やるせなき脱力神番外編 Valkyrie 5

伊達サクット

番外編 Valkyrie 5(1) 

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 冥界王都。


 様々な種族の冥界人がひしめく繁華街の中でも一際華やかな建物『魔導科学ギルドーム』。


 そこでは、歌って踊って闘うダンスバトルユニット『Valkyrie5ヴァルキリーファイブ』のライブの開演が目前に迫っていた。


「一体ヴィナスはどこに行ったんだ! もう時間がない!」


 Valkyrie5ヴァルキリーファイブに楽曲の提供をしている名プロデューサー・コムロツンク秋元が顔を湯でダコのように真っ赤にして、下っ端のスタッフ達に怒鳴り散らしている。


 彼は数々のアイドルや音楽グループを世に出した伝説のプロデューサーだ。もう初老と形容してもおかしくない年齢だが、年甲斐もなく白髪混じりののロングヘアーを明るい金髪に染め上げ、皮製のジャケットを着用している。


 ギルドームの舞台裏はてんやわんやの大騒ぎになっていた。


 それもそのはず、ライブの本番を目前にして、Valkyrie5ヴァルキリーファイブのサブリーダーを務めるヴィナスが突然会場からいなくなってしまったのだ。


 スタッフ達は威張り散らすコムロツンク秋元に叱咤され、先程から必死になってヴィナスを探している。


 その喧騒を舞台裏の楽屋から、不安げに聞いているValkyrie 5のルビー、サクラーシャ、ナルス、フォトゥーナ。


「お前達、何度も聞くけど、本当に何も心当たりないのか?」


 コムロツンク秋元が楽屋のドアを開け、四人のメンバーに問いかける。先程から楽屋とスタッフルームを行ったり来たりでこの調子である。


 Valkyrie5のリーダー・ルビーはサクラーシャ、ナルス、フォトゥーナの顔を互いに見回すが、皆浮かない顔で首を振るばかりだ。


「分かりません。本当にさっきまでは変わった様子なかったし……」


 ルビーがコムロツンク秋元の方を向いて答えると、途端にメイクのスタッフに「曲げないで」と言われて首を戻される。


 現在、大きな鏡の前に立っているルビーには三人のスタッフがついている。


 一人は長い銀髪を後頭部の右上、右下、左上、左下で団子状に結うという、非常に複雑なルビーの髪形をセットし、一人は顔にメイクを施し、一人は戦闘服兼ステージ衣装を装着している。


 この世界の、いわゆるほぼ頂点に上り詰めた結果、このような準備は自分の手を何一つ動かさず、全てスタッフがやってくれるようになっていた。


 Valkyrie5がレンチョーに決別し、ワルキュリア・カンパニーから芸能専門ギルドの大手の一つである『エィーベックゥースー』に移籍してからというもの、全ての世界が変わり、計り知れない程遠くまで来てしまっていた。


「ヴィナスが一番張り切ってたのにね」


 フォトゥーナが言う。真っ青な髪を持ち、広い額に大きなホクロがあり、体中の至るところにタトゥーが彫られている。椅子に深く座り、ルビーと同じくメイクを施されている。


 彼女は当初、歌って踊るだけでなく、戦士としても一流であることを要求されるValkyrie5に入るには、その強さが足りなかった。


 Valkyrie5に入ることを熱望していた彼女は、やってはいけない選択、強化戦士になる道を選んだ。そして、魔法都市セタサーガで美容整形術を施され、全く別の顔になった。


 彼女は強さと引き換えに強化の副作用に苦しみ、美と引き換えに人形のような、表情に生気がない顔になった。フォトゥーナはセタサーガに行くことを嫌う。同じ顔が、俗に言う『セタサーガ顔』の女が、街中に溢れているからだ。


 ルビーも個性をつけるためだとレンチョーに言われ、髪を銀髪に染められ、日焼けさせられ小麦色の肌にされた。


 ファンからのイメージは大切なので、レンチョーのもとを離れた今でも、ルビーは自分の意思でそれを続けている。


 つくづくレンチョーは罪な男だと思う。一歩間違えればルビーもフォトゥーナのようになっていたかもしれない。だが、フォトゥーナはレンチョーに心酔しており、「後悔はない」と言い切った。Valkyrie5のエィーベックゥースーへの移籍にも一番反対していたのがフォトゥーナであった。結局、最後はヴィナスに従う形で受け容れたが。


