聖女の能力で見た予知夢を盗まれましたが、それには大事な続きがあります~幽閉聖女と黒猫~

猫子

聖女の能力で見た予知夢を盗まれましたが、それには大事な続きがあります

「聖女リア……いや、王家を欺き、聖女を騙る不届き者め! 余は今この時を以て、貴様との婚約を破棄する!」


 宮廷の夜会の場にて、この国の第一王子、アズル・リヴェル・レオンハート殿下は、私へ向かってそう宣言した。

 私は何を言われたのか、全く理解が追い付かなかった。


「ア、アズル殿下、何を……」


 アズル殿下はウェーブの掛かった、気品のあるブロンドの髪を持つ。

 心強い優しげな笑みが印象的な美男子であった。

 だが今は、虫でも見るかのような冷たい目を私へ向けている。

 彼のこんな顔を見たのは初めてだった。


「気安く呼ぶでない、偽聖女めが! 貴様の陰謀は全て明らかになったのだ。ひと月前、マルトリッツ公爵家の令嬢である、マリアンネに聖女の証が宿った。聖女は一代に一人だけ……つまり、貴様は偽者だったということだ!」


 アズル殿下の傍らにいる女性が、マリアンネ公爵令嬢なのだろう。

 アズル殿下と親しげに腕を組み、勝ち誇った顔で私へと目を向けていた。


「残念だったわね、偽聖女ちゃん。今まで王子太子を騙して取り入っていたのに……。今、どんな気持ちかしら?」


 マリアンネ様の手の甲には、私のそれと全く同じ、青い花の紋章が入っていた。

 聖女の証である。

 恐らく、刺青で入れた偽物だろう。


 私は五年前、平民の身で聖女として宮廷に迎え入れられることになった。

 当然宮廷では浮いており、様々な嫌がらせも受けてきた。

 聖女は宮廷に入る決まりとはいえ、それだけ平民が宮廷に紛れ込むのは不自然なことであったのだ。

 そんな私に真摯に味方になってくれていた人は、アズル殿下だけであった。


 だというのに、結局のところ、アズル殿下も私のことなど何とも思っていなかったのだろう。

 今思い返せば、アズル殿下のやってくれたことはどれも口先ばかりだった。

 具体的に私のために動いてくれたことなんてなかったし、ここ最近はまともに会いに来てくれることもほとんどなかった。


 それでも決して疑いはしなかった。

 私は自分を騙して彼を盲信することで、行き場のない宮廷暮らしに耐えていたのだろう。

 ああ、なんて手軽で、愚かな女であったことか。


 聖女とは上級貴族の中から出てくるのが常で、平民である私に紋章が現れたことを快く思わない貴族集団がいることは知っていた。

 アズル殿下は恐らく、彼らと結託することにしたのだろう。

 平民の女を庇うよりも、公爵家の令嬢を本物の聖女であったとすることにしたのだ。


 前々からアズル殿下の心が私から離れて行っていることは薄々と勘づいていたが、私への態度が露骨に素っ気なくなったのは半年前からであった。

 あの頃には既にこの計画を進めていたのかもしれない。


 何もかもがどうでもよくなってしまった。

 何もわからないまま窮屈な宮廷に放り込まれ、蔑まれてきた。

 そんな日々に耐えてこられたのは、アズル殿下が私と心を通わせてくださっていると信じていたからだ。


 私にはもう、何も反論する気にもなれなかった。

 どうとでもしてくれればいい。

 もう私に生きる意味も、未練もな……。


「ちょ、ちょっと待ってください! あの……あのことはどうなさるおつもりなのですか! 皆様、どうか聞いてください。確証を得られるまでは安易に口にするわけにはいけないと控えていたのですが、この国に災いが訪れるかもしれなくて……!」


 一説によれば、聖女は国を難事から救うために現れるのだという。

 聖女は予知夢を見る力があると、そう言い伝えられていた。


 私もここしばらく同じ悪夢に苦しめられており、夢を見る度にそれを紙に纏めて、アズル殿下に相談していたのだ。

 勘違いだったでは済まされない大騒ぎになるかもしれないため、もう少し予知夢を見て情報を集めるべきだ、と彼から助言をもらっていた。


「皆よ、マリアンネ公爵令嬢が真の聖女であることをここに証明する! さ、マリアンネよ!」


 アズル殿下に言われ、マリアンネ様が頭を下げて前に出る。


「皆様……本来であれば、みだりに社交界を乱すべきではない。もっとゆっくりと根回しを行ってから、別の場で偽聖女のリアを告発するつもりでした。しかし、事態はそう単純ではないのです。私は聖女として、予知夢を見ました。近い内に、邪悪な竜が現れ、大きな災厄を齎すでしょう」


 私は唖然としていた。

 マリアンネ様が口にしている内容は、私はアズル殿下に相談していたことそのままだったのだ。

 マリアンネ様は私の顔を見て、口の端に微かに含み笑いを讃えた。


 周囲にどよめきが広がっていく。


「慌てる心配はいりません。既に、現れる場所と大まかな日付は、私が予知夢で見た光景……日と月の位置より、特定済みです。邪竜に先回りして兵を配備しておけば、大事に至る前に討伐することができるでしょう」


 マリアンネの続く言葉を聞いて、私は全てを理解した。

 アズル殿下は私のメモから既に側近を使って各地を調べさせ、具体的な情報を掴み、これがただの悪夢ではないことを見抜いていたのだ。

 その上で、本物の聖女と偽者の聖女を入れ替えるために利用しようと画策したのだ。





 私が聖女だとわかったのは十歳のときだ。

 教会孤児として暮らしていた私の手の甲に、花を模したような紋章が浮かび上がった。

 どうやらそれが聖女の証、とやらであったらしい。


 千年前、天から現れた天使が魔物の溢れる大地に結界を張り、人々が安心して暮らせる場所を作ったのだという。

 天使は人間と交わり、強い魔力を持った子孫が生まれた。

 その天使の子孫が中心となって築いたのがこのリディア王国の始まりである。


 そして百年に一度、天使の力を受け継いだ少女が現れ、大きな災いを退けるとされている。

 それが聖女なのだ。


 私は聖女の証を得てから『聖女リア』として数日の内に宮廷へと招かれ、聖女としての教育を施された。

 聖女は天使に近い尊い存在であり、国難を救うかもしれない英雄の器でもある。

 相応しい教養と人格の持ち主でなければならない、ということなのだろう。


 ただ、記録では聖女とは、王族と血の繋がりが濃く、魔力の強い上位貴族の中から現れるとされていた。

 平民の、それも孤児である私が聖女の証を得たというのは、宮廷内でもかなりの騒ぎとなっていたらしい。

 

