第50話 春が来た②


「ありますよ」


 俺がそう答えると、パトリシアの目が点になった。

 予想していたとはいえ、こうも予想通りだと思わず吹き出しそうになるが、そこはしっかりと我慢する。


 そんな俺の努力など、まるで気づかない彼女は正面に座るエステルへと詰め寄っていった。

 

「お嬢様! もう1体、斧鹿の素材がある、と仰るのですか?」


「ええ、まあ……、ただ、その所有権はですね……」


 言い淀んだエステルは俺に視線を送ってきた。

 要はすでに俺が買い取った、と言おうとしたのだろうが、そこは押し留めなくてはならない。


 あの時、代金に上げた金貨5000枚というのは“そんなもんで良いだろう”程度の感覚で言ったのだ。

 一体に付き金貨60枚が支払われたと知った今では、とても買い上げた事にはできない。

 何せ単純計算なら613体では金貨36,780枚である。

 俺が支払いに使おうとしたメープル金貨で払うにしても半数の18,390枚は支払わなくては道理に合わないのだ。

 よって、あの商談はご破算である。


 だから、はっきりと断言した。


「はい、今現在、ご領主様は最低でも100体を超える斧鹿の素材をお持ちです」


「レイ様!」


「私はまだ支払いを済ませていません。所有権は未だアステリア様にあります」


 揉める俺とエステルは気づくのに遅れたが、その時のパトリシアは顎が外れたかのように大口を開けたまま固まってしまっていた。


「ひゃ、100体ですって!」


“おっと”と、気を取り直して彼女に向き直ると、話し相手は俺で良いようだと目星をつけた彼女は居住まいを正して俺に向き合う。


「本当に斧鹿素材が100体もあるんですか?」


「はい、間違いなく」


「前回は成体でしたが、今回も?」


「はい、成体です。体重が2トンを切ることはないでしょうね」


「お嬢様は、あなたに売ったようなことを仰っていますが?」


「いえ、私は買い取りについて先に話し合う権利があるだけです。

 前回と同じ程度の金額で買っていただけるならパトリシアさんにお譲りします」


「……」


「不服ですか?」


「まさか! とんでもない!」


「では、商談成立でしょうか?」


 そう言って俺は笑顔を見せたが、逆にパトリシアの顔は浮かない。

「そうしたいのですが……、資金がありません。それに輸送だけでも大金がかかります」


 なるほど100体分となると金貨6000枚だ。

 一介の行商人が用意できる金額を大きく超えているのは分かる。

 そこで助け舟を出す。


「それなら、最初はこちらへ来るたびに1体ずつ買い取られては?

 もちろん買い手としての権利は100体分を確実に保証します。

 そうやって少しずつ資金が貯まれば最後には一度に10体、20体と買い取って運べる体力も付くのではありませんか?」


 俺がそう言うとパトリシアの目が輝く。


「それができるなら、王都の中央に店を持つこともできます。

 でも、フライファエド家としてはそれでいいのですか?」


 その言葉にエステルが頷く。


わたくしは、すべてレイ様にお任せします。

 それに、これでパトリシアさんが安定した生活を得られるなら、それも嬉しいですし、領地にも長く安定した収入があると考えれば分割も決して悪い事ばかりではありません」


 それを聞いていたパトリシアの目に涙が浮かぶ。


「やっと村から村へ流れる生活を終えることができるだけでも嬉しいことです。

 それが王都に店を持てるほどの大商いになるとは思いませんでした。

 ありがとうございます。これでやっと娘にも故郷を作ってやれます」


「娘さんが?」


「はい、旅の最中に生まれて、今年で16になります」


 パトリシアさん、俺が思っていたよりも結構な年齢だったようだ。



   ◇    ◆    ◇    ◆    ◇    ◆     ◇



 行商人のメラス一家は旦那のヘラルドと娘のビオレッタ、それにパトリシアの3人で旅から旅への生活を続けて来た。

 元々は旦那のヘラルドが始めた行商だったのだが、旅の途中で彼が怪我を負って歩くのが難しくなると、妻のパトリシアが表にでるようになった。

 そうしているうちに子供ができたのだが、定住するにはその土地で明確な収入の当てがあるか、先祖代々からの住人でないと保証人の問題もあって住み着くのは難しい。

 地方に行くと農村では畑を分け与えるので定住しないかと誘われることもあるが、慣れない農作業でどこまでできるかは自信がない。

 本来なら大黒柱であるはずのヘラルドは農業では役に立たない。

 行商生活であるからこそ読み書き計算という技能で生きていけるのだ。


 若い集団は傭兵として都市に本拠地を構える連中もいるが、これもかなり特殊な方法であってメラス一家にできることではない。

 いつかは定住を、と思いながらも、どの方法も難しいことであり、このままでは娘も同じように行商人と添い遂げることになるのか、と考えながら、いつも通りのルートを取ってゼンガ―リンツ領で冬を越した。


 長い冬も終わり、ようやく雪も止んで出発の準備をしていた処、妙な噂を聞いた。


 北隣のフライファエド領とゼンガ―リンツが小勢り合いになったのだが、本来なら相手にもならないはずのフライファエドがゼンガ―リンツ兵に勝った、というのだ。

 あり得ない話だが、変わった話があるところには儲け話が転がっていることも多い。

 他にこの村を目指す行商人がいるはずもないが、いつもより早く馬車を走らせた。


 そして、予想は当たった。

 彼女は金鉱を掘り当てたのだ。



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