「いざとなったら四人でもやろう。いいなルビー」


 コムロツンク秋元がルビーに寄ってきて言う。


「いえ、ヴィナスを待ちます」


 ルビーは即答した。


「あれだけの客を待たせるわけにはいかない。予定通りにいかないと混乱する恐れもある」


 コムロツンク秋元がルビーを諭すように言う。


「待ちます。みんな、いい?」


 ルビーが他の三人に呼びかける。


「リーダーがそう言うなら」


 一足先に準備を終えたメンバー・サクラーシャがルビーに目を流した。真紅の髪に紫色の肌を持つ魔族タイプの女性である。背中には牙のついた一対の翼と、尻からは矢印型の細くて長い尾が二本生えている。


「私も。何があっても五人一緒だって誓いを立てたでしょ」


 フォトゥーナも同意する。


 ただの誓いではなかった。ワルキュリア・カンパニーから独立してやっていくため、『何でも』すると。


 ワルキュリア・カンパニーから離れるということは、今までの曲も使えず、その曲を記録・再生できるロシーボの『魔石波動プレート』も売ることができなくなるということだ。


 魔石波動プレートはそれこそエィーベックゥースーのような力のあるギルドしか製造できない。個人レベルで製作できる技術を持っているのはロシーボくらいのものだった。


 だから独立してからは何でもやると五人で誓った。この世界は実力だけあれば生きていけるわけではなかった。


 歌や踊りの興行は力のあるギルドによって独占されている。そういったギルドを動かしている権力者にValkyrie5を使ってもらわねばならない。


 俗に言う枕営業というものだ。


 意外にもコムロツンク秋元はそういった行為が寧ろValkyrie5の才能を潰すと考えており、彼女達がそういった行為に手を染めることに反対していた。


 だが、Valkyrie5は散々葛藤した末に、やってしまった。やるなら、五人全員が手を染めること。

 元々枕営業を最初に切り出したのも、そして全員が一蓮托生に手を染めるよう提案したのもサブリーダーのヴィナスであった。他の四人は当初は動揺したが、メンバー内で話し合いをしていく内に、徐々に覚悟を固めていった。


 コムロツンク秋元は彼女達の誓いを間違っていると一蹴した。伝説のプロデューサーから出た言葉は、「そこまでして生き残る程の価値のある業界じゃない。そんなことしなきゃ売れないんなら田舎に帰っちまえ」というものだった。


 Valkyrie5の意を汲んで、芸能ギルドのお偉いさんが集まるパーティーの接待役を取ってきた当時のマネージャーを、怒りのあまりクビにしてしまった程である。


 Valkyrie5が望んだことなのに、マネージャーは職を追われた。間接的にValkyrie5がマネージャーをクビに追いやったようなものだ。


 しかしValkyrie5は接待役を務めた。そしてその夜、宴が終わった後に控えている行為もこなした。


 結果、その行為によってValkyrie5は権力者との繋がりを手に入れた。エィーベックゥースーからの強力なプッシュを受けて、今の地位にいるのである。


 彼女達の周りで動くカネも桁が違うものになっていた。カネの力であのときコムロツンク秋元の不興を買ったマネージャーも呼び戻した。結果論だが、コムロツンク秋元の懸念は皮肉としか言いようがなかった。


 但し、その代償として、ルビーはファンの声援を純粋に受け取ることができなくなった。この世界で登りつめるためにどんな手段でも使う。背徳による罪悪感が、ファンの応援を常に後ろめたく感じさせるものにした。


 そして、Valkyrie5のリーダーとして、その誓いを立てたという責任を感じていた。重い責任を。


「待ちます。ヴィナスは絶対来ますから。私達、五人一緒なんです」


 ルビーはコムロツンク秋元を見据えて言う。コムロツンク秋元は苦い表情を作って楽屋を足早に去っていった。


「あの、もしかしたら、だけど……」


 背中に蝶の翼を生やした、ツインテールにした縦ロールの髪形が印象的な小柄な少女・ナルスが口を開いた。


「さっき、冥王軍の人が来たの。力を貸してくれって」


 ナルスは元は冥王の強化戦士部隊である親衛隊の出身である。背中の蝶の羽も改造で手に入れたものだ。民間で粗悪な違法改造を施されたフォトゥーナと比べて、遥かに高水準な施術を受けている。


「力を?」


 ルビーが聞き返す。


「すっごく強いヘイトなんとかって悪霊が城に来たんだって。そんで、冥王様がヤバいって」


「冥王様が!?」


 ナルスの言葉に、メンバーだけでなく、メイクのスタッフ達も驚愕した。


「それでウィーナ様が退治に乗り出したそうなんだけど、戦力が足りないからって。もちろん追い返したよ? なんかその冥王軍の人、すっごいキモいオッサンだったから、ふざけんなって蹴り入れてやったけど。その話ヴィナスにした」


