはエルフ百二十九氏族のひとつ、ヒスイ氏の生まれである。
エルフは不老の種族と言われており、二十代前半以降は成長と老化が緩やかになるのが特徴だ。とはいえ寿命は
ただ、きっと今でも勇退せずにいるのは、過去の経験が理由なのだろう——アンデンサスと同じように。
「少し、昔語りをさせておくれ。口外無用で頼むよ」
フワウはお茶をひと口飲むと、レリックたちに向けて言った。
場所は冒険者ギルド内。ギルドマスターの個室
人払いをしており話が漏れる心配はない。ここにいるのもレリックとフロー、そしてフワウの三人だけだ。
ちなみにキッフスたちは来なかった。興味がないそうだ。中層に潜ったまま引き続き調査を進めるという——迷宮の拡張を維持した『
ともあれフワウの話である。
レリックたちは黙って耳を傾ける。
「あいつ……アンデンサスは、昔は高慢ちきな奴でね。自分の
悪口でありながら、唇の端はしかし笑んでいた。
回顧と懐古に思いを馳せて浮かんだ、自然な笑みだ。
「ラタトゥスのことも最初は見下していたっけね。あんたたちは……今の冒険者はみな知らんだろう? 『帰らざる神眼』と
「……ひょっとして『鑑定』だったのか?」
「ああ。
フワウが——ひいてはギルドと『
だが人は英雄に夢を見る。理想を見る。そして英雄と同じ
それを諫めて最も説得力のあるラタトゥスはもうこの世にいない——しかも、非業の死を遂げたという講談的行為は、若者たちをますます盲目にする。
『
結果、時を経て、『
フワウは続けた。
「まあ、で、だ。ある時、アンデンサスは慢心からヘマをして死にかけた。そしてその窮地を救ったのがラタトゥスだった。あれ以来さ。アンデンサスはラタトゥスと親友になって、おまけに心酔した。考え方もがらりと変わった。
懐かしむ表情はやがて、悲嘆に歪んでいく。
外見が若いせいか、それはつい数年前の出来事なのではとすら錯覚する。
「だから——ラタトゥスの死を一番嘆いたのも、アンデンサスだった。あの人の生前の夢にもずっと
アンデンサスがいつから『
ラタトゥスの夢を五十年もの長きにわたり追い求め続けたアンデンサスは、その果てに己の老いを自覚し、絶望し、教団を頼ったのだ。
「あいつと最後に会ったのは、孫が生まれた時か……あの時にはまだ、道を踏み外してはいなかったのかね。気付いてれば私たちは、止められたのかね」
「フワウ婆ちゃん、だいじょうぶ?」
フローが立ち上がり、対面の
「ああ、大丈夫だよ。すまないね心配をかけて。わかってる、詮ないことさ」
言いながら、フローの頭を愛おしげに撫でる。
彼女もキースバレイド同様、未婚で子供もいない。若い頃の病で子ができない身体になったそうだ。そのせいか、レリックたちにこうして、まるで母親のような柔らかい顔をすることが時々ある。
フワウはレリックに向き直ると、目礼した。
「あんたたちには礼を言うよ。あいつを……私の仲間を、止めてくれてありがとう。私の友達を、救ってくれてありがとう」
「婆さん、僕は……」
「いや、救ってくれたんだよ。ラタと同じ
外道に落ちたとはいえ己の友。
それを殺した相手に向かって、フワウは笑んだ。
「それにしても……キースの件も含めて立て続けだ。これでヘヴンデリートに残った『
「縁起でもないことを言わないでくれ」
「冗談だよ。残った私は忘れ形見を見守らなきゃいけない。ツバキが大成して、ソフィアが嫁に行くまでは死ねなくなっちまったよ」
ソフィア——アンデンサスの孫にして、彼により自我を奪われ、魔力源として扱われていた少女。
彼女は今、両親の許で療養している。意識はまだ戻らないが命に別状はないそうだ。医者の見立てではじきに目を覚ますだろうとも。
「……莫迦が。ソフィアが生まれた時、あんなにはしゃいでいただろう。どうして過去に囚われた。どうして未来を見なかった」
フワウは独白のように、ここにはいない友を罵倒する。
それはまるで血を吐くようだった。
「私たちだって過去を忘れた訳じゃないんだ。ただ、未来を見ようとした。私は子供が産めなかったから、ギルドのことを我が子だと思って成長を見守ったよ。キースもそうさ。不幸な事故があって妹一家が亡くなって……それでもあいつは、弟子を必死に育てた」
やがて、ひと
彼女の目から涙が溢れて、頬に落ちる。
「アイシャの孫が冒険者になったって、この前、王都から便りがあったんだ。ヘヴンデリートに行くからよろしく、ってさ。トールエンドとジクトムも
まるで懺悔のようにつぶやく。
隣に座ったフローが無言で彼女の頭を撫でた——ゆっくりと、けれどしっかりと。
フワウ=ヒスイは。
ヘヴンデリートの英雄、『
かつて少女だった頃の記憶に想いを馳せながら、笑った。
「それでも、こんな結末を迎えたとしても。あの頃の私たちは、幸せだった。幸せで、楽しかったよ」
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