番外編 Valkyrie 5(2) 

「俺をわらいに?」


「そうよ」


 サクラーシャは妖艶に微笑んだ。それを見て、レンチョーも口元を綻ばせた。


「何を今更。俺のような男はもう眼中にないんじゃなかったのか?」 


 レンチョーは未練を隠して強がってみせる。


 サクラーシャは、彼女のことを男の価値を上げるためのアクセサリーのような物としか見做さなかったレンチョーを見限った。


 レンチョーにとっては惨めな出来事であった。使われているのは自分の方であったと思い知らされた上に、サクラーシャをもう抱けなくなるという喪失感が去来したものだ。


 気がついたら、腕を組んで表情が硬くなっていた。サクラーシャは、そんなこちらの心情を見透かすように――当然見透かしているだろう――妖艶な笑みを浮かべている。


 サクラーシャは、この冥界でもトップクラスの地位にいる者しか客になれない、指折りの高級店で、多くの男をその色香で手玉に取ってきたのだ。


 戦闘能力を除けば、全てにおいて彼女の方がレンチョーよりも一枚も二枚も上手である。


 そんな女を侍らせて自分の価値を上げたつもりだった。だが、このような未練と屈辱に苛まれるならば、そんな女はどこか遠くに行ってほしいものである。レンチョーの視界に入らないところに。


「フフ……どうかしらね?」


 サクラーシャが意味ありげな言葉を吐く。レンチョーは眉をしかめた。


「生憎、俺は今忙しいんだ。嗤いたきゃいくらでも嗤ってろ。じゃあな」


 レンチョーは、わずかに仲間の残った屋敷に戻ろうとサクラーシャとすれ違ったとき、彼女がこちらの肩に手を乗せてきた。


 怪訝な顔をして振り向くレンチョー。


「あなた、本当にそれでいいの?」


「何が言いたい?」


「あなたさえよければ、あの頃に戻ってあげてもいいわよ」


 サクラーシャが悠然と、こちらを見下すような態度で言う。


「何だと?」


 その言葉の意味するところが理解できず、レンチョーの思考が一瞬、空白になった。


「フフ……。続きは車の中で、ね? 私も時間がないのよ」


 Valkyrie5のライブの開催時刻が迫っているのだろう。レンチョーには関係のないことだ。


 そのとき、サクラーシャの二本の尾が、レンチョーの鱗に覆われた尾に絡みつく。


 あの頃の甘美な記憶が蘇り、背筋がぞくりとした。


「俺だって時間がない」


 努めてレンチョーは強がりを見せた。


 彼は自らが仕える主君であるウィーナと合流し、彼女を支えなければならないのだ。自分はウィーナの最側近。右腕なのだ。


「あなたはまだ時間があるでしょ? 話くらい車で聞いたっていいんじゃないかしら? この私のこんな気まぐれ、もう二度とないわよ?」


 サクラーシャは色っぽく、それでいて不敵な笑顔を浮かべている。


「ま、嫌なら無理にとは言わないわ。残念だけど、それじゃあね」


 サクラーシャは二本の尾を翻し、屋敷の外に停めてあるもう一台の魔動車に歩みを進める。


「いや、待て!」


 レンチョーはサクラーシャを制止する。サクラーシャは足を止め、横顔を見せ、唇を吊り上げて嗤った。






 気がついたら、レンチョーは魔導科学ギルドームへ向かう魔動車の後部座席に、サクラーシャと並んで座っていた。


 踊らされていると知りつつも、男の習性に抗うことができなかったのである。


 サクラーシャの抜群のプロポーションと美貌。それに加え、数々の一流の男を手玉に取り暗躍してきた女だという付加価値。


 そんなサクラーシャを自分の女にし、幾度となく抱くことが叶ったという過去は、甘美な思い出を通り越してもはやレンチョーの性欲を支配する桎梏しっこくに他ならない。


 一度味わってしまえば、他の女の如何に刺激の足りないことか。彼女の蟲毒こどくにすっかり冒されてしまたレンチョーは、もう一度寄りを戻せるという提案を断り切れなかったのだ。