「ウィーナ様が……」


 ルビーは生唾を飲んだ。最早、離れた組織の話ではあるが。


「そのときは、別にヴィナス普通だったけど……。もしかして……」


 ナルスがそう言った途端、サクラーシャが突然楽屋を飛び出した。


「サクラーシャ!」


 ルビーがメイクのスタッフを押しのけて廊下へ出たが、既にサクラーシャは消えていた。


「私達って、どこまで行っても結局バラバラね……」


 後ろでフォトゥーナが物憂げな表情で漏らした。それを聞いたルビーの心中に、不安が芽生えた。自分は、ヴィナスとサクラーシャを待てるのか。




「サクラーシャもどっか行ったそうです!」


「はあ?」


 スタッフの報告を聞いたコムロツンク秋元は仰天した。そして、「売れるほど増長していきやがって……」と苦々しげにつぶやいた。




◆◆◆◆◆◆




 ヴィクトはウィーナの屋敷の地下室で、埃を被った文献を漁っていた。


 冥界と他の世界を繋ぐ時空の塔。それについて書かれた本がこの地下室にあるはずだった。一度見た記憶がある。


 ヘイト・スプリガンの魂を浄化するための手掛かりがそこに綴られていることを信じ、彼は一心不乱に倉庫にぎっしりと詰まった文献を掻き分けていた。


 ハチドリの先程の話では、主君・ウィーナももうすぐ屋敷に戻ってくるはずだ。時間がない。


「ヴィクト!」


 女性の声が聞こえて、上から階段を駆け下りる音が聞こえてきた。カツカツと、やたら大きな足音が響く。


 見ると、金髪のボブカットの、整った顔立ちをした長身の女性。上半身は豊満な胸を覆う、密着した黒い胸当てのみ。下半身はこれまた黒い密着型バトルウェアで脚のラインが際立つ。


 そして体中に身に着けた金色に輝くアクセサリーの数々が薄暗い地下室でも光を放つ。非常に厚底なサンダルを履いており、これなら足音が大きいはずである。


 忘れもしない、Valkyrie5のサブリーダーにして、ウィーナの養女・ヴィナスである。


「ヴィナス」


「何してるの? みんな逃げたんでしょ?」


 その台詞を聞いて、ヴィクトは彼女の目的を理解した。どういうわけか、状況を把握しているらしい。


「うん」


 ヴィクトは生返事をして、構わず文献を探し続ける。


「そんな化け物相手にできるわけないでしょ? さあ、早く。一緒に行こ!」


 ヴィナスがヴィクトの腕をつかんで、地下室から連れ出そうとする。


 時間がないというのに作業の邪魔をされ、彼の心中に不快感が募った。


「いや、いいよ」


 ヴィクトはその手を静かに振り払った。そして手に取った本をパラパラとめくり、「違う」と言って脇に置く。


「何やってんのよ!」


「何って、ウィーナ様に策をお出しする。今の状況でも勝てる策を考えないと」


 ヴィクトはヴィナスを見ず、目の前の文献の山から視線を逸らさない。


「もう屋敷に誰もいないじゃない。もうお終いよ!」


「それを言いにここに来たの?」


 ヴィクトは眉をしかめた。今まで口には出していないが、この女が向けてくる好意には辟易していた。彼女がワルキュリア・カンパニーに入る前から何度も告白を受けていた。その度に断ってきたが、彼女は諦めなかったのだ。


 更に始末の悪いことに、彼女がValkyrie5に入ったのは、レンチョーが「Valkyrie5に入ればヴィクトの副官にしてやる」などといい加減なことを言ったからなのだ。


 ヴィクトの隊は副官を置く人員体制になっていなかったが、結局レンチョーの顔を立てるためにわざわざヴィナスを副官として側に付き従えることになってしまった。


 それによってヴィクトはヴィナスと距離を置くことができなくなり、ますます話がこじれることになった。


「一緒に行こうって!」


 なおもヴィナスはヴィクトを連れ出そうとする。


「引っ張るなって。行くってどこに?」


「ギルドーム! ライブ! 特別招待券送ったでしょ?」


「それどころじゃない」


 まさかヴィクトが今の状況を投げ捨て、そんなものを観に行くとでも思っているのだろうか。もし本気でそう思っているなら、自意識過剰も甚だしい。彼の心中に苛立ちが芽生える。


