Side P 45(Moriyasu Agui) 禁断のフレーズ

『前略 門河詞音 様


 突然の手紙を失礼致します。

 私は安居院あぐい守泰もりやすと申します。

 銀獅子賞を受賞した「ハーシェルの愁思」の監修をさせていただいた者です。

 私は、貴殿のご活躍を心から嬉しく思うとともに、受賞を機にどうしてもお伝えしたいことがあり、勝手ながらこの手紙をしたためさせていただきました』


 私は、何かに取り憑かれたように手紙を書きつづり始めた。人生初のファンレター。いままで、どれだけ心奪われるような女優がいようが、どれたけ素晴らしい作品を紡ぐ原作者や脚本家や映画監督がいようが、ファンレターを書いたことがなかった。もともと筆不精の私を揺るがすほどの衝撃。その初の手紙の相手が実の娘であるのが何とも親バカ全開でお笑い草だが、この衝動は、私自身止められるものではなかった。


『おそらくたくさんのファンレターが届いていることでしょう。それだけ劇中の貴方の感情の籠もった迫真の演技、観る者を瞬く間に惹き込むほどの表現力、高校生とは思えないほど流暢な英語、すべてが完璧で、マルチェロ・マストロヤンニ賞の受賞は至極真っ当のことだと思います。私が特に気に入ったシーンは、椎葉美砂研究員が、実家のある熊本に帰省するシーンです。もちろん、母親役の吉海弥生さんの、情趣じょうしゅに富んだ演技に感化されたのもあるとは思いますが、あのやり取りでは、美砂研究員の枠を超えて、貴方そのものの感情が溢れたように極めて自然で、その分、私の心を強く揺さぶりました。それは、本作で唯一日本語での会話シーンだったから、だけでは説明がつかないほど神がかっていました』


 筆不精が嘘のように、まるで言葉そのものが魂を宿したように、するすると言葉が紡がれていく。それだけ、私の門河詞音への想いが強いからだろう。会いたいけど会うことがゆるされない。近いはずなのに遠い愛娘。その募る想いが、紅炎プロミネンスのごとくうねり、燃えたぎっている。

 件の熊本のシーン。最初に見た時は、原作の宮崎県ではないことに、自分でも分かるくらい苦虫を噛み潰したような表情になったが、母親との会話になった瞬間、一気に浄化されるように空気が一変した。その感動は、筆舌に尽くしがたいものがあった。


『さて、本題ですが、実は私は、貴方の父親です。ひょっとして父親をかたる偽者も世の中にはいるかもしれません。ですから、敢えて申し上げます。閘舞理の元・夫です。篁未来こと邨瀬むらせ弥隆よしたかは、大学時代に知り合い、現在も朋友です』

 思えば、邨瀬が作家になっていなかったら、当然この映画は存在していないし、詞音が主演女優として演じることもなかった。そして、こうやって娘が華やかに成長した姿を見ることも……。邨瀬の功績は、実に甚大なのである。


 そして、あの出来事のことにも言及しなければならない。

『さらに、私が貴方の父親であることを証することであるとともに、謝らないといけないことがあります。ボストンで撮影していたときのこと。あれは、確か2年前の夏のことだったでしょうか。貴方は、私の存在に気付いてくれました。撮影中にも関わらず、走って私のもとに駆け寄ってきてくれたのに、私はその場から逃げてしまった。あれは、貴方のことを忌避しているわけではありません。これからは弁明になりますが、まずあの日のことを謝ります。すみませんでした』


 皮肉にも、ボストンでの私の薄情な行為が、手紙が真の父親からのものであることを証明していしまっている。でも、ずっと謝りたかったことだった。この手紙でゆるしを得られるだろうか。


『離婚して、貴方がわずか4歳のときに離ればなれになり、それ以降、会うどころか、連絡も寄越さなかった不義理な父親が、14年ぶりにわがままを押し付ける権利もまったくないのは承知の上です。しかし、舞理とは、喧嘩別れをしたとかそういうわけではなく、むしろ夫婦円満、家族円満の仲、離別することになったのです。こんなことを言っても信じられないでしょうが、相対性理論で運命付けられた、酸鼻さんびで暗鬱な未来を回避するために、離婚することが必要条件だったのです。ですから、本当は、離婚などしたくなかったし、貴方とも離れたくなかった。いまでも貴方も舞理も仲睦まじい家族のはずだった。幼い時から聡明な貴方は、親に似て宇宙の話に目をキラキラさせながら耳を傾けてくれました。そんな貴方が、篁未来の宇宙研究をテーマにした小説の映画に主演として出るのは、不思議な縁を感じます。そして、嬉しさで胸がいっぱいです』


 ここからが本題だ。いちばん伝えたかったこと。

 この世界がC世界に向かおうとも向かわなかろうとも、これを果たさないと、いや果たせなくても一言伝えなくては、一生後悔するだろう。C世界に向かう以上の無念を抱えたまま、余生を過ごすことになるかもしれない。そんなのはあんまりだ。

 詞音は世界に羽ばたくだろう。いま以上に遠い存在になる前に、これが最初で最後のチャンスになるだろうと思った。


『無理を承知でお願い申し上げます。一度、私と会っていただけないでしょうか? 会って、5分、いや3分でいいから、父親として「おめでとう」と一言お祝いの言葉をかけてあげたいのです。どれだけ離れていても、実の子どもの活躍を喜ばない親はいません。ですから、詞音さん、そして、この手紙を詞音さんの事務局関係者の方が検閲をされているのなら、前向きなご検討をお願いしたいです』


 書ききった。一気呵成いっきかせいに書いた。

『一度、私と会っていただけないでしょうか?』

 禁断の言葉。絶対的禁忌肢。少なくとも2060年に彗星が衝突しない未来を確認してからでないと、いけないフレーズなのだ。


 でも、2060年なんて、生き別れて30年だ。詞音は独立し、幸せな家庭を築いているかもしれない。

 そんなときにのこのこと、父親ヅラして会いに行くなんて、とてもできない。

 だからいまなのだ。


 禁断のフレーズを最後にもう一度目で確認し、封緘ふうかんした。

 取り返しがつかないことになるかもしれないことは重々承知だ。

 詞音が所属している芸能事務所の宛名を英語、日本語でそれぞれ書き、ポストに投函した。

 投函するとき、わずかながら指先が震えたが、それでも不思議と悔いはなかった。

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