第2話 上層:さまよう指輪

その子は、泣かない

 冒険者たちの生活は意外と規則正しい。


 迷宮には夜も昼もないからきっと好き勝手な時間に寝起きし気分の赴くまま迷宮に潜り気分の向くまま迷宮から出てくる、そんな生活をしているのだろう——という一般的な印象があって、実際、市民たちは酒場で朝まで騒いでいたり昼間に商店街をうろついている冒険者の姿を非常によく目にする。


 だが彼らはあくまで休日を過ごしているだけだ。迷宮探索は層の違いこそあれおしなべて負傷や死が間近にある仕事であり、故に、休みにはここぞと羽目を外す。市民たちと彼らが顔を合わせるのはそんな時であることが多いので、自然とそういう印象を持たれてしまう。

 

 では休みではない日の生活はといえば。


 朝の八時になると冒険者ギルドが開く。貼り出される依頼は早い者勝ちで、遅く出向くと常在依頼しかない閑散とした掲示板を眺めることになる。


 大半の冒険者たちは朝のうちからギルドへ赴き、依頼を受注し、迷宮に潜り、そうして夕方から夜にかけて戻ってくる。日をまたぐ者は多くない。迷宮の滞在時間に比例して荷物は増え、死の危険も大きくなるからだ。


 と、そういう経緯で、朝早くから働き始め夕方には仕事を終える、規則正しい冒険者生活ができあがるのだ——下層より先を主戦場にしているような、二級以上の輩は例外であるが。


 そして、これを踏まえて。

 レリックとフローのふたりはいつも、昼前を目安に冒険者ギルドへ赴く。


 彼らは迷宮での素材採取で生計を立てていない。専門はあくまで失せ物探しであり、その依頼も率先して受けている訳ではなかった。

 昼前にギルドへ行き、昼食時ひるめしどきの前後をロビーでだらだら過ごす。そうしているとたまに依頼者が直接会いに来る。話を聞き、報酬の折り合いが付けば受ける——こんな具合である。


 ただし『失せ物を見付けてくれ』という依頼には、総じて不穏なものが潜んでいる。何故なら迷宮で誰かがなにかを失くす時、同時に命も失われていることが多いからだ。必然、失せ物探しには『特級』の仕事も付随する。迷宮内で行われる犯罪行為を暴き取り締まる、という。


 ともあれ依頼自体がそこまで頻繁に来ることもなく、なのでほとんど気負わず、喫茶店でだらけるくらいの感覚でギルドへ入ってきたレリックたちだったが——その日は、ロビーの様子がいつもと少し違っていた。


「お願いします、どうにかなりませんか……!」


 果実水を注文しようと受付に近付いていったレリックの耳に、切実な声が聞こえてくる。爪先立ちで背伸びする小さな身体が、それを発していた。


 幼い少女だった。

 仕切り台カウンターに手をかけ、それでもわずかに足りない視線を必死で上げながら、お願いします、と繰り返す。


「といっても……ごめんね、お嬢ちゃん。依頼料が足りないの」


 対応している受付嬢は困ったように眉を下げる。確か、つい最近になって配属されたばかりの女性だ。少女のことを迷惑がっているというよりも、手引書マニュアルにない状況に狼狽しているという雰囲気。


 レリックは溜息をいた。

 さて、助け舟を出すべきか、無視するべきか。


 首を突っ込んだところで問題が解決するとは思えないし、そうする義理もないのだが——このままだといつまで経っても果実水が注文できないなと思い直す。この時間帯、受付窓口はひとつしか開いていない。


「よかったら話を聞くけど?」


 声をかけると、受付嬢はあからさまにほっとした顔になった。


「あ、はい! その……こちらのお嬢ちゃん、いえ、お客さまが」


「冒険者の方ですか!?」


 がば、と、『こちらのお嬢ちゃん』が振り返った。


 としの頃はとおかそこらか。顔立ちは可愛らしいのだが、全体的に質素——というより粗末な服装だ。伸ばした髪をうなじでひとつに括っているが、その結び紐もかずらったもの。靴は土埃まみれで、頬に汚れも付いている。


