それはふたつでありひとつだった

 狼狽するトワ。

 そしてやけに鷹揚おうようとした態度のミック。


 デクスマイナス子爵家の兄妹きょうだいが対照的な表情を見せる中、レリックたち冒険者は警戒を緩められない。騎士たちも突然の出来事に総じて困惑している。


 そんな空気の中、口を開いたのはミック=デクスマイナス——先ほどから場に合わない感情とともにどこか異様な気配を見せる青年だった。


「ふうむ。愛しの妹が困り果てているのを見るのは私も胸が痛む。故に、事情を説明してやってもよいのだが……私にもわからんことがある」


 片手の指を立ててゆらゆらと振りながら、彼はレリックへと問うた。


「さっき『指輪をふたつ』と言ったな? つまりきみは、私が指輪を『ふたつ』持っていることを知っている、ということだ。んんんんん? これはどういうことなのかな? まさかシドーズ、お前、をしたのか?」


 シドーズ——シドーズ=ハザル。

 トワお付きの騎士にあって最も年嵩、彼らを束ねている壮年の男だ。

 彼はトワの背後に控えたまま胸に手を当てて一礼すると、ミックに答えた。


「いいえ、若さま。このシドーズ、誓ってそのようなことは。そもそもですからな、は」

「そうかそうか、だとすると——?」


「そちらの平民は、迷宮での失せ物探しを専門にしている者どもです。お嬢さまが彼奴こやつらへ依頼に赴いた際、別の依頼を先に受けておりました。おそらくはその依頼が指輪の片方で……ああ、なるほど! あの貧相な子供! あの子供は、あやつらの娘であったか!」


 説明しながら得心したように声を大きくするシドーズ。


 レリックは目を細める。どうやら糸が繋がりかけている。ならば敢えて情報を与え、口を軽くしてやるのがいいだろう。


「確かに僕らが受けた依頼は、奇しくもあなた方と同じ。だ。だけどそれは、あの子の両親の結婚指輪という話だった。あなた方とはなんの関係もないはず……それが、違う、と?」


 その問いに対しシドーズは、

「ふん、得心したわ。なんたる偶然……いや、必然だったのやもしれんな」

 苛立たしげに鼻を鳴らし、


「いいだろうシドーズ、教えてやりなさい」

 ミックはそんな彼の様子に愉快げな笑みを見せた。


「は、仰せのままに」

 シドーズはミックに諾々と頷き、レリックたちに向き直る。


 そして、告げた。


「そもそもだ。貴様らが先に受けた依頼——あの貧相な娘の探す『結婚指輪』とやらは、あの娘の親の持ち物などではない。盗品だ。二十年前……愚かなる我が妹セザンナが、寄親よりおやたるデクスマイナス家から恐れ多くも持ち出した、な」


「『セザンナ』? ……それは確かあの子の」

 エステスの母親の名だ。


「ああ、そうだ。かつてセザンナは、お館さま……デクスマイナス家げん当主であらせられるジョージさまの婚約者であった。しかしあやつは不出来でな、ジョージさまをお支えし、お慰めできるほどの器ではなかったのよ。故に婚約を破棄され、我が男爵家からも勘当された」


 外から聞くだけで、どうにも身勝手な理屈を感じる話ではある。

 とはいえ本題は、婚約を破棄された——その後だ。


「そこで大人しく家を出たのであれば、まだ身内の情けなさだけで済んだ。しかしあやつはな……あろうことか、家を出る時、を持ち出していったのだ! ジョージさまより預かっていた……をな!」


