萎れるな、寒椿

 下層の只中ただなかにまるで住宅街のように立ち並んだ家屋たちは、あくまで迷宮の一部であり、内部にも魔物が跋扈ばっこしている。


 居間の壁に粘性群体スライムが貼り付く様や寝室に屍鬼グールがひしめく様は恐ろしい。そこが人の生活圏であるという錯覚と相まって、なかなか背筋に訴えるものがあるのだ。


 だがそんな家屋群の中に時折、魔物が棲まずしかも決して入ってこない建物がある。いかなる理屈かは定かでないが、ともあれ使えるものは使うのが迷宮での鉄則。こうした家は、冒険者たちに『安全区画セーフエリア』と呼ばれていた。


 レリックたちが休息場所にしていたのもそのうちのひとつであり、二時間ほどを経て、一行は再び出立した。


 家の軒先でフローが振り子ペンデュラムを垂らす。緩やかに揺れ始めたそれは、彼女にしか読み取れない微細さで方角を指し示した。


「たぶん、近いと思う」

 言って、歩き始める。


 今回フローが探知しているのは依頼の品そのもの。キースバレイド=ルビスウォーカーの遺体である。

 これは他ならないツバキの意向だった。


 目的を考えるならば、遺体ではなく彼が生前に隠した品——宝刀『阿修羅顕明あしゅらけんみょう』を直接探した方が早くはある。キースバレイドの遺体を持ち去った、つまりは遺体と共にいるアカシアもまた『阿修羅顕明』の元へ向かっているだろうからだ。先に見付けて確保しておけばそれだけで相手の有利に立てる。


 だがツバキはそれをよしとしなかった。

『阿修羅顕明』の捜索は、亡き師が授けた最後の試練だからである。


 たとえキースバレイドが死に、アカシアが姿を消し、もはや試練もなにもない状態となった今であっても——いや、そうなってしまったからこそ、ツバキは師のせんに、かつての己のげんこだわった。


 自分は『阿修羅顕明剣神の証』を受け継ぐ気はない。

 故に

 ましてや己の力ではなく他人の手を借りて探すのは、義にもとる、と。


 迷宮に隠されたものを探したいのなら『落穂拾いレリックとフロー』に依頼する——なるほどそれは手っ取り早く確実だろう。


 実際、アカシアは来た。一年と少し前、まだキースバレイドが存命だった頃、刀を探してくれと依頼に来た。その時にはもう、目をぎらつかせてしきりに爪を噛み、かつて剣神の後継とうたわれたたえられた面影はもはやなかった。


 レリックたちが断ると、彼は罵詈雑言とともに去っていった。今になって考えれば、あれもまたアカシアの心を追い詰め兇行にはしらせた一因であったのだろうか。だが断るより他なかったのだ。他ならないキースバレイド自身に強く言われていたからだ。儂らの弟子がもしお前さんたちのところへ来ても助けてくれるな、と。はお前さんらの力を借りても意味がないのだ、と。


 アカシアがレリックたちに依頼をしようとしたことは、既にツバキも知っている。だからこそ、というのもあるのだろう。かつて兄弟子が通ろうとした『近道』——『落穂拾い』を頼るという手を使わざるを得なくなった自分自身を恥じ、それでもひとすじの誇りを以て『阿修羅顕明』でもアカシアでもなく、師の遺体を捜索してくれと言ってきた。


「一本気なのも師匠譲りなんだよな」

 呆れ気味につぶやいたレリックに、ツバキが「ん?」と振り向いた。


「なにか言ったか?」

「いや、なにも。あんた、キースバレイドと血縁とかじゃないんだよな?」

「なにを言っている。われ鬼人きじん族だぞ? 故郷には父母も健在だし、実はそれなりの家の出なのだ」

「そうだったな」


 前に聞いたことがある。東方にある、鬼人族の治める小国——豪族とか言ったか——の姫かなにかだと。


「というか、そもそもこんな遠国で冒険者なんかしていて、家はいいのか?」

「心配いらん、妹が継ぐ。これがまたい奴でな。名を……」


 うっかりやぶついたらしく、家族自慢が始まった。


 あまり興味が持てなかったので半ば聞き流す。妹がどうの、両親がどうの、使用人がどうの。正直、親のいないレリックには馴染みがないし、フローはフローで母親がだから家族愛というのは少し鬱陶しいのだ。


 ——かつては確かに感じていたものだからこそ、なおのこと。


 ひとしきり喋った後、ツバキは苦笑しつつ、


「……とはいえ、家を放り出してくるような娘だからこそ、後継、というのに今ひとつ馴染めないのだろうな。師匠の刀をもらい受けるなど、聞かされた須臾しゅゆにとんでもないと思った」