「何でよ! 何でそこまでお母様に義理立てすんのよ!」


「辞めた奴には関係ないだろ。ほっといてくれよ」


「ねえお願い。一緒に来て。好きなのヴィクト。あなたのことが。もうどうしようもないの。だって今の私があるの全部あなたのおかげなのよ」


「断る。ハッキリ言わせてもらうけど、俺は君のことが好きじゃない。何度告白されても、君と付き合うことは絶対ない」


 ヴィクトはハッキリと言い切った。


「私の何がそんなにいけないの?」


「何がって、そもそもValkyrie5ってのは『恋愛禁止』が大原則なんじゃないの? コムロツンク秋元って人がそう言ってた」


「そんなの建前に決まってるでしょ? 私あなたに振り向いてもらうためにValkyrie5に入ったの! あなたに釣り合う女になるために、臭いキモヲタ共に笑顔振りまいてここまで登り詰めたのに!」


「釣り合うって何が? 何に? 俺はそういうことじゃないってことは、もう何度も伝えてるから」


 それに加えて自分のファンを何だと思ってるんだ、とも言おうとしたが、無駄な会話をしたくないからあえて口には出さなかった。


「どうしてそういうこと言うの?」


「理由は二つ。一つは君が好きじゃないから。もう一つ、今俺はやらねばならないことがあるから」


「あなたお母様のこと何も分かってないのよ! あのお方はとても冷たい人なの。私達がどうなったって心を動かすことなんかない。所詮は神様。私達のような下々の者達に解り得る存在じゃないのよ。何でそこまでするのよ?」


 養女として拾ってもらったにも関わらずそのようなことを言うとは。ヴィクトは不快感を溜め息にして吐き出した。


「ウィーナ様のためだけじゃない。これ以上、この冥界をあの悪霊に乱されるわけにはいかないんだ。誰かがやらないと」


「何それ? 勇者にでもなったつもり? 死んじゃうわよ!」


 ヴィナスはなおも食い下がる。段々と口調がヒステリックな感じを帯びていく。


「帰ってくれ。時間がない。集中できない」


「嫌! そんなの嫌!」


 ヴィナスが目に涙を浮かべる。


「いい加減にしろ!」


 ヴィクトが怒鳴ってヴィナスに向き直った。ヴィナスは俄かに押し黙る。


「俺が聖人君子か何かだと思ってたら、大きな間違いだ! じゃあ言うけど、お前、エィーベックゥースーの幹部と何してる?」


 その言葉を放った途端、ヴィナスは顔面蒼白になり両手を口に押し当てた。これだけはヴィクトも言わないでおこうと思っていたが、彼にもうそこまでヴィナスを慮る余裕はなかった。


「知ってんだよ! 俺の知人だって、そっちの業界に詳しいのはいるんだ。知りたくもないのに耳に入ってきたよ。そいつの言うことは確かだからな。裏でそういうことしといて、俺にそういうこと言ってくる神経が理解できない。ふざけんな!」


