遺骸
ツバキの大太刀は、アカシアの胸——心臓を貫いていた。
故にアカシアには、辞世の言葉も断末魔も、なにも与えられなかった。
びくん、と。
一度だけ身体が大きく痙攣する。
その手から『
もたれかかってきたアカシアの身体を、しかしツバキは受け止めなかった。
未だ終わりではないとばかりに、残心。
地面に倒れ伏しぴくりとも動かなくなったのを見下ろし——見届けた後、大太刀を
そしてようやく、静かに告げた。
「
「ツバキ!」
緊張が解けたのを見計らい、フローが駆け寄っていく。しとど血の流れる左腕を取り、袖を上げ、
「だいじょうぶ? 痛くない?」
「なんの……と言いたいところだが、痛いな」
「調子乗っちゃった? もう少し浅くてもよかったんじゃ?」
「いや、まあその……確かに結果だけを見ればそうなんだが」
「まあよき。許してあげる。頑張ったね、えらいえらい」
包帯をくるくる巻きながら、フローはツバキの頭をぽんぽんと撫でる。
「そうだな。……
ツバキは目を細め、まるで
そんなふたりの様子を横目に、しかしレリックは警戒を崩さない。
ツバキとアカシアの決闘とその結末に思いを馳せる前に——まだ敵はひとり残っているのだ。
「あーあ。兄さん死んじまったか。剣神の宝刀があれば、或いは、と思ったんだがな。
あくまで軽い態度のソラウミニスを、レリックは睨み付ける。
「まるで、僕らとアカシアを戦わせたがっていたような……僕らがここへ来ることを知っていたような口振りだな」
「まさか! それは本当に知らなかったんだよ。いやー偶然ってのはあるもんだねえ。ま、いつかは会うこともあるとは思ってたけどな、さっきも言ったが」
大袈裟な仕草での否定も、無論、レリックは信用しない。
実際にレリックを待ち伏せていたかどうかは問題ではないのだ。
たとえ偶然であろうともそれに乗じて意味ありげな示唆をし、もし意図があったとしても飄々と偶然を装う——他者を嘲弄し、
ソラウミニスは、そういう類の人間なのだ。
「じゃあ本当に偶然だとして、だったらお前の目的はなんだ?」
「いや坊ちゃんが自分で言ってただろ? 剣神の遺産だよ。忘れたのか? 忘れるはずがねえよな? ……隠れ家の扉を開ける方法を教える代わりに、『阿修羅顕明』以外のものは全部もらえるって契約だよ。まあ、盛大に宛てが外れたけどなあ」
「……待て。『扉を開ける方法』だって?」
「おっ、聞き逃しはしなかったか。さすがだねえ」
ソラウミニスは我が意を得たりとばかりに笑った。
そうなのだ。こいつは嘘を真のように、真を嘘のように装う中で——こうして時々、不意を突いてくる。
「どういうことだ?」
フローの手当てを受けているツバキが、殺気を鋭くして問う。
「この家は、ただの『
「ご名答! いやーお嬢ちゃん賢いねえ。おじさん、賢い女の子は好きだよ」
にやにやと品のない言葉を放つソラウミニス。
が、順当に考えれば確かにそうだ。大切なものを隠すのに——たとえ目立たない区画であろうと、ギルドの地図から消してもらっていても。鍵もかけずに、置いておくはずがない。
ここが迷宮である以上、誰かが通りがかることはあるのだから。
「教団が兄さんから受けた依頼は『阿修羅顕明』の捜索で、まあそれは割とすぐに見付かったんだわ。でも、家には鍵がかかってて、扉の破壊もできなかった。そこで解錠方法を模索する過程で……おじさんが呼ばれた訳だな、うん」
ソラウミニスは得意げにぺらぺらと語る。
「そうして久し振りにヘヴンデリートまで戻ってきたおじさんは、
「いでんし、じょ……なんだ?」
ツバキが困惑の顔を見せる。
当然だろう。これは現代ではもはや失われた——というよりも、扱える者がいなくなった結果、誰も必要としなくなった知識だからだ。
レリックはツバキに説明する。
「遺伝子っていうのは、その人が持つ固有の、ひとりひとり違う……肉体に刻まれた、中身のない
「……つまり、この隠れ家の扉にそういう
「おそらくは」
もっとも、レリックの認識だってぼんやりとしたものだ。
『遺伝子』とやらはつまるところなんなのか、どういったものなのか、どう活用すれば技術にできるのか、あらゆる具体的なことはまったくわからない。『収納』の原理にある『量子情報』だの『四次元デジタルデータ』だのよりはまだ得体が知れる気がする、といった程度である。
「おいおい、おじさんが解説できることなにもなくなっちゃったじゃないか。相変わらず賢いなあ坊ちゃんは。おじさん、賢い男の子は嫌いだよ。まあともあれ」
