だから殺すしかなくて

「相変わらずだな。昼行灯あんどんを気取っても下衆な性根を隠しきれていない」

「ひゅー! 久しぶりに会ったってのにひでえな! おじさん泣いちゃいそうだよ」


 レリックの罵倒を受けて、男——ソラウミニスは大袈裟な口笛を吹いた。


ぼっちゃんとは仲良く遊んでやったこともあるってのにさあ。たった十年前の話だぜ? それなのにこんなふうに育っちまって……反抗期かな?」


 そうして、こちらを嘲弄ちょうろうしてくる。


 対するレリックは薄く笑んだ。

 ——こいつのことはよくわかっている。

 ソラウミニスが見せる軽薄さや人を食ったような態度は、虚構だ。身を包む鎧として、他者に優位を取るための矛として、こういう人格を装っているに過ぎない。


 では、何故そんなものを纏っているのかといえば、


「あったなそんなことも。まだお前の右腕がぶら下がっていた頃の話だ。どうしたんだ? その腕は。ああそうだった、僕が切り飛ばしてやったんだったな。忘れてたよ」


「ああ? ……てめえが昔のことをだろうがよ」


 直情的で、醜いからだ。


「僕が反抗期? だとしたら、お前は五年前からなにひとつ変わらない、成長していない俗物だ。低劣ていれつであさましく、野卑でさもしい——あの頃のままだ」


 ソラウミニスは元々、トラーシュ=セレンディバイトの助手を務めていた男だ。


 彼女の弟子であったレリックと娘であるフローは、ゆえに、こいつのことを昔からよく知っている。幼い頃は面倒を見てもらったこともあった。ただし当時からふたりは、この男の本性を見抜いていた。


におべっかで取り入って、僕らに対しても『いいおじさん』を演じてたくせに、あいつがいなくなった途端に後ろ足で砂をかけて去っていった。しかも、わずかに残っていた研究結果や蓄えまでもを、全部盗んで持ち逃げするというおまけ付きで。あの頃の僕らは余裕がなかったし、脇も甘かったからな……それでもそんな子供に、腕一本を奪われた」


 ち、と盛大に舌打ちしながらこちらを睨みつけてくるソラウミニス。さっきまでの化けの皮——軽薄な態度はもはやどこにもない。


「それで? あいつに置いていかれたのに、あいつへの信仰心が捨てきれなくて、今度は玄天こくてん教団なんてものに身を寄せて……いつの間にやら幹部さまか。取り入るのだけが上手いのは相変わらずだな」


 本人と再会したのは五年振りだが、教団にいるという話だけは聞いていた。ただ、今はヘヴンデリートからは離れているとも。

 それがいつの間にやら戻ってきていて、しかもアカシア=ルビスウォーカーと行動を共にしている。


 その目的はつまり、


「爺さんの遺産目当てか……さっきの口振りからするに」


『剣神』たるキースバレイドの名はヘヴンデリートのみならず大陸全土に轟いている。かつては別の迷宮を擁するよその都市からも引き抜きの話があったほどだ。その武勇と同様に彼の死もまた、各地に広まっただろう。


 ただこれはおそらく、著名人が死んだので墓を漁りにきた、などという単純な話ではない。


「で? アカシア=ルビスウォーカーに、教団はいったいなにを吹き込んだ?」


 そう。

 師を殺害して以降の一年間、姿をくらましたまま音沙汰のなかったアカシアが今になって現れ、しかもキースバレイドの墓を暴き遺体を持ち出し、更には『阿修羅顕明あしゅらけんみょう』の隠し場所へあっさりと辿り着き、おまけにそれを手にしている。

 この不自然な一連の行動に、ソラウミニスが——教団が関係していないはずがない。


「吹き込んだ、とはまた聞こえが悪いな。おじさんとそこの兄さんは、単に利害が一致しただけだってのに」


 レリックの詰問にソラウミニスは肩をすくめた。

 態度は再び軽薄な、上っ面のものに戻っている。情報戦で己の優位を自覚した途端にこれだ。


「おじさん、ってより教団が、かな。まあいろいろあったんだよ、いろいろね。ただ協力する時に、宝刀は兄さんのもの、残りはおじさんのもの……って取り決めはしてたんだけど、お家の中はすっからかん。どうにもこっちの取り分はなさげだよなあ」


「……そこの貴様。先ほど、別荘、と言ったな。『剣神の別荘』と」


 と、ツバキがふたりの話に割って入る。


「どういうことだ。ここが師匠の別荘とは」


「簡単なことさ、鬼人族の綺麗なお嬢ちゃん」

 対するソラウミニスは愛想よくにへらと笑み、美女にへつらう小男を演じて答える。


「そしてたいしたことでもない。キースバレイドは生前、この家を自分の別荘として使っていた、ってだけの話さ。まあ便利だよな? 『外套への奈落ニアアビス』下層にひっそりと建つ小さな家。四方をでかい集合住宅アパートメントに囲まれて目立たない、しかも安全区画セーフエリアときてる……そこでかの老人は、この家をこっそりと占拠して、そのことを誰にも話さずにいた」