 聖女は天使に近い尊い存在という建前ではあったが、宮廷内では私は半ば腫れ物のように扱われていた。

 どうやら平民である私が聖女となって宮廷に迎え入れられたというのは、貴族達にとっては到底受け入れがたいことであったようだ。

 元より聖女が現れるのは百年間隔、聖女の保護自体に価値を感じてない者も多いのだろう。

 また、上級貴族の不貞によって生まれた子供が孤児になっていたのではないか、という噂もあった。



 私が宮廷を訪れて五年が経ち、十五歳になった。

 未だに私の宮廷内での話し相手は、教育係や世話係を除けば、第一王子殿下であるアズル殿下くらいであった。


「宮廷は居心地が悪そうだな、リアよ。妙な噂は流れているが、気にするな。貴殿は余の婚約者なのだからな。もし意地悪をする者がいれば、すぐに余に言え」


 この国では、聖女が現れた場合は王の正妻となることが定められているそうだ。

 天使の血を王族に取り込んで王族の魔力を強化すると共に、民に対する威光を強める目的があるのだろうと私は考えていた。

 

「ありがとうございます……アズル殿下」


 教会育ちの私にとって、宮廷は恐ろしいところだった。

 頼れるのはアズル殿下だけだった。


 アズル殿下曰く、この宮廷は三つの派閥に別れているようだった。

 第一王子アズル殿下、第二王子クローデル殿下、第三王子マザラン殿下の派閥である。

 異母兄弟であり、三人共母親が異なるのだ。


 第二王子クローデル殿下は冷酷な御方なのだという。

 無口で陰湿で、自身の手を汚さず策謀を巡らせることに長けていると、アズル殿下はそう口にしていた。


 第三王子マザラン殿下は王位に関心が薄く、奔放に生活しているそうだ。

 ただ、マザラン殿下の母親は、彼を王にすべく動いており、社交界でもかなり顔が利くという噂である。


「順当に行けば余が次期王であるが……どうにもクローデルは、聖女という不確定要素を利用しようとしている節がある。あまり下手にあの男に近づくでないぞ」


「以前クローデル殿下とお話をしたときは、『あまり私と長話をしていれば、兄上に誤解されますよ』……と」


 ただ、クローデル殿下は私と初めて会ったとき、獲物を前にした蛇のような、打算深い冷たい目を浮かべていた。

 宮廷内で人目をずっと気にして生きている私は、そうした視線に敏感であった。


「奴にしては殊勝な心掛けだが、その言葉、本心であればよいのだがな。奴に何かされたときには、真っ先に余へと言うのだぞ。仮に聖女である貴殿を抱き込めば、クローデルは王位に近づくことができる。ただ……そのときには、貴殿は利用されるだけして、切り捨てられることになるだろう。くれぐれも気を付けよ」



 そんな次第で、私が心を許せるのはアズル殿下だけだったのだ。

 ただでさえ肩身の狭い宮廷暮らしで、誰が敵になるのかもわからない状況であった。

 アズル殿下だって忙しく、ずっと私の傍にいてくれるわけではない。


 いや……私には、もう一人だけ心を許せる相手がいた。

 庭園でお花を眺めているとき、いつも私の傍にやって来てくれる黒猫がいるのだ。


『ご機嫌いかがか、聖女リア』


 黒猫が私を見上げ、首を伸ばす。

 私は屈んで目の高さを合わせた。


「ありがとう、ウィズ」


 黒猫のウィズ……私の秘密の話し相手である。

 聖女の魔力のお陰か、私には動物と心を通わせることができた。


 魔力に長けた上級貴族の間では、こういった固有魔法マギアと呼ばれる特異な能力が身に付くことが多いとは聞いていた。

 宮廷内ではかつて固有魔法マギアを用いた陰謀が巡らされたこともあり、発現に気づいて黙っていれば最悪極刑に課せられることもある。

 私のこの力についても当然、アズル殿下を通じて、とうに宮廷内に広まっている。


 とはいえ普通は簡単な指示を出すくらいしかできない。

 このように会話ができることは他に例がなかった。ウィズは魔力の保有量が高いためかもしれない。

 私が十歳の頃に怪我をしたウィズを助けたところ、すっかり懐かれてしまい、今では大の親友である。


 ウィズは第三王子マザラン殿下の母親である、第三夫人の飼っている猫が産んだ子であるそうだ。

 ただ、宮廷内に黒猫は不吉であるため追い出されるか殺される可能性があるため、隠れ住みながら生活をしているのだそうだ。

 家族にもまともに会いにいけない状態であるらしい。

 宮廷内で厄介者扱いされている私に通じるところがあった。


『しっかり眠れているか? 最近、例の悪夢は見るのか?』


 ウィズの言葉に、私は小さく頷く。


「うん……以前より、頻繁に」


 ここ数日、たまに悪夢を見るようになった。

 紫の鱗を持った大きな竜が、街を破壊していく夢である。


 この悪夢は恐らく、聖女の力の見せる予知夢ではないかと思っている。

 聖女は国難を退けることが役目であり、そうしたことを夢で予知できた例があるのだとか。


「……アズル殿下にも相談して、なるべく紙に見たことを纏めるようにしているの」


 これが本当に予知夢であるならば、いずれこのリヴェル王国に恐ろしい竜が現れることになる。

 もっと鮮明に見ることができれば確証を持つことができるだろうし、何か具体的な対策が見えてくるかもしれない。


 国王陛下にも伝えようかと思い悩んでいたが、アズル殿下と相談した末に、勘違いだったでは済まされない大騒ぎになるかもしれないため、もう少し予知夢を見て情報を集めるべきだ、という結論に達していた。


