屍は閉塞の中で蹲っている

 岩を、掘った。


 迷宮を構成する岩壁は堅く、屈強な冒険者が鶴嘴つるはしを振るっても拳ほどの大きさを穿うがつに難儀する。だがレリックには関係ない。壁自体を『収納』してしまうことで抉るように円形の、人ほどの大きさをした穴があっさりと空いていく。


 フローの指示通りに掘り進めること数分。すぐに目的のものに辿り着いた。


「……これは」


 死体だった。それも、酷い有様の。

 腐乱から白骨化に至るちょうど中間、ぐずぐずになった肉が骨にまとわりついていて、胃のものがこみ上げてきそうな臭気が鼻を突く。レリックは思わず口を押さえた。さすがにここまでのものは慣れていない。

 と、いうより——、


「おかしい」


 キッフスがぼそりとつぶやいた。死体への嫌悪や同情など微塵もない、現場に対する純粋な疑問。


 だが、その違和感はレリックにも同意できる。


 まずは死体の有様。

 迷宮——特に婚星暗窟こんせいあんくつだと、まずこうはならない。

 身体が本格的に腐る前に、『屍肉漁り』と呼ばれる小型の魔物が喰らい尽くすのだ。つまり腐乱期を経ずして速やかに白骨化する。肉がここまで残っていること自体、屍肉漁りに襲われなかった証拠である。


 それから場所。

 迷宮の岩盤内にいる、それはいい。この地点ポイントは何者かによって新たに拡張された場所で、それが迷宮の恒常性によりゆっくりと閉じつつあるのだ。死体が転がっていれば岩の中に飲み込まれるのも道理だろう。

 だが、だとするなら、こんなふうには埋まらない——死体は、それを囲う小部屋のような空間に覆われていた。


 このふたつから判断すると、まるで——、


「迷宮の壁の中に小さな部屋を作って、そこに閉じ込めた……そんなふうに見える」

「ああ」


 キッフスの言葉に、レリックも同意見だった。


 死体は普人ふじんに比してやや背が低く、それでいて骨格はがっしりとしている。侏儒族ドワーフの特徴である。

 また、傍には剣が転がっていた。鞘には地平線と太陽を図式化した紋章が描かれている。ケイズに見せられた図案デザインと同じものだ。

 つまり死体の身元は、


「『遥かなる夕暮れ』の剣士ソードマン……オーウェンか」

「ふむ、キミたちの探し物か。だが……」


 キッフスはつぶやくレリックを押し除けるように前へ出る。

 腐敗臭にまるで頓着せず、まじまじと死体を観察しながら、


「ドワーフにしては筋肉が付いていない。というより、純粋に腐肉の量が少ないね。白骨化が進んでいるとはいえ、不自然な死体だ」

「つまり?」


 レリックはキッフスと同じ予想をしながら、続きを促した。


「うむ。このドワーフの死因はおそらく、だ」

「……決まりだな」


 もはや条件は揃い、推測はほとんど確信に変わった。


『屍肉漁り』が群がらないままに腐った死体。

 壁の内部にぽっかりと開いた空間。

 そしてその空間の中で、飢餓きがにより死んでいる——。


「彼は迷宮の壁の中に、


 誰がやったとか、なんのためにとか、動機や理由はひとまず置いておいて。

 そういうことが起きた——この事実をまず先に、推論を組み上げた方がよさそうだ。


「キミたちの探し物はこれだけかい?」

「いや、あと三人いる」

「好都合。事例サンプルが増えれば裏付けになる。次を探しに行こうではないか。あ、そこの死体は装備品も含めてすべて『収納』しておいてね? 空洞の中に存在するものすべてさ」

