奈落について
天蓋都市ヘヴンデリートの直下に穿たれた巨大な蟻地獄——。
『
地下一階にあたる上層上辺は、ヘヴンデリートの街に匹敵するほどの面積を誇る地下空間だ。それがひとつ下、上層中辺となると上辺よりもほんの少し狭くなる。上層下辺になるとまた狭く。そこから更に中層が三辺、下層が三辺、深層が三辺……と全十二層に及びながら蟻地獄の底に向かっていき、現在確認されている最も深い場所——深層下辺は、およそ五百
そこには九頭九尾の古龍が棲んでおり、侵入した者を問答無用で
つまりはこの深層下辺が、一旦の『底』であり、故に、蟻地獄のような構造らしい——と、言われている。
或いは。
九頭龍の横たわる腹の下の地面には、まだ縦穴があるのではないか。
蟻地獄ではなく、砂時計なのではないか。
冒険者たちは、研究家たちは、好事家たちは、商人たちは——もしかして、と物語る。
深層の更に下、本当の底の底。
ひょっとしたらあるかもしれない、星の中核に最も近いどん詰まり。
そこに未知の資源か、世界の真理か、歴史の秘密か。
もしくは、そのすべてかが眠っていたとしたら——。
実在が証明されていないその最終階層を、人は『
※※※
とはいえ現実問題、冒険者といっても、上層から中層をうろつき日銭を稼ぐ輩がほとんどだ。
下層を探索できるパーティーはひと握りで、深層に至っては数えるほど。
地下へ潜れば潜るほど採取できる資源の価値は高くなっていくが、比例して出現する魔物は凶悪になるし、迷宮内の環境も厳しくなる。武力、体力、知力、そして生存能力——そうしたものを『持った』冒険者でなければ、下層より先に行くことはできない。
さても上層である。
『
天蓋都市の方々に設置された昇降階段から降りると、そこにあるのは見渡すばかりの広野。太陽もないのに明るく、草木が生い茂り獣たちが
上層の景色は上辺、中辺、下辺すべてでさほど変わらない。が、中辺より先に潜ると危険度は増す。今回の『落穂拾い』の——ひいてはフィックスたちの目的は中層の少なくとも半ば以降。たとえフィックスが手練れであっても、荷物持ちだの振り子使いだのの足手まといを連れていては呑気にとはいかない。
——と、考えていたのだが。
「こっち」
フィックスの経験上、ありえないことだった。
普通なら避けるべき茂みに躊躇なく突っ込む。すると茂みの中には獣どころか毒虫すらいない。
見晴らしのいい平野を迂回する。なれば未来を読んでいたかのように、平野のただ中にひょっこりと面倒そうな魔獣が現れる。
いきなり直角に曲がったのは何故かと問うと、この先に罠があるからだと返ってくる。いつもなら鼻で笑うところだが、こうまでトラブルを回避し続けると、さすがに嘘や酔狂だとは思えない。
なるほどエルフは
ただ一方、フィックスは驚嘆すると同時、不満も感じていた。
彼は曲がりなりにも準二級冒険者である。今のパーティー『ふたりの木漏れ日』としてはまだ中層上辺より先に足を踏み入れていないし、二つ名の謂れである
故に、まどろっこしいのだ。
こんなふうに迂遠な手段で、戦闘を避けながら進む迷宮探索は。
「もう少し早くはならないのか?」
指先で剣の柄を苛立ち紛れに叩きながら、フィックスは『落穂拾い』に問うた。
「俺たちがいるんだ、そこまで戦闘を避ける必要はないだろう。それとも準二級の俺を信用していないのか?」
冒険者の等級は十に分かれている。
駆け出しとしての準五級から始まり、最高位である一級まで。フィックスの準二級というのはつまり、上から数えて四番めだ。
もちろん、彼自身は己のことをまだまだ発展途上、そこに留まる器ではないと思っている。
「準二級は、五人以上のパーティーで下層を探索可能という目安だ。お前たちが何級かはどうでもいいがそのくらいは知っているだろう? つまり上層なんてのは、俺にしてみれば民家の庭先も同じ、わざわざ戦闘を避ける理由もない」
もちろんただ探索するだけではなく、少なくとも下層上辺の魔物に太刀打ちできる武力を持っていなければ昇格は認められない。そういう意味で、戦闘を徹底的に避けている『落穂拾い』たちが——たとえ深層の探索も請け負える身であろうと——フィックス以上の等級であるわけもなし。
その代わりにとばかりに、レリックがわずかに溜息を吐いて応えた。
「今回の目的はあなたの『聖剣』だ。僕らとしては契約上、可能な限り迅速にこれを達成する必要がある。故に、失せ物探しに関係のないことは一切しない。あなたが魔物を倒しても、解体や剥ぎ取りを待ったりはしないってことだ。いいのか?」
「……魔物を倒して、死体をそのまま放置しろというのか?」
迷宮内の魔物で最も使える部位が少ないといわれる
「もし狩りをしたいんなら、以降は別行動だ」
レリックの返答は
「そもそもの話、迷宮内では僕らの方針に従ってもらう、というのが同行する条件だったはずだ。僕らは別にきみたちが一緒でなくても構わないんだから」
「……は、言ってくれる」
苛立ちが勝り、思わずフィックスは言葉に殺気を込めた。
戦闘職でもない外れ
本来ならば準二級の自分に対して
そう——同じ『荷物持ち』だった、あいつのように。
「フィックス、やめてください」
そんな罵倒を発しかけたところで、手を握ってくる細指があった。
「……アマリア」
『ふたりの木漏れ日』、その片割れたる
「そんな程度のことで熱くならないで。上手くいっている限り、私たちが……いいえ、あなたが前に出る必要はないんです。余裕を持って後ろで大きく構えておいてください」
彼女は穏やかな、しかし有無を言わさぬ調子でフィックスの掌を撫でる。同時に精神安定系の魔術でも使ったのだろうか、怒りが落ち着くような感覚があった。
「何度でも言います。私たちの目的を忘れないで」
同時にアマリアは、声をひそめて目配せとともに、フィックスを諫める。
「ああ……そうだな、その通りだ」
目的。
アマリアが案じるように、忘れていたわけではない。
フィックスは、聖剣ブルトガングを探し出さねばならない。
どうあっても、
故に『落穂拾い』に同道したのだ。
彼らに任せて待っているのではなく、一緒に行く必要があったのだ。
この三下どもが壮語に違わず失せ物を探し出すというのなら。
その現場に——自分たちもいなければならないのだ。
「ありがとう、アマリア」
フィックスは深呼吸とともに心を引き締め、忠言をくれたアマリアの頬を撫でた。
アマリアは
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