咲け、寒椿

「ツバキ。なぜお前は、宿業ギフトを使わない?」


 その言葉に、ずくん、と。

 ツバキの心臓は大きく鳴った。


「俺はお前の宿業ギフトを知らない。稽古でも見たことはない。おそらく実戦でもそうなのだろう? 最初はただ、戦闘とは無縁な類のものなのかと思っていた。だが、かつて師は『違う』と言っていた」


 キースバレイドには、ツバキの宿業ギフトがどんなものかを明かしたことがあった。そして同時に、使わない理由も。


「あいつが宿業ギフトを活用したらお前でも危ういぞと……ああ、そうだ、あの頃からだよ。俺がお前にを抱いているのを自覚したのは」


 きっと師には身内の心安さがあったのだ。


 他人の宿業ギフトについてあれこれと詮索するのは礼に欠けるが、逆に家族のような間柄では知らないのもおかしなことだとなる。だからキースバレイドはこう続けたに違いない——気になるのならば本人に直接くがいい、ツバキはお前にならば話すだろう、と。

 三人は家族だからと、言ったに違いない。


 しかしアカシアは尋かなかった。それはおそらく嫉妬と恐怖で。

 ツバキへの嫉妬を自覚し、もしも優れた宿業ギフトであったらと恐怖し、尋くことを躊躇ためらったのだ。


 ——そこまで考えて。

 ツバキは、アカシアを真っ直ぐに見詰め返した。


 様々な思いが去来する。自分の過去、宿業ギフトについて、そして兄弟子が抱いてきたわだかまりと、それを育ませてしまったであろう己の振る舞い。


 誰が悪い訳でもないのだろう。そして同時に、誰もが悪かったのだろう。

 勝手に嫉妬したアカシアも、意識せずにそれをかきたてたツバキも、なにも気が付かずに追い詰めたキースバレイドも。

 自己嫌悪と、兄弟子への憤りと、それからほんの少しだけ師を恨みながら。


「たいした話ではない。われがまだ、六歳の頃だ」


 ツバキは、決意した。


「故郷で、冬だった。われ守役もりやくである娘に遊んでもらっていた。領民の娘で、姉のような存在だった。その時にな……われ宿業ギフトを暴発し、あれに大怪我をさせてしまったのだ」


 どんな経緯で宿業ギフトを使ってしまったのかは覚えていない。

 ただ覚えているのは、雪の積もる中、血に染まって倒れる守役の娘。


 確か——ツバキの悲鳴を聞きつけて、屋敷の中から家族が駆けつけてきて、それから先は——、


「肩から腰にかけて傷跡が残った。嫁入り前の女に一生の怪我を負わせた。だが、あれは気にするなと笑った。母さまも父さまも、あれの両親と弟御おとうとごも、誰もわれを責めなんだ。それが逆につらくて、苦しくて……だから以来、われは己の宿業ギフトを使っていない」


 ありふれた、くだらない話だ。

 幼い頃に宿業ギフトが意図せずに発動し、他者を傷付けてしまうことはよくある。時には死者すら出るのだから、むしろツバキは幸運だったとさえ言えよう。


 だが、守役の娘——姉のように慕っていた彼女が血に染まって倒れる姿を、ツバキは忘れることができない。


 故に、強くなろうと思った。

 宿業ギフトなど使わずに済むように。


 故に、家を継がず冒険者になった。

 罪悪感と己の弱さから逃げるように。


「けれど、結局はついて回るのだな。逃げられないのだな。宿業ギフトとはまさしく宿業しゅくごうだ」


 思い出す。

 

 故郷から旅立つ日。

 かつての守役——あれから屋敷の使用人となり、幸せな結婚もし、残った傷痕を気にする素振りもなかった彼女は、ツバキを見送る際、言ったのだ。


 お嬢さま。どうか、自分のお命を第一に考えてくださいね。

 宿業ギフトを使うことを恐れてはなりません。

 そのせいでお嬢さまの身になにかあれば、私の傷は不忠の証となります。


 ですが、お嬢さまがその宿業ギフトでお命を拾うのであれば——。


「この傷はなによりの誉れとなりましょう……か」


 ツバキは大太刀をだらりと下げた。

 そうして微笑とともに、告げる。


われ宿業ギフトは『朱雪あけゆき』という」


 アカシアの表情が変わった。

 それは迷いもなく宿業ギフトの名を告げたことへの驚きか。

 あるいは宿業ギフトの名から能力がまったく推察できないことへの困惑か。


 どちらでもいい。


 たとえこの兄弟子がどんな感情を抱こうとも、いかな嫉妬に狂おうとも、もはや慚愧ざんきは抱くまい。


 守役は言った——ツバキが宿業ギフトで命を拾えば、自分の傷は誉となる、と。

 ここへ来てからできた友は言った——自分の話をする時も笑っていなきゃだめ、と。


 過去から目を背けるな。

 そして己に宿るものを恥じるな。


 師の仇を討ち命を拾い、そしてなににもとることなく胸を張るために。


「兄者、いいや、アカシア。あなたはこれから負ける。剣の才でもなく、技でもなく、師の教えでもなく、ただわれが生まれ持ったものによって負ける。だがそれこそがあなたの望みなのだろう。ただというだけの……魂に宿った業ギフトひとつの差で、踏み躙られて終わるのだ」