「あんた本当、自分の探究心以外はどうでもいいのな……」


 こんな腐乱死体を頭の中に入れるこっちの身にもなってほしい。いや、別ににおいが他のものに移ったり頭の中ストレージで腐敗が進んだりはしないのだが。


 ちなみに『収納』したものは、その時点の状態がずっと維持される。レリックが脳内で分解や消去をしない限り、変化が起きることはない。


「仕方ない、覚悟を決めるか」


 幸いと形容していいかはともかく、死んでしまえば人もただの肉と骨、物体だ。情報量はごく少なく、容量を圧迫することはない。


 レリックたちは探索を開始した。

 フローの振り子に従い、反応のある方に片っ端から。そして『遥かなる夕暮れ』のメンバーが次々と発見される。


 ハーフリング特有の小柄な遺体と、遺体が抱え込んだ杖——治癒士ヒーラーのボウボウ。

 肉がほとんど残っていなかったのは普人の体格をした死体、大楯スクトゥムが横に転がっている——盾役タンクのフリッジ。

 そして最後に、ほとんど朽ちた魔導書を抱きながら死んでいる女性——魔道士キャスターにして、ケイズのかつての恋人であるマリィ。


 腐敗の度合いは異なれど、皆が同じ紋章の入った武器と共にあった。

 そして全員が例外なく——最初のオーウェンと同じ死に方をしていた。

 即ち、壁の中にある小さな空間で、餓死。


「腐敗の進行度が違うのは種族や体格の差もあるけど、死期によるものが大きいね」


 すべての死体を回収し終えた後、キッフスが情報を整理する。


「最ものは魔道士の女性だが、これは消費する体力が少なかったお陰だ。きっと手持ちの食料も切り詰めたのだろう、いちばん長生きしている。魔道士は体内魔力オドの消費効率もいいから、おそらく二月ふたつきほどは保ったのではないかな? 逆に体格のいいタンクは真っ先に死んでいるね。汎用魔術も不得手だったのではないかと推察される。水系魔術で体内水分を補給しても体力の消費が上回るんだ」


 それを聞きつつ——レリックは地図を広げて覗き込んでいた。


「どうしたんだい? なにか気になることが?」

「キッフス、むしろあなたが気付かない方がおかしい。死体のことに夢中で他のことがすっ飛んだのか?」

「ま、まあ死体はもはや人間ではないただの物体だし、損壊具合から死期を推察することに思考を割いていたのは確かだけれど……そんなふうに言われると忸怩じくじたるものがあるなあ。続きを?」

「ああ」


 頭の中ストレージから筆記具ペンを取り出す。


「いいか? まず最初の遺体オーウェンが発見されたのはここ」

 さっきまで休憩していたポイントだ。

『現在進行形で復元中』の三角サンカクマークを、二重丸で囲む。


二番めの死体ボウボウはここ」

 次のポイントに二重丸——これも、三角が記されている。


「でもって三番めの死体フリッジがここで、四番めの死体マリィがここだ」

 そして残るポイントふたつ。

 ここにも——どちらともに、三角印。


「すべて『現在進行形で復元中』のポイントだね。それはボクも気付いていた。なにせ自分で調査した場所なのだから」

「ああ、だけど、僕がいま印をつけているこの地図は『へい』。あなたが作成した完全版だ。そしてここからが重要だが……このうち二体、フリッジとマリーの死体が埋められていたのは、『乙』にはない——つまりはなんだ」

「ああ、なるほど!」


 そこでようやくキッフスも合点がいったようだ。

 とはいえ彼が遅れて気付いたのも無理はない。何故なら『遥かなる黎明』の四人については——レリックたちと合流してから知らされた情報であるからだ。


「僕らは『遥かなる黎明』の四人が、フィックスたちに殺されたのではと疑ってきた。だけど、違う。彼らの死体は、フィックスが知らなかったはずのポイントにも埋められている。そしてこれは一見してわかりにくかったが……死体の損壊度と、迷宮の復元度は概ね一致しているように思える」