「つまりここが『阿修羅顕明』の隠し場所であった、と?」


「隠れ家で愛人を囲う訳でもなく刀を隠すってのはまあ、いかにも剣に生きて剣に死んだ武辺者ぶへんものだが。迷宮の中だからさすがに愛人は囲えねえか! ははっ!」


 師匠への侮辱ともとれる言葉にツバキは一瞬だけ気色ばむも、無意味だと思い直したのか無言で半身を引く。


 とはいえ、今のソラウミニスの言葉には確かに頷けるものはある。

 おそらくこの家は、ギルド発行の地図にも載っていない。特級冒険者であったキースバレイドならばそういう措置を取ってもらうこともできる。そして地図にもなく路地裏にひっそりと建ったこの家は——ものを隠すのにうってつけだ。


 だがアカシアがここを発見できた経緯はともかくとして、どうしてキースバレイドの遺体が必要だったのか。


 結界でも施されていたのか、とレリックは見当を付ける。

 ——そして解除するのに、が必要だった?


 ただ、その推測は口に出さない。

 正しいかどうかを確認するのは、彼らを制圧した後でいい。


 レリックとソラウミニス、彼我の差はおよそ十一メートラ

 そしてレリックの『収納』は射程距離が十メートラ

 この一メートラを詰め、奴の手足をあと何本か切り落とし無力化する——レリックが動こうと脚に力を入れた刹那。


「させないよ」


 ソラウミニスの隣前方にいたアカシアが、刀を持った腕を振った。

 それは宝刀『阿修羅顕明』による一閃。つまりは、


「……っ!」


 飛来する斬撃である。


 遠隔攻撃のできる先史遺物アーティファクトは多々あるが『阿修羅顕明』のそれは一線を画している。魔力や金属などの物質マテリアルを生み出して射出しているのではない。


 この宝刀が放つのは、斬撃。正しく形容するならば『斬り裂かれる』というが飛んでくる、というものだ。


 質量もなく形状もない、つまりは中身のないただの現象。質量も形状もないものは決して『収納』できず、故にこの攻撃に関しては、さしもの『空亡そらなき』とて無敵ではない。


 これはレリックが生前のキースバレイドに敵わなかった理由であり、特級の序列にいる理由でもある——序列一位から三位までの人間は、なんらかの形で『阿修羅顕明これ』と似たような、『収納』できない攻撃手段を持っているのだ。


 とまれ消し去ることができないのであれば、受け止めるか躱かしかない。

 取るべき対応は前者。レリックは斬撃が到達する前に、頭の中ストレージに入っている盾を出そうとする。


 が、寸前。

 人影がレリックの眼前に割って入る。


 きいん、と。刃同士の撃ち合う音。

 それは斬撃が、刃物によって受け止められる音。

 つまりレリックを庇ったのは、


「……兄者の相手は、われつかまつる」


 ツバキだ——大太刀を抜いて、上段霞じょうだんがすみに構えていた。


 彼女は背中越しに、視線と刃先はアカシアを捉えたまま、レリックへ笑う。


「守るまでもなかったとは思うが、すまんな。われ矜恃きょうじの問題だ。てきを前にしてその刃が振るわれるのを、黙って見ている訳にはいかん」


「ふうん」


 斬撃を受け止められたアカシアはしかし、小さく鼻を鳴らすのみ。

 ただどこか得心したふうに言う。


「まあ、そうなるよね」



 ※※※



 かくしてかつての兄妹弟子、剣神を殺した者とそのあだを討とうとする者。

 相手を邪魔だといとっていた者と、尊敬に値すると慕っていた者。

 同じ道を歩み、同じ者に師事し、しかし決定的にたもとを分かってしまった者たちは、刃のきっさきを向け合い対峙する。


「——本懐だ」

 兄弟子にして剣神を殺した者——アカシアが、片手下段に脇差を構えて言う。


「この宝刀『阿修羅顕明』にて、お前を斬り殺す。ろくな才も技もないくせに目をかけられた、忌々しいお前を両断することで俺の道程は完遂する。我が師の形見を以て、我が師と同じく黄泉路よみじを往くがいい」


「——本懐だ」

 妹弟子にして仇を討とうとする者——ツバキが、上段霞に大太刀を構えて言う。


「殺した者が我が師とかたるな、形見とうそぶくな。それは偸盗ちゅうとうだ。もはや兄弟子とは思わん。才を持ち技に優れたくせに小娘程度をそねんだ、貴様を斬り捨てることでわれは復讐を遂げる。咲いた血だけをはなむけに、師匠とは別の地獄ところへ逝け」


 間合いに殺気が満ち、視線がぶつかり合い、弾けて剣を呑むかのように飽和した須臾しゅゆ


 ふたりの剣士たちは、互いに一歩を踏み出した。

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