 体感だが、寝る前に魔力を込めて祈りを捧げたり、夢を見ながら魔力を使うイメージをすることで、例の悪夢を見る頻度を上げたり、堀り下げて見ることができるのだ。


『しかし……例の悪夢を見た後は、体調を崩すのではなかったのか? 前に高熱を出したときも……』


「ええ、でも、国のことには変えられないもの。それに……私が聖女としての実績を出すことができれば、アズル殿下も喜んでくださる」


 私はただの平民なのではないか、とよく陰口を叩かれていることは知っている。

 私だけなら慣れたことだ。

 だが、このままでは婚約者であるアズル殿下まで巻き込んでしまうかもしれない。

 私の怠慢で国に被害を出すわけには当然いかないし、それに私はアズル殿下の迷惑にはなりたくなかった。


『……アズル王子のことは好きか?』


「ええ、とても優しい御方だし……いつも私のことを気遣ってくれて、それにこの宮廷で、唯一私の味方になってくれる人ですもの」


『そうか……』


 ウィズが小さく頭を下げる。

 落ち込んでいるようで、私はくすりと笑ってしまった。


 私はさっとウィズを抱き上げる。


「ごめんごめん、一番私のこと気遣ってくれてるのは、ウィズだもんね、よしよし」


 ウィズは数秒の間心地よさそうにしていたが、はっと気が付いたように目を開き、もがき始めた。


『ああっ! こら、やめろ! いつも言っているだろう、私は触られるのが苦手なんだ!』


「気持ちよさそうにしてたのに……」


『だいたい、そんなことで気落ちしていたわけではない』


「そんなこと……?」


『猫は色々なことを見聞きするものでな。リア、もしもアズル王子が信じられなくなったときは……』


 ウィズはそこまで言って、言葉を止めた。

 何か言い淀んでいる殿下子だった。


「ありがとうね、ウィズ。でも、アズル殿下は本当にいい人だもの。信じられないだなんて、これまで思ったことはないわ」


『……そう、か。そうだといいのだがな』





 今思えば、ウィズはアズル殿下の心変わりを察していたのかもしれない。


 いや、心変わり、というのは不適当か。

 最初からアズル殿下が見ていたのは王位だけだったのだ。


 アズル殿下は、第二王子のクローデル殿下を王位にしか興味ない腹黒い人物だと評していた。

 だが、振り返ってみればアズル殿下も同じだった。


 アズル殿下は、聖女である私の存在を上手く使えば自身の地位を盤石なものにできると踏んでいたのだろう。

 しかし平民の出自を持つ私への他貴族の反発が予想以上に大きかったため、切り捨てることにしたのだ。

 この王城に最初から私の居場所なんてなかった。



 私はアズル殿下とマリアンネ様、そして数名の衛兵と共に、国王のいる謁見の間へと並んでいた。


「まさか、そなたが偽の聖女であったとはな! 聖女リア……いや、ただのリアよ! 儂を欺き……国を惑わした罪は重いぞ! 何か申し開きはあるか!」


 国王であるゲオルク陛下が豪奢な玉座に座り、私を睨んでいる。


「そなたのような小娘が、たかだか一人でこれだけのことを画策できたはずもない! このままであれば、そなたを拷問に掛けて主犯を吐かせ、その末に死罪とすることになるぞ!」


 私は膝を突き、ゲオルク陛下へと頭を下げた。


「陛下……どうか、聞き入れてください。あの予知夢は、私が見たものなのです」


「父上よ、この者は、この期に及んで我が身可愛さで嘘を吐いています! 何と醜いことでしょうか!」


 間髪入れず、アズル殿下がそう口にした。


「……私のことなど、もうどうだってよいことです。私はこれまで、アズル殿下と……そして、この国にお仕えするために生きてきました」


「つまらぬ同情を引こうとするな! 貴様の汚い魂胆はわかっているぞ!」


 アズル殿下が声を荒げる。

 私が余計なことを口にしないか怯えているようにも見えた。

 貴族派閥が関与しているのは間違いないが、どうやら国王は別であったらしい。


「陛下……まだあの予知夢は、私がアズル殿下に伝えた予知夢は、完全ではないと思うのです。何か、重要なことを見落としている……私には、そう思えてならないのです。だからこそ、アズル殿下以外にはこれまで何も言わずに来ました。お願いです、どうか……どうか、時間をください。私のことなど、今更もうどうだっていいんです。ですが、人が大勢亡くなるかもしれないのを、それと知って放っておくわけにはいきません」


「不安を煽って、命乞いか! つくづく見下げ果てた女だ! 父上、このような戯言に耳を貸す必要はございません!」


 アズル殿下は吐き捨てるように口にした。


「ふむ、マリアンネ公爵令嬢の予知夢に被せた、ただの幼稚な言い逃れだとしか思えんな」


 ゲオルク陛下もそう口にした。

 アズル殿下は露骨に安堵したように頬を緩めていた。


「リア、そなたは旧宮廷……リヴェル監獄塔に幽閉処分とする」


 ゲオルク陛下の言葉に、私は再び頭を深く下げた。


「ありがとうございます、陛下……」


「ま、待ってください、父上! 彼女は拷問の後に、死罪とするのでは?」


「無論、聖女マリアンネを疑っておるわけではない。ただ、国命が懸かっておるのだ。保険は用意しておかねばな。リヴェル監獄塔は、存在そのものが不都合な罪人を幽閉しておくための場所……中に閉じ込めておれば、死罪も同然であろう。それとも何か、殺しておかねばならん理由があるのか?」