「私、自分のお店を持つことになったの。夢だったの」


 サクラーシャはこう切り出した。


 レンチョーは、サクラーシャの熱い吐息と共に妖艶な唇から吐き出される自分語りを延々と聞いた。


 話を要約すると、Valkyrie5として活動していたのも、店をオープンする資金を得るためだったとの事だ。


 そして、王都最大の繁華街・シルバーストリートに、自らの店を構えるまでに至ったのだと。


「どう? ワルキュリア・カンパニーを離れて、私と一緒にお店をやっていかない? 私がオーナーであなたが雇われ店長。私、あなたの金儲けの才能は認めてるのよ?」


「ふーん……、つまり、俺が、お前の下につくと」


「そうよ。あなたが私に頼んで、私が受け入れてあげるの。あの頃とは立場が逆になったわね」


「俺がお前にそんな真似するとでも思ってるのか?」


「似合ってると思うわよ?」


「何?」


 レンチョーはサクラーシャを鋭く睨んだ。


 偶然か、魔動車がゴトリと揺れた。


「あなたは凶暴なのよ。女に飼い慣らされているくらいが丁度いいわ」


「ウィーナ様のことか?」


「ええ」


「言っていい事と悪い事がある。それだけは冗談では済まさんぞ」


 下心も忘れ、レンチョーの心中に怒りが湧き上がった。女に飼い慣らされているとは何事か。レンチョーはウィーナを主君として慕っているのだ。ウィーナに対して異性に向ける感情を覚えたことなど一度もない。


「レンチョーやめて。そんな怒らないで。謝るわ。ごめんなさい」


 そう言ってサクラーシャは腕を回し、レンチョーに密着してきた。豊満な胸が押し当てられる。


 そして足元では、サクラーシャから生える二本の尻尾も先程と同様にレンチョーの尾を捕える。


 レンチョーもそれに応えて、鱗に覆われた尾を絡める。付き合っていた頃はこれが彼女の癖になっていた。自分の尻尾の敏感な部分を、レンチョーの尻尾の鱗の凹凸おうとつりつける感触が気持ちいいらしい。


 こうして並んで座っているときや、夜の行為の後、ベッドで余韻を味わいながら眠りに落ちる過程で度々こうして尻尾を絡めてきたのだった。


 こうしていると、あの頃に味わった、サクラーシャという女と戯れることができる優越感が再生されてくる。


「ああ……」


 たとえ主君を愚弄されようが、こうされては許さざるを得ない。実際レンチョーのサクラーシャへの未練はどんどん肥大化し、早くも陥落寸前になっていた。


 肉欲が忠義に勝る。男とはどうしようもない生き物である。


「フフ、決定ね……」


 更にサクラーシャが体重を預けてくる。運転席の、サクラーシャのマネージャーは固く口を結んで、背後で何も起こっていないかのように黙々とドームへ向かって車を進める。


「だが、何故だ……なぜ俺を捨て、わざわざ寄りを戻そうとしてくる」


「決まってるでしょ。あなたがいつまでも意地張って追ってこないから、こっちから来てあげたのよ」


「なんか魂胆があるだろ」


「さあ、どうかしらね? あっても、私が手に入るんだから、いいんじゃないの?」


「……ああ……」


 サクラーシャの温もりに包まれ、レンチョーは気の抜けた返事をした。


「で、話は戻るけど、お店ね、女の子は揃ってるんだけど、男のスタッフが足りてないの。そっちの戦闘員引き抜いて来れない?」


「何で?」


「私のお店、シルバーストリートの一等地。あそこでやっていくには腕っぷしの強い男のスタッフが必要不可欠」


「お前程強きゃ、用心棒なんていらねえだろ」


 サクラーシャの強さは管轄従者の中でも上位で、Valkyrie5の中では最強である。


 管轄最低クラスで下手をしたら中核の上位の連中にも遅れを取りかねないルビー。


 強化人間となって自らの才覚を人為的に底上げして、その矯正されて得た力に完全依存しているナルスやフォトゥーナ。


 能力は高いものの、周囲から大事にされて強敵との戦いの経験が不足しているヴィナス。


 これらのメンバーと比べ、サクラーシャはValkyrie5のメンバーとなる前は水商売と戦闘員を掛け持ちしており、その水商売も工作員としての仮の姿に過ぎない。


 そこに関しては彼女はあまり多くを語ろうとしないが、客として現れる多くの要人から得た極秘情報を転がしているとしたら、その裏で相当に修羅場を踏んでいるのは間違いないだろう。


 彼女の強さは本物である。魔界の上級魔族・サキュバスの血が流れているということだ。それこそ用心棒なんて必要ないだろう。


「私、超忙しいの。ホントにもう、尋常じゃないくらい忙しいの。私の体は一つしかないから、いつもお店見てられないでしょ? だからあなたに店長任せたいのよ。それで強い戦闘員も引き抜いてこれたら……」


