仲良し姉妹の歌

増田朋美

仲良し姉妹の歌

仲良し姉妹の歌

暖かく、日がよくあたって、のんびりした一日であった。何処へ行っても、色んな人が、気ぜわしく歩いているのだった。もうちょっと、ゆっくり進んでもいいのでは?と思われるのであるが、まだまだみんな気ぜわしく歩いているのである。

さて、杉ちゃんと蘭はその日、富士市民文化センターで行われた、押尾美佐子という女性のコンサートを聞きに行った。ピアニストとしてデビューしてから10年、押尾美佐子は、ピアニストらしい堂々とした演奏を見せた。曲は、ベートーベンのソナタテンペスト。女性が演奏するのは珍しいが、女性らしくやや繊細でそれでいて迫力のある演奏をしている。

「いやあ、上手だったねえ。十年前にデビューした時とは全然違う弾き方だ。いやあ、立派になったよ。」

と、蘭がいうと、

「さあねえ、それはどうだか。バックハウスとか、ルービンシュタインなんかに比べれば、まだまだへたくそだ。それはちゃんと分かってもらわないと、天狗に成っちまうよ。」

と、杉ちゃんはぼそりと言った。いずれにしても、演奏は割れるような拍手で終わったが、杉ちゃんんだけひとり、ぼんやりしていた。

演奏が終了すると、演奏家のCDをロビーで販売するので、希望される方はロビーに来てくださいというアナウンスが流れた。蘭は記念に一枚買っていくことにした。二人がロビーに行くとすでに長蛇の列が出来ていたが、蘭はその最後尾についた。蘭が、CDを入手出来たころには、もうかなりの人は帰っていってしまっていたのだが、

「こんにちは。今日は私の演奏会に来て下さってありがとうございました。」

と、いきなり声をかけられたので、びっくりする。

「ああ、お前さんが、押尾さんだね。押尾美佐子さん。」

「この度は、本当におめでとうございます。デビュー10周年。10年の間に、かなり演奏が変わって驚きました。」

杉ちゃんと蘭は相次いで言った。

「いいえ、まだまだ大した事ありません。10年何て音楽家には短すぎる話しです。」

と、いう押尾さんに、杉ちゃんは、

「おう、それを認めているなら大丈夫。阿羅漢にはならないな。」

とにこやかに笑った。

「本当は、水穂さんに聞かせてやりたかったねえ。彼だったらもっと、すごい批評をしてくれることだろう。まあ、いずれにしてもお前さんはただのひよっこだ。それを忘れないで、演奏活動していってね。」

「もう杉ちゃん、そんな事を言って。」

と、蘭が杉ちゃんの話しをさえぎると、

「水穂?もしかして、右城先生の事でしょうか?」

と、いきなり押尾さんが言った。

「ええ、今は磯野になってますが、旧姓右城です。」

と、杉ちゃんがいうと、

「そうなんですね!右城先生と知り合いだったんですね!それでは、是非先生にお伝えください。こんな劣等生でも、リサイタルを開けるまでなりました。まだまだ先生の演奏には追いつかないけど、先生のような演奏ができるようになるまで頑張りますと。」

と、押尾さんはにこやかに言ったのであった。

「はあ、そんなにアイツの事、尊敬しているんですか?」

と、杉ちゃんがいうと、

「ええ、もちろんです。先生のピアノを聞いて私はピアニストになろうと思ったんですよ。先生の演奏は、今でも私の心に焼き付いております。だから、先生はずっと私の手本だと思っていますよ。」

と、押尾さんは話しをつづける。

「そうかそうか。でも、女がゴドフスキーに挑戦するのはやめた方がいい。あんまり無理をすると、怪我をする可能性があるからね。それだったら女らしさを表現できる作曲家を選べ。ショパンとか譜フォーレとかそういうもんをやるんだよ。」

杉ちゃんはデカい声で言うのである。

「杉ちゃん、人に対してそれは失礼じゃないの?」

と蘭は言うのであるが、

「ダメダメ。誰か注意してやらなくちゃ。そうしないで放置しちまうから、どんどん自分は偉いんだと勘違いして馬鹿になる。それは忘れちゃいけないよ。まあ僕が、水穂さんの代わりに批評をしたと思ってよ。」

