祈りよりも速く、祈るには遅い

 キッフスは以前、語ったことがある。


「ボクの宿業ギフトは、とよく似ている」と。


 あれは確か夕食を共にした時だったか、或いは今のように同じ任務を遂行している時だったか。


「恒常性——元に戻る力。状態を常へたもつ力。回復や再生とはどこか違う、まるで変化を嫌うような力。……ああ、でも『似ている』というのはボクの宿業ギフトに限った話ではないよ。キミたちのも含めて、すべてさ。迷宮そのものと宿業ギフトそのものとには、どこか相似性、もしくは共通点がある。ボクの宿業ギフトが特段、それを想起させるというだけでね」


 あの時の楽しそうな顔を、今でも覚えている。


「きっとボクらは……現行文明下で生きる人間はみな、迷宮ダンジョンの申し子なんだ。ボクが迷宮に惹かれるのも、ボクの宿業ギフトが迷宮の本質と近しすぎるせいではないかな?」



 ※※※



 そして、今。

 キッフスは同じ顔で己の宿業ギフトを語っている。


 ただ、レリックは彼を止めようとはしなかった。何故ならばこの饒舌じょうぜつによる時間の浪費は、次の布石へとなり得るからだ——たとえキッフスにそのつもりがなく、ただ夢中で喋っているだけだとしても。


「……ゆらめくな/ざわめくな/月よ止まれ/陽よ許せ」


 背後で小さく、レリックに聞こえるか聞こえないかといった程度の声量でフローがつぶやく。

 その両目は未だほのかな赤に染まっていて、近くには鬼火も浮かんでいる。


「病の仔犬/牙はなく/爪は削げ/けれど狼の群れに混じる」


 それは、詠唱。

 ひそやかに行われつつある、魔術の構築だった。


「すべてが止まり/すべてが満ちて/すべてが眠りに落ちた頃」


 攻撃系の魔術ではない。故に、その兆候が目に見えることはない。

 もちろん相手は『大魔導』たるアンデンサス=スフィアシーカー、普通であれば魔力の流れを感知して察することができるだろう。


「仔犬は泣いて/濁った両目に炎を宿し/狼たちにかぶりつく」


 だがこの時この場において、それはかなわない。


 何故ならば彼我ひがの間にはアンデンサスが壁と成した魔力の塊があり、その乱雑な指向性は『収納』を阻害すると同時、こちらの魔力の流れを限りなく見えにくくさせているからだ。


 重ねて——フローの魔力源、鬼火を中継とした自然魔力マナ蒐集網しゅうしゅうもうは、後方にのみ張り巡らされていたからだ。


「牙を咀嚼そしゃくすると牙が生え/爪を貪食どんしょくすると爪が伸び/身を呑噬どんぜいすると肉がき/元服たてがみをはやし獅子と成る」


 そう、後方。背後である。

 

 婚星暗窟こんせいあんくつは複雑に入り組んだ洞穴であり、辺をまたいだ縦穴なども含めれば、もはや立体的な迷路と言っていい。

 主要路から数多の脇道たちが枝分かれし、その中にはどん詰まりになったものもあれば、もある。


「だけど/いかに喰らって育っても/己の病は癒えはしない」


 人間が通れないほど狭い——獣道けものみち狸穴まみあな、そう形容していいような細いものを含めれば。


「な……っ!?」


 、などということもできるのだ。


「なんだ、これは! 貴様ら、いつの間に……!」


 アンデンサスが驚愕と狼狽の中間みたいな声をあげた。

 おそらく彼にとっては、いつの間にか、だろう。


 老爺ろうやの身体と、鎖で繋がれた少女の身体。

 その双方が白い——蜘蛛のようなかいこのような『糸』によって拘束されていた。


 彼らの四肢を縛った糸の束は、先端をくさびとして地面に粘着させ、或いは壁に絡まっている。

 もはや老爺も少女もともに、一歩も動けない。

 それどころか、


「魔力が、練れん……だと」


 魔術の行使も、ままならない。


「くくっ、終わったよ……ふう、疲れた。まったくレリックは、キッくんと違って無茶なことをやらせる」


 立役者であるネシアシリィが、大きな溜息をきながら黒いドレスごとしおれるように項垂うなだれた。


「まあそう言わないでくれ。人はいずれ死ぬ。その結末に至るだけという意味では怠惰も過労もさして変わりはないさ」

「わ……わたしのセリフを……った……!」


 彼女の宿業ギフト——百万位エクスレア、名を『白紡おしらつむぎ』。


 己の魔力によってられた粘着質の糸は、『荒絹アラクネ』の異名に相応しくどこまでも伸び、そしてどこにでも絡まり、更には触れている対象の魔力と体力を吸収することで強度と粘度を増す。


 殺傷力は皆無だが拘束力と持続力にかけては『特級』でも抜きん出ているその糸を、彼女はひそかに背後へと伝わせていた。長い時間をかけて——敵に決して気取られないように、こっそりと。

 そして横道と細道を駆使して前方に回り込み、ついに絡めとったのだ。


「いつからだ!」


 老人の身体が叫んだ。

 その嗄声こえがれは果たして焦燥によるものか、激怒によるものか。


「貴様ら、いつからこれを目論んでおった!?」


 レリックは答える。


「そんなもの……あなたと出会った、その瞬間からに決まってる」


 言葉による打ち合わせも必要なかった。

 何故ならは、キッフスとネシアシリィ——『阿頼耶アラヤ』組の常套じょうとう手段だからだ。


 彼らは『特級』の中で例外的に、戦うことがほぼできない。ただ、代わりに生存能力、こと接敵した際の対応能力に秀でていた。


 キッフスが自分たちの周囲ごとを『恒常化リセット』で保存し、致命の攻撃すらも無効化する。一方でネシアシリィはこっそりと『白紡おしらつむぎ』の糸を回り込ませ、そうして時間を稼いだ後、呵成かせいのうちに拘束する。


