呪いを忘れてはいけない

 雪崩なだれのように迫ってきた魔力の塊を、レリックは『収納』する。

 さっきは後方に捨てたが今回は違う——前方、つまり、そっくりそのまま相手に返す。


「おおっ!?」

 ミック=デクスマイナスは驚愕の声をあげた。

 だがその表情には喜色。状況を楽しんでいた。


「どういう理屈なのだ、これは? ……うらぁ!」

 自分へと反射された魔力に、ミックは再び魔力をぶつける。

 見えない力場が荒れ狂い、透明な竜巻がふたりの間に立ち起こる。それは上空で放散しながら風となって木々を揺らした。


 レリックは目を細める。

 相手は周囲への被害など微塵も考えていないようだ。だったら速攻でけりをつけるのが最善か。


 ただ、不可解なものはある。


 レリックとフローについてはともかく——イェムロワとオズは高等級の冒険者として貴族社会でも有名なはずだ。そのふたりが後詰あとづめで控える中、ミック自身は部下であるはずのシドーズも拘束されており、もはや孤立無援。

 なのにこうまで余裕の態度で、危機感もなく、楽しげですらある。


 彼我ひがの状況を理解していないのか。

 それとも、理解していてなおこの態度なのか。


「ふむ。ふむふむふむ」

 ふたりの間に渦巻いていた魔力が収まったのを見、ミックはひとり得心したようにこくこくと頷く。


「敵はガレット家のご令嬢とお付きの獣人だけかと思っていたが、お前もなかなかやる。そこのエルフも強いのか? いやあ、これはいいな。がもらえそうだ」


「さっきも言っていたな。『血』とはなんだ? まさか本当に吸血鬼ヴァンパイアみたいに血をすするのか?」

「いやあ、さすがにそれは比喩だよ、ははは」


 こうしてあっさり会話に乗ってくる辺り、気味の悪さがある。


「うーん……そうだなあ。生きていられたら教えてやる、とさっき言ってしまったしなあ。ならば話してやろうか。トワだって、なにも知らないまま死んでしまうのはなんというかこう、私がすっきりしないからな、うん!」

 ミックは腕を組んで頭を捻りつぶやいた後、とびきりの笑顔を浮かべる。


 浮かべて——語り始めた。


「むかしむかしあるところに……といってもほんの四十年ほど前の話だが、ある貴族の夫婦がいた。彼らは仲睦まじく、やがてひとりの男の子を授かる。だが、幸せであったのも束の間、一家に予期せぬ悲劇が訪れる。子供が生まれて三年め……なんと! その大切なひとり息子が、血を吐いて倒れてしまったのだ!」


 レリックたちが無言で聞いているのへ、満足げな顔をするミック。


「不治の病だった。どんな高名な治癒士も医者も病を取り除くことはできなかった。子供は日に日に弱っていく。思い悩んだ夫婦は方々ほうぼう手を尽くす中、と出会う。その彫金師はふたつの指輪を彼らに手渡した」


 彫金師。確かトワも同じことを語っていた。

 つまりその指輪が、


「組み合わせるとひとつになる対の指輪ペアリングだ。夫婦がそれぞれ指に嵌めるとなんとも不思議なことに、息子の病がみるみる快方に向かう! 男は歓喜し、彫金師に深く感謝した!」


「それは……」

「ああトワ。我が祖父母、先代当主夫婦。そして父上の話だ!」


 トワの疑問にミックは大きく頷いた。

 そして頷きながら——話を核心へと移していく。


「だがこれには続きがあってな。病は消えていた訳ではなかったのだ。単に、だけだったのだよ。息子——我らが父ジョージはすくすくと育ち、やがてひとりの女と恋をして結婚し、息子が生まれた。しかしその息子は……その息子も、三歳の誕生日に血を吐いた! そう、かつての父と同じ病に、同じよわいでなったのだ!」


 まるで他人事ひとごとのように、或いは喜劇のように。

 であるミックは、楽しげに語る。


「父を生きながらえさせたのは神の奇跡でも治癒の術式でもない。彫金師もまた、彫金師などではなかった。そいつが指輪を介して父に施したのはな、病を一時的に治す代わりにその代償を次の世代に押し付ける……」


「……か」

「その通り! なんともまあ、おぞましいだろう!?」


 たまらず吐き捨てたレリックに、ミックは膝を打った。


 起こした事象の代償を支払わねばならないのが呪術の特徴だ。

 簡易な術式であれば、代償は発動したその場で即時的に発生する。が、理論上はこれを無理矢理に抑え込んで先延ばしにすることもできる。たとえば父親の宿痾しゅくあそのものを呪いに変えて保存しておき、その息子へ代償を押し付ける——といったような。


「かくしてそのは、我が宿となったのだ。宿業ギフトではなく、宿業カルマとな!」


「っ……待ってください、お兄さま!」

 そこで疑問を口にしたのは、トワだ。


 困惑と狼狽、怯懦きょうだの入り混じった顔をして、


「お兄さまの仰ることが事実であるなら……その指輪は、ふたつひと組で効果を発揮するのですよね? ですがわたくしの知る限り、我が家に指輪はひとつしかありませんでした。そしてもうひとつは、その……お兄さまがお生まれになる前に……」