 ヴィクトが言い終わると、ヴィナスは何も言わず、涙を垂らしながら反転して階段を駆け上がっていった。


 ヴィクトは誰もいなくなった地下室でもう一度深く溜め息をつき、再び文献を漁り始めた。







「お前たちはウチが引き受けてる依頼をこなしてこい。俺も行く」


 ウィーナの屋敷のとある広間。


 レンチョーが自分の隊の戦闘員達を整列させ、腕を組んで言う。


 どのようなときでも、通常の依頼がなくなるわけではない。この部下達にはその依頼をこなしてもらう。


 幸い、レンチョーの隊は普段彼が部下から恐れられていたため、案外逃げた部下は少なかった。


 上下の関係が非常に強いため、よく統制が取れているのである。他の隊の管轄従者以下は、ほとんどがヘイト・スプリガンの報を聞いて逃げ出したそうだ。


「了解しました!」


 部下達はハキハキと返事をする。


「もし逃げたらどうなるか……」


 レンチョーは目を細めて部下の引きつった顔を見回す。


「そのような腰抜け、この中にいるわけがありません、そうだな! お前ら!」


 管轄従者・バングルゼが部下達を見回して怒鳴る。牛の顔を持つ筋骨隆々の獣人タイプの戦士だ。


「ハイッ!」


 再びハキハキと返事をする部下。


「行け」


 レンチョーの指示と共に、部下達は足早に屋敷の入口へ向かい去っていった。


 それを満足げに見送ったレンチョーは、自分もロシーボが投げ出した依頼を代わりにこなすため、部下達に遅れて屋敷を後にした。




 ◆




 レンチョーはロシーボが途中放棄した依頼をあっさりとこなし、依頼人の信用を取り戻した。


 ウィーナやニチカゲ達と合流すべく屋敷に戻ってくると、屋敷の正門の前に黒塗りの見るからに高級そうな魔動車まどうしゃが停まっている。


 レンチョーは別段興味もなく、大して気にもせず屋敷の門をくぐった。


 そのとき、レンチョーは正面の玄関が開き、そこから飛び出る一人の女性の姿を見た。


 Valkyrie5のヴィナスだった。


 歩きにくそうな厚底のサンダルをまるでものともせず、思いつめたように顔を伏せ、中庭を走ってくる。


「ヴィナス!? 何でお前がここに!?」


 レンチョーはすぐに声をかけた。


 ヴィナスはその瞬間、わずかに驚いた表情で顔を上げた。目を赤くし、顔を赤く泣き腫らしている。今日はValkyrie5のライブがあるはずである。どうも訳ありらしい。


「レンチョー様……」


 ヴィナスは驚いた表情から、すぐに恨みがましさがこもった表情でこちらを睨んだ。


「なるほど……そういうことか……」


 今の状況と彼女の表情。訳ありの大枠は察しがついた。


 だとしたら、レンチョーのヴィクトへの情報提供は、期待通りの効果をあげたわけだ。してやったり。彼の口元はいつの間にか綻んでいた。


「レンチョー様、酷いです……。あなたの言う通りにしてなかったら私はヴィクトと一緒にいられたのに!」


「何が言いたい?」


「あなたにそそのかされてValkyrie5に入ったせいで、ヴィクトの心が離れたんです……」


 ヴィナスはこちらを睨み続ける。


 どうやら、まだヴィナスは知らないらしい。ヴィナスがエィーベックゥースーのとある実力者から寵愛され、肉体的な関係を持っているという秘密。それを伝えた張本人がレンチョーであることを。


 ヴィクトがどこまで話したかは知らないが、レンチョーの名前は出さなかったようだ。


「俺は約束を果たしたろう?」


 Valkyrie5を結成する際、適したメンバーがなかなか集まらず、ヴィナスを釣る餌として、ヴィクトの副官にしてやるという条件を出したのだ。


 ヴィクトに無断でのことである。事前に相談すれば断るに決まっているが、いざやってしまってからであればヴィクトは折れるだろうという打算があった。


 案の定、ヴィクトはレンチョーの言を信じてValkyrie5で精力的に活動をしていたヴィナスを拒めず、また、レンチョーの面子に配慮する形で、ヴィナスの副官配属を追認したのだ。


「あれはヴィクトは知らないことだった! レンチョー様が勝手に言ったこと。あれがそもそも間違いでした!」


 ヴィナスが真っ赤な目で食ってかかる。


「フッ……それは俺のせいじゃないんじゃないの?」


 レンチョーは軽薄な態度を取り、鼻で笑ってみせた。


「元はと言えば私を騙してValkyrie5に入れたあなたのせいです。人の気持ち利用して。よくそんなこと言えますね」


「知らんよ。承諾したのはお前だろ」


「レンチョー様……いや、レンチョー。あんたってホント最低な男ね。クズね。私達でいくら儲けたの? 二度と私の目の前に現れないで!」


「お前が勝手にここに来たんだろう。辞めたくせに」


 レンチョーはまたヴィナスを挑発するように鼻で笑った。


「はぁぁぁっ!? ここは私とお母様の家なんですけど?」


 ヴィナスが凄むが、レンチョーは不真面目で軽薄な笑顔で受け流した。


 レンチョーのやり方が気に食わないなら、自分一人が辞めて、独立でも何でも勝手にすればいいものを、ヴィナスは他の四人も連れてValkyrie5ごと移籍していった。


 ヴィクトは義理立てでしばらくはヴィナスを副官として置いていたが、どの任務にも常に傍らにいて、命を懸けた戦いを続けていれば、彼女の場合親密にならない方が不思議である。


 他の戦闘員の間でも当然の如く噂になるし、レンチョーですら、なんだかんだ言っても結局あの二人はくっつくだろうと思っていた。


 そもそも男からしてみれば、ヴィナスほどの女に好意を持たれていながら、それを拒むということがあまり考えられないのだ。


 だがレンチョーが思っていたより、ヴィクトはヴィナスに冷めていたようだ。


 定期的な人事異動で、ヴィナスはヴィクトの副官を外れ、ウィーナ直属の部隊へ戻ったのである。人事権はウィーナが強権的に握っている。ヴィクトがウィーナに頼んだのか、ウィーナ自身の判断で義理の娘を諫めたのか。それはレンチョーにも分からぬ。