 この戦術を初見で見破れる者はいない。さすがに今回は敵の攻撃が激しく糸の迂回距離も長かったせいで、彼らだけで対処はできなかったが——僥倖さいわい、レリックたちがいる。


 たとえ相手がかつての英雄であっても、負けるいわれはない。


「仔犬は獅子の皮の中/弱って震えて死んでいく/すべてが動き/すべてが欠けて/嵐のあとはこともなし」


 そして、レリックがアンデンサスへ笑ったのと同時。

 フローの詠唱が完了し、魔術が構築された。


「キッフス」

「うむ、もう。いつでもいいよ」


 仲間への確認を経て、老爺を改めて睨み据え、問う。


「さて『大魔導』。そっちのはあなたの孫で、自我を封じられ操られている犠牲者。本体は老人の方……その認識でいいか?」


「なにを、するつもりだ……?」


「言い方を変えようか。お前を殺せば終わるのか? それともその娘も殺さないと終わらないのか? どっちだ、言え。僕は


 レリックの視線と声音、そして気配に、老爺は目を見開いた。


 すべてを悟ったのだ。

 もはや自分が詰んでしまっているということに。

 そして、この少年は。


 なんの罪もない被害者の少女をおもんばかって敵を逃してしまうよりは——慈悲など捨てる方を選ぶ、ということに。


「やめろ! 孫には……ソフィアには、手を出すな! 儂が死ねば禁術は解ける! 消した精神もいずれ復活するはずだ、だから……ソフィアはだけは殺さんでくれ!」


 それは老人が、最後の最後で吐露した情だった。


 身勝手極まりない言葉ではある。

 数多の冒険者たちを閉じ込め、殺め、陥れた。挙句、愛孫あいそんさえも犠牲にすることをいとわなかったのだ。なのに今はその孫を、孫の命だけは助けてくれとせがんでいる。


 だが。

 教団に所属してまで得た禁忌の術も。

 衰えゆく身を嘆き、更なる力を渇望したその悪行も。

 きっと今は亡き友の思い——人間らしい情によって、成り立っていたのだろう。


「わかった」

 レリックは頷いた。


 この老人を肯定するつもりは微塵もない。

 ただ、この情だけは——本物なのだと思った。


 なにを犠牲にしようともなすべきことがある、それは自分だって同じなのだから。


「フロー」


 背後の幼馴染に呼びかける。

 彼女のためならたぶんレリックも、犠牲を厭わず穴を掘るだろう。


「りょ。……『虚空の神域ドープVII』」


 フローが魔術を発動する。

 それは身体強化系汎用魔術、第七階位。


 筋力、反射神経、視力といったあらゆる身体能力が、およそ人には許されざる領域にまで強化される。

 持続時間は文字通り、虚空一瞬。反動も凄まじく、使用すれば筋繊維と神経のすべてがずたずたになるだろう。


 だがレリックには既に、キッフスの宿業ギフトが降りかかっている。

恒常化リセット』。あらかじめ指定したポイントまで状態を復元する力。つまり反動は関係ない。


「っ……来るなあっ!!」


 アンデンサスが魔術を放ってくる。

 己の敗北を悟り、孫の命乞いをしておきながらそれでも足掻くのは、長く歳たことによる未練が故だろうか。

 或いは『大魔導』たる英雄に残った、ひと欠片の意地によるものか。


 関係ない。


 屈み、構え、脚に力を込め、レリックは疾走した。

 踏んだ小石が跳ねる音を置き去りに、炎の壁が身体を覆う。氷のつぶてが降り注ぐ。雷の嵐が飛来する。そして分厚い魔力壁に突き当たる。

 後方のことは気にしない。ネシアシリィの『糸』が既に盾を作っているだろう。


 突進は炎に灼かれるよりも速かった。氷の礫は強化された肉体が弾き返した。雷の嵐は身体に届く前に後方へ落ちた。乱雑な情報が積み重ねられた魔力壁は、宿業ギフトでではなく速度と質量で突き破った。


 そして老爺と少女、ふたりの脇をすり抜けるように——彼らを拘束する糸の束を幾つか千切りながら——掠め、その背後、三メートラの地点で止まる。


 おそらくアンデンサスは、突破されたことにすら気付けなかっただろう。

 通り過ぎたレリックの手には、まだどくどくと動く心臓が握られていた。


「……か、はっ」


 老爺が血を吐きながら前のめりに、膝から崩れ落ちる。

 次いで少女が無言で、その場にどさりと倒れる。


 身体から魔術が消えていくのを感じながら、ふたりに残心すること十秒。

 ゆっくり少女へと近寄り、生きていることを確認した。


「……ギルドマスター婆さんに報告するのは気が重いな」


 レリックは小さくつぶやき、事切れたアンデンサスを一瞥する。


 死体は膝を折った姿勢のまま倒れずに蹲っていて、それは彼が迷宮の壁に閉じ込めた犠牲者たちのようであり、けれど祈りを捧げる求道者のようでもあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る