脳髄に虚空あり、故に空亡と呼ぶ
昼下がりの冒険者ギルドはどこか気怠げだった。
ロビーにたむろする冒険者はやる気の欠けた輩たち。依頼の手続きが少ないため受付嬢にも覇気がない。眠くなる時間帯ということもあって、間延びした空気が漂っている。
そんなロビーの片隅に置かれたテーブルに、ひと組の男女が居座っていた。
レリックとフローである。
テーブルに向かい合ったふたりは、いつもと同じように過ごしている。つまりレリックは読書に勤しみ、フローはひとり
そんなふたりの元へ、近付いてくる者があった。
「うぇーす。果実水のおかわりいる?」
女である。
歳は二十を少し過ぎた辺りか。冒険者ギルド受付嬢の制服で身を包み、しかししどけなく着崩している。褐色の肌と灰の髪は西方に住む遊牧民族に多く見られる特徴で、大きく開けた胸元と
彼女は果実水の並々と入った
「うぇーす」
フローが女に真似っこの挨拶を返した。
「……ネネのその変な言葉遣い、フローがちょっと影響受け始めてるんだけど」
レリックが
「フローちゃんうぇーす! 今の盤面どんな感じ?」
「先手の私が速攻を仕掛けた。後手の私は桜花の陣形で応戦。今のところ私が有利」
「いやどっちの私よ」
無視であった。
「こっちの私。でも四の八にある
「なるほど? わかんねー!」
きゃらきゃらと楽しそうに笑うネネ。身をよじらせるとともに豊満な胸がゆさゆさと揺れる。わざとやっていることをレリックは知っている。わずかでも胸や脚に目を遣るとしめたとばかりにからかってくるのだが、果てしなく面倒くさいのでやめて欲しい。あと、そんな仕草までフローが真似し始めたらどうするのだ。
「ま、よき。ところで調査終わったよ」
——などと、考えていると。
ネネが、ぱん、と両手を打ち鳴らし、声の調子をひとつ落とした。
それが合図。
レリックたちのいるテーブル、その周囲の空気が変わる——正確には、そのテーブルだけがロビーの空気から切り離される。
さっきまでネネの胸の谷間でにやにやとしていた冒険者が、興味を失ったように凝視をやめた。騒がしさになにごとかとこっちを窺っていたパーティーが、まあいいやとばかりに掲示板へ視線を移した。
つまりは、誰もレリックたちに注意を払わなくなった。
ネネの『隠蔽結界』。意識を逸らし音を遮断する結界を自分の周囲に構築することのできる、
「アマリアちゃんには覚えてる限りの犯行を自供してもらった。行方不明者の身元がけっこう明らかになりそう。きみたちにはそのうち、遺品の回収を頼むことになるねー」
彼女は冒険者ギルド本部直属、冒険者監査局局員。
特級冒険者であるレリックとフローの『担当』なのだった。
「にしたってさー。きみら、アマリアちゃんがフィックスを殺すの、黙って見てたんだって? ちょいっとわろしだと思うなーそんなん。フィックスにもいろいろ聞きたかったんよ、こっちは」
もっとも、この軽薄な態度は監査局所属であることをしのぶ仮の姿とかではない。素である。
そして素であるのをいいことに、
「もしかして。幼馴染の仇討ち、ってことで、自分を重ねちゃったのかな?」
「うるさい」
時折、レリックへと無遠慮に踏み込んでくる。
「あいつが自滅して負った怪我は、どのみち助かるような深さじゃなかった。治癒の
「ふーん、そ。じゃあそれで」
「いいのか?」
「よきよき。そういうわがままも込みでうちらは
まあ、その無遠慮さをなんとなく許してしまう——そんな女性ではある。
「彼女……アマリアはどうなる?」
「本人は厳罰を望んでて、まあ実際、殺人に関与してたのは事実。ただ知っての通り、
「つまり?」
「救護院での強制労働、期限は一生。あの子には、殺した数の何百、何千、何万倍の命を救ってもらう。本人もそれがいいってさ」
「……そうか」
レリックは息を吐いた。
命を助けることが命を奪ったことの
ただ口ぶりからするに、これはアマリアが自ら受け入れた道らしい。
ならばもう、そこが落とし所なのだ。