 ともかく、この配属替えでウィーナとヴィナスの母娘関係にも亀裂が入ったように思える。この配属替えの決定直後、レンチョーはウィーナの執務室から、この義理の母娘が何か激しく言い争う声を、通りがかりの廊下から聞いたことがあった。


 ヴィナスが納得できないのも無理はないだろう。


 なぜなら、この時期の、ヴィナスの努力ぶりは普通ではなかった。Valkyrie5の活動と、組織の中でも最も規模が大きいヴィクト隊の副官。その二つの激務を、完璧にこなしていたのである。


 ヴィナスが副官を解かれる謂れなど何もなかった仕事ぶりであったのは間違いない。それはレンチョーも認めている。


 ともあれ、ヴィナスがレンチョーに反旗を翻し、Valkyrie5の独立を言い出したのはこのしばらく後である。


 結果、Valkyrie5の全員がヴィナスを支持した。元々Valkyrie5はリーダーのルビーは数合わせのお飾りで、実質的にはヴィナスを中心に動いており、サクラーシャ以外の三人は、どことなくヴィナスの顔色をうかがっている節はあった。


 少なくとも、ワルキュリア・カンパニーの所属だった頃は、である。


 Valkyrie5はレンチョーを出し抜く形でエィーベックゥースーへの電撃移籍を決め、結果、レンチョーは自分の女だと思っていたサクラーシャにも見限られることとなる。


 彼にとって、これ以上ない屈辱であった。だから、レンチョーはワルキュリア・カンパニーを裏切ったヴィナスを恨んでいたのだ。




 一体誰のおかげで今の地位を得られたと思っているのか!


 最初にプロデュースを手掛けた俺と、組織ワルキュリア・カンパニーの資金力あってのことではないか!


 俺がValkyrie5を結成したのは赤字の組織の利益に貢献させるためだ、なぜウィーナ様の嫌がることばかりする!


 今まで宣伝や波動プレートの生産やコムロツンク秋元へのギャラに散々投資してきた費用を、ようやく軌道に乗って回収できそうになった矢先に移籍しやがって!


 ウィーナ様に対する俺の面子は丸潰れだ!


 何よりサクラーシャを失うきっかけを作ったのが許せない!




 芸能ギルドでも最大手の一角であるエィーベックゥースーで一番の稼ぎ頭に飛躍したと聞き、何とか仕返ししてやりたいという気持ちがレンチョーにはあったのだ。


 だがエィーベックゥースーは芸能系ギルドの中では冥界でも三本の指に入る力を持っており、新聞や雑誌の類も完全に統制している。仮にValkyrie5の醜聞をリークしても記事になることはない。そのうえエィーベックゥースーは興行の既得権益を守るための武力として在冥魔界人系グループ・魔僑まきょうとも繋がっている。下手にValkyrie5をおとしめる行為を仕掛けたらこちらが危ない。


 だからレンチョーは安全かつ最も効果的な報復手段を選択した。エィーベックゥースーの中にもValkyrie5を嫌う者、と言うか、ヴィナスを嫌う者は多くいる。


 エィーベックゥースーにいる知人から仕入れたValkyrie5の枕営業の話を、完璧な裏取りをした上でヴィクトに教えたのである。


 ヴィナスはレンチョーを汚い物でも見るかのような眼差しで、無言で彼の脇を通り過ぎ、門へ向かって歩いていった。


 そして、ふと立ち止まり、こちらを振り返る。


「……ヴィクトに、何か言ったの?」


 やれやれ、と心の中でつぶやいた。女の勘というものであろうか。しらばっくれてもいいのだが、それではあまりにも面白くない。こちらも自分が今まで手塩にかけて育ててきたワルキュリア・カンパニーが崩壊して腹が立っているのである。


「だったらどうする?」


 ヴィナスは構えを取り、厚底のサンダルの動きにくさなど毛頭存在しないような瞬発力で、こちらに向かい地面を蹴った。


「ハアアッ!」


 ヴィナスの掛け声と共に、レンチョーに凄まじい切れ味を持つ拳や蹴りの応酬が豪雨のように降り注いだ。


 しかしレンチョーはまるで何てことのないかのようにその格闘技の応酬を回避する。


 絶対に失えないValkyrie5の大切な体。そしてウィーナの養女。素質は抜群だが、周囲に配慮を尽くされ、確実に勝てる範囲内の悪霊や魔物との戦闘しか回されなかったヴィナスの格闘技など、これまで散々死にかけて、その都度執念で這い上がってきたレンチョーに通じるはずもなかった。