と、杉ちゃんはカラカラと笑った。

「それでは、せっかくこちらに来て下さったんですから、サインを差し上げますわ。お名前を教えていただけないでしょうか。」

と、押尾さんは蘭に言った。

「ああ、どうもありがとうございます。僕の名前は伊能蘭です。」

急いで蘭がそう答えると、

「分かりました。じゃあ、蘭さんへと書いておきますわ。」

押尾さんはそういって、蘭が渡したCDに、自分の名前と蘭さんへと丁寧な字でサインした。

「あ、ありがとうございます。」

蘭が照れ笑いしながら受け取ると、

「意外にお前さんはファン思いなんだな。」

と杉ちゃんが言った。

「だって、私が演奏できるのは、ファンの皆さんのおかげだと思いますから。」

そういう彼女に、

「そうか、そういう姿勢ができるのであれば、大丈夫だ。お前さんはいつまでもその姿勢で居られるよ。」

と、杉ちゃんが言った。

「所で、お前さんは、」

また杉ちゃんが話しを変える。

「お前さん確か、お姉さんがいたんじゃなかったっけ?名前は忘れてしまったが、確か、昔、よく連弾で演奏していたよな。」

「ええ、それはデビューして間もないころの事ですわ。今は、ソロで活動していますけど。」

押尾さんは杉ちゃんの質問にそう答える。

「そうか。お姉さんは何処にいるのかな?」

と、杉ちゃんに言われて、押尾さんは一寸表情を変えた。

「ええ、今頃どこかで演奏しているんじゃないですか。姉とは、別々の道を歩きました。もう、全然違います。」

「ほんとかなあ。」

押尾さんに言われて、杉ちゃんは言った。

「そうじゃないんじゃないの?」

「杉ちゃんもうよそうよ。あんまり根ほり葉ほり聞くのは失礼になるんだよ。」

と、蘭が急いでそういうと、

「まあそうかもしれないが、いずれにしても変な確執が出ないようにしてくださいませね。」

と、杉ちゃんは言った。その時は、何も起こらないで済んだのであるが、、、。

演奏会を聞きに行って、数日後の事であった。蘭は、いつも通り杉ちゃんがインターフォンを鳴らしてくるのを待っていたが、いつまでたっても来ないので、一寸不思議に思って、杉ちゃんの家に行ってみた。

蘭が、杉ちゃんの家のインターフォンを鳴らしても、返事がない。杉ちゃん入るよと蘭は玄関ドアに手をかける。するとドアは施錠されてなくて、直ぐに開いてしまった。

「杉ちゃんどうしたの。今日買い物に行く予定だったはずじゃ、、、。」

と蘭がドアを開けて中を覗き込むと、デカい声でこういう声が聞こえてきた。

「だからあ、被布衿は、未亡人が着るもので、独身者が着るものではないんだよ。そこを理解してくれ。独身の女性に、旦那をなくした人ようの着物コートを仕立てろなんて、そんな無茶な御願い聞けるかってんだ。」

と、杉ちゃんが言っているのが聞こえてきた。つまり誰かが、和裁の御願いに来ているのだ。多分、着物の上着を仕立ててくれと御願いしているのだろう。その対象年齢で、杉ちゃんはもめているのである。

「杉ちゃん、どうしたんだ?誰かお客さんでも来てるのか?」

と蘭は部屋を覗いてみると、ひとりの女性が、テーブルの前に座っている。その女性は、先日演奏会を聞きに行った、押尾美佐子さんに何処か似ているのであるが、髪は染めておらず、茶色の白髪交じりになっており、多分年の違う姉妹だとわかった。

「ああ、蘭も手伝ってくれよ。この人ね、未亡人じゃないのにね、この被布コート、破れているので仕立て直してくれと言って聞かないんだ。まだ独身の女性が、被布コートを着ることはあり得ない話しだよ。子供の被布は祝い着として着るが、大人の女性の被布コートは、夫をなくした女性が着るんだよ。ほら、時代劇を見れば分かるだろ?被布コート着ているのは、お年寄りばっかりじゃないか。」

そういう杉ちゃんに、蘭は昔の着物の決まりというのは、なかなか伝えるのは難しいなと思ったのであった。

「そうですね、以前流行った大河ドラマでも未亡人が確かに被布コートを着ていました。それは、僕も認めます。こんな地味なのではなくて、もっとかわいい感じの物を着て行ってはいかがですか。なんでも通販なんかで安く買える時代ですけど、着物の知識を伝えるには成功していません。」

と、蘭は、杉ちゃんの話しを聞いて、そういうことを言った。

「ここにきてよかったんじゃないですか。道路なんかで着物に詳しいというか、着付けの先生のような人が居たら、あなたの着ているものは、対象年齢があってないと冷たく言われる可能性もありますから。だから、ここで杉ちゃんに話しを聞くことができて、幸運だったんです。」

「ほらあ。着物代官に変な物を着ていると言われたら、それこそ不運だよ。よかったじゃないの。もし、ほかのコートがみつからなかったら、僕がほかの布で仕立ててあげるから、いつでももってこいや。若い人から中年は、道行衿、都衿、詰衿、お年寄りは、へちま衿、千代田衿、着物衿、被布衿は、夫をなくした女性用。それを必ず覚えておいてね。」