 こうして辛うじて死罪を免れた私は、リヴェル監獄塔へと護送されることになった。




 旧宮廷、リヴェル監獄塔。

 使われなくなった古い宮廷を、処刑場として使い始めたのが発端だったのだという。

 今では身分の高い犯罪者を閉じ込めておくために用いているようだ。


 一日に一度、扉の前へと食糧が運ばれる。

 扉越しに見た相手の人は、囚人達と意思疎通を図らないためか仮面を被っていた。


 何回か声を掛けてみたが、一度も反応は得られなかった。

 仮面が分厚いのか、もしかしたら耳が聞こえない人を使っているのかもしれなかった。

 ここで予知夢の続きを見たとしても、外に伝える手段はあるのだろうか。


 簡素な食事と、格子窓から見える小さな空だけの日々が続いていた。


 そんなある日、格子窓に来訪者がやってきた。

 黒い猫が、顔を伸ばして私を見下ろしていたのである。


「ウィズ……? ウィズなの!」


『……ああ、そうだ。あの馬鹿王子と愚王のために、とんでもないことになってしまったな』


 私は咄嗟に言葉を返せず、俯いてしまった。

 本当に愚かだったのは私だ。いや、聖女に選ばれた時点で、こうなるしかなかったのかもしれない。

 私は結局宮廷で、ウィズ以外と心を通わせることはできなかったのだから。


「……ありがとう、最期に親友のあなたが、ここまで来てくれて」


 私はせいいっぱいの笑みを浮かべる。


『リア、まだ望みはある。夢の続きは見えたか? 竜の災厄は、もう一週間後まで迫っている』


 このとき私は、ウィズの言葉になんだか違和感を覚えていた。


 ここリヴェル監獄塔は、宮廷からそれなりに距離が開いている。

 よくこの場所がわかったものだ。それに、なんだかウィズが、あまりに人間の騒動に詳しすぎる気がしたのだ。


「うん……。実は、昨日見えたの」


 竜の災厄についてわかったことを、私はウィズへと伝えた。


 通常、竜は地表の奥地の巨大な空洞……私達人間が魔界と恐れる場所で暮らしている。

 地上に出てくる魔物はその内のごく一部に過ぎないのだ。

 竜は卵を産む際に、子供が少しでも安全な場所で生活できるように地上へと姿を現す。


 リヴェル王国で暴れることになる竜は、別に人間に対して害意があるわけではないのだ。

 ただ、産卵の時期で気が立っている。

 穏便に竜に人里から出ていってもらうためには、現地の人達が攻撃しないように触れ回って犠牲を払いながら強引に国外まで竜を誘導するか、動物と会話のできる私の力を用いて訴え掛けるしかない。


 これが何度も予知夢を見て、私の出した結論だった。


「でも、ここだと誰にも伝えられない……間に合わないよ。もし伝えられたとしても、きっと、誰も信じてはくれない。マリアンネ様の言葉を無視して、私の言葉を信じる理由もないもの」


『いいや、間に合わなくたっていい。竜の災厄で大きな被害が出て、その今後をリアが予知していたことを示すことができれば、あの馬鹿王子と偽聖女は全ての茶番の責任を取ることになる。そうなれば、あの愚王もリアを外に出さざるを得なくなる』


「でも、そうなったら、竜の災厄でたくさんの人達が……」


『手遅れだ。あの愚王も馬鹿王子も、宮廷のことしか考えてはいない。いいか、あの愚王は、あの騒動がでっち上げではないかと勘づいているはずだ。しかし、そうありながら、マリアンネが聖女であった方が都合がよいから、気が付かない振りをしているのだろう。どちらに転んでも自身が責められぬように保険を残しながらな。被害が出て自身が追い詰められない限り、絶対にキミの言葉を聞き入れはしない』


「そんな……」


 ゲオルク陛下は全てを察していた。

 その上で真実ではなく、ただ都合がいい虚実を選び、私を切り捨てることにしたのだ。


 宮廷に聖女として私を押し付けたのは教会である。

 宮廷は最初から、誰もが私の存在を嫌がっていたのだ。

 貴族の不満は教会と、それを受け入れた王にも向いていただろう。


 偽聖女騒動にもかなりの数の貴族が関わっていることは明らかである。

 聖女を騙った以上、罰するのならば、軽い処罰では済まされない。

 関わった貴族に重罰を与えようとすれば、彼らは破れかぶれで都合のいい理屈を並べて偽聖女は本物であったと主張し、正義を掲げて民を扇動し、挙兵を起こしてもおかしくはない。


 ゲオルク陛下は、下手に第一王子アズル殿下や貴族の面々を相手取るより、私一人を偽者として追い出してそれで片が付くならば、そうするべきだと判断したのだろう。

 そう考えれば腑に落ちることが多かった。


『あの愚王は、聡明で決断力があって威圧的なふうを装ってこそいるが、ただの深い考えなしの事なかれ主義者だ。貴族と仲良しごっこをすることと、自分の跡継ぎのことしか頭にない。だが、領地に被害が出れば、キミはここを出られる。悪い話じゃない』


「……そんなこと、もう、どうだっていいの」


 ここを出て、戻ったからなんだと言うのか。

 此度の騒動で、宮廷には誰一人私の味方なんていないと、そう改めて認識させられた。

 私の存在は誰にも望まれていないのだ。

 第一王子とその派閥の貴族の立場を落とせば、私にとって宮廷はますます針の筵になるだろう。


 それよりも私は、竜の災厄の方がよっぽど大事だった。

 何度も何度も目にしてきたのだ。

 巨大な竜の尾に薙ぎ払われる家屋や民、兵。

 あの災厄を回避できなければ、それこそ私には生まれてきた意味なんてない。


「せめて私は、聖女としての使命を果たしたい」


『……そう、だな。キミは五年前……宮廷に来たときから、そういう子だったな。キミみたいに純粋な子だからこそ、聖女に選ばれたのか。いや、だとすれば、陰謀渦巻く宮廷から聖女が出なかったわけだ。あの場はキミにとって、あまりに不吉で、不浄な場であったことだろう』


