第八話 アマナツ、翌日

 昔、Ku:nel(クウネル)という雑誌を仕事の参考までに購読していた。2016年に大幅リニューアルしたそうだが、私が読んでいたのはそれ以前。当時のコンセプトは「ストーリーのあるモノと暮らし」であった。ていねいかつナチュラルな生活、庭つきのおうち、こだわりの食器、洗いざらしの木綿を羽織り、車はMINI、あるいはいっそ軽トラかという人々が登場していた。きっと多分、豆とか、ジャムとか煮る。当然、憧れていた。いや、憧れている、今だって(だからこその、第参話)。


 5月3日、1530。連休でなければ手を出さない壮大なプロジェクトへ乗り出した──ジャム作りである。 

 午前に出掛けた産地直売所にて、私は甘夏を狩っていた。つまりはそう、マーマレードジャムである。太陽の恵みをいっぱいに受けた果実を砂糖で煮込み、さらに幸せ色濃い黄金に煮詰めるのだ。私のテンションはだだ高まりしていた。


 まずは瓶を煮沸消毒。もちろん、ホットクックを使わない手はない。ネットで検索し、〈スープ機能〉〈まぜない〉で二十分。

 その間、甘夏を果肉と皮にわける。皮は刻み、アク抜きをしなくてはならない。これはちょっと面倒な工程だ。この皮の内側の白いワタが苦いわけで、可能な限り除去したい。

 そこで思いつく、野菜の皮を向くように、ピーラーで甘夏の表皮をこそぎ、こそいだ部分と果肉だけ使えば、うまくいくんじゃね、楽じゃね、天才じゃね、と。

 ピーラー作業は容易で、さっさと済んだ。刻み、小鍋で十分煮てアク抜きして、あとは内鍋に果肉、刻んだ皮、砂糖、レモン汁を投入、スイッチぴ。調理時間は45分。

 

 後片付けをして、私は散歩に出た。鍋に火を点けたまま外出できるというのは、ホットクックの強みだ。 

 近所の田んぼに水が張られ、風が水面にさざなみを作り、あっちこっちに白鷺が飛来している。良い日和であった。

 私はこの白く細く優美な鳥を見るのが好きで、度々自作にも出しており、この季節よくぶらぶら歩いてスマホを向けている。耕運機を怖がりもせず、むしろストーカーのごとく付き従う鷺たち。掘り起こされた土に餌が豊富にあるのだろう。

 あんまり熱心に追っかけていたせいで、細い道に乗用車が正面からやってきて気付いた時には退くに退けず、蟹じみて横を通り抜けるのは、まあ毎年のことである。 

 足取りは軽かった。帰宅したらば、ジャムが出来ている、なんとまあ幸福なことか。


 ジャム作りには夢がある。浪漫がある。物語がある。

 ここでジャム作りが出てくる物語を二編紹介したい。ジャムが先か、物語が先かわからねど、私はその双方に惹かれる。

 一作目は、児童文学作家・安房直子氏の『あるジャム屋の話』。氏の『きつねの窓』という哀切溢るる短編でご存じの方も多かろう。『あるジャム』は、就職が嫌でジャム屋を始めた青年の元に、ある日鹿の娘さんがやってきて、共に商売繁盛に励むサクセスストーリー・・・・・・と、私が書くと趣もへったくれもないのだが、平易でありながら、言葉の一つ一つが輝くような作品だ。ブルーベリーの果実の瑞々しさと宝石のような美しさにうっとりしてしまう。また、恋の切なさ喜びも心に湧き上がらせる、大好きな一編だ。

 二作目は、みんな大好き小川洋子氏の『妊娠カレンダー』。妊娠した姉にアメリカ産グレープフルーツでジャムを作り続ける妹の話。暗というか陰というか鬱なお話なのだけれど、グレープフルーツのぷりぷりとした果肉がふつふつ煮立つ様が妙に頭から離れず、折に触れて読み返してしまう。




 さて、散歩から帰宅してしばらく、ホットクックに呼ばれて蓋を開ければ金色マーマレードが、・・・・・・・・・・・・できて、ない。


 しゃっびしゃびである。ホットジュースである。汁物である。液だ。いやいやいやいや。

 計量は間違えていない、操作も正しい、なのに何故。

 あまりの出来てなさに、私は光の速さでスマホにて検索をかけた。

 断定はできない。だが、他に思い当たるフシがない。


 ──ペクチン・・・・・・つまりはゲル化剤か!?