 そんな彼女に、フローが前を向いたまま問う。

「家の方は? ツバキに継いで欲しいって言われなかったの?」


「……言われた。でも、妹の方が相応しいと思った」

 返答には少しの間を要した。


 そして次いだ言葉は——濡れ布に残った最後の一滴を絞るような、


「そうか……われは、逃げてばかりなのだな」


 そんな色とともに、発せられる。


「家からも逃げ、宝刀からも逃げ。『相応しくない』は言い訳なのだろう。本音では、ただ背負いたくなかっただけなのかもしれない。……母さまのように一族を率いることも、師匠のように名聞みょうもんを受け止めることもできず、己の剣を高めるという建前で、修練と研鑽けんさんを積んでさえいれば楽だった」


「でもあんたは、特級を引き受けただろう。爺さんの後を継いだじゃないか」


「……それは、違う」

 レリックの言葉に、ツバキは首を振った。


「あれはただ、仇討ちをしなければと思っただけだ。特級になれば迷宮内での捜査権が与えられるし、ギルドの伝手コネを存分に使うこともできる。そんな我儘に過ぎないのだ。高いこころざしなどない。軽蔑するだろう?」


 ずっと抱えていたことなのだろう。

 自嘲は悲壮感さえ持ち、どこか血を吐くようになっていく。


 が——更に続けようとしたのを、フローが遮った。


「ツバキ、うっさい」

「……え」


 振り子探索ダウジングをやめ、こちらへと向き直り、それどころかツバキのところまでてくてくと歩み寄り。

 フローは、彼女を睨みつけた。


「それとうじうじするな、うざい。うっさいにうじうじにうざいって、うーうー韻を踏みすぎ。あんまりうーうー言わせないで。私うーちゃんになっちゃう」

「いや、うーちゃんってなんだよ……」

「うーちゃんは太古より下層に出没すると伝えられる魔物。うーうー唸りすぎた人間が変貌すると言われている」

「それ絶対いまフローが考えたやつだろ」


 レリックが口を挟んでいる間もツバキから視線を逸らさず、しかも狼狽うろたえる彼女の角を両手でがっしと掴む。


「っ……、待て! お前、鬼人族の角に触るな!」

「私はこの前イェムお姉ちゃんに耳を触られた。なのでおあいこ」

「おあいこの概念が崩壊してはいまいか!?」


「いいから聞きなさい! 角へし折るよ?」

「は、はい」


 鬼人族の角は皇帝鋼アダマンタイトよりも硬く人の力ではまず折れないと言われているのはともかくとして、妙な迫力にツバキが黙ったところで。


 フローは、告げた。


「ツバキは、他人のことを喋ってる時の方が幸せそうな顔をしてる。さっきの家族自慢……あれもちょっとうざかったけどまあそれはさておき……めっためたの笑顔だった。キース爺ちゃんの話をしてる時もそう。爺ちゃんが生きてた時からずーっとそう。ドヤ顔がすごい。師匠はすごい師匠は偉いって」


「めっためた? どやがお? なんだ……?」

 ネネ直伝の妙な口調に困惑するツバキだが、続くフローの言葉に、


「ツバキは笑顔の時が一番可愛い。だから自分の話をする時も、笑ってなきゃだめ」

「……っ!?」


 目を、見開く。


「悲しそうな顔で自分の話をしないで。諦めたみたいな顔でツバキの話をしないで。私が好きな私の友達のことを、そんな可愛くない顔で語らないで」


「フロー……」

「わかった? よき? 以降たいへん気を付けること。治さなかったら、この角本当にへし折っちゃうからね」


 角からようやく両手を離し、フローはツバキの頭をぐしゃぐしゃ撫でる。

 ややあって——ツバキはどこか泣きそうな、けれど笑顔を浮かべた。


「ああ、わかった。ありがとう。われも角は折られたくないからな」

 そこにはもう、自嘲も自責も自虐もない。


 もちろん、たかだか説教をされただけでいきなり性格が変わる訳ではないだろう。彼女の自信のなさはぽっかりと心に空いた穴であり、すぐに埋まるような類のものではない。


 ただ一方で、己を案じてくれる友の思いを無碍むげにすることなど決してしない義理堅さや、そんな友の前では強がってみせることのできる意地、一度決めたことを頑なに貫こうとする決意もまた、ツバキという少女の根底に確かに存在するものである。


 だからレリックはあえてなんでもない声音で、話を元に——そもそもここに来た理由に——戻した。


「じゃあ、行くか。もう近くなってきてるんだろう?」


「うん、たぶんあと小一時間もあれば追いつく」

 フローがこくりと頷いて振り子ペンデュラムを手から提げ、


「追いつく、か。向こうは移動しているのだな?」

 ツバキは視線を鋭くする。


「動いてはいる。でも、そんなに速くない。というより、進んでるんじゃなくて同じ区域をうろうろと歩き回ってるみたいな……」


「つまり相手の目的地が近い、ってことか」

 レリックもまた、息を吐きながら目を細めた。

「だとするとも近い。各自、油断はしないように」


 返事はない。

 ふたりは抜き身のような気配で応えた。

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