「ヘイト・スプリガンの一件で、もうほとんど逃げちまったよ。厳しいかもな……」


 レンチョーは表情を曇らせた。それでも、レンチョー隊の戦闘員が一番残っているという状況だった。


「ツモやロンは?」


「あの役立たず共はとっくに辞めたぜ。今何してるのかも分からん。……残ってる俺の直属で腕の立つ奴といえば、バングルゼ、リザルト、トリオンフあたりか。あとカネスタも」


「カネスタいらない。他はほしいところね」


 即刻否定された。とは言っても、リザルトはともかく、バングルゼやトリオンフがこの話に乗るとも思えないが。


「女の方は揃ってんのか? どっかから引き抜いたのか?」


「養成所の後輩達に働いてもらうの。だから美人揃いよ。みんなValkyrie5に憧れて入ってきたから、快く引き受けてくれたわ。みんな私達に少しでも気に入られようと必死なのよ」


「候補生に水商売させんのか? 事務所が許すのかよ?」


「寧ろエィーベックゥースーは乗り気よ。アイドルを夢見て家出同然で飛び出してきた子も多いから、どう稼がせるか困ってたのよ。レッスンはお金かかるからね」


「お前の発案か?」


「そうよ。開店資金はエィーベックゥースーからも出ている。アイドルの卵に会える店。中々いいアイディアでしょ?」


 サクラーシャが妖艶に微笑む。


「そんな世間を知らん家出少女に、レッスンの片手間でそんな仕事やらせてみろ。たちまちそっちメインになって夜の世界に引きずりこまれるぞ」


 別にレンチョーが心配するようなことでもないが。


「だったらその子は所詮それまでだったってことよ」


 サクラーシャはあっけらかんと言ってのけた。その言葉を聞いた運転席のマネージャーの横顔が微かに苦いものとなる。


「私は稼ぐ方法を提供してあげるだけ。あとどういう道を選ぶかは本人の意思だもの」


 何という詭弁だろうか。やはり彼女はヴィナスやルビーより数十倍は大人である。


 レンチョー思わずニヤリと口元を綻ばせ、「怖い女だな」と漏らした。


「あなたに言われたくない。フォトゥーナを強化人間にしたじゃない?」


「あいつが望んだことだろ。俺に感謝してるよ」


「詭弁ね」


「何でだよ。そりゃ詭弁じゃねえだろ」


 こちらが思っていたことを逆に言われてしまい、一笑に付すレンチョー。


「私は違うわ。私が酷い女だと思って? 事実私はその道を歩んできて、今の私があるのよ?」


「それはお前が強かったから歩めたんだ。大多数の凡人が実践してみろ。すぐ夢敗れ、夜の女のでき上がり。儲かるのはお前とエィーベックゥースーだけだ」


「フフフ……。どう? 私のやり方は? 感想を聞かせてほしいわ」


 サクラーシャは、レンチョーの顔の左半分を覆う鱗を優しい手つきで撫でた。


「エグいが、うまいやり方だな」


「でしょう? じゃあ、お仕事の話はおしまい。もう、久しぶりなんだから……」


 そう言ってサクラーシャが唇を重ねる。レンチョーはもはやされるがままだ。


 この甘美な空間の中で、何か大事なことを忘れているような気がしている。


「メイクが落ちちゃうからこんなもんだけど、後で私の晴れ姿、見てね」


「晴れ姿」


「そうよ。関係者席。楽屋にも入れる」


「ああ、それは、また今度だ」


 レンチョーはサクラーシャの胸に顔を埋めながら言う。サクラーシャはレンチョーの頭に生える角を指でつまみ、スリスリと撫でる。


「今度って?」


「お前もウチの状況知ってんだろ。今日は急用ができた。そろそろ戻らないと」


「もう遅いわよ」


「いや、そんなすぐに事が動くわけじゃねえ。遅いってこたあねえだろ……」


「もう遅いの。あなたはもうウィーナの所へは戻れない」


「何で?」


「もうあなたは現に裏切ってる。この車に乗った時点で」


「それはそれ、これはこれだ。はあ……この辺でちょっと停めてくれ」


 レンチョーが身を起こしてマネージャーに言う。この程度のことで裏切りと見做される程、ウィーナは狭量な人物ではない。


「駄目よ。あの頃に戻りたいでしょ? ウィーナへの忠誠、私に向けるんじゃ駄目?」


 サクラーシャの目は、随分と真剣に見えた。そして、「私はほしい。あなたの、そのウィーナに向けている気持ちを。私がずっと欲しかったのはそれなの」と続けた。


「『様』をつけろ」


 さっきからどうも、呼び捨てが気になっていた。


「私もう辞めてるもん」


「そういう問題じゃない。正真正銘の神だ。あのお方は」


「別に冥界の神様じゃないでしょ?」


 サクラーシャがレンチョーを抱き締め、頭部を更に強い力でその豊満な胸に、ぎゅっと押し当てる。息苦しい。


「うぷぷ……。ほりゃあほうらが……」


 胸に顔が埋まって半ば窒息状態であり、うまく発音できない。


 レンチョーはしばし逡巡した。こんなことでいいのか? 今こそ主君が右腕であり第一の部下である、このレンチョーの力を欲しているのではないか?