うんざりした顔のソラウミニスだが、それは本心なのかわざとなのか。
わからない。が、いつまでもこうして——、
「——『いつまでもこうして呑気にお喋りをしているほど、莫迦じゃない』。お前はそう考えてる。違うか?」
「……っ!」
不意打ちを仕掛けようとしたレリックに、ソラウミニスは先んじた。
腕を突き出す。それも、肘から先がない右腕を。
思わず警戒した。その行為になにか意味があるかもしれないと反射的に考えた。だが一方で
思考は刹那よりも速い。決断もだ——はったりでも構うな、行け。
跳躍して距離を詰める。
詰めながら、やはりこいつは油断ならない、と痛感する。
レリックはずっと——ソラウミニスと出会ってから今に至るまで、機があれば殺そうと決めていたし実際に狙っていた。だが邂逅した時も、アカシアとツバキが戦っている最中もずっと、彼は如才なかった。
レリックが虎視眈々としていたのを見抜いていて、さりげなく距離を取っていたのだ。
『収納』の効果範囲、十
今までは叶わなかったそれが、レリックの跳躍で、
「……俺が死ぬと、呪いが発動するぞ」
縮まる、縮まった。
なのに。
ひと言。
そのたったひと言で、ソラウミニスはレリックの攻撃を、見事に止めた。
「……、どういうことだ」
「かなりでかいやつだ。『
うっとりと陶酔するような表情は、崇拝するトラーシュ=セレンディバイトを想ってのことか。この顔に虚偽や欺瞞はないように見えた。なにせこいつは、トラーシュのことを敬愛するあまりか——彼女に関しては一切を
『でかいやつ』というのは、おそらく
呪術で前借りした代償の成れの果て、研究者によっては呪いの価値そのものであるとさえ言われている、泥濘にも夜闇にも似た暗黒物質。
ソラウミニスは得意げに続けた。
レリックの想像を、その通りだと笑うように。
「
「それは知らなかったな。だけど、教団の目的がそれだとしたら……何故お前は、僕を止めた? 教団としてはお前が死に、呪いが溢れるのが最善のはずだ。黙って僕に殺されておけばよかったはずだ」
「おうおう、煽るねえ。ほんとそういうヤなとこ、昔から変わらねえよな。まあいいや、別に命が惜しかった訳じゃないぜ? まだその時じゃない、ってだけさ」
「……お前こそ、思わせ振りな言葉でなにかを語った気になるのは昔から変わらないな」
「まあそう言うなって。それに、なにかを語ったんじゃなくて……語ることでなにかを得るのが目的だったりするんじゃねえかな」
ソラウミニスの笑みがより一層、気持ち悪いほどに歪む。
「たとえば、時間稼ぎとか」
「……っ!」
言葉と同時。
レリックは背後で不意に湧きたった異様な気配に気付き、叫んだ。
「ツバキ、避けろ!!」
ツバキは鋭く名を呼ばれ、思考よりも返事よりも先に対応する。
襲いかかってきたものからフローを庇って突き飛ばしつつ、着物の袖を振って攻撃を捌く。袖が裂ける音がした。が、ふたりとも怪我などはしていなさそうだ。
レリックは舌打ちしつつ、ソラウミニスの追撃を諦めて横へと距離を取った。ソラウミニスとツバキたち、両方が視界に入る位置取りが最適だと判断する。
そしてようやくそこで、背後にあった異様な気配の正体を目視する。
「ふざ……けるな」
吐き捨てたのはレリックではなく、ツバキだった。
「ふざけるな、なんだ。なんなのだ、これは!」
憤怒と困惑。
声音に感情の色が濃く
無理もない。
レリックでさえも——吐き気がするのだから。
「……ソラウミニス」
レリックは怒気の満ちた声で、にやにわとほくそ笑んでいる男を睨んだ。
「お前、最初からこれが目的だったのか」
「言っただろ? 兄さんに受けた依頼と、その取り決めを」
アカシアに受けた依頼——宝刀『阿修羅顕明』を捜索すること。
アカシアとの間の取り決め——宝刀はアカシアのもので、
「残りはおじさんのもの。なにも
それは、黒い汚泥をあちこちから滴らせながら立っていた。
それは、もはや動かないはずの関節を、手足を、黒い汚泥で繋げていた。
それは、干からびた身体をまるで装甲のように、黒い汚泥で覆っていた。
ミック=デクスマイナスのような、侵食されて呑み込まれたのとは違う。
何故ならそれは——。
立ち、歩き、しゃがみ。
地面に落ちていた『阿修羅顕明』を拾いあげたのだから。
「うそだ。ふざけるな……こんな」
ツバキが足を震わせている。
黒い汚泥、即ち
剣神。
キースバレイド=ルビスウォーカーの、遺骸だった。
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