 ウィズはそう言うと、格子窓から降りて姿が見えなくなった。


「ウィズ……?」


『私がなんとかしよう。さようなら、聖女リア。私の愛した人よ』


 それが最後の言葉だった。





 第二王子クローデル・リヴェル・レオンハート。

 彼の母親である第二夫人は下級貴族の出自であった。

 当然上級貴族とのまともな繋がりなどなく、ただ王に目を掛けられたというだけで妃になった彼女は、宮廷内で厄介者扱いされていた。

 それは子息であるクローデルも同様であった。


 下級貴族と恋愛結婚をした、王である父。

 だが、彼は先に上級貴族の令嬢を正妻として娶り、第一子をもうけることにした。

 そこに始まり、貴族の都合でどんどんと母を蔑ろにしていくようになったのだという。

 貴族派閥の顔色ばかり窺う日和見主義は昔からだった。


 クローデルは少しでも母の立場をよくしたいと幼少から知恵を巡らせ、父である王へと取り入ろうとした。

 だが、結局はそれが災いし、クローデルの母は、クローデルを疎んだ宮廷内の血統主義者達の策謀で毒殺されることになった。


 以来、クローデルは目的を失ったまま、それまで以前以上に権力に固執するようになった。

 或いは、復讐がしたかったのかもしれない。


 聖女リアが現れたとき、彼はこれを好機であると思った。

 順当に行けば第一王子が次期王となるため、不確定要素であり少しでも宮廷内を引っ掻き回してくれるであろうリアの存在は、彼にとって都合がよかった。


 兄のアズルが平民の出自を持つリアと婚姻すれば、上級貴族達を敵に回すことになる。

 聖女であるリアとの婚姻が破綻すれば、王家の掟に背くことになる上に、教会派閥を敵に回すことになる。

 どちらにしても責め入る隙になるのだ。

 

 クローデルにはある秘密があった。

 王家の生まれで濃い魔力を持つ彼は、固有魔法マギアを発現していた。

 彼は猫に化けることができるのだ。


 この力さえあれば、宮廷内で好きに情報を集めることができる。

 王に黙っているのは謀反であり極刑を課されてもおかしくはないことだったが、彼はこの力を利用していた。


 表立ってリアに接近して誑かそうものなら、それをアズルが見逃すはずがなかった。

 だが、幸いリアには動物と心を通わせる力があった。

 この力を使えば、誰にも気付かれずにリアと接触して情報を集め、孤独な彼女の心を好きに操ることができる。

 黒猫が不吉だから殺されるかもしれないと仄めかしておけば、心優しいリアが自身のことを外に話さないことはわかっていた。

 元より、話し相手の少ない彼女のことである。

 隠し通せる自信はあった。


『ウィズも、ここに居場所がないんだね。私達、同じだね』


 下級貴族の母を持つクローデルと、平民の出自を持つリア。

 二人は不思議と似通っていた。

 いつの日か、リアの許を訪れているときだけが、クローデルの心安らぐ時間となっていた。


 そうして思い出したのだ。

 自分は王になりたかったわけではない。

 大切な人を守りたかっただけなのだ、と。


 兄のアズルのことは嫌いだった。

 だが、それでも、リアを幸せにしてくれるのならば、彼が王になってもいいのではないかと考えていた。

 彼は母を死に追いやった貴族派閥と明らかに強く繋がっていたが、それに関しては自分のことだった。

 各方面と要領よく繋がりを持っておかなければ宮廷内では生きていけない。


 しかし、それは幻想であった。

 アズルは偽の聖女を立ててリアとの婚約を破棄し、彼女をリヴェル監獄塔へと幽閉してしまった。

 クローデルが地方貴族の領地の視察へ向かっている間の出来事であった。


 アズルは政敵であるクローデルを警戒していた。 

 クローデル不在の間に婚約破棄を進めて自身の弱みとなり得るリアを処分して、自身の地位をより盤石なものにしようと企てていたのだ。


 実際、クローデル不在の間に事を進めたのは正しかった。

 もし彼が夜会の場にいれば、我が身を顧みず、何としてでもアズルの凶行を阻止していただろう。

 そうなれば王子と王子の衝突である。

 ゲオルク王も安易にリアを監獄塔送りにすることはできなくなっていたはずだ。



 クローデルは部下を率いて災厄の起こる地へと訪れていた。

 リヴェル王国の中央寄りに位置するフォウンズ伯爵家領の大渓谷。

 ここが予知夢の地であった。

 既に王命を受けた兵士達が大勢集まっている。


「クローデル殿下……本当に、例の計画をなさるおつもりなのですか? 他に手立ては……」


 クローデルの側近の部下が、彼へと声を掛ける。


「ない。父上へ直訴したが、跳ね除けられた。王が一度決めたことを覆せば、宮廷内は秩序を失い、大騒ぎになる。父上にそれをする勇気はない。兄上も、それを見越した上での行動だろう」


 よくぞこんな馬鹿げた手に出てくれたものだと、クローデルはそう思う。

 時間を掛けて粗を突いて広げれば、いずれはアズルを追い込めるネタが出てくるだろう。

 確かに貴族派閥はアズルの味方に付いて彼を庇うだろうし、ゲオルク王もここを突かれるのは嫌うはずだ。


 だが、クローデルにとって敵が多いのは慣れていた。

 問題は、逃げられれば時間を稼がれて、リアが手遅れになることだが。

 そうなってしまえば、もうクローデルにとってはもはや意味がない。


「しかし、考え直してくださいませんか、クローデル殿下。これでは、クローデル殿下が……!」


 そのとき、渓谷の奥底から、恐ろしい竜の咆哮が響いた。

 同時に紫の体表を持つ、巨大なドラゴンがその姿を現す。

 今この瞬間まで半信半疑の者が多かったがようだが、周囲は悲鳴と怒号に覆われた。


「兄上め、ヘマをしたな。マリアンネ嬢の予知夢の倍近い大きさではないか」


 クローデルはそう漏らした。


 アズルは盗んだリアのメモからの推測をマリアンネに教えていたのだろう。

 だが、又聞きの形になっていたため細かいニュアンスを追えず、大きな間違いを犯していたのだ。

 その上、具体的に話すことで少し説得力を得ようとしていたのだろう。


 これほど巨大な竜であれば、今の戦力ではまるで足りない。

 そしてそれ以上に、集まった兵達に覚悟ができていない。


 魔弾の嵐が竜へと撃ち込まれる。

 だが、竜はまるで堪えていなかった。

 直後、竜は激しく尾を振るい、周囲の者達を吹き飛ばした。


 人間に敵うわけがない。

 その威容は正に災厄そのものであった。

 ものの数秒でそれを理解した兵達は、我先にとこの場から逃げていく。


「父上……愚王への手紙は頼んだぞ」


 クローデルは側近兵にそう零すと、愛馬を走らせて竜へと向かった。

 弓を引き、その大きな眼へと毒を塗った矢を放つ。

 