 なまじヴィナスの構えや技の数々は、美しいと形容してもいい程に洗練され完璧である。故に読みやすい。


 もし相手が並のレベルだったら今頃肉体を破壊し尽くしているだろうと思うと、惜しいものだ。ヴィナスは相手が悪かったのである。


「波動脚!」


 ヴィナスが片脚を天に届くかのように目いっぱい上げると、ヴィナスの頭部よりも上に位置する脚の先端、厚底のサンダルが青白い光を放つ。


 レンチョーはすかさず腰に提げている鎖の鞭・エレメンタルチェーンを手に取り、同時にヴィナスの上げていない方の足首に振りかざした。思わず彼の顔に嗜虐的な笑み。


「ああっ!?」


 ヴィナスは足首に巻き付かれた鎖に足を取られ、波動脚を出せぬまま、体の軸がぶれて片脚を突き上げたまま地面に倒れ込んだ。


「勝負あった。これ以上は無駄だろうよ」


 できることならこのままエレメンタルチェーンの力で、焼き尽くすか、凍結させるか、電撃を浴びせるか、はたまた鉛のように重い土で固め、動けなくしてやるか。


 本当だったらここから楽しくなるのだ。だが、悔しいがヴィナスの体に傷をつけると背後のエィーベックゥースーや魔僑を敵に回すことになる。


 それはまずいので、レンチョーは渋々ヴィナスの足首からエレメンタルチェーンをほどいた。


「分かったか。中核従者と管轄従者の差以上に、管轄従者と幹部従者の差は大きい」


 レンチョーはエレメンタルチェーンを腰に提げ、腕を組み、地面に座り込むヴィナスを見下ろした。


 ヴィナスは悔しさに唇を噛みしめ、またしてもこちらを睨みつける。


 そして、ゆらりと立ち上がり、ゆっくりと門の横に停めてある魔動車に向かって歩いていった。


 帰るのかと思いきや、どうも様子がおかしい。後部のトランクを開けて、何かを取り出したのだ。


 それは、ヴィナスの身の丈を優に超える刀身を持つ、恐ろしく巨大な剣だった。


「おいおい、マジか……」


 腕を組んだまま、レンチョーは口を半開きにしていた。


 あれはヴィナスのトレードマークとも言える魔剣で、彼女の両腕に装着されている強大な魔力を秘めた腕輪により、剣の重量を感じなくさせるのである。


 そのため、筋骨隆々のマッチョマンでもぴくりともしないこの巨大な剣を、まるで木の枝のように軽快に振り回せるのである。


「ヴィナス! ここまでだ! もう戻ろう!」


 運転席からヴィナスのマネージャーが出てきて、彼女を制止するが、ヴィナスは「どいて!」と言って彼を払いのけた。


「おい、ヴィナスちゃん、いい子だからね。やめましょーね」


「うっさい!」


 相変わらず、歩くのも大変そうな厚底サンダルでの猛ダッシュ。


 そして巨大な剣がバチバチと黄色いオーラを纏いながらレンチョーに襲いかかる。


「はひぃっ!」


 レンチョーは目が飛び出るほど驚愕し、紙一重で剣を回避。しかし二撃、三撃と大剣は振りかざされる。


「ちょちょちょ! タンマ! タンマ! 一旦落ち着こう! ちょーっ!」


 先程の格闘技と同様、洗練された鋭い剣さばきである。こんなものを食らったらいくらレンチョーでも即死である。


「おわぁっ! そ、そもそも俺は嘘は言ってねーし、元はと言えばお前が副ギルド長とそういう関係を……」


「そーよ! やってるわよ! 絶対それは知られたくなかった! 私の汚いところを! たとえブヒッてるキモヲタ共に知られても、ヴィクトには! もう取り返しつかないのよ!」


 ヴィナスの理論は完全に逆ギレのそれであった。


「いやいやいやいや、それ知らねーで付き合わされるヴィクトの身にも」


 そもそもヴィクトとヴィナスの性格の相違からして、枕営業の一件だけが原因ではなく、積もり積もった数々が破局を招いたことは否めないだろう。いや、そもそも始まってもいなかったのだが。