 もし、ウィーナがもうレンチョーを必要としていないのであれば、それはそれでよかろう。


 ただ、もしそうでなかったとしたら、今のレンチョーが置かれている状況は、ウィーナの右腕として正しい姿ではない。


「もう、勝利の女神は力を失っているんでしょう? 仕える価値なんかないわ。このままあの組織にいても『勝利者』にはなれない。あなたが好きな勝利者には……」


 サクラーシャが甘くささやく。


 そもそも、レンチョーがウィーナに仕えているのは、ウィーナに力があったからだろうか。


 そうではないはずだ。レンチョーが仕えている理由は、『ウィーナがウィーナだから』である。


 ウィーナの存在がそれすなわち勝利そのものなのだ。力の有無など関係ない。たとえウィーナの力が失われようと、このレンチョーがいる限り組織はいくらでも息を吹き返す。問題は何もない。


 それならば、後はウィーナ自身にその気があるかないかである。ウィーナにその気さえあれば、あとは自分がウィーナをいくらでも勝利者にしてみせる。


 ウィーナは常に勝利者でなければならない。ウィーナは勝利の女神だからだ。ウィーナをそのような存在たらしめるために自分がいるのである。そのためにはどんな手段でも使う。今までも。これからもだ。


「あんっ……」


 サクラーシャは熱っぽい声を漏らした。その瞬間、レンチョーの下半身がビクッと反応し、主君への忠節が忘却の彼方へと押しやられていく。


 サクラーシャがレンチョーの手を取り、先程から車の振動で振り子のようにゆらゆらと揺れる、チェーン状のヘソピアスを指でいじらせた。


 そして胸からレンチョーの頭を離し、再び唇を重ねる。


「んんっ……」


 先程はメイクを気にしていたが、今度は遠慮なく舌を入れてきた。レンチョーも抵抗せずそれを受け入れる。


 そして、舌に開けているピアスをレンチョーの歯にコツコツと当てるのだ。キスの最中に、耳に金属音が体の内側から鳴り響くという独特な感覚に襲われる。


 これも懐かしい。サクラーシャはこの感触が好きで、キスする度にこれをやりたがった。


「ん゛ん゛っ! ん゛ん゛~っ!」


 マネージャーがルームミラーに映る二人の様子を流石に見かねたのか、自重を促すかのようにわざとらしく咳払いをするが、二人はまるでこの空間にマネージャーなど最初からいないかの如く無視した。