「いいところに気が付いたな! ははは、さすが我が妹だ賢いぞ!」

 ミックは呵呵かか大笑しつつ応える。


「そう、指輪はひとつ失われていた。我が父ジョージは愚かにも、そうまったくもって愚かなことに、のだ。幼い頃からの婚約者がいながら……他の女に懸想けそうして、婚約者を捨てたのだ!」


 つまりはそれが。

 依頼がふたつとなった、ことの発端。


「婚約破棄されたセザンナは、知ってか知らずか指輪を持ち去った。するとどうなる? 指輪はひとつしかなくなり、術式は不完全となる。半分の効果しか発動しなくなる。息子の病は一見して発症を治めたようだったが、その実、代償たる呪いは大きさと激しさをより増しどんどんと身体の中に淀んで溜まっていった! それは吐き出すこともできないまま私の心と身体を蝕んで、蝕んで、蝕んで……ははははは! わかるかトワ? お前に、なんの不幸もなく育つお前に、お前なんぞに、私の気持ちがわかるか? 父上はな、私を切り捨ててお前を後継あとつぎにしようとさえ思っていたのだ! を!!」


 ミック=デクスマイナスはまるで壊れたように、いや——壊れた人間そのものでしかない怒号をあげた。


「……っ、ああ、ああ……」


 へなへなとその場に崩れ落ちるトワ。そのままうずくまり、滂沱し始める。兄の身に降りかかった理不尽さと自分に向けられた憎しみはあまりに大きく、受け止めるには彼女は幼すぎた。


 ただレリックと、そしてフローに——そんなトワをおもんばかる余裕はない。彼女を案じるよりも、ミックの境遇に同情するよりも、狂気におののくよりも。なによりも先に確かめなければならないことがあった。


 レリックの服の袖をフローが無言でぎゅっと握ってくる。

 その細指に比して強い力は、まるで震えるほどで、


「ミック=デクスマイナス。ひとつ尋きたい」


 レリックの声も自然、大きくなる。


「お前のその指輪を作った、彫金師のことだ。そいつの名前は? 外見は? それから……種族は?」


 ジョージ=デクスマイナスの病を処理した呪術は、かなり高度なものだ。


 本来、呪術とは汎用魔術をろくに使えないものの代替手段でしかないが、逆にこれで複雑なことをやろうとすると、下手な魔術よりも遥かに難解な処理プロセスが必要となってくる。


 くだんの指輪はまさにそれだ。おそらくは指輪を嵌めた両親を疑似的な術者として設定し、息子へ恒常的に呪術をかけ続けるような——そんな処理が施されているはずだ。

 

 無論、誰もが為せるものではない。呪術に精通した、或いは呪術と同じような理屈メカニズム宿業ギフトを所持しているような者でなければ。


 そしてレリックとフローには、ひとり。

 


 ミックはきょとんと眉根を寄せ、しかし素直に記憶を辿るようにして首を捻り、答える。


「うん? 彫金師? そうだな、ええと……確か、そうそう。トラーシュと名乗るエルフの女だったそうだ。たいそう美しかったと、祖父が言っていたな」


「……っ!!」


 喉から悲鳴を漏らしたのはフロー。

 彼女の——エルフ特有の尖った耳がびくりと跳ね、気配が強張る。


「トラーシュ……確かにそう名乗ったのか」

「なんだ、知り合いか?」


「く、は」

 ミックの何気ない問いに、レリックは思わず笑った。


 ——わらった。


 それは憎しみ、怒り、恨み、嘆き、恐れ、殺意、嫌悪、忌避、あらゆる負の感情に——ほんの一滴だけ愛情を混ぜてぐちゃぐちゃに攪拌かくはんしたような。迷宮の魔物さえ、気配だけでおぞましさに血を吐いて死ぬような。


「ああ、知っている。知っているとも。こんなところで名前を聞くか。四十年前? 四十年も前から、あいつはこんなことをしていたのか。いや、違うな……四十年よりも更に前から、ずっと。ずっとを積み重ねてきたんだ」


 最後に会ったのは五年前。

 いや——自分たちの前からいなくなったのが、五年前。


「美しかった? それはそうだろう。あいつはもう何十年も、下手をすれば百年近く……。そうして溢れ出る呪いを糧に、好き勝手な災いを辺りに撒き散らすんだ」


 レリックがただのレリックで、フローがただのフローだった頃。

 ふたりがまだ、ただの幼馴染でいられた頃。


「エルフ百二十九氏族がひとつ、セレンディバイト氏のトラーシュ。トラーシュ=セレンディバイト。伝承位レジェンドたる『咒堤賤壊陀羅尼じゅていせんかいだらに』の宿業ギフトを持つ、呪術の女王!」


 フロー=セレンディバイトの生みの親にして、レリックの育ての親。

 それはふたりが追い求める、怨敵の名だ。

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