「黙れクズ!」


 ヴィナスは一層激しく剣技の数々を叩き込んでくる。斬撃の余波で地面すらめくれ上がる。


「あひーっ!」


 ヴィナスは完全に感情的になっている。失恋の怒りを全てレンチョーに叩き込もうとしているのか。とてもレンチョーの理詰めを聞く耳は持っていないようだ。


 レンチョーは剣をかわし続ける中で、たまらず反転し、全速力で中庭を逃げ回った。


 失敗だった。挑発し過ぎた。レンチョーはヴィナスの勢いにビビりながらも顔はヘラヘラ軽薄な半笑いを浮かべており、内心少し後悔していた。


「待て!」


 ヴィナスは剣を片手にレンチョーを追いながら、もう片手の人差指から、敵を光線で射抜く攻撃魔法を連発する。ウィーナ直伝の、強力な殺傷力を持つ光属性の攻撃魔法だ。


「うおおお!」


 レンチョーは逃げながらもジャンプしたり屈んだりして光線を回避。通り過ぎた光は庭を囲む大きな木に当たり、一撃でへし折った。


「うわああ! ウィーナ様の庭があああっ!」


 レンチョーが煙を上げる切り株の前に走り寄り、失意の表情を浮かべた。


「ハアアッ!」


 ヴィナスとの距離は大分開いていたが、その位置からヴィナスは剣を振りかざすと、その刀身に渦巻くオーラが衝撃波となってレンチョーに飛んでいく。


 これを避けるとますます庭が破壊される。そうなるとウィーナに怒られるのはレンチョーである。


 やむを得ない。怪我をさせない程度に反撃しないと収まりそうにない。もし怪我でもさせたらエィーベックゥースーとの間で非常に面倒なことになりそうなので、極力調整しないと。


「かああああっ!」


 レンチョーは両手を前方にかざして、魔力のシールドを張る。そのシールドはヴィナスの衝撃波を何とか受け止める。これによって僅かな時間ができる。


 レンチョーはエレメンタルチェーンとは別の、腰に差しているもう一つの武器、ビリヤードのキューを抜いた。腰を屈めて前のめりに構え、伸ばした左手の人差し指と中指でキューを挟む。


 そしてビリヤードのショットの要領でキューをシールドに突き出す。キューの先端が魔力のシールドを貫通し、押し出された防壁の片鱗が、圧縮された魔力の球体となってヴィナスに発射される。


 ヴィナスが放つ衝撃波とは比較にならぬ弾速で、球は剣を持つヴィナスの右手の腕輪に直撃する。狙い通り。腕輪は衝撃で粉々に砕け散る。


「きゃあああっ!?」


 その途端、腕輪の魔力を失ったヴィナスは、巨大な剣をズドンと地面に落としてしまった。剣が深々と土にめり込み、レンチョーの足元に震動が伝わる。


「くう~っ!」


 ヴィナスは腕輪の残る左手に剣を持つ。しかしレンチョーは再びショット。シールドに穴を開ける。押しだされた部分が球となって今度は左腕の腕輪に命中。砕け散る。


「キャアアッ!」


 ヴィナスは悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。


 そのとき、不意にもう一つの殺気を感じ、レンチョーは咄嗟に地面を蹴って跳躍した。


 うねる五本の爪のようなものがレンチョーの立っていた場所に突き刺さる。


「お前は?」


 サクラーシャ。


 レンチョーは一瞬にしてその名を頭の中で読む。収縮された爪が収まる、スラリした紫色の手。


 中庭を囲む屋敷の塀の上。やはりサクラーシャが立っていた。みなぎる魔力に共鳴するかのように、額の中央に刻まれた六芒星が妖しく光っている。


 サクラーシャは背中の翼を広げ、ふわりとヴィナスの横に降り立つ。


「サクラーシャ?」


 ヴィナスがすぐに立ち上がってサクラーシャに向き直ると、彼女は突如ヴィナスの頬に平手打ちをした。


 場の空気が一瞬にして凍り付く。


 ヴィナスは状況を整理しきれていないようで、茫然と叩かれた頬を手で抑えながら、目を丸くしてサクラーシャを見つめる。


「すぐ戻りなさい。ここは私に任せて」


 ヴィナスは目を赤くし、悔しさを滲ませながら門へと走ったが、不意に立ち止まってレンチョーの方を向き「レンチョー! アンタは絶対潰してやるから! 副ギルド長に頼んで手を回してもらうわ! キモヲタ共も動員するから、アンタのことストーカーだって! 覚悟してね!」と捨て台詞を吐き、外に停めてある魔動車の後部座席に乗り込んだ。


 オロオロしながら様子を見ることしかできなかったマネージャーもすぐに運転席に乗り込み、魔動車はいそいそと去っていった。


 よく見ると魔動車はもう一台停めてある。サクラーシャはこれに乗ってきたらしい。


「今度はお前か……何しに来た?」


 レンチョーがサクラーシャに問う。


わらいに来たのよ。貴方を」


 サクラーシャが静かに口角を釣り上げた。

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