第4話 中層:朽ちた魔導書

こんな雨の日に

 朝から大降りだった。


 ヘヴンデリート周辺の気候は一年を通して比較的安定しており、激しい嵐や大雪などの住民を困らせる空模様となることはほとんどない。が、それでも時折こうして、前が見えなくなるほどの降雨となる時がある。

 そして雨の日は決まって、フローの機嫌が悪い。


「うー……」


 冒険者ギルドのロビー。いつものテーブルで果実水を飲む彼女は、習慣のひとり軍棋チェスを指すこともなく、しきりに自分の頭を気にしている。


 そのふわふわとした蓬髪ほうはつは、ふわふわ具合がいつもよりも奔放ほんぽうだった。


「どうにもならないんだから諦めなよ」


 書物コーデクスへ落とした目を上げもせずにレリックは、その日、何度めかの呆れ声をあげた。

 フローは湿気もかくやのじっとりとした視線で薮睨やぶにらみを返す。


「レリックはすぐそういうこと言う。かわいいかわいいフローちゃんの真剣な悩みをなにもわかってない」

「かわいいかわいいフローちゃんのかわいさは、髪の毛が多少爆発したところで変わらないから大丈夫だよ」

「まったく心がこもってない……まず本を読むのをやめろ……っ!」


 唇を尖らせるフローだが、レリックは意に介さない。


「だいたい、本当なら今日は休みたかったのに……」

「雨が降る度に仕事を休んでちゃ、商売あがったりだろ」

「あがってない日の方が少ないんだからいいじゃん別に。どうせ依頼なんてたまにしか来ないし」

「その『たまに』を逃したらどうするんだ」

「別にどうもしないし」

「すごい、最初から商売をする気がない。……ええとじゃあ、困ってる人を放っておいてもいいのか?」

「ほんとに困ってたら毎日でもくるでしょ。だいたいレリックからしてそんなこと考えたこともないくせに。偽善だ偽善。そんな偽善ばっかり言ってるとぎーちゃんになっちゃうよ」

「ぎーちゃんってなに」

「ぎーちゃんは古い文献に記されたおそろしい怪物。偽善行為をやりすぎた奴が変貌すると言われている」

「その古い文献を持ってきなさい」

「わかった。待ってて」


 立ち上がろうとするフローに、レリックはようやく視線を向けた。


「そのまま帰るつもりだろ」

「いやそんなまさか。ただ古い文献は探すのに時間がかかる。具体的には夕飯時くらいまで必死で探したけど見付からずに戻ってくると思う。よき?」

「よきではないなあ……」


 いいから座っとけ、という無言の圧力に負けたのか、しぶしぶといった調子で再び椅子に腰掛ける。

 黒髪から伸びた長い耳が心なしか垂れているし、本当に気が乗らないのだろう。


「うー……退屈」


 そして今度は八つ当たり的に、我が儘を言う。


「いつもと同じだろ」

「全然違う。フローはわかってない。ワカラズヤ辺境伯」

「聞いたこともない貴族だな」

「いつもはこう、空気がほわっとしてて、だから私の心も穏やか。でも雨の日は空気がじめっとしてるから、髪が気持ち悪いし時間つのが遅いしで、私の心はげんなり。わかる?」

