第1話 中層:折れた聖剣

コーデクスとチェス

 昼下がりの冒険者ギルドはどこか気怠げだった。


 依頼の取り合いになる早朝や迷宮帰りの者らでごった返す夕刻と違い、たむろする冒険者は遅くやってきたか早めに切り上げたかの、やる気が欠けた輩たち。素材や金銭のやり取りも規模が小さく、受付嬢にも覇気がない。昼食時の眠くなる時間帯ということもあって、間延びした空気が漂っている。

 

 そんなロビーの片隅に置かれたテーブルに、ひと組の男女が居座っていた。

 いずれも歳若い、少年と少女である。


 少年の方は十七、八か。赤褐色の髪をざんばらに、特に害のなさそうな、一方で華もない、薄ぼんやりとした面立ちをしている。中肉中背でやや小柄な体躯もまた特徴がない。身軽そうな軽装は支援職サポートらしきもので、目立った武装もしていない。


 少女の方は少年よりもほんの少しだけ歳下に見えた。尖った耳が頭の両側から伸びる、つまり妖精族エルフである。まなじりも鼻筋も唇もエルフの例に違わず端正で形よく、造形だけでいうのならばぞっとするほどの美少女——なのだが——波打った黒い蓬髪の野暮ったさと首を傾げたすがめの陰鬱さが、見目麗しさを台無しにしている。纏ったローブはいかにも魔道士キャスターのようだが、杖も持っていないのであくまでそれっぽいだけ。


 テーブルに向かい合って座ったふたりだが、会話を交わす様子はない。

 少年は分厚く大きな書物コーデクスを広げ、読み耽っている。対して少女は携帯用の遊戯盤でひとり軍棋チェスをしていた。


 はっきり言えば、奇矯ききょうである。読書もひとりチェスも、冒険者ギルドのロビーで興じるようなものではない。

 各々の手元にふたつ置かれたグラスはかつて果実水が注がれていたはずだが今は空。おかわりを頼む様子もなく、動きといえば少年のページをめくる指先と、少女の駒を動かす手先のみ。


 周囲から話しかけられることすら拒絶しているかのような雰囲気のふたりだったが、そんな彼らへと近付いてくる者があった。


「ちょっといいか」


 声をかけられ、少年が顔を上げる。

 そこに立っていたのは——奇しくも彼らと同じような、男女のふたり組であった。


 けれど彼らを陰とするならば、こちらは陽であろう。


 青年、歳の頃は二十歳を超えたあたりか。光沢のある高価そうな軽鎧、整えられた金髪、すらりとした長身、眉目秀麗な顔立ち。雰囲気に華のある男である。

 女、男と同年代に見える。長い髪を後頭部でくるりシニヨンにまとめ、回復役ヒーラーらしい白を基調としたローブに身を包んでいる。誰もが振り返りそうな美貌に貞淑そうな雰囲気を纏い、青年の横に控えていた。


「なにか?」


 眩いばかりのふたり組を前にして、少年は気負ったふうもなく問い返した。書物コーデクスをぱたりと閉じてテーブルの上に置く。表紙には『グレミアム王国拷問史』とあった。

 書名を目にした女が、趣味の悪さに眉をひそめつつも尋ねてくる。


「……迷宮の失せ物探しを専門にしているパーティーがいると聞きました。あなたたちがそうなのですか?」


 だがそんな女を制するように、青年は少年の前に出、嘲るように唇を歪ませる。


「なあアマリア、こいつらとは違うんじゃないか?」


 アマリアと呼ばれた女は青年に視線を向け、


「でも、情報屋さんのくれた通りの風貌です、フィックス」


 どこか切羽詰まったような目をして青年の名を呼ぶ。


「確かに情報通りではある……が、それにしたってがまるでない。迷宮のどんな深部にも潜り、いかなる失せ物も探しだす一流の『捜索屋』……だったら腕が立つのは最低限のはずだろう? はっきり言って、こいつらがそれに相応しい強さを持つとはとても思えない」


