泥濘に沈くは、

 そしてかつての剣神は、首を傾けて大きく咆える。


「ア、ぐぐぐゔゔゔゔゔゔゔ——ばああああああゔ!」


 だがその喉から出た音は、声と形容するにはあまりにも歪だった。


 なにせ墓の下で一年間眠っていた遺体である。ヘヴンデリートの偉大な英雄を朽ちさせてしまうのはしのびないと、防腐処理と乾燥処置を施し木乃伊ミイラとして埋葬していたのが結果的に仇となった。


 あの時、ツバキはあまりいい顔はしなかった。彼女の故郷では火葬が一般的で、遺体をいじるのは道義に添わないこととされていたからだ。ただ、最終的に反対はしなかった。郷に入りては郷に従うと言っていた。今はどうだろう——この有様を見て、後悔はしているかもしれない。


 彼女はそれでも、心中はどうあれ毅然と立ち、かつての師だったものと対峙する。

 大太刀を鞘から引き抜き青眼に構え、


「ぐるゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔ!」

「……っ!」


 動いたのは相手が先だった。


 唸り声の鈍重さとは裏腹、『阿修羅顕明あしゅらけんみょう』を持つ腕が刹那にがれる。それこそ、レリックには目視できないほどに。


 そして当然、振られた刃からは飛ぶ斬撃を伴っていた。


 びぃん、と。

 まるで音叉を岩に叩き付けたような音がした。


 それは先ほどまでの、アカシアとの剣戟で鳴っていたものとはまるで違っている。あの時は通常の刃物同士が打ち合うのとほとんど変わらなかったのに。


「ぐ……」

 ツバキが歯を喰い縛る。


 違いはなにか。おそらくは、威力だ。


「っ、重い……!」

「ゔああああ、ばうぐるるるるるるるゔ」


 彼女が驚愕の声をあげる間に、再び振られる宝刀。

 飛来する斬撃。それも一度ではなく二度、三度、更には連続で。

 

「なんだ! これは……っ! 兄者どころ、か! かつての師匠よりも!」


 大気を震わせる衝突の悲鳴が連続し、ツバキの太刀さばきは不可視の斬撃を見事に受け流す。が、その声に余裕はない。どうにか形だけでも耐えられているのは、彼女が稀代の達人であるからだ。


 キースバレイドの動きは、でたらめだった。


 斬撃を飛ばし続ける腕は今や鞭のように振り回されていて、残像すら追えない。そのくせ他の部分、胴や脚や首は微動だにしない。もはや人間の所作ではなかった。


 ただ人の形を保っているだけのなにかが、腕に相当する部品を稼働させている——そう形容するしかない。


 推察するに『阿修羅顕明』の飛ぶ斬撃は、速度に比例して威力を大きくするのだろう。これはアカシアどころか生前のキースバレイドをも超えている。彼らが専心し紙縒こよりのように心を尖らせた上でようやく放てるような必殺の一刀を、無造作に連続してまるで機械のように。


「っ、この……!」


 完全に捌ききれなかった斬撃によりツバキの着物はあちこちが裂け、その下から覗く肌には血が滲んでいる。


「なあなあ、その嬢ちゃんなんだけどさあ」


 と——離れたところで見ていたソラウミニスが、空気の読めない、いや、空気を読んで的確にこちらを煽ってくる。


「もしかしなくても、お前らを守ってるのか? お前が『阿修羅顕明』の斬撃を『収納』できないから」


 ツバキは初撃からずっとレリックとフローの前に立ちはだかり、一歩も動いていない。


「だったらどうした?」

「いや、ひでえなあと思ってさ。あんな怪我した女の子に戦わせて、守ってもらって。男の子なら頑張んなきゃだめでしょ」

「歳を取ると男だの女だのに拘るようになるのか? 気持ち悪い思考だな」

「ますますひでえ! おじさん傷付いちゃうな!」


 ソラウミニスの口調には余裕が混じっている。拗ねているような科白はしかし嘲るような声音だった。


 そしてその理由は直後——明らかになる。


「ま、あんまり遊んでてもなんだし、一気に決めちゃいますかね。お手並み拝見だ、坊ちゃん。ってもね、はっきり言わせてもらうけど……お前ら、俺たちにとっちゃ、なんだわ。ここで死んでもいいし、むしろあれの運用試験ができて僥倖ラッキーって感じ」


 ソラウミニスが、ぱちん、と指を鳴らす。

 すると同時。


「る? ゔう!」


 キースバレイドの遺骸が、腕だけではなく全身ごと、消える。


「なっ……」

「ツバキ、上だ!」


 もはや異様すぎて、驚く気も起きない。


 背後に建つ隠れ家。その屋根に近い壁。

 おそらくは玄詛げんそを吸盤か接着剤のように用いているのだろう——遺骸がまるで虫のように、


 折り曲がった四肢には関節もなにもあったものではない。顔はこちらを向いているが、逆さにぐるりと回転している。


 沈黙する一同へ、ソラウミニスが得意げに告げた。


「坊ちゃんの『収納』も、嬢ちゃんの『尸童よりまし』も、確かにそりゃあ強い。十人位コモンのくせにバカげた性能と、さすがの百万位エクスレア、おじさん嫉妬しちまうよ。——でも、それでも決して無敵じゃあないんだよな」