「だったら余計にチェスでもすればいいのに」

「こんなやる気のない私と戦っても私がつまんないでしょ!」

「そうか……」


 叱られてしまった。


「じゃあ、本でも読むか?」

「レリックが読んでるの、なに?」

「グレミアム王国冤罪えんざい記録」

「他に持ってないの?」

「今日はこれしか持ってきてないな」

「一冊きりて! お前の宿業ギフトはなんだ、言ってみやがれ」

「汚い言葉遣いをするんじゃありません」

「りょ」

「だから言い方」

「はいはいりょーかいりょーかい」

「直ってないなあ」

「むー……こんな日に限ってネネねんいないし」

「ネネねん? ゆうべはネネっちって呼んでなかったっけ……」

「あやつは定期的に呼び方を変えてやらないと機嫌を悪くする」

「めんどくさすぎない? もう機嫌悪くしとけばいいのに」

「ネネやんは機嫌が悪いのが続くと血を吐いて死ぬ」

「生態やばいな」


 ……もう死なせておいていいのではないか。


 フローは喋るのにも飽きたのか、グラスで遊び始めた。

 結露しているのをいいことに、果実水がまだ残ったまま、ついついとテーブルの上で滑らせる。


 行儀が悪いからやめなさい——と説教じみたことを言おうとしたが、やめた。もう好きにさせておこう。湿気の強い日はだいたいいつもこんな感じだし、レリックがなにかをして機嫌を直したことはない。そして再び晴れたら前日までの不機嫌さなど記憶にございませんとばかりに元に戻るのだ。


「……とはいえ、こんな日に依頼を待っているのも確かに無駄かもな」


 レリックは小さくつぶやいた。


 さっきフローが口にした通り、失せ物探しの依頼が来るのは稀——週に一度あれば多い方だ。


 そもそもが、活動を喧伝している訳でもない。依頼人はほとんどの場合『落穂拾い』の噂話を聞きつけ、情報屋をあたって裏を取り、そうしてようやくふたりの元へ辿り着く。それ以外だと知人の伝手か、或いはロビーで困っている人間をたまたま見かけた際にレリックかフローが気紛れを起こすか。


 だから本来なら毎日ロビーで待機する必要など微塵もなく、むしろ週に一回くらいですら構わないだろう。


 そうしないのは気持ちの問題が大きい。


 せめて週五日くらいの頻度で、天候や気温などで簡単に休まないようにしないと、なんだか自分たちがぷらぷらしているだけのダメ人間みたいに思えてくるというか。社会の一員として真面目に頑張っている振りだけでも欲しいというか。


 あとは——これはまったく根拠のない、レリックの経験則なのだが、


「でもなあ。こういう『もういいか』みたいな日に限って、依頼が来たりするんだよな」


 と、言った矢先。


「……あ」


 ギルドの正面玄関。

 扉が開き、ひとりの青年が中に入ってくる。


 雨のせいですっかり濡れ鼠だ。外套コートもさして役に立っておらず、鬱陶うっとうしそうに雨避け帽だけを取って水を払う。


 二十歳そこそこの男だ。ただし冒険者には見えない。


 男はきょろきょろと——どこか懐かしげに——ギルドのロビーを見渡した後、レリックたちへと視線を留める。

 そうして歩いてきて、目の前で立ち止まった。


「おくつろぎのところすみません。『落穂拾い』とはあなた方のことですか?」


 丁寧な物腰と言葉遣い。雨に降られていたとはいえ身なりもいい。おそらくは商人ではないか、レリックはそう推察する。


「……あなたは?」

「これは失礼しました。私はケイズと申します」


 頭を下げ、名乗る。

 そこに阿諛あゆはなく、本当にただ礼儀正しいだけ、という印象を受ける。


「西コウイン商会にて仕入れを務めております……あ、いえ、もちろん商売を持ちかけに来た訳ではありません。シャミュさんの紹介で『落穂拾い』のおふたりに探し物を頼みに来たのです」


 シャミュ——仲介を任せている情報屋の名をわざわざ出したことで、レリックは彼のことを確かな依頼人だと判断する。いつぞやのフィックスなどのように、不躾なばかりでそういう手順を踏みもしない輩も多い。


「なるほど。……僕らが『落穂拾い』で間違いない。それでケイズさん、ご依頼の失せ物は? 報酬は迷宮のどこに落ちているかで変わるけど、問題ないか?」


 言いながら椅子を勧めると、きっちりとした動作で座り、


「落ちているのは中層だと思いますが、たとえどこであっても報酬が幾らであっても構いません。それで、依頼の品なのですが」


 ケイズはそこで深呼吸をし、目をしばし閉じたのち、レリックとフローの両者を真っ直ぐに見て、言う。


「私は以前、冒険者をしていまして。その時のパーティーメンバー……の遺品を、探してきて欲しいのです」


 その瞳には悔恨、怨嗟、それから郷愁に、追悼——様々な感情の入り混じった、複雑な色が浮かんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る