第拾話 サカナチャレンジャー
第壱話から九話、私は徹底的にその食材を避けてきた。
魚である。
特に青魚は苦手だ。食べるのは少々、調理するのはかなり。
魚を捌く技術がないのはすでに述べた通りだが、パッケージングされている切り身とて抵抗がある。
上手くやればもちろん美味しいし、DHAやらEPAやら、なんか身体に良さげな栄養が含まれているらしいと存じ上げている。それでもなお、ためらう。
青魚にはトラウマがあった。
いや、
青魚と言えば、トーストだ。
トーストと言えば、鯖だ。
SABA、さば、サバ。サバ缶のサバである。広告バナーでおなじみ自称サバサバ女のサバではない。青魚である。
独り暮らしを始めた時のこと。引っ越し費用が嵩み、色々と切り詰めていたが、特に犠牲となったのが〝食〟だ。自炊はするが、主なタンパク源は卵と豆腐。自分一人なので、一食抜くのはお手の物。それより北欧ラグやソファ(これはニトリ)に投資したいお年頃だった。
なれど、たま~にやる気というか身体に対する罪悪感が湧き上がり、台所に立つ。罪悪感があるから、免罪符として、身体に良さそうなかつ安値の食材に手を伸ばす。そこで、鯖だ。
チューブのおろししょうがをたっぷり入れた味噌煮を錬成。味はそれなり。二切れ煮たので、半分は翌日の夕食へ回す。
さて、私は朝食は必ず摂る。休日は寝過ごして昼食と兼用になることはあるが、食べなくては頭も身体も動かないので、仕事の日はまず抜かない。最安値でエネルギーを摂取しようとしたら、
いそいそと用意して、どかりとソファに座って、スマホを広げつつ、トーストに齧り付く。
──生臭い。
もちろん、心当たりはあった。昨夜のサバ味噌の残り香だ。ろくな調理器具を持っておらず、鯖の味噌煮を煮るのも、今トーストを焼くのも、小さなフライパン一つで済ませていたゆえに。
想像していただきたい。たっぷりのマーガリンとジャムを塗った生臭さトーストを。
それから私は青魚を以前に増して警戒するようになった。魚焼きグリルを使用しない我が家では、魚を焼く時は必ずフライパンにアルミシートを敷いている。
買って間もないホットクックで青魚を調理・・・・・・かなりの冒険だ。だからこそ連休中にチャレンジせねば、盆休みに先延ばしされることは容易に想像された。
逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ──
世は緊急事態宣言が発されんと恐々、長くは外出できない。私は賭けた。
大体にして、賭けをするのは愚か者だと自作で散々書いておきながら、なぜ賭けるのか。スーパーに行けば、鮮魚店にぴっかぴかの青魚──鰯がいた。しかも、頭と内臓を処理してある甘やかされ設定。そして安い。賭けに勝ったのだか、負けたのだか、試合に勝って勝負に負けたか、負けたが買ったか、勝ったが欠けたか、わからぬまま鰯を購入した。
今回は、鰯の梅煮である。ショウガはもちろん入れるが、ショウガだけでは魚臭が消えるか不安だったので、梅の力も借りるのだ。
身に残っていた血を綺麗に洗い流して塩を振って二十分。水気をキッチンペーパーで拭き取る。ぴかぴか、つやつや、身のしっかりした端麗な姿であった。きっと顔も美しかったのであろう。次回は、頭から尾の先そして内臓まで、しっかりと対面したいものである。いや、本当。
内鍋に重ならないように並べ、調味料、千切りしょうが、そして梅を加える、のだが。ここで困ったことに梅が無い。スーパーでチューブ練り梅を探したが、売り切れだったのかそのスペースだけ空いていた。本物の梅干しはお高い。そこで私が代替品としたのが、〝ゆかり・あかり・かおり〟ふりかけ三姉妹でお馴染み三島食品の新商品〝うめこ〟である(彼女の三姉妹との血縁関係は明らかにされていない)。
原材料を確認し、適当に投入。コマンド〝いわしの梅煮〟、ホットクック発進!
加熱中、ほのかに漂う梅の香り。紅天女の紅梅の谷もかくやと思われる。
約25分後、できあがりです、の呼び掛けに蓋を開ける。けれども、味の染みが薄い気がして、ひっくり返してもう5分加熱。この時、少し崩れてしまったが、しようがない。
時は流れて、さて、いかに・・・・・・
結論を言えば、上手にできた。身は少し崩れたが、ぴかぴか光る銀色はそのままに、柔らかくしっとり、味はほどほどに染みて、青魚の生臭さは消えている。同時に〝うめこ〟の姿も香りも消えていた。生臭さと引き換えに、その命をはかなくしたらしい・・・・・・合掌。
だが、青魚は後片付けまでが
ところで、サバの味噌煮を作った小さなフライパンはどうなったかといえば、脱臭方法を検索して、牛乳を入れて沸騰させた。今もまだ現役である。
あの独り暮らしを思い出すと、生臭く、苦く、すっぱい。
当時、私は恋をしていた。
かつての職場から遠かったものの、通えなくはなく、大枚はたいて実家を出る必要はなかった。けれど、どうしても、あの時は出たかった。他の何にも属しない自分一人で丸ごと享受したかったのだ。
なんとも無鉄砲で、無計画で、無敵だった。顔を合わすたびに嬉しくて跳ね飛んで、いつも笑っていると言われた。
結果としては〝うめこ〟となり、はかなく消えた。
たっぷりのマーガリンとジャムを塗った生臭さトーストを食べる気概があれば、あるいは・・・・・・いや、ない。
青魚といえば、トースト。
トーストといえば、サバ。
サバといえば、コイ。
果たして、匂いは脱けただろうか。時折、目を閉じ、嗅いでみる。
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