 マネージャーは諦めたかのようにそれきり黙り、運転に集中する。


「ね、いいでしょう? 決定ね」


「う~ん……」


 サクラーシャは唇を離し、今度は頭を下げ、額の中央に刻まれた神秘的な雰囲気を放つ六芒星に、レンチョーの唇を当てた。


 こうしていく内に、どんどんレンチョーの決意は鈍っていった。


「せめてカーテンぐらい閉めようか」


 マネージャーが後部座席に呼びかける。


 魔動車は、次第に城下町のメインストリートへ近づき、往来の人々も多くなる。


 車の中でValkyrie5のサクラーシャが見知らぬ男とイチャついているのを目撃されたら大問題である。


 レンチョーとサクラーシャは窓のカーテンをサッと引き、外界の景色を遮断した。




◆◆◆◆◆◆




「どけどけー! 冥王軍警察のお通りだーっ! 一般ピープルのクズ共は道を開けろーっ!」


「どけオラァ! こちとらテメーらの税金で飯食ってる天下の官憲様だぞ! 搾取されるだけの下層市民は上級市民様に道を開けろーっ! 負け組どもめーっ!」


「急がねーとライブに間に合わねーぜ! なんたって今日はサクラーシャちゃんと握手できんだからな!」


 魔動パトの外部スピーカーから通行する市民へ向けた怒声が鳴り響く。


 車内にいるのは冥王軍警察部隊の下級兵士、ポッカリ、アクエリア、エネルゲ、ダーカラの四人だ。


 軍警察隊保有の魔動パトのサイレンをけたたましく鳴り響かせ、城下町のシルバーストリートを爆走していた。


「うわーっ!」


「ひえーっ!」


「警察だ、逃げろーっ!」


「因縁つけられたらたまったもんじゃないよ! 逃げろ逃げろ!」


 道を歩く人々などお構いなしに、路上を我が物顔で暴走する魔動パト。


 冥界において、魔動車は王都などの主要都市でごく一部の者達が所有しているに留まり、冥界人に広く普及しているわけではない。


 なので当然、城下町の道は魔動車と歩く者で分けられているわけではない。人々は、ど真ん中を突っ切る魔動パトにかれまいと、慌てて横に飛びのいていく。


「ひゃっほ~い! 国家権力舐めんなよーっ!」


「ヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘ~イ! テメーら全員公務執行妨害で死刑だーっ!」


 魔動パトの内部にいる先程の四名の他に、車の天井には下級兵士アミノバが腹ばいでしがみついており、後部のトランクには下級兵士バーンタイプが乗り込んでおり、合計六名。無論こんな乗り方は違法乗車である。魔動パトはValkyrie5の曲が録音されている魔石波動プレートを大音量で轟かせ街中を暴走する。


「ヒャッハー! 早くサクラーシャちゃんに会いたいよーっ!」


「あああああっ! サクラーシャちゃ~ん!」


 この六人の兵士は、全員Valkyrie5の、特にサクラーシャの大ファンであった。ギルドームのライブに向かう途中なのだが、見ての通り、軍の魔動パトを私用で使っているのである!


 おまけに大音量でサイレンやValkyrie5の楽曲を鳴らし、周囲の一般市民にスピーカーで罵声を浴びせオラつく! 挙句の果てに白昼堂々の危険運転ときている!


 おお……アーメンダブツ……! アーメンダブツ! 腐っているっ……! 腐っているっ! 


 栄光ある冥界王都の法と秩序はいつからここまで乱れてしまった? 正義は死んだのか?


 おお、賢明なる読者諸氏よ! 私は声高に訴えたい! 何と嘆かわしい光景であろうか? そう思わぬか?


 何という傍若無人! 何という破廉恥はれんち! 軍人の誇りはどこへいったのであるか!? 


 そう、冥王アメリカーンの治世下にあって、最早、軍の腐敗は頂点に達していたのだ!


「おい、ところでギルドームに行くにゃどこ曲がればいいんだ?」


 運転席のポッカリが助手席のアクエリアに聞く。


「え? 一度も行ったことねーから分からん」


 アクエリアが言う。


「何? 誰も場所調べてねーのかよ?」


 後部座席のエネルゲが他三人を見回すが、隣のダーカラも「知らない」と首を振る。


「やべえよ。ライブ始まっちまうぞ!」


 エネルゲが焦る。


「まあ、シルバーストリート沿い走ってりゃその内見えてくるだろ。とりあえず進むぜ! ヒャッホーイ!」


 ポッカリが更にアクセルを踏みこみスピードを上げる。


 あわわわわわ! 何という無謀運転! 堕落した軍人のモラルの欠如と命知らずぶり、まさしくここに極まれり!


「轢かれたくなきゃどきやがれ! この下級戦士共がーっ!」


 アクエリアが外部スピーカーのマイクに向かって怒鳴る。暴走車の存在に気付き、必死で道を開ける通行人達。


「この辺にあるんじゃねーのか? 探せ探せ!」


 ポッカリが左右をキョロキョロ見回して会場を探す。その際、不意に前方の注意がおろそかになっていた。


 賢明な読者諸君なら、既にストーリーの展開が読めているだろうと思う。


 そう、お察しの通り、この前方不注意が後にとんでもない大惨事を招くことになるのだ!




◆◆◆◆◆◆




「な、何だあの車? 危ない! 危なーい!」


 そう叫んだマネージャーがいきなり急ブレーキを踏んで停止した。


 衝撃でレンチョーとサクラーシャは前につんのめる。


「きゃっ!」


「おい、もうちょっと優しく……うおっ!? 何だコイツ!?」


 レンチョーは仰天した。


 何と前方から、サイレンを鳴らした魔動パトが、凄まじいスピードでこちらに突っ込んでくるのである。


「ええ、ちょ? ちょ?」


 サクラーシャもドン引きした様子で目を見開き、迫りくる対向車を見据える。


 マネージャーは急ブレーキを踏むと同時にクラクションを鳴らして警告していたのだが、全く減速する気配がない。


「くっ! 脱出!」


 マネージャーが突然運転席脇のレバーを倒すと、その瞬間、天井に穴が開き、マネージャーとサクラーシャの座席が噴煙を巻き上げて遥か天空へ飛び出した。


「なっ……!?」


 静止状態の車内に一人取り残されたレンチョー。突如のことに思考が空白になる。前方には暴走する魔動パト。


「いかんっ!」


 レンチョーがドアを蹴破って車から飛び降りたのと、魔動パトが正面衝突してきたのはほぼ同時だった。




◆◆◆◆◆◆




「おいポッカリ! 前! 前!」


 ダーカラが仰天して身を乗り出す。前方に対向車が迫っていたのである! 