 たとえばフリッジはほとんど白骨化していたが、彼の死体は壁の奥深くにあり、掘り当てるには難儀した。

 一方でまだ原型をぎりぎり保っているマリィの死体は、割とあっさりと発見できた。つまり浅い部分に埋まっていたのだ。


 もちろん他の二体についても概ね同じ傾向があった。

 故にここから導き出される推論は、


「拡張した迷宮の復元を遅延させているもの……どんな方法かはわからないが、可能性がある」


 レリックがそう口にした直後。


「見事、いやさまったくもって見事! よもやほとんど正解に辿り着こうとは、さすがあのお方の愛弟子なだけあるわい!」


 老人めいた口調にはまったくそぐわない甲高い少女の声が——後方から響いてきた。


「……っ!?」


 レリックの背筋に冷たいものが走る。それは久しぶりの感覚だった。

 即ち、接近してきている人間の気配に気付かなかった、という。


 そして、慌てて振り返った視線の先。

 洞穴の奥、箒星ほうきぼしたちの瞬く暗がりから、そいつらは姿を現す。


 ふたり組だった。

 ただしその出で立ちは、あまりにも異常だった。


 ひとりは老爺ろうや。ほとんど木乃伊ミイラのように萎れた四肢と折れ曲がった腰、枯れ木にできたふしめいた顔立ち。足取りは頼りなく、ここまで来ることができたのが不思議と思えるほどだ。


 その老爺は手に鎖を持っている。

 鎖が伸びる先は——首輪であった。

 首輪を巻いているのは、少女だ。


 歳若い。おそらくは十二、三か。質素な貫頭衣ワンピースのみを身に纏っている。手足は細く痩せていて、まるで奴隷のようだ。

 そして年相応の可愛らしい顔はしかし、唇が歪な笑みを描いていた。


 まるで飼い犬かなにかのように鎖で繋がれた少女と、それを引く老爺。

 奇怪かつ醜悪、どちらにも極まりない光景。


 だがこのふたりの異様さは、それだけに留まらなかった。


「それにしてもいやはや、若者というのは眩しいものじゃて。溢れる才気と闊達かったつな発想で、老人の努力を無碍むげにしおる。迷宮をほんの少し押し広げるのに、この老体がどれだけ骨を折ったことかわからんか? わからんのよなあ、それが若さよ」


 こちらを羨みながらも軽侮するその言葉。

 呵呵からからと笑うその声。

 まるで老人のように——老人のような口調と喋り方で、わらった。


 背後の老爺は口を開かない。動かない。ただ無言でいる。

 そしてその代わりとばかりに、少女が言葉を紡ぐ。


「さて、自己紹介をしようか。覚えておくとよいぞ若者たち、初めて出会った相手に対しては、年齢に拘らずまず自分から名乗るのが礼儀よ」


 戦慄と怖気に身構えるレリックたちに、そいつらは——そいつは、告げた。


わしの名は、アンデンサス=スフィアシーカー。『玄天こくてん教団』所属の魔術師——というのが今の立場じゃが、もっとわかりやすい肩書もある。元一級冒険者、『大魔導』アンデンサス。知っておるか? いや、無知な若者であってもさすがに知っておろう?」


「……っ、なん、だと」


 その名乗りに、思わず耳を疑う。

 ——知っている。

 いや、知っているどころではない。


 冒険者ならば誰でも耳目じもくにしたことがあるだろう。

 かつて数十年前——『外套への奈落ニアアビス』の底とされる深層下辺へと到達し、そこに棲まう九頭九尾の古龍と一戦を交えたパーティーがあった。結果は敗走であったものの、生還を果たしたことそれ自体が歴史に残る偉業であり、彼らの持ち帰ってきた古龍の鱗は冒険者ギルドの至宝として、今もギルドマスターの部屋に飾られている。


 パーティーの名は『第七天アラボト』。

 現ギルドマスターが率い、かの『剣神』キースバレイド=ルビスウォーカーが所属していた——ヘヴンデリートで最も新しい伝説。


 そしてそのうちのメンバーのひとりの名が、アンデンサス。


 深層下辺へ辿り着いた功績により王家からスフィアシーカーの姓と爵位を賜った——千年にひとりと謳われた、『大魔導』との異名を取る魔術師である。

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