「グゥオオオオオオオ……!」


 竜が唸り声を上げ、クローデルを睨み付ける。

 眼球が傷つき、赤くなっている。

 だが、失明さえしていないようだった。

 明らかに生き物としての格が違う。


「こっちだ、竜よ! リヴェル王国第二王子……このクローデル・リヴェル・レオンハートが相手してやる!」


 クローデルは声を上げ、竜をそう挑発した。


 兵の統率は取れず、聖女の力もない。

 竜を王国外へと誘導することはできない。

 おまけにここは王国中心部に位置する、フォウンズ伯爵家領である。

 だとすれば、せめてできるのは、竜を人里離れた大森林へと誘導して被害を減らすことだけだった。


 側近に渡した父である王への手紙には、母の事件を恨んでいることと、クローデルが幼少より固有魔法マギアを隠していたこと、そしてそれによって聖女リアの内面を知っており、彼女の言葉が嘘でないと確証を持っていることを記している。

 そして此度の竜を国から追い出すためには聖女リアの力を借りるしかなく、そのことは自身の死によって証明されるだろう、という内容である。

 止めに、同様の手紙をしたためて宮廷内に隠していることまで仄めかしている。


 聖女リアを動かすには、偽聖女騒動を明かにするしかない。

 しかし、そうすればゲオルク王は王太子である自身の長子、アズルの廃嫡は避けられない。

 偽聖女の擁立には多くの貴族も関与している。

 彼らを断罪するとなれば、宮廷はとんでもない騒動になる。


 ただ竜の討伐に一度失敗したというだけでは、優柔不断な王は自身の決定を覆して聖女リアを動かすことはできないに違いないと、クローデルはそう判断したのだ。


 ゲオルク王がクローデルの言葉に耳を貸す様子を一切見せなかったのも、そこが大きいだろう。

 ゲオルク王は貴族やアズルの処分を嫌って、消極的にリアを偽聖女と断じてこの騒動を終わらせるつもりなのだ。


 だが、クローデルが既にリアから予知の続きを聞き出しており、現状に希望がないことを知ったという事実をゲオルク王に信じさせることができれば、さすがに彼の考えを変えさせることができるはずであった。


 しかし、ただ知らせただけでは、自分がアズルを蹴落とすために虚言を吐いているとして扱われかねない。

 だからこそ、自身の悪事を手紙で告発し、かつ戦地で命を落とすことで、ただの策謀による虚言でないことを証明する必要があったのだ。


 また、クローデルの勇士はこの場にいた兵達に刻まれることとなった。

 そのために大声で名乗りを上げたのだ。

 クローデルは此度の騒動で、地味で陰険な第二王子から、貴い身分にして民のために犠牲となった英雄となったのだ。


 しばらく彼の名は、社交界でも話題に上がる。

 そうなれば、クローデルの手紙を握り潰したことが明らかになれば、ゲオルク王は強い非難を浴びることになる。

 事情があった、では押し切れない。

 おまけにクローデルは、宮廷内にもう一枚の手紙まで忍ばせていることを仄めかしているのだ。

 ゲオルク王は全てを知っていて被害が大きくなるのを黙認していたことになる。


 また、クローデルの行いと残した手紙に注目が集まれば、聖女の予言の一件についても広く周知されることになる。

 偽聖女を擁立した貴族達も、都合のいい理屈を並べて自身らの正当性を訴えての悪足搔きをすることも難しくなる。

 不当な判決だと挙兵を口にしても、まともに従う者はいなくなるだろう。


 ここまでされれば、臆病で優柔不断な王も、黙って知らない振りをすることもできない。

 選ばないことを選ぶ必要が出てくる。 

 どう転んでも宮廷内の動乱と、責任を負うことからは逃れられない。

 ならば犠牲を抑えることと真実の追究を選んでくれるはずだと、クローデルはそう考えたのだ。


 母のことを記したのは、ゲオルク王の罪悪感や良心を突くためであった。

 もっともクローデルは、こちらの効果などさして期待してはいなかったが。


 

 竜が地面に降り立ち、剣の刃程はある巨大な爪を振るう。

 クローデルの愛馬はそれに巻き込まれて呆気なく命を落とし、彼自身も地面へと投げ出された。


「まだ渓谷も抜けていないのか……」


 クローデルは血塗れの身体で起き上がると、進行方向へと向いた。

 彼の身体は黒い体毛に覆われていき、一匹の黒豹となった。


 まだ、こんなところで止まるわけにはいかない。

 王国北部の僻地、大森林まで誘導するのでそこまで聖女リアを連れ出してこいと、手紙ではそう記していたのだ。


 なんとかしてみせると、そうリアと約束したのだ。

 彼女が竜の災厄から国を守ったとなれば、もう有名無実の平民聖女などと陰口を叩かれることもなくなるだろう。


『元気でな、リアよ……』


 クローデルは真っ直ぐに疾走した。

 その後を竜が執念深く追い掛けていく。





 私がリヴェル監獄塔から出されたのは、ウィズが訪れてから数日後のことだった。

 謁見の間へと連れ出され、青い顔をしたゲオルク陛下から頭を下げられたのだ。


『聖女リアよ……儂は、ようやく目が覚めた。どうか愚かな儂らのために、今一度お力を貸していただきたい』


 国に被害が出たとしても、ゲオルク陛下が決断をなさるのはもっと後のことになると思っていた。

 それから私はすぐに兵達に連れられて王国北部の大森林へ向かい、竜と対話し、国から穏便に出ていってもらえるようにお願いすることができた。

 

