そして最後は夜に血の降る

 ヘヴンデリート西区、表通りからやや外れた一画にその孤児院はある。


 建物はちょっとした集合住宅アパートメントほどの大きさがあり、子供たちの明るくはしゃぐ声でいつも騒がしい。敷地の外にいても聞こえてくるほどで、それはこの都市が親のない子らをも健やかに育むことのできている証でもあった。


 だが、今はその声も聞こえない。何故ならば夜の深い午前三時——子供らはもちろん職員たちもみな寝静まっていたからだ。


 孤児院に繋がる路地。

 そこをゆっくりと幽鬼のように歩く者があった。

 

 まだ歳若いのにげっそりとした頬。

 ろくに寝ていないのか、目の下には濃いくまがある。

 唇には殴られたような痕があり、乾いた血がこびりついていた。

 衣服は仕立てのいい上等なもののはずだが、薄汚れてしかも着崩れている。


 そして瞳の色だけがぎらぎらと——いや、右手に持った抜身の剣とともに、夜闇の中に白く見えて。


 ぶつぶつと小さな呟きが、歩みと共に路地に漏れている。


「あいつだ。あのガキなんだ。あれがすべて悪い……あれのせいだ。ハザルの面汚し、指輪を盗んだ女の血を引くあの平民のせいで……は? あれに我が高貴なるハザルの血が入っているだと? そんなはずがあるか。いや違うな、あの下賤な者のせいでハザルの血が汚れたのだ。汚れた、汚れたから私は、叔父上は、どうしてだ私はお嬢さまを、子爵家の血を入れてハザルの後継となるべきだったのに何故だ何故? 何故どうしてこんなことに許すものか許すものか許すものか……」


 足取りはふらついているが、剣の柄を握る五指はぶるぶると震えている。指先が白くなるほどに力が込められている。


「殺す。殺さねばならない。我が家の汚点を消し去ればいい。あのガキを殺して、セザンナとかいう女の血筋を絶やせば、ハザルの家は貴族に戻れる。元通りだ。罪は許される。そうすれば私はまたお嬢さまをもらい受けて。あ、子爵家はもうない? だったら私が子爵家の当主に——」


「——なれはしないよ」


 そんな呟きを、まるで掃いて捨てるかのように。

 前方で待ち構えていた人影が呆れた声で否定する。


「……きさま、は」

「来ると思っていたよ、ディーラタ=ハザル。いや、今はただのディーラタか」


 声の主——レリックは。

 こちらを認めて憎しみを向けてくるディーラタに、侮蔑の視線を返した。


「ディーラタ。お前の身に起きたことは同情しないでもない。お前は一連の悪事に関わってなくて、なにをした訳でもないのだから。なのに結果、こんなことになって、婚約するはずだった人も、貴族の身分も、肉親も、家も。すべてを失った」


「ああ、そうだ。その通りだ。だから私は……」

「『平民の子供を殺すことにした』か?」


「……っ!」


 口にしようとしていた言葉を先回りされ、ディーラタの歯がぎり、と鳴る。


「ひょっとしたら、お前はんじゃないかと思っていた。貴族であることを誇りにし、平民を見下していたお前は」


 レリックは語る。


「何故こんなことになったのか? 誰が悪かったのか? お前はそのことについて考えた」


 まるでディーラタの心の中を覗いているかのように。


「当然、自分は悪くない。そして叔父も悪くないはずだ、何故なら貴族なのだから。デクスマイナス家の面々も悪くない、何故なら自分たちの寄親よりおや子爵貴族なのだから。……そんな『貴族が悪のはずがない』という恣意しいの下、突き詰めていけば——最後に残るのが、平民であるあの子だ」


 まるでディーラタの後ろ暗い気持ちを暴きたてるように。


「そしてお前は、エステスあの子にすべての責任をなすりつけようとした。あの子がすべての元凶であれば、『貴族である自分たちは誰も悪くない』というその恣意を守れるから。なんのことはない、お前は気付いてしまったんだ。だから耐えきれなくて、と思い込もうとした」


 まるでディーラタの、


「本当は、すべてがことなのに。寄子だからと侮って婚約者を捨て、捨てられた娘を家の恥だといきどおって追い出した。そんな高慢さが、身勝手さが……お前たちをさせたんだ」


 閉じた心の蓋を、無理矢理にこじ開けるように——。


「黙れえええええええええええええっ!!!」


 ディーラタは激昂し、怒り以外のすべてを忘れた。


 ここへ来た目的を忘れた。今が深夜であることを忘れた。相手が得体の知れない強さを持つ冒険者であることも、自分の手足が疲れ果てていてろくに動かないことも、後先のことさえも忘れ——力の限り、剣を薙ぐ。


「まあ、詭弁だけど」


 レリックは自嘲気味に呟いた。

 呟いて——その剣を弾くようにして、腕を軽く横に振った。


「本当に悪いのは、。いやこの場合……か。彼女は四十年も前に作った品なんかに今更興味を示さない。せいぜいが、結果を想像してほくそ笑むだけだ。どうせ、この都市にもいないだろうさ」


 振り終えた腕を胸の前まで持っていき、見詰めながら握り、 


「とはいえ、あの子が殺されるのを黙って見過ごす訳にはいかない」

 薄く、笑う。


 ——ディーラタに、その言葉が聞こえていたかどうか。


 彼の肩より下、腰から上。剣を握っていた両腕。それに剣も含めてが。

 レリックの振った腕と同時に、この世から消え去っていた。


 あとに残るのは人体の残骸、ただの肉の塊。

 どさりと地面に落ちて、乱雑に転がる。


「……フローが孤児院へ遊びに行く約束をしたからね。僕にとってフローの笑顔それは、お前の命や誇りなどよりも遥かに重い」



 ※※※



「……だから、あの子には手を出すな」


 そして。

 あくまでディーラタの死体に視線を定めながら、レリックは続ける。


「お前らがなにを考えて四十年も前のあいつの品を掘り出したのか、ミック=デクスマイナスに何故あんなくだらないことを吹き込んだのか、だいたい想像がつくが……いいか? まどろっこしいことをするな」


 闇夜の漆黒、その奥へ。

 なにも見えない、光の届かない、その暗がりに向けて。


「『玄天こくてん教団』——トラーシュ=セレンディバイトを崇め、その足跡を追う者ども。お前らの好奇心や探究心を満たしたいなら、僕のところへ来い。四十年も前の足跡なんかを追うよりも、僕のところに来い。トラーシュ=セレンディバイトの愛弟子であり、いつか彼女を殺す者であるこの僕が……直々に、相手をしてやる」


 宣言に応える者は誰もいない。

 ただ、ぞわりと。

 路地の奥へなにかが去っていく、そんな気配がした。







―――――――――――――――


 第2話はこれで終わりとなります。

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