「え? ぎゃああああ~っ!」


 対向車は慌てて急ブレーキで停止したが、魔動パト側はスピードを出し過ぎていたことに加え、わき見運転でポッカリの反応が遅れておりどうにもならない! 南無三!


「ぐわああああっ!」


「うげええええっ!」


「ぎょええええっ!」


 車同士は派手に正面衝突!


 魔動パトの前部は完全に潰れてひしゃげ、運転席のポッカリと助手席のアクエリアは人の原形も留めずグチャグチャになり即死!


「アババーッ!」


 天井のアミノバは200メートル前方に投げ出され地面に激突! 全身を強く打ってバラバラになり即死!


 後部座席のダーカラとエネルゲは咄嗟に前部のシートにしがみついていたが、車に潰され全身血まみれで死にかけの重体! 辛うじて生きてたレベル!


 トランクのバーンタイプは体を車体に強くぶつけたものの、打ち身程度で済んで軽傷! 慌てて車から転げ落ちる!


「事故だーっ!」


「大変だ、警察隊に連絡しろーっ!」


「誰か手を貸してくれーっ!」


 事故現場はあっという間に黒山の人だかり。野次馬もぞくぞくと集まる。


「痛い痛い痛い痛い痛い! 痛あああああい! 痛いいいいっ!」


「あああぁぁ……へあああ~……。死ぬうぅぅ……助けて……助けてええっ……!」


 駆けつけた群衆の手により、潰れた車内から虫の息のエネルゲとダーカラが救助される。


「あそこだ!」


「怪我人は何人いるのだ!」


「これってもしかして、警察ウチのパトじゃないの……」


 すぐに警察隊の兵士と白衣姿の衛生兵が大勢駆けつけ、エネルゲとダーカラを担架に乗せ、回復魔法をかけながら運んでいく。


「もう生存者はいないのか!?」


 衝突して滅茶苦茶になった二台の車の周りを、大量の兵士達が取り囲み、直ちに現場検証が始められる。


「どいたどいた! 野次馬は離れててくれ!」


 遥か遠方へ放出され粉々に砕け散ったアミノバの、血だまりの上に骨片や肉片が散乱している方へも、兵士達が野次馬をかき分けながら走っていく。


「やっぱ片方は魔動パトじゃねーか! 警察隊がこんな事故を起こしたら、また問題に!」


 兵士の一人がうんざりした様子で言った。


 怒号飛び交う現場の様子を半ば放心状態で眺めるバーンタイプ。


 そのとき、バーンタイプは相手方のひしゃげた魔動車の側で服の埃をはたいている、顔の半分が鱗に覆われた爬虫類タイプの男・レンチョーの存在に気付いた。


 おそらくあの男が相手方の運転手であろう。バーンタイプが怒りの形相となった。


「貴様、よくもおおおっ! 死ねええええっ!」


 おお、見ているか読者諸君! 重ね重ねの暴挙だ!


 バーンタイプは腰の鞘から軍刀を抜き、レンチョーに向かって斬りかかる! だが、レンチョーは腰に提げた鞭を手に取り、バーンタイプに激しく振るう!


「アビバーッ!」


 リーチの長いエレメンタルチェーンの方が先に相手を捉える! 当然の結果だ! 下級兵士バーンタイプ如きが、仮にもワルキュリア・カンパニーの幹部を務めるレンチョーに敵うはずがない!


 バーンタイプは一発で吹き飛ばされ衛生兵達の前に転がる。


「もう一人怪我人がいました!」


「よし、すぐ運べ!」


 レンチョーに返り討ちにされたバーンタイプも担架で担がれ、運ばれていった……。


「どこの魔動車だ?」


 警察隊がサクラーシャの魔動車を調査していると、突如魔動車のエンジンが激しい魔力と光を放ち始めた。


「い、いかん! 魔導炉が暴走してる!」


「反律魔法で抑えろ!」


「間に合いません!」


「離れろ離れろ!」


「あ、危なーい!」


「伏せろ!」


 車の調査をしていたり、目撃者から事故当時の様子を聞き込みしていた兵士達は、すぐさま魔導炉の臨界を察知し、呆気に取られていた野次馬達の盾になるように覆いかぶさる。


 その瞬間、サクラーシャの魔動車は魔動パトを巻き込み炎上爆発!