「失礼でしょう、フィックス!」


「事実だよ。職分ロールも定かでない軽装の男に、後衛職の魔道士キャスター。どう見たってまともに機能しないじゃないか。他に仲間がいるにしたって、このふたりがそもそも足手纏いになりそうだし、こういうのを抱え込んでるパーティーなんてたかが知れてる。あ、それともひょっとして、こいつらはただの窓口だったりするのか?」


 初対面の相手に対してなんとも失礼な物言いである。気の短い冒険者であればいきりたって剣の柄に手を掛けるところだ。


 ただ少年はまったく動かなかった。ほんのわずかに目を細めたが、それにいかなる感情が込められているのかは定かでない。そも、仮に怒りを覚えていたとして、腰にも背にも、抜くべき獲物などひとつも装備していない。


 青年への抗議すらなく、だが、少年の対面に座った少女がつぶやく。


「うーん、チェックメイト。わたしの負け」

 テーブルに置かれた遊戯盤、並べられた駒を眇に睨みながら。


「……フロー」

 少年が遊戯盤を一瞥し、少女の名を呼んだ。

「なに? レリック」

 少女——フローが、少年——レリックに返答する。


「まだチェックメイトじゃない。四の五に竜騎兵ドラグーンだ」

「…………あ、ほんとだ」


「おい!」


 こうなるといきりたつのは青年の方である。

 声を荒げて一歩を踏み寄り、


「こっちを無視するな! 窓口なら窓口らしく……」

「……『フィックス』と『アマリア』。『ふたりの木漏れ日』か」


 威圧を放って言いかけたフィックスの言葉はしかし、レリックのつぶやきによって遮られる。


「つい最近になって結成されたふたり組デュオのパーティー。準二級冒険者"輝ける聖剣"ことフィックスが、それまでのパーティーを解散して無名のヒーラーを迎え入れた。人数も少なく日が浅いにもかかわらず、既に中層上辺まで進出している」


 まるで辞書をそらんじるかのように淀みなく、レリックは彼らの素性を言い当てる。


 数瞬の硬直と無言ののち、フィックスは大袈裟に肩を竦めた。


「……、ふ、ふぅん。これは俺もなかなか有名になったと言うべきかな。きみたちのような木っ端冒険者にも知られているとはね」


 言葉とは裏腹に態度には狼狽があった。

 確かに、準二級に到達し渾名もされるフィックスのことを知っている者は多いかもしれない。己が高名で当然という傲慢さもあるだろう。だがそれ以上に、直近の経歴や迷宮の進捗までもを言い当てられた不気味さが勝ったのだ。

 

 だがレリックはそんなフィックスに頓着することもなく続けた。


「なんの用だ? まあ、情報屋から僕らのことを聞いて来たんだったら用なんてひとつしかないんだろうけど」

「だったら、やはりあなたたちが」

「うん」


 アマリアの問いかけへひとつ頷き、


「窓口じゃない。僕らがだ。僕——レリックと、そこの彼女——フロー。パーティー名は『落穂おちぼ拾い』。いかなる失せ物だろうと、いかなる深層だろうと、値段次第でなんでも探しだして差し上げよう、お客さま」


 立ち上がった少年——レリックは、大仰に芝居がかった調子で左手を胸にお辞儀をする。


 そんなレリックにも、ましてやフィックスとアマリアにすら一瞥もくれず、少女——フローがチェスの駒を動かして呟いた。


「今度こそチェックメイト。私の勝ち。いえーい」


 手を挙げ、嬉しそうにレリックへと掌を突き出す。レリックは薄く溜息を吐きつつ、彼女に応えた。


「はいはい。いえーい」


 ぱちん、と。

 ロビーの片隅に、どこか間抜けな音が鳴る。

 その様子を胡乱げに眺める『ふたりの木漏れ日』。


「……やっぱり、誤情報なんじゃないか」

「っ……い、一応、話だけでも聞いてみましょう」


 擁護していたアマリアですら胡乱な視線へと変わる中、レリックたちはそれすらも意に介さない。


 昼下がりの冒険者ギルド。

 長閑で間延びした空気のまま、その依頼は幕を開けた。

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