杉ちゃんがデカい声でそういうと、

「幸せな人は、なんでも簡単に変えられると言いますが、私は、そうじゃありません。被布衿を選んだのは、年齢ごまかしたくて、やむを得ず買った物です。其れなのに、対象年齢があわないからダメって、なんかその、、、。」

と、女性は小さい声で言った。

「はあ。でも、着物のルールで言えばそうなってますからねえ。それは、かえられないからね。それに、おまえさんが、幾らごまかそうとしたって、着物ってのは、年齢をごまかすことはできないもんですから。」

と、杉ちゃんがいう。

「いえ、そういうことじゃなくて、年齢をごまかしたかったんです。それは、どうしても必要な事だったんで。」

「一体、何でそんな必要があったんですか?」

と、蘭は急いで聞いてみた。

「ええ。どうしても、妹に似ていることから遠ざかろうと思って。妹は、すごい有名になってますけど、私は、そうじゃなくなって。」

「ということはつまり、あの、押尾美佐子さんの?」

と杉ちゃんがいうと、彼女は、

「はい。押尾美佐子は私の妹で、私は姉の押尾理恵です。」

と言った。

「押尾理恵さんね。そうかそうか。こないだ、美佐子さんの演奏を聞いたよ。まあ、ピアニストとしてはまだまだだな。大物に比べたら全然だめだ。」

杉ちゃんがにこやかに笑ってそういうと、

「妹は、すごい演奏家になっちゃいましたけど、私は、全然何もできないんですよ。直ぐに遅れは取り戻せるって先生には言われたけど、それは妹が、有名になった後の事で。」

と、彼女は言った。

「ということはつまり、何かあったんですか?」

と蘭が聞くと、

「ええ。私、いちおうデビューはしたんですけどね。でも、直ぐに指を痛めてやめて、妹と一緒に弾いたこともあったけど、妹の名前を借りていると批判を受けて、私は結局何も出来なくて。今は、妹に食べさせてもらっているような、そんなダメな人間です。」

彼女が答えた。

「それで、妹さんと違う外見をつくりたくて、着物を着ようと思ったわけねえ。でも、おまえさんは、着物のルールをよくわかってなかったんだな。まあ、そういう気持ちも分からないわけではないからな。でも、そういう変装をするんだったら、着物だって身近に買える時代でもあるんだし、ちゃんと着物のルールにのっとってするべきだよ。それは僕が教えてあげるから、気にしないで素直に、分からないなら分からないと言うべきだよ。」

杉ちゃんは、えへんと声を立てて言った。

「そうですね。着物というものは、対象年齢とか何処へ着るのかとか、そういうことをわきまえて着るもんですよね。今でこそ、着物は格も何も関係なく、なんでも着られるという時代になってますが、まだ、着物は決まりにのっとって着るべきだという人もたまにいますからね。そういうひとに限って、おは処理がないとか、そういうことをいうんですよね。まったく、黙ってればいいってものを。でもそういうひとは、伝統を残してあげたいって思うんでしょう。まあ、どっちが正しいかは、誰もしめすことができないというのが今かなあ。」

蘭も、杉ちゃんに同調した。

「だから、ちゃんと対象年齢にあった物で、変装すべきなんだ。それはちゃんと守ろうな。」

と、杉ちゃんに言われて理恵さんは、涙を流した。

「すみません。だって、私の事、そういう風に見てくれる人なんて居なかったんですもの。皆、口を開けば、妹の世話になっているんだから早く自立しろとか、そういうことしか言わないし。かと言って、私が何かしようとすれば、妹の顔に傷をつけないようにとか、そういうことを言われるんです。私、ダメな人ですよね。」

「そんなこと言わなくたっていいんだよ。おまえさんはおまえさんの人生があるんだ。そりゃあ、妹さんのことをいう人はいると思うけどさ、どうせ、他人のいうことだもん。大した事ないよ。其れよりも、お前さんが、充実した人生を送ってくれればそれで良いと思うんだ。着物を着ることが、その第一歩になってくれればそれが良いな。」

と、杉ちゃんはにこやかに笑って、そういったのであった。理恵さんは、ありがとうございますと言って、涙をタオルハンカチで拭いた。

「まあ、これからも、妹さんのもとで暮らすと思うけど、それは、お前さんの人生だからそれは、お前さんの人生を歩いてくれればいいよ。」

と、杉ちゃんが言った。理恵さんは、そうなんですね、あたしがもう少ししっかりしていれば、もっと充実して居るはずだったのに、と一寸反省した顔でいうのだった。確かに多少後悔することもあるだろうが、人間は後へ進めない。ただ、まえむきに進むだけしかないのである。そして二度と失敗をしないように反省することもできる。