 身を挺して野次馬を庇った兵士達の背中は爆風に見舞われ、その軍服は焼け焦げる。


「大丈夫ですか?」


「怪我はありませんか?」


 爆風で傷ついたにも関わらず、我が身より市民の安否を心配する警察隊。彼らが盾になったお陰で、幸いにも一般市民に怪我人はゼロだ! 


「セクハラーッ!」


 兵士が覆いかぶさっていた野次馬の老婆が、顔を真っ赤にして叫び、盾になった兵士の背中の火傷した部分をわざとらしく狙い渾身の力でビンタ!


「アババーッ!」


 現場に響き渡る兵士の悲鳴! 爆笑する野次馬達!


「こいつめ! こいつめ! 何が警察隊だ!」


「アバーッ! アババーッ!」


「普段から権力を傘に威張り散らしやがって!」


「アババーッ! アババーッ!」


「そもそもお前らのパトが起こした事故じゃねえか!」


「アビバ! アビバーッ!」


 老婆の一撃を皮切りに、官憲の日頃の横暴な態度に腹を立てていた野次馬が暴徒化! 野次馬達を庇って負傷した兵士達をよってたかってリンチする! 火傷でただれた痛々しい傷口をわざとらしく殴る市民達! 


 おお! おおっ……! 何ということか! 確かに……、確かに日頃の堕落した官憲の横暴な態度は腹に据えかねるものがある! その抑圧されし者達の気持ち、痛い程よく分かる! 


 だが読者諸君よ、どうであろう? これはいくら何でもやり過ぎではないだろうか? 


「アバババーッ!」


 市民に一切やり返さず、従順に無抵抗でリンチを受け入れる兵士達!


「やめなさい!」


 無傷の兵士達が慌てて暴徒化した市民達を制止する。もはや事故の現場検証どころではない! 事故現場は混沌カオスの極みを迎えていた……。






◆◆◆◆◆◆




 寸前で脱出し、九死に一生を得たレンチョー。


 いきなり意味不明に襲いかかってきた兵士の一人を軽くいなすと、魔動車は爆発し、辺りに粉塵が巻き上がる。


 そして、暴徒化した市民達がよってたかって兵士達に暴行を加え、抑えにかかる他の兵士達と揉み合いになる。


 事故車から黒煙と炎が巻き上がる中で繰り広げられる眼前の地獄絵図を、レンチョーは何の感慨もなしに眺めた後、ふと空を見上げた。


 そこにはサクラーシャとマネージャーがパラシュートを展開し、ゆっくりとギルドームの方へ落下していく様子が見えた。そして二人は建物の影に入り込み、見えなくなった。


 レンチョーはその様子を見てハッと我に返り、サクラーシャへの未練を振り払った。こんなことをしている場合ではない。


 ウィーナの屋敷へ戻るためにこの場を離れようとすると、すぐ側で、ガラの悪いモヒカン頭の、屈強な体格のチンピラ風の男が、自転車に乗るひ弱そうな男に絡んでいるのが見えた。