 今からなにをするのか。

 キースバレイドの遺骸になにをさせるのか。

 それを、語る。


「——たとえばだ。ふたりには目視も不可能な速度で移動する物体が、『収納』じゃどうにもできない類の攻撃を繰り出してきた時、とかさ」


「ツバキ!」

 レリックは叫んだ。

「こっちに!」


 ツバキが指示に従い背後へ跳躍したのと同時。

 再び遺骸の姿が消えて——ソラウミニスの言葉通りのことが、起きる。


「ゔゔゔゔゔゔゔ、ばああああああああ!」


 蝿の羽音を極限まで大きくしたような唸り声だけを残して、あちこちからほぼ同時に——姿の見えない敵が、形のない斬撃を、あらゆる方向から放ってきた。


 レリックは即座に対応した。


 緊急用として常備していた『防護壁』——そう便宜上名付けている金属板——を、頭の中ストレージから取り出し、周囲に展開する。

 六角形の楯を亀甲様きっこうように組み合わせ、半球形としたものだ。


 展開が終わるや否や、蝿の羽音とともにがんがんがんがんと、防護壁を打ち鳴らす斬撃の音。けたたましさが鼓膜を揺らし、視界すら揺れる。鐘の中に閉じ込められている気分だ。


「へえ、そんなもん用意してたんだ。まあすぐに決まるとは思ってなかったけどさあ、予想の範囲内だよ。結局、じり貧だよなあ?」


 ソラウミニスが嘲弄ちょうろう混じりに笑う。

 その言葉は、正しい。

 

 レリックが展開した防護壁は、まさにこういう事態を想定して特注で作らせた、分厚さと頑丈さに特化したものだ。『収納』のお陰で持ち運びのことや組み立ての手間を考慮せずに済む分、一枚一枚の重量もとんでもない。金属板同士は魔術的結合でがっちり固定されており、生半なことではびくともしない代物ではある。


 だが——その耐久性を上回るほどに攻撃が多く、そして際限がない。


「いつまで保つかねえ。一時間? 三時間? 半日? 一日? ちなみにこっちは、一週間だろうが二週間だろうが問題ない。自律命令を出してあるからおじさんが気張る必要もないし。あー……だったらしばらく家の中で寝てるか? でも死ぬところを確認はしといた方がいいかねえ」


 ソラウミニスは完全に勝利を確信しているようだ。

 無理もない、と思う。ここから盤面をひっくり返す一手など、たとえレリックが逆の立場でも想定できないだろう。


「……ツバキ、悪いがさすがに無理そうだ」


 フローに支えられながら肩で息をしているツバキへ、謝意とともに告げた。

 対するツバキは苦渋に気配を染めながら、


「業腹だし無念だが、仕方ない。正直に言うと、兄者との戦いで少し血を出しすぎた……今けっこうつらいし、ここから更に宿業ギフトを使うとたぶん、まずい。これで我を通せもせずに命を散らすばかりとあっては、さすがにな」


「ごめん。本当ならあなたの手で、片を付けさせてやりたかったけど」


 薄く笑むレリックに、


「なに、構わんさ。お前たちとて師匠の縁者なのだ。を見せられたつらさは、お前たちも同じであろう」


 首を振りながら大太刀を鞘に納めるツバキ。


 一同に悲壮の色はある。

 ただそれはあくまで、キースバレイドの遺骸に対するいたみ、哀切あいせつによるものだ。


「なによりも優先すべきは、誰がやるかなどではない。師匠のご遺体を辱めるような真似を、一刻も早く止めることだ」


 故にツバキは譲る。

 へと、その役目を。


 その遣り取りを経て、フローが無言でこちらを見てくる。

 どうする? と問うてきているのだ。


 だからレリックは彼女の頬をひと撫でして、言った。


「いや、僕がやる。いいか?」

「よき。おまかせ。……でも、半分は私の功績では?」

「それはそうだな。まあ、を功績と言ってはいけないと思うけど」


「なあなあ、おーい」

 ソラウミニスが張り上げた声が、くぐもって聞こえてきた。


「そろそろその甲羅みたいなの、限界なんじゃないか? なんか手はあるの? おーい、聞こえてるかー!」


「ああ、聞こえてるとも」


 吐き捨てるようにつぶやきながら、レリックは前へ——ソラウミニスのいるであろう方向へ、一歩進む。


「ならば、見せてやるよ。僕とフローの五年間の絶望を、苦痛を、怨念を」


 中空に手を伸ばす。

『収納』したものたちが巣食う頭の中ストレージ、その奥の奥に仕舞っていた、を。


 手繰たぐり、組みあげ、まとめ、掴む。


 それは、武器。

 先史遺物アーティファクトを四つ使用した複合体であり、レリックが『収納』可能な容量のおよそ半分を占めている——とっておきだ。


 そして、レリックは。

 を呼びながら、無形の脳内領域からそいつを引きりあげた。




「出番だ、浮上しろ。——『遺物に沈く渾沌レリック・アンダーグラウンド』」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る