 ペクチンとは植物の細胞壁に含まれる複合多糖類で、いわば天然のゲル化剤、ジャムにおいてとろみをつける役割を果たす。いちご、りんご、キウイ、柑橘などに多く含まれ、柑橘の場合、皮の内側のワタやスジ、袋部分に多く含まれる──

  


『この皮の内側の白いワタが苦いわけで、可能な限り除去したい。

 そこで思いつく、野菜の皮を向くように、ピーラーで甘夏の表皮をこそぎ、こそいだ部分と果肉だけ使えば、うまくいくんじゃね、楽じゃね、天才じゃね、と。』



 この、大たわけが。


 己の所業を思い出し、台所の天井を仰ぐ。ホコリが張り付いている。つまり、私はジャムのジャムたる由縁を除去して悦っていたのだ。

 いや、でも、『あるジャム屋の話』にも『妊娠カレンダー』にも、ペクチンの重要性について書いてなかったもん、レシピにも載ってなかったもん!

 もん、と言っても、すでに夕刻、夕飯の支度もホットクックを使用する予定であり、もたもたしてはいられない。なれど甘夏は使い切り、もはやペクチン追加投入はかなわない。かくなる上は・・・・・・ホットクック奥義、手動調理〈煮詰め機能〉!

 これは蓋を開けて様子を見ながら煮詰めることができる機能であり、2018年以降

(KN-HW16D/HT99B)のモデルには採用されている。我がホットクックは最新モデルではないが(第壱話参照)、煮詰め機能は備わっていた。五分刻みで設定してぐつぐつぐつぐ煮詰まりとろみがつく様を見守る。この時点でホットくクックでは全然無くなっていたが、是非もなし(by麒麟がくる)。


 ペクチンは加熱すると溶け、冷やすと固まる。つまり、加熱し過ぎては、ワタを除去したとはいえ、固まり過ぎる可能性がある。どこかで見極めねばならない。だが、どうやって・・・・・・


 んもう、適当にするしかなかった。っていうか、途中まで計測していたけれど、延長に延長を重ねてよくわからなくなっていた。

 多少は煮詰まったとはいえ、まだマーマレード汁という風情のそれを瓶に詰めてすぐに蓋をする。

 冷めたら冷蔵庫に入れて、翌日どうなっているか──神のみぞ知る、だった。


 明朝、いの一番に冷蔵庫を開け、瓶を傾ける。昨夜時点ではマーマレード汁だったそれは多少ゆるかったが、とろり粘性を帯びており、十分にマーマレードジャムであった。スプーンでひと匙掬えば、甘味と酸味、そして苦味が調和している。

 私は歓喜した。

 当然、朝食は、ドリップコーヒー、冷凍ブルーベリーを乗せたヨーグルト、昨夜ホームベーカリーで(兄が)セットして焼き立てのパン、そして手製のマーマレードジャム。

 ブルーベリーがサファイアならば、マーマレードはトパーズ。(かつての)Ku:nelに掲載されたっておかしくない食卓、ズボラとは対極の〝ていねいな生活〟。ほらほら、見よ、兄!

 一時間前には起床、猫のトイレ掃除、猫の食事を用意し、とっくに朝食を済ませていた兄に披露する。

 すると兄は、最近、とある本を買ったと言って自室へ行き、戻ってくる。



 『「暮らし」のファシズム/大塚英志』



「ていねいな暮らしとファシズムの関連性が書いてあってな」



 ・・・・・・ああ、うん、なんとなく察し。とりあえず、読み終わったら貸してと伝えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る