「おい、お前中々いいもんに乗ってるじゃねーか。ぐへへへ」


「な、何だよ、やめろよーっ!」


「俺に貸せっつってんだよ!」


「アババーッ!」


 屈強なチンピラは、痩せ細ったひ弱そうな男を殴り飛ばし、自転車を奪った。


「へー、こいつはいいや」


 ニヤニヤ笑いながら、ベルを鳴らし周囲をぐるぐる回るチンピラ。


「そんなー、酷いよー、返してよー!」


「うるせー! お前の物は俺の物、俺の物も俺の物なんだよおおおっ!」


 追いすがるひ弱な男をチンピラが再び殴る。


「アババーッ!」


 レンチョーは自転車を上機嫌で乗り回すチンピラに向かってズカズカと歩んでいった。


「おい。そこのお前」


 レンチョーがチンピラを呼び止める。チンピラは無反応だ。


「おい、ハゲ。聞いてんのか」


 チンピラは無反応。自転車をグルグル乗り回している。


「ハゲ。お前だよお前」


 レンチョーはチンピラのモヒカンをつかんで頭を無理矢理自分の眼前に向けさせた。


「あ゛あ゛っ!?」


 凄むチンピラ。


「貸せ。降りろ」


 レンチョーが言う。


「あ゛あ゛っ!?」


 再び凄むチンピラ。


「いいから降りろっつってんだよ。ハゲ」


「テメー、誰に向かって口聞いビビデッ!」


 レンチョーは有無を言わさずチンピラの腹を一発殴る。チンピラは失神して自転車から崩れ落ち、ブリブリと脱糞した。


「ああ! 自転車取り返してくれてどうもありがとうござバビデッ!」


 レンチョーは有無を言わさずひ弱そうな男の腹を一発殴る。ひ弱そうな男は失神して地面に崩れ落ち、ブリブリと脱糞した。


「おい、そこのお前何をやってる!」


 すぐ側にいた兵士が慌ててやってくるが、レンチョーは有無を言わさず兵士の腹を一発殴る。


「ブー!」


 兵士は失神して倒れ、ブリブリと脱糞。


 レンチョーは自転車に乗り、ペダルを漕ぎながら、炎と乱闘でごった返す事故現場のど真ん中を涼しい顔をして突っ切り、ウィーナの屋敷へと急いだ。




◆◆◆◆◆◆




「どうして彼の席の脱出装置を作動させなかったの?」


 パラシュートでギルドームへと降下する中で、サクラーシャはマネージャに尋ねる。


「……お前にたかる悪い虫を取り払うのに丁度いいと思っただけだ」


 マネージャーは悪びれることもなく言った。


「私の方からレンチョーに接触したのよ?」


「お前にそういう感情を抱かせる男の存在の方が悪い。俺はお前を冥界一の歌姫にするためだったら何だってするさ」


 地表では魔動車が爆発し、炎と黒煙が立ち登っている。


「あの男を見くびらないで。あんなことで死ぬような男じゃないわ」


 サクラーシャはマネージャーに言った。


「へえ。捨てた割には随分と買ってんのな」


「……一人で登り詰めるのはもう飽きたのよ。あなたに言っても分からないでしょうね」


「分からない。あの男がお前に釣り合う程の器のある男とは思えん」


 あらゆる男達がサクラーシャの価値を認めたが、どの男達も、サクラーシャを自らの価値を高めるアクセサリーとしか見ていなかった。


 無論レンチョーもその中の一人であった。しかし、レンチョーは更にサクラーシャの価値を上げることができた。


 Valkyrie5。今のサクラーシャの道筋を作ったのはレンチョーである。


 自分であの男を踏み台にして、捨ててから気付いたのである。女が一人で上り詰めた後に身に纏う孤高に。


 そういう生き方にはもう飽きていた。疲れていたと言った方が合っているかもしれない。


 サクラーシャは、遥か下の、自転車でウィーナの屋敷へと向かうレンチョーの姿を見る。


「レンチョー、また一段落したら、ゆっくりと話しましょう……」


 器が小さい小物だからこそいいのだ。サクラーシャがレンチョーの側にいることで、彼の器を大きくさせる。


 そして、レンチョーの野心が、サクラーシャの価値を上げていく。


 共に登っていくなら、野心滾る器の小さい男ぐらいが丁度いい。


「俺はエィーベックゥースーの構成員だ。このこと、会長に伝えていいか?」


 マネージャが言った。


 エィーベックゥースーの会長。


 エィーベックゥースーの元ギルド長であり、現ギルド長以上の権力を持ち、サクラーシャの美しい肉体を狂おしい程に寵愛している男だった。


 老耄ろうもう著しい会長は、隠然たる権力を握った嫉妬の塊である。レンチョーと会ったことを知られるのはまずい。


「内緒にしといて」


「分かった。言わないでおく」


 マネージャーは即答した。


「ありがと」


「遅刻だぞ」


 二つのパラシュートは会場に降り立ち、Valkyrie5は何とか時間ギリギリに五人揃ったのであった。






 だが、もう二度と、サクラーシャはレンチョーに、ヴィナスはヴィクトに会うことはできなかった。






 それでも彼女達は、ステージの上では悲しみを見せることはない。


 サクラーシャもヴィナスも、彼らの死を知った後でも、Valkyrie5の一員として、気丈にステージで歌い踊った。


 そして、ウィーナが人智を遥かに超える存在と、冥界の存亡をかけて戦っている影で、Valkyrie5はファン達を守るために暴走した悪霊達と戦ってみせたのである。






◆◆◆◆◆◆






 「レンチョー、お前、今までどこに行ってたんだ。全体集合のときにもいなかったじゃないか」


 「これだよ、これ」


 「女か?」


 「なーんてな、冗談だよ。本当は、ロシーボが取りこぼした依頼を処理しててね。戻るのが遅くなったのさ」




<終>

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やるせなき脱力神番外編 Valkyrie 5 伊達サクット @datesakutto

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