 つまり、困窮している家の子だった。


「お願いします……依頼をしたいんです」


 少女は言った。泣くのを我慢するような、切実な顔で。


「お嬢ちゃん、何度も言ってるけど、冒険者への依頼料には最低額があるの。ギルドが規定してる手数料以下になる報酬額だと、受けることができないのよ」


 受付嬢の言うことは正しい。


 基本的に報酬額を決めるのは依頼主側であって、そこに下限はない。市場原理に則って、美味しいと思われれば希望者が殺到するし割に合わないと思われれば掲示板の飾りになる、というだけだ。

 ただ、表向きの依頼料を低額に設定し仲介料をわざと安くする——などの行為はさすがに困る。


 そこでギルドは、仲介手数料である『報酬の二割』に、最低額を提示している。それが二千レデッツ。

 つまり冒険者ギルドへは、一万レデッツの報酬を下回る依頼を出すことができない。


 これは規則であり、安易に破ってはならないものだ。たとえ相手が子供であっても。幼い子供への庇護欲や同情心につけ込んで小銭を稼ごうとする悪党はどこにでもいるのだから。

 

 特にこの子ような——貧しい身なりをさせるというのは、常套手段のひとつだ。


「でも、わたし……どうしても……」


 少女は唇を咬み、俯く。握った手は震えている。

 さっきは涙を堪えていたように見えたが、違うな、とレリックは思った。


 この顔は——泣くのを我慢している顔ではない。

 泣きたいけど泣いても仕方ないことを知っている顔。

 泣くのを諦めている顔だ。


 レリックは逡巡する。

 少なくとも、彼女のだけは本物のように見えたから。


 が、そんなレリックの脇を、す——と。

 フローがすり抜けていき、少女の前に腰を下ろした。


「話して?」


 レリックと違い、一切の迷いなく。

 目線を合わせ少女と向き合いながら、問うた。


 そんなフローに、少女は言葉のせきを切る。


「は、はい! あの……実は先月、迷宮ダンジョンで、お父さんが死んじゃって。お父さんの身体は戻ってきたんだけど、指輪が……お父さんとお母さんの結婚指輪はなくなってて! お父さん、指輪、とっても大事にしてたんです。お母さんももういなくて、それで。お母さんのことを思い出せる物も……もうその指輪しか残ってないんです」


 悲惨な内容にも、それを語る最中にも、少女は涙を見せない。

 今にも泣きそうな顔なのに、目を赤らめもせず、


「だから、その指輪を探して欲しいんです! でも私、お金……あんまりなくて。家にあるやつ全部持ってきたんだけど、これじゃ足りないって……」


「見せて。幾ら?」


 蓬髪ほうはつの隙間から覗く黒い瞳は、少女の感情を受け止める。

 いつものすがめではなく、しっかりと真っ直ぐに。


「その……これ」


 少女は握っていた小銭袋の口を開いて、フローに差し出した。

 中には百レデッツ硬貨が二枚と、千レデッツ硬貨が三枚——合計、わずか三千二百レデッツ。


「レリック」


 こちらを振り返らないまま、少女の頭にぽん、と手を乗せて、フローは言った。


「失せ物探しの最低額は三千二百レデッツからに改訂する。よき?」


 レリックは苦笑混じりに、受付嬢へと振り返る。


「……と、いう訳だ。職員としていろいろ言いたいことはあると思うけど、きみの同僚にネネってのがいるよね? 態度のきゃんきゃんしたやつ」


「あ、はい。ネネ先輩、わかりますけど……言い方?」


「責任は全部あれに押し付けといてくれ。きゃんきゃん言ってきたら蹴ってもいいから」

「いやですからその、言い方」

「じゃあ、そういうことで。ああ、斑林檎まだらりんごの果実水三つ頼める?」


 実のところ。

 フローは他人に興味がないように見えてけっこうなお人好しで。

 レリックはそんなフローの希望を、退けたことはないのだった。







―――――――――――――――

1レデッツ=1円くらいの感覚です。

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