玄天を落とす

 呪術の代償を先送りすれば呪いが負債として蓄積していき、それはやがて物質化、触れたものすべてを破壊し崩壊させる漆黒の泥濘となる。

 これを即ち玄詛げんそといい、ミック=デクスマイナスの全身を覆い今や闇人形のごとく成り果てさせたものである。


 消滅させる方法はふたつ。


 ひとつは、なすがままにしてなにかを破壊こと。

 マイナスの力場である玄詛げんそは破壊によってプラスを飲み込み、ゼロに戻って消える。

 そしてもうひとつは、より強い力場エネルギー——大きなプラスをぶつけ、破壊ことだ。



 ※※※



 その玄詛げんそはまるで巨大な粘性群体スライムが弾けるように、木々や岩などを破壊しながら無差別に広がっていく。


 レリックは周囲に『収納』を展開し、自身とフローの周囲に襲いくるすべての玄詛それから身を守る。背後のオズとイェムロワたちもしばらくは大丈夫だろう。危機を感じさせるような気配は発していない。


 ミック=デクスマイナスに対し、同情がないと言えば嘘になる。


 彼の出自は理不尽だ。父親の発した病を押し付けられ、挙げ句に不完全な術式で呪いを増幅させられた。おまけにそれは元凶である父親の身勝手な婚約破棄によるものだというのだから、悲劇でしかない。


 彼の境遇について、彼自身はなにも悪くない。

 だが彼は、

 その果てに——


 七人の冒険者を手にかけた。

 自分の妹を殺そうとした。

 そして玄詛げんそを振りまく闇人形と化した。


 かてておそらくは、迷宮ここに来る前にも——。

 

 たとえ呪いによって精神が汚染されていようとも、正気を失った結果であろうとも。こうなってしまった以上、もはやどうにもならないのだ。


 呪いは消す。

 指輪呪術は奪う。

 結果、彼がどうなろうとも。


「フロー」

 レリックは隣の少女を促した。

「頼む」


「うん」

 フローは頷く。

「ばちぼこりんにするよ」


 そして仄赤い瞳が、ここではないどこかに焦点を合わせた。


 宿業ギフトの発動。能力の解放。

尸童よりまし』による見えない繋がりが、フローを起点にして周辺へ、森全体へ、果ては上層中辺の全域へ——網のように張り巡らされていく。


 煌煌こうこうと燃える鬼火たちが、ひとつ、ふたつ、みっつ。

 爛爛らんらんと輝く鬼火たちが、よっつ、いつつ、むっつ。

 赫赫かくかくと浮かぶ鬼火たちが、ななつ、やっつ、ここのつ。

 眠りから目醒めた魂魄たちが、たくさん、たくさん、たくさん——。

 

「——はじめに地獄があり/周りに梅園ばいえんがあり/花弁は燃えている」


 フローの唇が詠唱を紡ぎ始めた。

 それは汎用魔術。

 宿業ギフトでもなんでもない、ただの汎用魔術だ。


そらから柘榴ざくろが降ってきて/大海は血で染まっていて/地に積まれるのはおおとりの死骸」


 ただし——起動に要する魔力があまりに膨大で、発動に消費する魔力があまりに甚大で、故に書物にしか記されていない机上の魔術。

 本来は魔術系の宿業ギフトでも持っていなければ成し得ないが、それでも『理論上は汎用可能である』と定義される、そんな大魔術。


「王冠の主は蜥蜴とかげのようで/妃の髪は白炭はくたんのようで/姫君の手にはが握られている」


 魂とはなにか。

 よくはわかっていない。ただし先代文明によりその構造は推測されている。

 それは体内に在る、宿業ギフトの棲まう場所。神経細胞ニューロン脳の信号パルス体内魔力オドによって形成される、人の根源といえる


「民は曰く/殺すならば盗め/盗むならば犯せ/犯すならば飲み干せ/飲み干すならばかたれ/騙るならば覗け/覗くならば殺せ」


 では、死者の魂はどうか。

 これは自然魔力マナを媒介にした人の残留思念である。

 身体の死によって神経細胞ニューロン脳の信号パルスを失った結果、宿業ギフトの残骸がより強く自然魔力マナと結びつき、形もなければ目にも見えない幽世かくりよの存在となったものだ。


