玄天に至る
レリックは一歩を踏み出し、フローはその背後で身構えた。
ミック=デクスマイナスの嵌めた指輪の作成者が『あいつ』、トラーシュ=セレンディバイトである以上、もはや相手に
たとえ四十年以上前に
「あなたを拘束し、指輪も渡してもらう。抵抗するのなら殺すことも
宣言したレリックに、相手は肩を
「いいのか、そんなことを言って。私は子爵家の令息だ。後でどんな問題になるかわからんぞ?」
「それはあなたが心配するべきことだ。迷宮での殺人は言い逃れができない」
「まあそれもそうだ、あっはっは!」
子供のように手を叩いて
明らかに異常な精神状態にあるのは、積み重なる呪いで狂ってしまったのか、指輪を嵌めているせいなのか。
或いは、もっと別の——。
「ならば言い逃れをする必要そのものが失くなるよう、頑張らねばな! 目撃者がいなくなればそれでいい!」
ミックが叫ぶと同時、彼の周囲に高密度の
「それはお前の
間合いを取りつつ尋いたレリックに、
「いいや? 私の
「だとしたら、それはなんだ? 指輪の機能のひとつか?」
「ああそうだ。こんなことができるなど、作らせた祖父母も、ましてや父も知らなかっただろうな!」
ミックは自慢げに答える。
いったいどういう構造でそうなっているのか。
病魔を後代に押し付けるという呪術——その媒介としての機能があるのは確かで、だがそれだけではない、ということ。
莫大な魔力を生み出しているのか? いったいどこから?
ただ、それをあれこれと想像するよりも先に確かめねばならないのは、
「ミック=デクスマイナス……お前はその隠された機能を、誰に教えてもらったんだ?」
——ぶおん、と。
詰問に返ってきたのは、無言の暴威だった。
「……っ!」
さっきまでの攻撃を
魔力の塊がオズの結界をがんがんと打ち付け、折れ砕けた樹木の幹や抉れた土塊が、雨となって上から降ってくる。
「ひいいいっ!」
オズの
とはいえそちらについては無視した。気を払う必要もない。
何故なら彼らの傍にいるのは、ふたりの特級冒険者なのだから。
※※※
「これはまたとんでもないね」
言葉とは裏腹、軽い調子でオズは上方に手をかざす。
彼の結界——『禁足領域』は、上空から降ってくる木々の破片も、鞭となって叩き付けられる魔力の塊も、一切を遮断して通さない。
「……まあ、見掛け倒しではあるけど」
「とはいえ、わたしの可愛い子たちが役に立ちそうもないわ」
困ったように顎へ指を当てるのは、オズの隣にいるイェムロワだ。
彼女の操る
中層や下層の魔物を
「わたしの弱点よねえ。層によって強さが決まってしまう」
「なんの、それを補うために僕がいるのではありませんか、我が姫君」
「あらありがとう。大好きよ、わたしの最高の配下」
イェムロワが顔を上げ、身を屈めたオズと
ガンガンと頭の上で剣呑な破壊音が響く中、やたらと甘ったるい空気に包まれるふたり。
拘束され、同時に護られてもいる騎士たちはその空気にこそ恐怖する。
この余裕、この絶対性、この精神性——高等級の冒険者がいかにおかしいかを、目の前で見せ付けられて。
「攻めは彼らに任せましょうか」
イェムロワは前方に立つ少年と少女の背中を見遣った。
「そうだね、どうも話を聞くに、彼らの
オズは口元を微笑ませ、軽く頷く。
※※※
無秩序に襲いかかってくる透明な暴虐を『収納』で
即ち、ミックが使っているこの力——この指輪について、だ。
呪術を根底に置いたものであることは間違いない。問題はその呪術がどのように使われているか、どのような
そも、
炎を生めばどこかが凍る。
氷を生めばどこかが燃える。
風を起こせばどこかが腐る。
傷を治せばどこかが壊れる。
これに例外はない。
呪術とはこうである、というより、こうであるから呪術なのである。
ただしこの『代償』を後回しにできるのも呪術の特徴だ。
炎を生んだその瞬間にどこかが凍るのではなく、炎を生んだ一刻後、一日後に代償を遅らせることができる——とはいえ、いいことではない。結果の先送りが行われればその時間経過に比例して負が増大し、
だがこの指輪は、その特徴をむしろ意図的に用い、有効活用している。
息子の病を癒す——
その病が次代に受け継がれる——
数十年単位で行われるそれは
と、いうことは。
ミックの攻撃——指輪を用いた魔力の暴虐は、この
ただここで、ミックが先ほど口にしていた言葉が引っかかる。
彼はトワに向かって、こう言っていた。
——必要だからだ。
——血が……必要なんだよ。
——これが、これらが、血を欲しがっているんだ。
血は比喩だろう。
本当に必要としているのはおそらく、命。
他者の命。
レリックたちがここへ来る前、ミックは冒険者を惨殺している。それも七人。
力を試してみようと思ったなどとのたまっていたが——本人の意図はどうあれ——それだけではない。
収支を生むには——この
つまりは『破壊の力で
これが成立してようやく呪術は完結するのであり。
「生命を奪えないのであれば、呪術は成立しない……?」
単に破壊の力を行使するだけでは。
オズやレリックにただただ防がれているだけでは。
それは呪いを解いているのではなく。
ただ呪いを再現なく増幅させているだけ。
レリックは咄嗟に叫んだ。
「ミック=デクスマイナス! 今すぐそれをやめろ!」
同時、走り出す。説得に応じさせる猶予はおそらく、ない。強行手段とばかりに手を伸ばし、指輪を直接『収納』しようとする。
遅かった。
レリックがこの結果に気付くまで要した時間は、ミックが攻撃を開始してからわずか十秒足らずだった。
だが、それでもなお——遅かった。
びくん。と。
ミック=デクスマイナスの身体が、大きく
それと同時、彼が嵌めた指輪、その
弾けて、
「……っ!」
レリックは飛び退いた。
悔恨があった。間に合わなかった。
自業自得とはいえ、助けられなかった。
ミックの指輪から溢れ出した黒い粘体は、ミックの五体すべてを包み込み、瞬時に食らい尽くした。
今や彼が立っていた場所にいるのは、黒い怪物。
泥のような夜のような炎のような、霧のような墨のような水のような、呪術の代償である
「ぐ、る? るるるるるる、るるるるる、るるるるるるぅぅ——」
そいつは
「……レリック」
フローが前に出てレリックの横に立ち、唇を引き結んで言った。
「もしかしてお母さんは、あの指輪で——これをやりたかった?」
「たぶんな」
五年前の光景が脳裏に
これと同じ、粘ついた黒い塊を前にして絶望した記憶が。
そして——あの時、その塊の発生源となっていた少女は。
「じゃあ、私たちがばちぼこりんにしなきゃね」
普段は漆黒のその瞳に
「……そのばちぼこりんってのもネネに教わったのか?」
「いやこれは私が考えたやつ。どう?」
「いやどうかな……」
レリックは思わず唇の端を歪める。
脱力感と、それから安心感で。
黒い闇人形はふたりを前に、おろろるうおうと
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