玄天に至る

 レリックは一歩を踏み出し、フローはその背後で身構えた。


 ミック=デクスマイナスの嵌めた指輪の作成者が『あいつ』、トラーシュ=セレンディバイトである以上、もはや相手に斟酌しんしゃくすることはできない。


 たとえ四十年以上前にこしらえたものであろうと油断はならない。確実に先史遺物アーティファクト級——或いは先史遺物アーティファクトを複数以上組み合わせ、恐ろしい機能を持ち合わせている可能性もあった。


「あなたを拘束し、指輪も渡してもらう。抵抗するのなら殺すことも躊躇ちゅうちょしない」


 宣言したレリックに、相手は肩をすくめた。


「いいのか、そんなことを言って。私は子爵家の令息だ。後でどんな問題になるかわからんぞ?」

「それはあなたが心配するべきことだ。迷宮での殺人は言い逃れができない」

「まあそれもそうだ、あっはっは!」


 子供のように手を叩いて哄笑こうしょうするミック。

 明らかに異常な精神状態にあるのは、積み重なる呪いで狂ってしまったのか、指輪を嵌めているせいなのか。

 或いは、もっと別の——。


「ならば言い逃れをする必要そのものが失くなるよう、頑張らねばな! 目撃者がいなくなればそれでいい!」


 ミックが叫ぶと同時、彼の周囲に高密度の魔力渦まりょくかが巻き起こる。先ほどから幾度か使用してきた技——と呼ぶにはあまりに稚拙であまりに強引な、乱暴と形容するに相応しい破壊力の塊。


「それはお前の宿業ギフトか?」

 間合いを取りつつ尋いたレリックに、


「いいや? 私の宿業ギフトは『筋力増強』……その辺にあり触れた、所謂『外れ』の十人位コモンだよ」

「だとしたら、それはなんだ? 指輪の機能のひとつか?」

「ああそうだ。こんなことができるなど、作らせた祖父母も、ましてや父も知らなかっただろうな!」

 ミックは自慢げに答える。


 いったいどういう構造でそうなっているのか。


 病魔を後代に押し付けるという呪術——その媒介としての機能があるのは確かで、だがそれだけではない、ということ。


 莫大な魔力を生み出しているのか? いったいどこから? 自然魔力マナを吸収などしている訳ではなさそうだ。そもそもあの女が、なんの脈絡もない複数の機能を備えさせるなどという歪な設計をする訳がない。あいつの作る魔道具はもっと美しく無駄がない。『宿痾しゅくあの発症を一時的に止める』呪術と、なんらかの形で繋がっているはずだ。

 

 ただ、それをあれこれと想像するよりも先に確かめねばならないのは、


「ミック=デクスマイナス……お前はその隠された機能を、んだ?」


 ——ぶおん、と。

 詰問に返ってきたのは、無言の暴威だった。


「……っ!」

 さっきまでの攻撃を巨人像ギガントの拳とするなら、これは帝王烏賊テンタクルズの触手。方々へと荒れ狂い、レリックたちだけではなく周辺の木々、果てはその背後にいるイェムロワたちにまで無差別に襲いかかった。


 魔力の塊がオズの結界をがんがんと打ち付け、折れ砕けた樹木の幹や抉れた土塊が、雨となって上から降ってくる。


「ひいいいっ!」

 怯懦きょうだの絶叫をあげたのはトワの護衛騎士たちだった。


 オズの宿業ギフトに動きを封じられたまま、目を逸らすこともできないのだから当然だろう。拘束されていないトワは頭を抑えて「うそ……うそよ」などと呟きながらうずくまっている。まるで現実を拒絶するかのように。


 とはいえそちらについては無視した。気を払う必要もない。

 何故なら彼らの傍にいるのは、ふたりの特級冒険者なのだから。



 ※※※



「これはまたとんでもないね」

 言葉とは裏腹、軽い調子でオズは上方に手をかざす。

 彼の結界——『禁足領域』は、上空から降ってくる木々の破片も、鞭となって叩き付けられる魔力の塊も、一切を遮断して通さない。

「……まあ、見掛け倒しではあるけど」


「とはいえ、わたしの可愛い子たちが役に立ちそうもないわ」

 困ったように顎へ指を当てるのは、オズの隣にいるイェムロワだ。

 彼女の操る枯青狼デミフェンリルたちは上層において生態系の頂点近くにいる捕食者だが、それでもやはり上層の魔物でしかない。

 中層や下層の魔物を上層ここに呼ぶことは、イェムロワにもできないのだ。

「わたしの弱点よねえ。層によって強さが決まってしまう」


「なんの、それを補うために僕がいるのではありませんか、我が姫君」

「あらありがとう。大好きよ、わたしの最高の配下」


 イェムロワが顔を上げ、身を屈めたオズと接吻すくちづける。

 ガンガンと頭の上で剣呑な破壊音が響く中、やたらと甘ったるい空気に包まれるふたり。


 拘束され、同時に護られてもいる騎士たちはその空気にこそ恐怖する。

 この余裕、この絶対性、この精神性——高等級の冒険者がいかにかを、目の前で見せ付けられて。


「攻めは彼らに任せましょうか」

 イェムロワは前方に立つ少年と少女の背中を見遣った。


「そうだね、どうも話を聞くに、彼らのいわくがあるようだし」

 オズは口元を微笑ませ、軽く頷く。



 ※※※



 無秩序に襲いかかってくる透明な暴虐を『収納』でかわしながら、レリックは一連の事項を整理、考察していた。

 