「じゃあ、トワ嬢が探していた『家紋の入った指輪』というのは……」

「ああ、そうだよ」


 レリックの問いに答えるのはミックである。


セザンナシドーズの妹が持ち去った指輪のペアだったもの。デクスマイナス家当主の証、そのだ」


 つまりエステスの探していた『両親の形見』は、デクスマイナス家にしてみれば『当主の結婚指輪だったもの』で。

 トワが探して欲しいと依頼してきた『家紋の入った指輪』もまた『当主の結婚指輪だったもの』だった、ということか。


 ふたつ同じものではないが、ふたつ同じもの。

 夫と妻がひとつずつ嵌める、ペアとなるものだった——。


「じゃあ、あの子の父親……グラドに狩りの追い込み役を依頼したのも?」

 指輪を取り戻すために、わざと誘ったのか——。


「ふん、莫迦を言うな。そこは

 その予想はしかし、忌々しげに否定される。


「あの下衆な冒険者はな、取引を持ちかけてきたのだ。指輪を高値で売り付けようとな! まったくセザンナの奴めが、市井に放逐したらしたでくだらん男を咥え込みおって……しかも本人はさっさとくたばり、指輪は男の、我らにとって赤の他人の手に渡っていたとは! 忌々しいことこの上ない!」


 レリックは眉をひそめた。

 エステスの父親であるグラドがどんな人格であったのかは知らない。どんな目的で指輪の取引を持ちかけたのかもだ。彼が死んだ日、いったいなにを思い、娘の頭を撫でて家を出たのだろう。


 事情も知らぬのに勝手な想像をしてああだこうだと口をさしはさむことはできない。

 ただ確かめておかなければならないのは、


「冒険者——グラドを殺したのは、お前たちか?」


「苦労したのだぞ。死体を打ち捨てていったのでは疑惑を持たれるやもしれん。指輪だけがなくなっていたとしてもだ。故に、左手だけを獣に食われたように見せかけ、死体は丁寧に持ち帰ってやった。ギルドは感謝しておったわ。間抜けにもな!」


 シドーズが肯定とともに吐き捨てる。

 そこに浮かぶ苦渋の表情は後悔や罪悪感によるものなどではなく、死体の扱いに難儀したという不満。


「お前の妹と結婚していたのなら、グラドは義理の弟のはずだ。それに彼らの娘……あの子はお前にとって姪にあたる。それでも、なんの感情もないと?」


「ふざけろ! あの愚物はとうの昔に勘当され、もはや妹などではない! それが産んだ娘も同じよ。平民の血など忌々しさしかないわっ!」


「まあまあ。いいではないかシドーズ。指輪は無事、デクスマイナス家に……いや、私の手中に収まったのだから。めでたいことだ!」


 怒号とともに唾を吐き散らすシドーズを、ミックがなだめる。

 大仰に、わざとらしく——どこか人間味の感じられない表情で。


「お兄さま……どういうことなのです?」

 そんなミックへと、トワが口を開いた。


 狼狽から困惑を経て、途方に暮れたような、まるで迷子のような顔と声で。


「わたくしには意味がわかりません。いえ……お父さまの婚約者であったハザル家の娘のことや、その人が持ち去ったという指輪のことはともかく……わからないのは、お兄さまのことです」


「そうだねえ、トワ。確かにお前には訳がわからないかもしれない。なにせ……」


「ええ。どうしてです? どうしてお兄さまは……のです?」


 彼女の疑問は当然のものだ。

 トワはあの時、レリックに言った。『兄が迷宮で指輪を失くした』と。

 イェムロワのところにも噂話として届いていたという。『ミックは怪我をして寝込んでいるようだ』と。


「お兄さまはずっと、包帯を巻いてお部屋で伏せっていたではありませんか。脚をお怪我していたではありませんか。指輪を落としてしまい困っていると、このままでは責を取って廃嫡されかねないと、そう仰っていたではありませんか。ですからわたくしはお兄さまの代わりに、ここまで来たのです!」


 つまりトワにしてみれば。

 迷宮で怪我をして寝込んでいる兄に頼まれて指輪を探しにきたのに。

 その先で、寝込んでいるはずのミックと出会い。

 おまけに指輪は失くしてすらおらず、ミックが持っていると聞かされ——。


「今の話をお聞きする限り、そもそもお兄さまは指輪を失くしてすらいなかったし、怪我もしていなかった。シドーズもそのことを知っていた様子。あまつさえお兄さまが屋敷を抜け出して、先回りして迷宮ここにいらっしゃっていることも。だったら……だったら!」


