第8話
あれから、さらに数日が過ぎた。結局私はリリに一切救いの手を出さず、彼女からもまた一切謝罪の言葉などはなかった。リリの横たわる部屋からは、毎日のように誰かの声が聞こえてくる。
「リリ、大丈夫だよ。僕がずっとそばにいるからね」
ある日はサルタ。
「本当にごめんね…本当にごめんね…」
ある日は母。
「全く…リリがこんなに苦しんでいるのに、ミナの奴は様子の一つも見に来ないとは…」
ある日は父。
「…」
なんだか、この復讐を始める以前よりも居心地が悪くなった気がする。あの女は今この瞬間も苦しんでいることだろうけど、私の心に空いた穴は一切ふさがることなどなく、むしろ悪化している気さえしてきた。
そして数日後、いよいよ虫の息となってきたリリの部屋を、私は訪れる。
「…全く、無様ね」
どんな感情からかはわからない。嫉妬なのか、怒りであるのか、悔しさであるのか。ただ私の口から出た言葉はそれだった。リリの体は本当に弱ってきているが、その目に宿る意志は何ら衰えを感じさせないものであった。
「…無様なのは、一体どっちかしらね…」
声こそ弱弱しいが、その口調と目は大いに挑発的だ。
「…リリ、何か私に言いたいことはないかしら?」
決して彼女になにかを期待しているわけではない。この質問は、ただの好奇心からであったのかもしれない。
「…ええ、あるわ」
私は無言で、彼女の言葉を待った。
「…本当に…」
弱弱しく、しかし力強く彼女は言った。
「かわいそうな女ね」
「…!」
私は何も言わず、部屋を飛び出した。最後に見たあの女のあの笑みが、脳裏に焼き付く。まるで呪いのように、私の体から離れない。
…その後数日して、リリは息を引き取った。彼女の最後の言葉は、ざまあみろ、だったらしい。全身の自由が利かない中、妙な笑みを浮かべながらそう口にしたそうだ。彼女は心の中で、完全に勝ち誇っていたのだろう。
サルタとの話は一切の白紙となり、彼はここを去っていった。ただでさえ不仲であった両親との関係も、リリの死を境に離縁は決定的となった。私は家を追い出され、行く当てもなく足を進める。…そうか、シデンが言っていたのはこのことだったのか。私は今になって、彼との会話を少し思い出していた。
----
「よく言われているから知ってるとは思うけど、人に呪いをかけるって言うのは、代償なしというわけにはいかない…」
「私も、病弱になるという事?」
「これに関しては、正直前例がないからわからない…ただ、君にも相応の災厄が降りかかることは逃れられないだろう…」
「…リリに苦しみを与えられるなら、どんな災厄が来たって構わないわ」
「…そうか」
----
私はただ、立ち尽くす。私の目には、大きく燃え盛る屋敷の姿が映る。原因不明の火災が隣の屋敷で発生し、風向きが悪かったのもあって、一瞬で火の手が乗り移ってしまったらしい。…付近の人たちの話では、シデンは逃げ遅れてしまったと。
しばらくして火の手は消え、大方の予想通り焼けた残骸の中からシデンの遺体が発見された。私にはもはや涙も流れない。燃え盛る火の手を見ながら、すべて出し尽くしてしまった。…私にはもう、涙を流す気力も、声を上げる気力も、事態を悲しむ気力さえもなかった。
私は無心で街中から離れ、付近の山中へと足を進める。もはや、生きる気力すら失ってしまった。シデンを死なせてしまったのは、間違いなく私だ。彼に汚れ仕事をさせた上に、自分だけおめおめと生きていくことなど、とてもできなかった。
ある程度山の深くまで歩き、かなりの高さの滝を発見する。ここだ。ここでいい。私の死に場所は。もう服も靴もぼろぼろで、足裏に至っては出血している感覚さえ感じる。けれど、そんなことはもうどうでもいい。もう死ぬのだから。
私はシデンへの思いを胸に、滝の上まで足を運ぶ。下を見下ろして確信する。ここから落ちれば最期、助かることなどないであろう。
「…いま、行くね」
目を閉じ、そうつぶやく。もはや恐怖心など一切なく、むしろ早く飛び降りてしまいたい思いの方が強い。最後の覚悟を決めた、その時だった。
「いや、もう会ってるんだけど」
「!?」
後ろから、彼の声が聞こえた、気がする。私はゆっくりと、声が聞こえた方に顔を向ける。
「うわあ、ひどい顔だな。その顔もかわいいけど」
確かにそこには、シデンが立っていた。…これは、幻覚なんだろか?
「信じられないって顔だね。まあ座っては無そうよ。せっかく景色のいい所まで来たんだし」
彼は私の横に座り込む。私は全く目の前で起きていることについていけないまま、無心で彼の横に腰を下ろす。
「い、生きていたの…?」
「いや、死んだよ。遺体見たでしょ?」
「じゃ、じゃあどうして…」
「おいおい、浄霊師をなめないでくれよ」
彼は私を少し落ち着かせたのち、ゆっくりと説明をしてくれた。今の自身は霊体であり、その姿は私にしか見えないこと。私に降りかかる災厄をあえて一身に受け、絶命したこと。そしてこれはすべて、自分の意志で行ったこと。
とてもではないけれど、どうしてかれがそこまでしてくれるのか、私にはわからなかった。
「な、なんでそこまで、私を…」
それを聞いた時、彼はため息をついて顔を伏せる。そして再び顔を上げた時、その頬は少し赤くなっていた。
「わ、わかるだろばか」
「…」
私はただ湧き上がる感情のままに、彼に飛びついた。霊体となったその体は冷たかったけれど、私の体は一瞬で熱せられた。彼もまた、私の体に手をまわしてくれた。
「…おかえり、シデン」
「ああ、ただいま、ミナ」
もう、後に戻る気などない。これから先、これまで以上に苦しい現実が私たちを待ち受けていることだろう。それこそ、リリなどとは比にならないほどに。しかしどんな困難さえも、今の私には些細なものに思える。なぜなら私には、かけがえのない彼という存在がいるのだから。
そんなに病弱を演じるなら、本当に病弱にしてあげる 大舟 @Daisen0926
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます