第拾参話 豚、再現


 第伍話『豚、冷蔵庫の奥に』を覚えておられるだろうか。

 意気込んで錬成して絶品だったにも関わらず、哀れな末路を辿ったあのスペアリブの煮込みを。父は入院、兄は豚肉嫌い、私は脂っぽさにギブ。冷蔵庫の奥に押し込められた気の毒なあの子。

 

 ・・・・・・この恨み晴らさでおくべきか(反語)。


 と、豚肉が言ったわけではないのだが、沽券にかかわろう。豚肉のか、ホットクックのか、私のか、わからねど。

 

 豚肉、再挑戦リベンジである。リベンジという響きはどこか懐かしみを感じさせるがリベンジである。

 部位は変更。決して買い物行くのが面倒で、肉料理が続くけど、冷凍してあった豚バラ肉で済まそうとズボラをしたわけではない。いや、本当。というわけで。



 ──アーレ・キュイジ~ヌ! 豚の角煮(by鹿賀丈史)



 実のところ、以前からいつか錬成しようと思っていたメニューであり、そもそもホットクック購入動機の一つに角煮錬成の野望があったのだ。


 それは亡き母の思い出の味であった。


 丁寧に下茹でされ、柔らかく、こっくり甘辛しょうが味が染み込んだお肉。

 私が学生の頃にはよく食卓に並べられていたものである。学校から帰宅すると台所でことこと下茹でしている鍋があって、うっすら漂う独特の匂いを覚えている。甘辛の味付け前の、豚肉特有のくすんだ匂い。この根気のいる煮物は火を長く使うからか、よく寒い時期に供されていた。そして、豚肉を苦手とする兄が珍しく食べられる豚肉料理であった。

 そういえば、自作『白雪姫の接吻』という長編でも、主人公が帰宅すると豚肉が下茹でされているというシーンを書いている。自分でも無意識のうちにも〝母の味〟としてカテゴライズしているらしい。

 角煮を作ると言えば、兄は上手くできそうかと訊いてきた。つまりは味を再現できるか、という意味である。まあ、見ておれ──私は不敵に笑んだ。



 さて、調理開始レッツクッキングである。

 冷凍してあった肉の量はレシピの三分の二ほど。偶然ではあったが、前回スペアリブをもてあました経験から適量であった。

 5センチ角に切った豚肉とショウガとネギの青い部分、そして水を内鍋に入れて【スープを作る】【まぜない】モードで30分。脂抜きの下茹でもホットクックで済ませる。加熱後、肉を流水で洗ってアクを取る。

 内鍋を洗い、肉と調味料(酒、砂糖、しょうゆ、しょうが)と水を入れてスイッチぴ。1時間30分ホットくクックとなった。

 

 そして1時間30分後「出来上がりました」と真っ赤な筐体に呼ばれるが、今回の私は油断しなかった。ドキドキわくわく、プレゼントを開ける浮かれっぷりとはもうオサラバだ。この出来上がりは真のゴールではない。真正直に信じるほど初心ではない、汚れちまった悲しみよ。心静かに蓋を開け──ほら、やっぱり。

 肉には完全に火が通っているようだったが、明らかに煮汁の色が薄い。煮詰める必要がある。

 マーマレードジャム、鰯の梅煮、そしてエッセイには書いてなかったがイチゴジャムを錬成した経験上、ちょっとばかり理解が深まってきていた。

 ホットクックは『水なし自動調理鍋』であり、『水を使わない調理』は自動でできるが、その逆『水をなくす調理』は自動ではできないのだ。つまり、大概の『煮詰める』過程が必要な料理は、完全なるホットくクックは叶わず、手動で見守りつつの『煮詰める』をしなくてはならない。

 ちなみに付属メニュー集のレシピ通りに錬成したイチゴジャムは翌日になっても固まらずイチゴソースという具合で、くやしいからそのまま使い続けている。無糖の炭酸水で割ったら綺麗で美味しかった。つまり、第八話の失態は私のせいだけではなかったことを明記しておきたい。

 【煮詰める】コマンド20分ほど。こっくり甘辛しょうが香る、てりつや見事な豚の角煮が完成した。


 すぐさま器に盛り、内鍋を洗い、もう一品錬成する。卵4個に水をひたひたにしてスイッチぴで40分。


 それは母の味を越えた禁断の一品、ハイテンション、ハイカロリー、ハイコレステロール──豚の角煮・温泉卵添えだった。

 角煮はよく味が染み、とろっと柔らか、そこに濃厚でありながらまろやかな黄身のベールをまとわせたら、もう。

 私は久しぶりに食べ過ぎて気持ちが悪くなった。

 




 その夜更け、床についてから、仕事から帰った兄からのLINEが入った。



『豚肉、自分にはちょっと無理っぽいかな。やっぱり』 

 

 

 え、ええ・・・・・・。

 つまり、あの味を再現できてないと言うのだ(一応は控えめに)。

 いやいやいや、ほとんどおんなじだよ、思い出補正じゃない!?

 そんなツッコミが虚しいとはよくわかっていた。そして、想定もしていた。温泉玉子は計4つ・・・。角煮が口に合わなかった時のために1つ余分に錬成しておいたのだ。明日も仕事でありタンパク質不足はよろしくない(コレステロール過多かもしれないが、実のところどうなのだろう)


 ──母の味は遠きにありて思ふもの 再現する味にあるまじや──


 そう、とだけ返して私は眠りについた。

 この先、しばらく豚肉を買うのはやめておこうと思いながら。

 

 

 ところで、第伍話のラストで冷蔵庫の奥深く眠っていたスペアリブの煮込みだが。あれはもう、ない。いつの間にか消えていた。

 その時期は父が退院した頃と合致する。あの下血は、お腹を壊すと再入院の可能性があったはずでは・・・・・・老体で、病み上がりで、あの脂を、何日も経過していたのに・・・・・・?

 まさか、と思いつつ父には訊いていない。真実は冷蔵庫の奥深くで眠る。

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