「お前の性格としては、だ」


 ミックが、妹の口から溢れる疑問を遮った。


「好奇心旺盛なお前としては、自ら迷宮へと足を運ぶだろう。もちろん冒険者を使いはするだろうが、少なくともお前は同行したがるし、たとえ断られても必ずや我を通して付いていくだろう。それはわかっていた。わかっていたのだよ。そして迷宮の中であれば、


「お兄、さま?」

「つまり、そういうことだ」


 その言葉が合図だった。

 トワの背後にいたシドーズが、音もなく動く。


 ごく自然な素振りでしかし刹那の迅速さでもって短刀を抜き放ち、トワの背中へと真っ直ぐに振り下ろし、



 途中で阻まれて、止まる。


「ぬ……!?」

 シドーズは目を見開いた。

 トワを刺し貫こうとしていた短刀が、上着の一寸手前から先に動かない。


「なんだ、これは」

 押そうとしても進まず、引こうとしても退かず。まるで透明な岩に根元から刺さっているかのように。


「やれやれだ」

 溜息ですら爽やかな響きを持つ青年の声が響く。


 両目に包帯を巻いためしい狼人族ライカン、オズである。


 彼はトワの前方、つまり彼女たちからは背を向けたまま。

 なのに振り返りもせずに言う。

 

「シドーズ=ハザル殿。それからミック=デクスマイナス殿。あなた方のはかりごとは、ひとつ大きくあやまっている。それは、トワ嬢が僕らに護衛を頼んだのを止めなかったことだ」


「なんだこれは、なにをした!」

 短刀に力を込めるもびくともしないのへ、シドーズは叫ぶ。


「僕の宿業ギフトだ」

 オズはこともなげに返した。


「『禁足領域きんそくりょういき』。結界系宿業ギフトの最上位、自慢にはならないが百万位エクスレアに属する。まあ、宿業ギフトの内容はあまり知られてはいない。ただ……冒険者ではない貴殿がたも僕の異名は聞いたことがあるだろう」


「っ、『たてしばの騎士』……」


 たてしば——水中に投じるまがき

 それは魚を囲み捕らえ、絡めとる柴囲しばがこい


「僕の宿業ギフトはすべてを阻む。まるで水の中に沈めた柴のように、動きは制限され遅延し、やがて拘束される。シドーズ殿、あなたはもはや指一本動かせはしない。そこな騎士たちも同様だ。害意を見せれば即座に拘束する」


「ぬ、ぐ……若さま、申し訳も……」

「構わないよ」


 無念に歯を軋ませるシドーズへ、ミックはやんわりと笑んだ。


「どのみち皆殺しにするんだ。問題ないさ」

 大仰に肩をすくめてみせる。オズの宿業ギフトに拘束されてはいない。残念ながら領域外だ。彼の結界は自分の狭い周囲にしか展開できない。


 故にこいつの相手は、レリックたちの役目だ。


「結局僕らは、御家おいえ騒動に巻き込まれた……そういう訳か?」

 両膝から力を抜き遊びを持たせながら、レリックは問う。


「んんー。いやあ、そういうのでもない。兄妹仲は良好だよ。後継こうけい問題も抱えていない」

「では、何故?」

「必要だからだ。血が……必要なんだよ。が、が、血を欲しがっているんだ」


 ミックが懐から取り出したのは、指輪。


 それはかつてペアであったふたつのもの——今は重なって合わさって、ひとつの太くごつい形状となっている。成婚の証として夫婦の指に嵌めるにはとても似合わない、大仰な指輪だ。


「なるほど、元々ひとつだったものが分割されていたのか」

「ご名答だ。まあ、からね」


 石座マウントにはデクスマイナス家の紋章が刻まれている、とトワが言っていた。が、おそらくふたつの指輪が重ねられることで、家紋とはもはや別の紋様となっている。

 まるで、魔術陣のような。


「結局、その指輪はなんだ? 先史遺物アーティファクトか、或いは魔道具か?」


 ミックの纏う魔力が膨れ上がっていく。

 冒険者でもない貴族のぼんが——いや、人間が持っていていいものではない。


「ふふん。では教えてあげよう。お前が生きていられたら、な!」


 その言葉が合図だった。

 ミックが掌を突き出して魔力を暴発させ、レリックはそれを迎え撃つ。

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