 即ち、ミックが使っているこの力——この指輪について、だ。


 呪術を根底に置いたものであることは間違いない。問題はその呪術がどのように使われているか、どのような理論ロジック構造メカニズムなのか。


 そも、プラスの結果とマイナスの代償、足し引きプラスマイナスゼロになるのが呪術の絶対的法則である。


 炎を生めばどこかが凍る。

 氷を生めばどこかが燃える。

 風を起こせばどこかが腐る。

 傷を治せばどこかが壊れる。


 これに例外はない。

 呪術とはこうである、というより、こうであるから呪術なのである。


 ただしこの『代償』を後回しにできるのも呪術の特徴だ。


 炎を生んだその瞬間にどこかが凍るのではなく、炎を生んだ一刻後、一日後に代償を遅らせることができる——とはいえ、いいことではない。結果の先送りが行われればその時間経過に比例して負が増大し、足し引きプラスマイナスの帳尻はマイナスへと傾いてしまうからだ。


 だがこの指輪は、その特徴をむしろ意図的に用い、有効活用している。


 息子の病を癒す——プラスの前借り。

 その病が次代に受け継がれる——マイナスの先送り。

 数十年単位で行われるそれはマイナスを増幅させる一方であり、ここに膨大な呪いが発生する。


 と、いうことは。


 ミックの攻撃——指輪を用いた魔力の暴虐は、このマイナスを放出することで起きている。術式の起動鍵は指輪の合体だろう。ふたつをひとつに重ねて使用者が嵌めることで病の先送りとは別の術式が組み上げられているのだ。


 ただここで、ミックが先ほど口にしていた言葉が引っかかる。

 彼はトワに向かって、こう言っていた。


 ——必要だからだ。

 ——血が……必要なんだよ。

 ——が、が、血を欲しがっているんだ。


 血は比喩だろう。

 本当に必要としているのはおそらく、命。

 


 レリックたちがここへ来る前、ミックは冒険者を惨殺している。それも七人。

 力を試してみようと思ったなどとのたまっていたが——本人の意図はどうあれ——それだけではない。

 

 病魔マイナス破壊の力マイナスに転換しているということは、そこに収支はないということ。

 マイナスを右から左へ移動させているだけだ。


 収支を生むには——このマイナスに少しでもプラス補填ほてんするためには——他者のプラスを奪う必要がある。


 つまりは『破壊の力でもって、生命を奪う』。

 のであり。


「生命を奪えないのであれば、呪術は成立しない……?」


 単に破壊の力を行使するだけでは。

 オズやレリックにただただ防がれているだけでは。


 それは呪いを解いているのではなく。

 ただ呪いを再現なく増幅させているだけ。


 レリックは咄嗟に叫んだ。

「ミック=デクスマイナス! 今すぐそれをやめろ!」


 同時、走り出す。説得に応じさせる猶予はおそらく、ない。強行手段とばかりに手を伸ばし、指輪を直接『収納』しようとする。

 

 遅かった。


 レリックがに気付くまで要した時間は、ミックが攻撃を開始してからわずか十秒足らずだった。

 だが、それでもなお——遅かった。


 びくん。と。

 ミック=デクスマイナスの身体が、大きく蠕動ぜんどうする。


 それと同時、彼が嵌めた指輪、その石座マウント部分に複雑な術式陣が浮かぶ。すぐにそれは黒い——漆黒の粘ついた質感の霧となり、針で突いた水袋のようにミックの全身を、


 弾けて、む。


「……っ!」

 レリックは飛び退いた。

 悔恨があった。間に合わなかった。

 自業自得とはいえ、


 ミックの指輪から溢れ出した黒い粘体は、ミックの五体すべてを包み込み、瞬時に食らい尽くした。


 今や彼が立っていた場所にのは、黒い怪物。


 泥のような夜のような炎のような、霧のような墨のような水のような、呪術の代償であるマイナスを溶かして煮詰めて原型かたちにした、呪いそのものである闇人形。


「ぐ、る? るるるるるる、るるるるる、るるるるるるぅぅ——」


 そいつはき、き、き——いた。


「……レリック」

 フローが前に出てレリックの横に立ち、唇を引き結んで言った。

「もしかしてお母さんは、あの指輪で——これをやりたかった?」


「たぶんな」

 五年前の光景が脳裏によみがえる。

 これと同じ、粘ついた黒い塊を前にして絶望した記憶が。


 そして——あの時、塊の発生源となっていた少女は。


「じゃあ、私たちがばちぼこりんにしなきゃね」

 普段は漆黒のその瞳に仄赤ほのあかい光を灯し、にやりと笑う。


「……そのばちぼこりんってのもネネに教わったのか?」

「いやこれは私が考えたやつ。どう?」

「いやどうかな……」


 レリックは思わず唇の端を歪める。

 脱力感と、それから安心感で。


 黒い闇人形はふたりを前に、おろろるうおうとうごめいた。

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