 大太刀を横にして掲げる。

 そして空いた左腕に、その刃をてがう。


 自傷——左腕の半ばほどを、深さ三分さんぶに長さ二寸にすん

 斬った。


「……、なにを……?」


 アカシアが脇差を構える。おそらくは予測できない行為への警戒によって。

 だが、ツバキは止まらない。止めない。


 斬り裂いた皮膚から血があふれる。

 どくどくとこぽこぽと、したたり落ちるのを大太刀へと垂らして纏わせる。


宿業ギフト朱雪あけゆき』……属するのは


 その言葉に、アカシアの顔が歪む。

 千人位レア宿業ギフトを決死の努力で鍛えあげて駆使し、どうにかやりくりしてきた男の顔が——伝承位レジェンドという単語に、歪む。


 だから、ツバキは。

 血の纏わりついた大太刀をゆっくりと掲げて、


「その力は、我が血を凶刃と成し、操ること。我が血汐は不壊の刃であり、不滅の飛礫つぶてであり、不覊ふき爪牙そうがとなる。舞い散る朱い白雪に……翻弄されて、椿かせ!」


 ——振った。


 必定。

 その血は飛沫となり、中空に舞う。


 そして、異様。

 舞った血の飛沫は、それぞれが質量に応じてかたちを変える。刃のように、飛礫のように、爪牙のように——鮮血たちは意思もて浮かび、狙いを定め、吹雪のように、


「な……っ!?」


 アカシアへ一斉に、襲いかかった。


 驚愕に目を見開くアカシアだったが、それでも剣神の後継とされた比類なき練磨の士。血の刃を、飛礫を、爪牙を、斬り、避け、弾き、散らす。『阿修羅顕明あしゅらけんみょう』の刀身はもちろんのこと飛ぶ斬撃も活用し、全方位から襲いかかってくる『朱雪あけゆき』をひとつ残らず撃墜する。


 撃墜した——はずだった。


 無駄である。血は血であり、液体であり、たとえ斬られても弾かれても形状を変えこそすれ消えることはない。断たれた血はふたつに分かれてまた刃となり、躱され行き去った血は蜻蛉とんぼ返りして戻ってきて、弾き飛ばした血は上空から針となり降り注ぎ、散らした血は再び集まってまた牙となる。


「こんな……ふざけるな、こんな!」


 アカシアは叫んだ。おそらくは本人も意識せぬままに。

 確かにふざけている、とツバキ自身も苦笑する。

 そして思い出す。


「ああ、そうか。われはあの時……怪我をしたのだ」


 守役の娘が雪のせいで転んで、それを庇って共に倒れた。

 勢いで腕をぶつけた庭石が鋭くて。

 手を切って、血が出て、痛くて泣いて——宿業ギフトが暴発したのだ。


「だから誰もわれを責めなんだのか」


 頭首一族の長女が怪我をしたとなればどうしても守役のとがとなってしまうから。

 彼女にとってそれはあまりにも酷であったから。

 誰も悪くない事故であったと、そういうことにしたのだろう。


 もはや何年越しなのかもわからないほど久方ぶりに発動した宿業ギフトは、それでもすんなりと馴染み、血液の操作はまるで手足を動かすがごとくだった。もはやアカシアはこちらに気を払う余裕すらなく、上下左右前後あらゆる場所から襲いかかってくる血の凶器に翻弄されている。


 その衣服は裂かれ、皮膚のあちこちに傷が走っている。下層まで髪ひと筋ほども乱すことなく辿り着き、ツバキとの戦いでも寸毫も傷付かなかった男が、今や見る影もない。


 ツバキは大太刀を下段霞げだんがすみに身を屈め、地を蹴った。


 最期はせめて宿業ギフトではなく、白く煌く刃にて。己も彼も——剣士として勝ち、剣士として負け、剣士として生き、剣士として死ぬがい。


「さらばだ、兄者。われは前に進む」


 ざん、と。

 飛び込みながらに放った刺突は、あやまたずアカシアの胸を貫いた。

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