「ええ、ありがとうございます。私の事、しっかり受け止めてくれる人がいてくれたってだけでも感激です。妹さんに感謝しろとか、そういうことしか出てこなかったから、もう私は、完璧にダメなのかと思っていました。」

そういう理恵さんは、まだ涙を流している。

「まあ、着物を着だしたら、又人生観が変わったという人はいっぱいいるからな。だからお前さんもそれで頑張って欲しいな。」

「ええ。妹さんと自分は違うんだって、頭の中にいつも入れておくようにしてください。もし、またその決断が揺れるようになったら、必ずそれを思いだしてください。」

杉ちゃんと蘭は、彼女に向って、そういうことを言った。

「もし、着物の事で、何か質問あったら、遠慮なく僕たちに聞いてください。聞けることは、なんでもお教えしますからね。」

蘭がそういうと、彼女、押尾理恵さんは、とても嬉しそうな顔をして、ありがとうございました、又別の物を買うようにしますと言って、杉ちゃんの家を後にした。

其れから数日後の事。杉ちゃんと蘭が、スーパーマーケットに買い物に行って、帰りのタクシーでもとるか、と話していた時の事だった。

「あれれ、あの人、押尾さんじゃないか。」

と、杉ちゃんが前方を歩いている着物姿の女性を指さした。蘭もその方向を見ると確かに押尾理恵さんである。

「押尾さん!」

と、杉ちゃんがいうと、理恵さんは杉ちゃんの方へ駆け寄ってきた。

「こんにちは。ずいぶんかわいい恰好じゃないか。素敵だよ。今日は何の商いで?」

「ええ。私も新しい自分に成ろうと思って、今月からカーヌーンという中東の楽器を習い始めました。」

「へえ、珍しい楽器だな。なかなかそういうものを習いたがる奴はいないよ。居場所がみつかってよかったねえ。」

押尾さんの答えに杉ちゃんはそういって笑い返したが、

「そうなんですね。富士市で、カーヌーンを教えているところなんて何処の教室でしょうか。なかなか、見かけない教室ですから。」

と蘭は一寸聞いてみた。

「ええ、中村櫻子先生です。イスラム教の。」

と、彼女はにこやかに答える。

「ああ、あの櫻子さんが、音楽活動始めたんだね。まあ、カーヌーンというと一寸独特な響きがあるが、いずれにしてもいい音であることは間違いない。頑張ってやってくれよ。」

と、杉ちゃんが言った。

「僕は宗教学者ではありませんが、もしかして、行き場を失ったひとは、そういう伝統宗教にたよってもいいかもしれませんね。神様が、自分を見守っていてくれると解釈できるから。」

と、蘭は言った。そうかもしれなかった。イスラム教というと、よくわからない教えと言われることが多いけど、神様がずっと見守っていてくれるという考えは、ほかの宗教より強いものがある。

「まあ、よかったじゃないですか。いずれにしても、居場所がみつかってよかったですね。それは心から応援します。」

蘭がそういって、タクシー会社に電話をしようとしたところ、いきなり、一台のパトカーが三人の前にやってきた。そして、二人の警察官が、押尾理恵さんの前にやってくる。

「押尾理恵さんですね。押尾美佐子さんのお姉さんでいらっしゃいますな。一寸、署まで来て頂けないでしょうか?」

「一寸待て待て。一体何が在ったんだ?僕たちにも教えてくれ。」

杉ちゃんが急いでそう聞くと、

「はい。押尾美佐子さんが、今朝通り魔と思われる人物に刺されました。幸い腕を切られただけで、命に別状はありません。美佐子さんは、熱狂的なファンにストーカー的なことをされていたようで、

そのあたり、お姉さんに話していなかったかどうか、お伺いしたいと思いましてね。署までいらしてください。」

と、警察官たちは淡々と言った。

「そんな事、知りませんでした。美佐子がそんな事されていたなんて、一度も聞いたことがありません。」

と、理恵さんはそういうことをいうのであるが、警察は容赦しなかった。理恵さん行きましょうと言って、彼女をパトカーに乗せて走り去っていってしまうのである。

「やれやれ、とんだ災難になっちまったな。でも、理恵さんは、これまでの辛い仕打ちに耐えてきただろうし、きっと美佐子さんを支えていくこともできるだろう。僕はそう思うよ。」

と、杉ちゃんがつぶやくと、

「ああ、そうなってくれるといいね。他人である僕たちは何もできないけど、、、。」

蘭は一寸ため息をついた。





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仲良し姉妹の歌 増田朋美 @masubuchi4996

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