貧民と貴族

 少女の説明は年相応にあまり上手くなかった。

 それでもレリックとフローはじっくりと、彼女から詳細を聞き出した。


 少女の名はエステス。

 としは九、父の名はグラド、母の名はセザンナ。

 母は病で早くに亡くなり、父とふたりで細々とではあるが、それでも幸せに暮らしてきた。父は冒険者をしており、等級は準三級。準三級といえばいっぱしであり、富を築けるほどではないにせよ堅実にやっていれば娘ひとりを養って食うに困ることはない。エステスは実際、つい先月までは少なくとも明日の麵麭パンの心配をすることはなかった。


 だが、ひと月前。一家に悲劇が訪れる。


 ヘヴンデリートに屋敷を構える貴族のひとつ、デクスマイナス子爵家が迷宮で狩りをするための追い込み役を募ってきた。

 これは貴族によって時折行われる道楽で、冒険者たちには報酬に比して楽な仕事であるので食い付きがいい。今回のものも例に漏れず報酬額は五十万レデッツ、場所も上層中辺。

 グラドは運よく——この時はまだそう思っていた——掲示された依頼書を手に取ることに成功した。


 彼は娘の頭を撫でて、今晩は豪勢なものを食べさせてやるからお腹を空かせておくように、と笑いながら家を出た。

 そして、死体となって帰ってきた。



 ※※※



「お父さんの遺体には左手がなくて、その左手には指輪をはめていたはずなんです」


 エステスは果実水を飲み終わると、重い声とともに頭を下げた。


「それを探して欲しいんです。お願いします」

「ああ、引き受けた。必ず見付けてくると約束しよう」


 レリックは返事をしつつ、まだ口を付けていない自分の果実水をエステスに差し出す。腹を空かせていたのだろう、彼女は遠慮もそこそこに喉を鳴らし始める。


 その様子を見ながら、嘆息たんそくを押し殺した。


「……ただ、指輪が手許に戻ってからの方が大変だね」


 彼女の悲劇は父親が死んだことに留まらない。

 父の死を経て——この娘は、ひと月を待たずに困窮こんきゅうした。


 原因は多岐に渡る。

 まず第一、父親グラドの死により収入が途絶えたこと。

 それから第二、補償が得られなかったこと。貴族の護衛は契約不履行とされ、報酬の支払いも無効となった。

 そして第三。これが最も大きい。彼に借金があったこと——。


 冒険者を続けるためにはある程度の投資が要る。魔物と戦うための武具や、鶴嘴ピック山刀マチェットなどの採取用具、緊急時に使う発煙筒や野営用具など。特についえの大きいのが武具で、間の悪いことにグラドは新品の剣と革鎧をついひと月前に購入したばかりだった。

 そして購入先の武具店が所属する商会が、少々無慈悲だった。


 グラドの死を聞きつけた商会は、家に押し入るとなけなしの貯蓄や家財道具を根こそぎ持って行った。また大家も家賃が払えないと見るやエステスを追い出して、市営の長屋へと放り込む。この長屋はエステスのような生活困窮者のための一時避難場所ではあるものの、滞在期限がある。その退去日はわずか三日後に迫っていた。


「行く宛はあるの?」


 レリックの問いに、エステスは小さく笑んだ。

 もちろん浮かんだ色は希望ではなく諦観である。


「他に身寄りがないので、孤児院に行こうと思います」

「そうか」


 両親の血縁が頼れないのか、辿れないのか、それはわからない。

 ただ——下手な親戚のところで肩身の狭い思いをするよりは、孤児院の方がいいのかもしれない。救護院しかり孤児院しかり、ヘヴンデリートの福祉施設は他の都市と比べるとしっかりしている。


 案じる気持ちはあれど、レリックたちにできるのは形見の指輪を探し出すことだけ。それ以上のものは背負えないし、たかが冒険者が子供の人生を背負ってはならない。


「なら、早速だけど出発しよう。上層中辺なら今からでも充分だ。その間だけど、そうだな……食事を出してもらうから、それでも食べながら」


 ギルドここで待っていて——と。


 言いかけた矢先である。

 ロビーの扉が勢いよく開き、入ってきた一団が無遠慮な勢いで、レリックたちの前までずんずん歩いてきた。


 先頭に立つのは少女。

 おそらくはエステスより三つ四つ上で、しかしエステスとは比べるべくもない豪奢な、仕立てのいい子供服ドレスを纏っていた。

 おまけに背後に十人近い、鎧姿の騎士たちを引き連れている。


 つまりは、どう見ても貴族の娘であった。


 少女はレリックたちを睥睨へいげいすると、まるでそれが当たり前であるような口調で言った。


「あなたたちが『落穂拾い』ですね? 探し物をしてもらいます。依頼料は幾らですか?」


 レリックは顔をしかめた。

 フローは我関せずとばかりに、自分の果実水をエステスに勧めている。レリックのあげたコップはもう空になっていた。これはどうも想像以上にお腹を空かせていたらしい。しまった、気が付かなかった。


