邂逅

 三人の道中はほぼ無言だった。


 振り子の操作ダウジングに集中するフロー。周辺を警戒するレリック。そして、心を研ぎ澄ませるツバキ。時折襲ってくる魔物をレリックが率先してたおしながら、ほとんど真っ直ぐに振り子ペンデュラムが示す先を目指していく。


 そうして一時間近く経った頃——フローが緊迫した声で、ぽつりと言った。

 

「……っ!」


 レリックとツバキが息を呑む。


 フローが探査しているのはキースバレイドの遺体だ。それは現在アカシアが持ち歩いていると思われる。

 彼はつい今し方まで移動していた。つまりに辿り着いていなかった。

 これが『止まった』ということは、即ち。


「……急ぐぞ!」


 レリックの号令にフローが小走りで駆け始める。ツバキは最後尾で気配をいよいよ張り詰めさせる。


 森に囲まれた遊歩道のような小径こけいを抜け、豪奢ごうしゃな意匠の美術館を素通りし、住宅街へと足を踏み入る。さっきまでレリックたちが休息していたのとは別の集落だ。通路で盤目ばんめ状に仕切られた敷地に、立方体で背の高い無機質な家屋——集合住宅らしきものが整然と並ぶ。本当に住居なのかと疑いたくなる外観をしている。


 そして集落の片隅、大きな住居群に囲まれて路地裏のようになっている細い通路。それを抜けた先にある目立たない区画。

 他よりも一段低い背丈でひっそりと、その建物はあった。

 他と違い集合住宅ではなく、今の時代を生きるレリックたちにも『家』と認識できるような——ありふれた意匠の、家屋らしい家屋。


 その家に見合った広さの、およそ十五メートラ四方ほどの庭先に。


 アカシア=ルビスウォーカーは、いた。


「遅かったな、ツバキ」

 眉目秀麗な青年だった。


 きっちりと着込まれた平服は貴族らしい質の高さではあるものの、地上で市民が着ているものとなんら変わらない。頭髪は耳にかかるかどうかほどの長さで整えられている。総じて、身嗜みだしなみにはなんの乱れもない。


 やや細めの面立ちに並ぶ瞳は優しげで、目の合った者を安堵させてしまうような雰囲気がある。唇も柔らかな弧を描いていて、女が見れば頬を赤らめ、子供が見れば笑顔で寄ってくるだろう。


 だけど、だからこそ、異様である。


 鎧もなしの平服で、下層まで辿り着けることの異様。

 下層まで来ているにもかかわらず、髪にも衣服にも一切の乱れがないという異様。

 そして、なにより。


 木乃伊ミイラとなった師の死体を足元に転がしておきながら、柔和な微笑みを浮かべている異様——。


「師匠……っ」

 ツバキがぎしりと音の鳴るほどに歯をんだ。


 本当はすぐにでも駆け寄りたいのだろう。しかし傍のアカシアがそれを許さない。佇まいに一分の隙もなく、寄らば斬られると肌身に感じられた。


 そう、斬られるのだ。


 アカシアの右手には一本の刀が握られている。

 つかは白木、こしらえのない、あまりに簡素な外見。

 通常の刀よりもやや短い『脇差』と呼ばれるそれは、本来であれば補助武器サブウェポンとして使うものである。


 だがツバキはもちろん、レリックとフローも知っている。


 それは脇差ではあるが、補助武器サブウェポンなどではない。

 刀身が短くとも、間合いは果てしなく長い。


 かつて何度も見た。

 かの『剣神』が——今は干からびた死体となり庭に転がっている老爺ろうやが、それを振るい敵を一刀で葬る様を幾度となく目にした。


「『阿修羅顕明あしゅらけんみょう』……あんた、それを」


 レリックの声に、アカシアは微笑みで応えた。


「ああ。ついに手に入れた。ついに」


「……何故だ、兄者」

 血を吐くようにツバキは問う。


「そんなにまでも欲しかったのか? ならばどうして、共に探そうというわれの申し出を断った。われは譲ると言ったではないか。刀も後継も兄者のものだと言ったではないか。なのに……師匠を殺してまで、ご遺体を辱めてまで……何故、こんなことをする必要があった!」


 たまらず一歩をにじり寄る。


 手は大太刀のつかに添えられている。が、たとえ神速の居合で抜こうとも、ツバキの得物えものがいかに長かろうとも、もはやどうあっても先手はアカシアが譲らないだろう。斬撃を飛ばすことのできる『阿修羅顕明』を抜き身で携えているというのは、つまりそういうことだ。