 こうして呆気なく、国を揺るがしていた竜の災厄は終結したのだった。

 



 第二王子クローデル殿下がウィズであったこと、そして大森林にて命を落としていたこと、彼の側近がゲオルク陛下に遺書を持ってきていたことを知ったのは、全てが終わった後のことだった。


 クローデル殿下に退路を断たれて追い込まれ、また彼の覚悟を知り、ゲオルク陛下はそこでようやく改心したのだという。

 クローデル殿下は、自身の命と引き換えに宮廷の柵に打ち勝ち、私を助けてくれたのだ。



 後日、私は再び謁見の間を訪れていた。

 顔を蒼白とさせたアズル殿下、そして聖女を自称していたマリアンネ様、彼に加担していた貴族達が並んでいる。


「貴様らは私欲によって偽の聖女を擁立して真の聖女を廃そうとし……ばかりか、王国を破滅へと追い込もうとしたのだ! 聖女リアの活躍……そして、我が愛息クローデルの犠牲によって、どうにか被害は軽微に留めることができた。だが、この咎は死を以て償ってもらうぞ!」


 貴族達は皆、死人のような顔で項垂れるばかりであった。

 もはや、どうあっても言い逃れはできないとわかっているのだ。


「……アズル殿下、あまりに短い間でしたが、結ばれないはずの貴方と心を通わせられたことだけは、私にとって幸福な時間でした。願わくば、来世でも貴方の傍にいられることを」


 マリアンネ様は静かに涙を流しながら、アズル殿下へと抱き着いた。


 彼女は元々、私が来るまではアズル殿下の婚約者であったそうだ。

 アズル殿下への未練と私への恨みに付け込まれ、周囲の大人達に流されるがままに計画の核とされてしまったのだという。

 今となっては彼女には同情しかなかった。


「黙れ、余の傍に寄るな疫病神め!」


 アズル殿下は声を荒げ、マリアンネ様を跳ね飛ばした。


「ア、アズル殿下……?」


 マリアンネ様は地面に倒れ、何が起きたかわからないといったふうにアズル殿下を見上げている。

 私にも、アズル殿下の言動が理解できなかった。


「父上! 余は、余はマリアンネが真の聖女であると、そう騙されていたのです! 余は何も知りませんでした! どうか、ご慈悲を……! ご慈悲をください! 余が全て間違っていました!」


 アズル殿下は涙を流しながら、ゲオルク陛下へと頭を下げる。


「我が息子ながら何とも醜悪な! 自身を慕う者を何度裏切れば気が済むのだ! 貴様以外の誰に聖女リアの予知夢を盗むことができた!」


「わかりませんが、とにかく余ではないのです……! 信じてください……! この通りです……! 余は、余は、嵌められたのです……!」


 当然、今になってこんな戯言に耳を貸すはずがない。

 ゲオルク陛下は、真っ赤になって怒り狂うばかりである。

 だが、アズル殿下は頭を下げることを止めなかった。


 アズル殿下ははっと気が付いたように立ち上がると、勢いよく私を振り返った。


「そう、そうです父上! 一つ忘れていました! 国に虐げられながら、国に尽くしてくれた英雄に、褒美を取らせなければならないでしょう! リア、お前は余のことが好きだったな? そうだろう? そうだと言え!」


 アズル殿下が私へと歩み寄ってきた。

 素早く衛兵が私の前に立ち、剣を構えた。


「リア! 褒美として父上に余の恩赦を願い、余と今一度婚約を結んでくれ! 余はそこの悪女に騙されていただけなのだ! リア、お願いだ……! もう二度と、愛しいリアを裏切らないと誓おう! 余は、本心ではずっと君を好いていたのだ! だが、余は一人の男である以前に、王太子であったのだ! どうしても上級貴族の支持を得つつ連中に恩を売り、マルトリッツ侯爵家との結びつきを強める必要があったのだ! それがこの国のためにもなる! 君を追い込んだことは申し訳なかったが、余も本心ではなかったのだ! 信じてくれ! 心優しい君ならば、わかってくれるはずだ! お願いだ……余を助けられるのは、君しかいないんだ! 今度こそ、生涯君に尽くすと誓おう!」


「……もう、何も話さないでください」


 それ以上、何も言う気にはなれなかった。


 相手をすることに何の意味も感じなかった。

 アズル殿下には一切人の心というものがないのだ。

 彼の存在は、言葉は、人を不幸にする。

 今、それがよくわかった。

 彼は自身が権力を手にすることしか考えていない。

 そのためならば何をしても許されるし、どんな恥知らずな真似でも行うべきであると、心の底から本当にそう信じているのだ。


「お願いだ……余を、信じて……!」


 アズル殿下は更に私へと寄ってきたため、衛兵が彼を押さえ付けた。


「アズルをこの場からとっとと連れ出せ!」


 ゲオルク陛下がそう叫んだ。

 衛兵が、アズル殿下の身体を引き摺って外へと連れ出していく。

 その様子をマリアンネ様は茫然と眺めていた。


「お願いだ、お願いだ、リア……! 次に君を裏切れば、余は自刎して、地獄へ落ちてそのまま未来永劫苦しみ続けると神に誓おう……! リア、リア……!」


 途中まで甲高い声を出して哀れに叫んでいたアズル殿下だが、最後に悪鬼のような形相へと変わった。


「余の何が間違っている! 言ってみせろ、ゲオルク! 感情も恋心も捨て、ずっとこの国の王になるためだけに生きてきたのだぞ! 全て、貴様のやり口より習ったことだ! 貴族共の顔色を窺い、邪魔なものは切り捨てていく! クローネ第二夫人の謀殺を許し、その子息を死に追いやった! そうして今、この余も切り捨てようとしているのだ! 貴様と余の何が違う! 答えよ、ゲオルク! 答えよ! それができねば、この場で首を掻っ切って死ね! 教えてやる、余が違うのは、貴様程臆病でも無能でもないというだけだ! 余こそ、この国の王に相応しいのだ! 余が王になるべきなのだ! 余が! この余が!」