「フロー、受付でなにか食事を注文してきてくれる?」

「りょ」

「言葉遣い」

「むー。了解」


 フローが唇を尖らせつつ立ち上がる。

 すると貴族の少女が苛立たしげに声を荒げた。


「ちょっと、聞いているのですか? 依頼を……」

「先約がいる」


 それを、レリックは切って捨てる。


「あなたたちの依頼はその後だ。明日にでも出直してきてくれ。同じ時間にはギルドにいるだろうから」


「貴様、無礼であろうが!!」


 口を挟んできたのは少女の背後に控えていた騎士のひとりだ。


「平民の、しかも冒険者風情がなんだその態度は! 先約だと? そのような見窄みすぼらしい貧民の子供を、お嬢さまよりも優先すると? ふざけるのも大概にするがいい!」


 歳若く血気盛んそうなその騎士は、少女を守るように前へ出てきて剣の柄に手を掛けた。今にも抜き放とうと五指に力を込める。


 対するレリックの動作は、流れるようだった。


 椅子に腰掛けたままわずかに身体の軸をずらし、伸びでもするかのように片脚を伸ばす。

 伸ばし——騎士の抜こうとした剣、そのつばへ爪先を乗せ、抜剣を押し留めた。


「……っ!?」


 騎士が驚愕に目を見開く。

 レリックは静かに告げた。


「この子は僕らの大事な依頼主だ、侮辱は許さない」

「き、さま……」


 騎士は一歩を下がりレリックの足を振り払うと、顔を真っ赤にする。

 そうして再び剣を握りなおすと、今度こそ抜き放とうとし、


「我が誇りを足蹴にするか……許さんぞ平民如きが!」

「おやめなさい、ディーラタ!」


 背後の鋭い一喝が、それを止めた。


「なにをしているのです! わたくしがいつ、斬れと命じましたか!」

「しかしお嬢さま、こいつは……」

?」

「っ……申し訳のない行いでした」


 騎士の男は、唇を咬み引き下がった。

 ただしその視線はレリックを憎々しげに見据えており、少女もまたそれを咎めはしない。


 面倒くさい奴らが来たな、と、レリックは心中で溜息をく。


「あなたの言い分は承知しました。それに、先客がいらっしゃることも。では、幾らであればこちらを優先していただけますか?」


 ——ほら。

 主人あるじの方も良識がありそうな素振りを見せておいて、これだ。


 そもそも最初から居丈高で、有無を言わせぬ態度だったのだ。


「優先?」

「ええ。望む額をお支払いします。先客よりも安い額にはならないでしょうから」


「ふん、どうせ貴族が相手と見て報酬を釣り上げようとしたのだろう? さもしい平民め、いいから大人しく……」


 背後からくちばしを突き出してきたさっきの騎士を無視し、返答する。


「この子は僕らに全財産を託した。それを優先しろというなら、あなたも全財産を差し出してくれ」


「は? なにを……全財産というのはいったい幾らなのです」

「三千二百レデッツ」

「さんぜ……はあ!? 冗談を仰らないでください、そのような端金で……!」

「冗談? 僕は本気で言っている。そっちこそ言わないとわからないのか?」


 レリックは立ち上がった。

 そうして、怯えたように縮こまっているエステスの肩に手を置き、


「この子は僕らに全財産を賭けた。もう明日の麵麭パンを買うお金さえない。それほどの覚悟と決意で、僕らに依頼をした」


 ……まあ、孤児院に入るまで衣食住の世話をするつもりではいるのだが。


「それをあなたたちはなんだ? この子のことを見もせず、この子がどんな思いで財布ごと差し出してきたのか知ろうともせず、勝手を通そうとしている。それなら彼女と同じ覚悟を示してみろ」


 エステスが『先客』であることくらい、すぐにわかるはずだ。

 なのにこいつらは、彼女を一瞥だにしなかった。


「だから全財産だ。払えるなら話を聞こう」


 その言葉に——今度こそ。

 さっきの騎士だけではなく、護衛の者たち全員が殺気立った。


「貴様、その物言い、覚悟はできているのだろうな?」


 そいつらの中でいっとう立派な鎧を着た、つまり最も立場の上であろう年嵩の騎士が、静かに、しかし鋭く重い声で問うてきた。


「なんの覚悟だ? 僕はなんの罪も犯していない。貴族への不敬罪なんてもう十年以上前に撤廃されたはずだけど。それに、頭ごなしに断っているんじゃない。順番を守ってくれと言ってるだけだ」


 貴族は施政者であるが、だからといって理不尽に強権を振るうことはできない。もちろんある程度のやんちゃはお目溢ししてもらえるだろうが、逆に言えばそれだけだ。無礼な言葉遣いをしたとか、依頼の割り込みを咎められたとか——そんな程度で貴族が平民を罰することは、現在の法の下では禁じられている。


 ましてやここはヘヴンデリート。

 貴族の手ではなく、冒険者による迷宮探索で富み栄える都市なのだから。


「……わかりました」


 ややあって。

 騎士たちを手で制しながら、少女が深く息を吐いた。


「お嬢さま、ですが……」

「いいえ、非はこちらにあります。この方の仰っていることは正しいわ」


 言うと向き直り、頭を下げてくる——それも、エステスに対して。


「気が急くあまり視野が狭くなっておりました。決してあなたを軽んじていた訳ではないのです。お許しください」


「い、いえ。私はそんな……」


 あまりにも素直に謝罪してくるので、あたふたとしてしまうエステス。

 レリックは心中で感心した。居丈高かと思いきや、かしこまるのも堂々としたものだ。むしろこっちの対応が大人気なかったのではと思ってしまう。


 貴族の少女は頭を上げる。


「後日にはなるでしょうが、謝罪を送らせていただけますか? 無礼を働いた恥をそそがせてください。わたくしはトワ=デクスマイナスと申します」


「いや、そこまでは……待った、今なんと?」


 苦笑で返しかけたレリックは、彼女の言葉に目を見開く。

 正確には、その名乗りに。


「はい、名前ですか? トワ。トワ=デクスマイナスです」


 デクスマイナス。

 それは確か、エステスの父親が受けた、護衛の依頼の——。


「実は、兄が先日、迷宮で狩りをした際に……それを探していただきたく、あなた方を縋ったのです」


 続くトワの言葉はレリックにとっても、そしてエステスにとっても無視できないものだった。

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