 ツバキも充分に理解しているはずだった。

 それでも一歩を踏み込んだ。踏み込まずにはいられなかった。


 だがアカシアはそんな彼女を無視して、レリックたちへ視線を向ける。


「ひどいなあ、きみたちは」

「……は?」


 眉をひそめたレリックに、アカシアは続けた。


「俺がきみらに探索を依頼した時は断ったじゃないか。俺がどんなに頼んでも、頭を下げても、もなかった。なのにツバキの依頼は受けたんだね」


「兄者、違う! それは……」


 ツバキが否定しようとするが、


「どうしてだい? 俺とツバキとの間にどんな差があるんだい? 俺は嫌われていて、ツバキは好かれているのかな?」


 アカシアの言葉は止まらない。


「そもそもの始まりからがおかしかったんだよ」


 刀を掲げ、ゆらゆらと左右に振り、


「俺は師匠の一番弟子だ。しかも息子にまでしてくれた。子供の頃から死ぬ気で鍛錬に励み、腕だって誰より優れている。世間の評判もこれ以上ないほどで、なにもかもが完璧だ。だったら……『剣神』の名を継ぐのは、問答無用で俺のはずだろう?」


 双眸そうぼうを、ぎらりと輝かせる。


「なのに何故、ツバキの名が俎上そじょうに乗る? 俺よりも腕の劣る二番弟子で、師匠とは縁組もしていない。弟子入りしてからまだたったの四、五年。しかも……で、だ」


 その発言は、かつて温厚篤実おんこうとくじつにして胸襟秀麗きょうきんしゅうれいと称えられた青年の姿からは、かけ離れていた。


 女を女と軽んじるのも。

 他種族を他種族だと蔑むのも。

 よほど偏見にまみれた田舎者か、差別主義に染まった貴族くらいしかやらない行為だ。


「……それが兄者の、本心か?」


 ややあって、ツバキは俯き加減に絞り出すような声をあげた。


「性別も年齢も種族も変わらず、目の前の者には分け隔てなく優しく、正しく、礼節をもって接する……われは兄者のことをそんな高潔な為人ひととなりだと思っていた。だけど、違ったのか? 昔から……ずっと、本心ではだったのか?」


 刀の柄を握ってはいるものの、その手は震えている。

 唇はわななき、目は潤み、信じたくないとばかりに頬を青くして。


 そんなツバキを見て、アカシアは笑った。


「別に偏向した思想や主義を持っている訳でもないし、これから先も持つつもりはないよ。ただ……お前がどうしようもなく嫌いなだけだよ、ツバキ。ことわざにもあるだろう? 『あだの座った椅子も壊したい』だ」


 つまりはツバキが女だから、女ごとを嫌い。

 ツバキが鬼人族だから、鬼人族ごとを憎むと。


「あに、じゃ……」

「その兄者というのをやめてくれないか。俺はお前を妹弟子と思いたくない」


 ツバキの気配が悲嘆によって緩む。

 アカシアがそれに乗じ、動く素振りを見せた。


 だからレリックは刹那の後に来るであろう攻撃から彼女を助けるべく身構える。


 が、それと同時——。

 アカシアの背後、家屋の扉が。


 不意に、がしゃりと開いた。


「いやあ、探ししたけどなーんもなかったわ」


 そして中から出てきた人影が、呑気な口調で言う。


「かの剣神の別荘としちゃ、宝刀以外に先史遺物アーティファクトのひとつやふたつ転がっていてもいいようなもんなのになあ。としては期待外れもいいとこだ。……っと、お客さんかい?」


 男だった。

 歳の頃は四十よそかそこらか。

 ぼさぼさの頭、気のない顔つき、着崩れた衣服、いかにも軽薄な態度、手入れもろくにされていない無精髭。

 そんな野暮なたたずまいにあってひときわ目立つのは、中空になって垂れ下がっている右腕の袖——つまりは隻腕。


「お!? おおお、まじか!」


 そいつはこちらを認めるや、眠たげな両目を驚きに見開いた。


「お客さん、って、まさかのまさかだ! じゃねえか! なんでこんなところにいる? いやあ五年ぶりか? こんなところで再会するとはこれまた奇縁……いや、そうでもないのか。なるべくしてなった、って感じか」


ぼっちゃん』と『姫』。

 男がそう称したのはアカシアの正面にいるツバキにではなく、彼女の背後に立つ、レリックとフローに対して。


「そういやこの前、が坊ちゃんに凄まれたって言ってたもんな。闇に紛れてたのにバレてたって、クソほど怖がってたぜ? だからいずれ会うとは思ってたんだ」


 レリックは、そしてフローは。

「……っ」


 男の顔を認めるや氷点下の殺気を発し、それぞれが臨戦態勢で睨み付ける。

 何故ならばそいつは——その男は——ふたりの旧知であり、同時に、


「『なんでこんなところにいる』だと? むしろ僕らが尋きたい。玄天こくてん教団の幹部さまが、いったいなんの目的でアカシアと行動を共にしている。答えろ……ソラウミニス!」


「久しぶりだなふたりとも。おじさん、ちょっと用事があってヘヴンデリートに戻ってきたんだよ」


 男——ソラウミニスは。

 肘から下の無い腕をひょいと上げて、ふたりへ笑った。

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