 アズル殿下が連れ出されていった。


 ゲオルク陛下は、二十年は老けたような顔になっていた。

 髪を掻き毟り、床を睨み付けている。


「……クローネよ、許してくれ。クローデルだけは守るという約束も、ついに儂は守ることができなかった」


 ゲオルク陛下は穏当過ぎたのだろう。

 策謀入り乱れるこの宮廷は、下手に突けば多くの血が流れる。

 結局はどの犠牲をどこまで許すのかという話に帰着する。

 そこにはきっと、良し悪しで判別できる答えなど存在しない。してはならないのだ。


 私もこの宮廷にいて、貴族の柵というのがどれだけ厄介なものかというのを散々に思い知った。

 彼があらゆる方面から板挟みに遭い、身動きが取れなくなっていたということは今回の事件で散々思い知ることになった。


 確かに彼は有能ではなかったかもしれない。

 だが、比べるまでもなく、一番の罪はアズル殿下の育て方を誤ったことだろう。



 アズル殿下に続いて、罪人達が連れ出されて行った。

 謁見の間には、私とゲオルク陛下、数名の衛兵だけが残されていた。


「……聖女リアよ、今後どうするおつもりか? 王として、貴殿には我が子息、第三王子マザランと婚約を結んでもらいたいと考えておるが」


 王として、というところに含みがあった。

 王家の掟としては王太子と私を婚約させる必要があるのだ。

 だが、ゲオルク陛下自体、私がそれを好んで受け入れるとは考えていないようだった。


 無論、私も断るつもりだ。

 アズル殿下との事件以上に、ウィズ……クローデル殿下の死で、私の胸はいっぱいだった。


 彼は、ずっと私の幸せを願って陰から支えてくれていたのだ。

 それに気が付いたのは、彼が亡くなった後だった。


 宮廷を去り、出家して修道院で静かに暮らしたいと考えていた。

 ここを出ても聖女の力が失われるわけではない。

 大事を察すれば、またそのときだけ国のために力を使えばいい。


「陛下……! 急ぎの訪問が!」


 そのとき、慌ただしく一人の衛兵が飛び込んできた。

 ゲオルク陛下が不快げに彼を睨み付ける。


「後にさせよ」


「そ、それが、それが……!」


 謁見の間の扉が開かれる。

 姿を現したのは、クローデル殿下だった。

 大怪我を負っているらしく、身体中包帯だらけであり、片肩を衛兵に担がれていた。

 また、左腕を失っているらしく、片袖が寂しげに宙を舞っていた。


 私が唖然とクローデル殿下を見つめていると、優しげに私へと微笑む彼と目が合った。

 彼からそんなふうに微笑み掛けられたのは初めてだったが、どこか懐かしかった。

 庭園でずっと私を励ましてくれていた、ウィズの姿が頭を過った。


 ここ数日の間に枯れてしまったと思い込んでいた涙が、私の両眼から溢れてきた。




 クローデル殿下が死んだのは誤報であったのだ。

 大森林で竜に追い込まれたクローデル殿下は、小さな猫へと化けて崖の狭間へと逃げ込み、隠れ遂せることに成功していたらしい。

 固有魔法マギアの秘匿は本来重罪に当たるが、自身を顧みず国を救ったその功績によって見逃されることになった。


 ……後で、クローデル殿下はゲオルク陛下が少しでも結論を急いてくれるように、自身の部下に死亡を確認したと報告するよう命じていたらしい、ということをこっそりと彼から耳にしたが。

 仕方のないことだが、ゲオルク陛下をあまり信用してはいないようだった。

 少しでも大事にして、偽聖女を擁立していた貴族連中の動きを封じる狙いもあったのだろうが。



 アズル殿下達の審判から一週間が経過した。

 私は聖女として、クローデル殿下は王太子として、二人で婚約を結んでいた。


『奇妙なものだな。次期王の座に固執しなくなった途端に、それが舞い込んでくるとは。アズルは憎かったが、私もかつては奴を揶揄できないほど王座に執着していた。奴をあそこまで追い込んだ一因は、かつての私なのかもしれない。心を取り戻させてくれた君には、心より感謝している、リア。君がなければ、私はきっとアズルや貴族派閥に謀殺されるか、完全に心を失ってしまっていただろう』


 クローデル殿下が寂しげにそう漏らす。

 私は彼の横顔をじっと見つめていた。


『愛しているよ、リア。ずっと、何年も前から……君のことばかり考えていた。こうして正式に、君の横に立てるときが来るなんて、夢にも思っていなかったが』


 クローデル殿下は私へと顔を向け、じっと私の目を見てそう口にした。


「クローデル殿下……」


 彼の長い髭が、微かに上下に揺れた。


「あの……そういった話は、元の姿でしたいただけると、私は凄く嬉しいのですが」


 クローデル殿下はウィズ……黒猫の姿で、私の膝の上に乗っていた。

 誤魔化すように前足で毛繕いして、ぐぐっと首を伸ばす。

 私の顔を見上げたかと思えば、さっと目を背ける。


『……この姿でばかり君と話をしていたから、元の姿で話をするのは、その……違和感があるというか、照れるというかだな……』


 なんだこの人は、こんな可愛い一面があったのか。

 恥ずかしそうにしているクローデル殿下を見ていると、私はつい耐えきれなくなった。

 彼の身体をひっくり返し、わしゃわしゃとお腹を撫でる。


『ああっ! 止めろ、やめるんだ、リア……! 私は触られるのが苦手なんだ! 嫁入り前の聖女が、はしたないとは思わないのか! けっ、軽蔑するぞ!』


 クローデル殿下は心地よさげに私に身体を預けながらも、片腕を必死にくいくいと動かして抵抗して見せる。


「だったら、ほら! クローデル殿下! 早く元の姿に戻ってください!」

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聖女の能力で見た予知夢を盗まれましたが、それには大事な続きがあります~幽閉聖女と黒猫~ 猫子 @necoco0531

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