「王はやがて冠を脱ぎ/妃はじきに薪をべ/あらゆるものが死に絶えて/姫君が後継あとをやるだろう」


 フローの宿業ギフト尸童よりまし』は、死者の魂を操ることのできる力だ。

 それは即ち、死者の魂が媒体としている自然魔力マナを操れる——ということでもある。


「王国は地獄となり/梅の花が燃える/柘榴は潰れて/血が滲み/ほのお霊泉れいせんに/嗚呼ああ、嘆かわしい/蜥蜴とかげがまた生まれる」


 フローを中核としてその呼びかけに魂たちが呼応する。

 上層中辺に数限りなく浮かぶ鬼火たちは周囲の自然魔力マナをかき集め、網目のように張り巡らされた経路パスを通して、それをフローへと送り込む。


「生まれ堕ちてより/半中劫はんちゅうこうを経るならば/長じていわく……」


 フィックスの持っていた宿業ギフト『魔力増幅』と理屈は似ている。

 だがあちらはあくまで自身とその周辺に漂う自然魔力マナしか取り込めない。足元の土をかき集めてもできるのは己の背丈くらいの土塊つちくれだ。


「これを竜と呼び/これは竜をぶ」


 対してこちらは、数多あまた人夫にんぷで土を運ばせる。

 それを集めて積み上げるなら、見上げるほどの山にすらなるだろう。


ことわるは翼/寿ことほぐは舌/いらうは爪/いざなうは牙/それらをうろこが覆いなさい/べてつらねて八十やそひとのせ——」


 かくして詠唱は紡ぎ終えられる。


 魂たちを媒体に、自然魔力マナを燃料に、通常ではまったくあり得ざるほどの魔力を糧に、もはや汎用などという言葉が滑稽に思えるほどの規模で展開されるのは、理論上最高位となる火炎系汎用魔術、第八階位。

 

「地獄を嘔吐しろ。……『火竜フレイムVIII』」


 翼を持った蜥蜴の形をした爆炎が、玄詛げんその塊に襲い掛かり。

 瞬時。まるごと飲み込んで、燃える。


「お、る? るるるるるら、らあああああああああああ!!!」


 その大きさは見上げてすらなお生温く、見渡すほど広がっていたはずの玄詛げんそなどもはや水溜りを泳ぐ小魚だった。


「あああああああああ!! あああああああああああああ!!」


 轟々と盛る炎の中でミックが叫ぶ。

 それは怨嗟か、苦悶か、或いは解放の喜びか。


 炎の竜が玄詛げんそを抱き込むようにして形を崩し、そのまま珠となり、凝縮しながら黒い呪いを灼いていく。熱量というプラスが呪いというマイナスを絡め取り、打ち消していく。


 レリックは熱気を『収納』しながら歩み寄り、前に立った。


「東国の方では、死者を炎で焼いて弔うそうだ。火葬という」


 そして腕を伸ばし——炎の中へと、ぞんざいに突っ込む。


「あなたの宿痾しゅくあも、恨みも、狂気も、すべて灰塵と化す。それに対して僕らはなにも思わない。なにも償わない。なにもあがなわない。だけど……」


 そうしてゆるゆると腕を左右させ、やがて目当てのものを探し当てると、ぐいと引き抜く。


「……あなたに呪いを運んできただけは、僕らが責任を持とう」


 握られていたのは、指輪。

 大仰で太い、石座マウントに複雑な紋様の刻まれたひとつの指輪だった。


 高熱の炎に晒されていたというのに、溶けても砕けてもいない。表面に黒い焦げがこびりついているだけで、おそらくは機能も含めて無傷だろう。


 レリックは手の中で、それを一瞬だけ『収納』した。

 指輪は消え、すぐに現れる。

 ひとつに合わさった状態ではなく、ふたつに分割された対の指輪ペアリングとして。


「壊したの?」

「ああ」


 フローの問いに、レリックは短く頷いた。


「僕らは『落穂拾い』だからね。失せ物は依頼主に返す。だったら安全な品にしておかなきゃ」


『収納』した際に内部構造をいじり、内部の術式を完全に破壊した。ついでに形状も多少変えてある。もはや呪術が発動することもないし、ひとつに合体させることも叶わない。


 へと繋がるかもしれない品だと躊躇しなかった訳ではないが、


「四十年も前のものだ。追っても無駄だろう」

 首を振る。


 フローは頷きながら「よき」とだけ言い、レリックの肩に身を寄せた。

 レリックは掌の上にある、ふたつの指輪を眺める。


 ひとつは翼にも似た複雑な、一見して具象性の薄い紋様が彫られたもの。

 そしてもうひとつは——デクスマイナスの家紋と思われる、一角獣ユニコーンを模した印を浮かべたもの。


 深層に棲まい百年に一度しか姿を見せないと言われるその幻獣は、角を煎じれば薬となるという。

 彼の祖父母はあまりに皮肉なこの家紋に、なにを思ったのだろうか。


 炎が収束していく。

 燃やすべきものを燃やし尽くし、灼くべきものを灼き尽くし『火竜フレイムVIII』は消えていく。


 あとにはなにも残っていなかった。

 呪いも、死体も、なにも。


 ただ背後で、トワのあげる慟哭だけが響いていた。

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