自分たちも同じだ。
レリックもフローも、これまで何度も人を殺してきた。
もし今ここに『無二の黎明』メンバーの家族が現れ、彼らを返せ、罪を償えと言われても、レリックは答えに窮し——結果、首を横に振るだろう。
だって自分たちはアマリアと違い、まだ落とし所に辿り着いていないのだから。
特級冒険者をやっているのも、正義感や道義心によるものではない。
ただ目的があっただけ。
目的を果たすための道程に、特級冒険者という選択肢があっただけ。
そしてその道程にある邪魔なものは、手段を選ばず踏み潰すだけ——。
向かいに座るフローを見る。彼女は目が合うと、無表情のままこくんと頷いた。
「……で、話はそれだけじゃないんだろ?」
ネネに問うと、彼女は「まーね」と頷いた。
「アマリアちゃんの話から裏が取れたよ。フィックスたちに手口を教唆した奴らがいるねー」
中層の
行うに容易で儲けも多く、しかし一方で露見する危険は高い。
中層には確かに僻地的な区画が多いが、かといって絶対に誰も来ないとは限らないのだ。人通りの少ない路地裏で強盗をするのと、実際のところはさほど変わりない。
だが、彼らの犯罪は成功し続けた。
その理由はひとつ。彼らが他の冒険者を連れ込んでいたのが、
「僕らの戦った、ハルトの遺体があったあの小部屋……それに加えて、あの辺り一帯。おそらく、ここ最近になってできたものだ。ギルド発行の地図には載っていない」
人の手によって作られた場所であったからだ。
「っしょ? フィックスの荷物から押収した地図も、ギルド発行のやつとは違ってたよ。描かれてない細道やらがちょいちょいある。中層はめーっちゃ入り組んでるから、ぱっと見じゃ気付かないんよね」
ギルドが公式発行している迷宮の地図は、冒険者たちが
つまり地図に描かれていない道など、本来存在しているはずがない。
「……そして、
フィックスたちは他の誰か——第三者に
しかもご丁寧に地図まで渡され、ここで追い剥ぎをするのがいいよと教えてもらったのだ。『誰か』お手製の、拡張した道の記された中層の地図を。
「あいつらか?」
「それはまだびみょー。でも、迷宮に新しく道を掘る、なんて、普通の人はできないよ。それこそ
「地図を改訂しないとな。何年ぶりだ?」
「何十年ぶりじゃない? まー、それはやるとしたら『
「……いつも思うんだけど、その二つ名ってなんとかならないのか?」
「ならないねえ。諦めちゃった方がいいぞ? てーかいうて、きみのことなんだよなあ……特級冒険者、序列四位『
姿なくとも天に
人も魔物も
目立つのが嫌いな本人は、そう呼ばれると顔をしかめるのみである。
「まあ、確かに。担当受付嬢さまの言う通り、やることは変わらない」
※※※
レリックとフロー。
迷宮の失せ物探しを専門にするふたり組パーティー『落穂拾い』。
いかに深層であろうとも潜っていく。
いかに凶暴な魔物が
いかに凶悪な罠もすり抜けていく。
いかに小さなものであっても見逃さない。
いかに
必ず探しだす。
そう、必ず。
今回の事件の黒幕も——いつか必ず探しだし、その手で暴くだろう。
―――――――――――――――
最初のエピソードとなる第一話はこれで終わりとなります。
ひとまずはここまで読んでいただき、ありがとうございます!
基本的にはこのように「レリックとフローのふたりが依頼を受ける→なんやかんやあって解決」という流れのエピソードを重ねつつ、大きなお話も少しずつ進んでいく……という構成にしたいと思っております。
またここまで読んでもし面白いと思ってくださったら、フォロー、★評価、またレビューなどを是非よろしくお願いします。
ランキングが上がったりレビューが増えればより多くの方の目に留まり、読んでもらえるようになるので、ご協力くだされば嬉しいです。
それでは次のエピソードで。
引き続きお楽しみください。
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