Side F 44(Fumine Hinokuchi) ファンレター

 正直、お母さんの演説は、途方もない架空無稽かくうむけいな話そのものだった。しかし、お母さんの表情には、それを押し通すパワーがあった。

 普通なら一笑に付して終わりなのに、スタッフは皆、耳を傾けていた。


 映画の方はというと、無事にクランクアップし、映像の編集に効果音などを加え、『武蔵紫苑』色に染め上げていくのだ。あたしも実物以上に格好良く編集されていた。ちょっと照れ臭い。でも、それを見て舞い上がるわけじゃない。まだまだ、今回は宮本先輩から繋がっただけだ。『コネ採用』みたいなものだ。もちろん、その道で大成するためには、努力だけじゃなくて運も必要なのだろうが、まだまだ真の実力者として認められたわけじゃない。これからは、難しい役のオファーだってあるかもしれない。ある時は観る人と感銘を分かち合ったり、ある時は観る人に敵愾心てきがいしんを抱かせたり、また、ある時は観る人と一緒に泣いてもらったりできるような、そんな役者になりない。七色に輝く女優を目指さないといけないのだ。



 そして、クランクアップから1年余りが経過した高校二年生の冬、劇場での公開が決まった。タイトルは原作と同じ『ハーシェルの愁思』。あたしにとって記念すべきデビュー作。無事、ロードショーを迎えられることはとても感慨深い。


 あれから、あたしと今村さんは、名のある芸能事務所に入ることになった。普通はオーディションとかスカウトとかあるのだろうけど、武蔵監督による推薦でパスされた。保護者(お母さん)の同意も得た。もちろん、学業との二足の草鞋わらじだ。


 映画のティーザー映像がメディアやSNSで流れるようになると、主演格の女優が見たこともない人物で、やれ『門河詞音って誰だ!?』とか、やれ『イレーナ・ミランコビッチってめちゃめちゃ美人じゃん!』とか、そんなコメントが席巻した。水道橋高校には、その2人が在籍しているものだから、翼が生えたように情報は広まり、サインを求める声が殺到した。


 そして、ロードショーにより、さらに反響を呼んだ。

 もともと、人気作家、篁未来の映像化作品。『ハーシェルの愁思』は、篁未来でも特に理系色が強く、どちらかというと作品で、認知度は高くない。それが、映像化によって分かりやすく伝えられたため、篁未来は好きでも、この作品を敬遠してきた幅広い年代が映画館に足を運んだ。

 加えて、篁未来のことはよく知らなくても、イレーナ・ミランコビッチの美貌に心を奪われた多くの若い世代も観に来たという。手前味噌ながらあたしも『無名の新星』と表現され、評価されたことは嬉しい。

 週間映画ランキングでも長く上位にランクインし、原作の書籍も映画の人気に伴い、ベストセラーの仲間入りとなった。書店のいちばん目立つところに陳列されている。


 まさしく、脚光を浴びまくっている時期に、さらなる吉報が重なる。

 何と、日本アカデミー賞を獲得したのだ。しかも、最優秀監督賞に武蔵紫苑、新人俳優賞に門河詞音とイレーナ・ミランコビッチが選ばれたのだ。

 テレビをあまり観ないあたしでもよく知っている、錚々そうそうたる顔ぶれの著名人が集まる授賞式で、受賞決定を告げる司会者の声。まるで夢を見ているような感覚だった。

 しかし、武蔵監督はさほど喜んでいない。

「僕はね、日本アカデミー賞じゃ満足しないよ」

「え?」

「言い方悪いが、結構、日本の映画賞は監督の知名度で贔屓ひいきされる傾向があるんだ。だから、真の実力で勝ち取れたとは考えてない」

 映画業界にまだあまり詳しくないあたしには、そのような事情はよく分からなかったが、武蔵監督は、過去にも日本アカデミー賞を獲ったことのある名監督だ。

「世界を狙うぞ」武蔵監督は静かに言った。



 そして、武蔵監督はそれを現実のものとする。

 ヴェネツィア国際映画祭で『ハーシェルの愁思』は銀獅子ぎんじし賞、あたしは、マルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を獲得する。あたしが高校三年生のときの栄誉であった。


 当然ながら、学校ではあたしと今村さんは有名人になっていた。

 でも、まるで実感がない。あたしと同じ姿、形、名前の別人が受賞したかのようだ。


 日本アカデミー賞の受賞を機に、あたしも今村さんもドラマや映画の仕事が舞い込んでくるようになった。平日は学生、土日は女優というまさしくフル回転の日々だ。同級生たちが大学受験勉強に明け暮れる中、あたしと今村さんだけは、完全に別のライフスタイル。

「大学はいつでも入れる。でも、女優としてのキャリアを掴むチャンスは、そうそうないんだから」

 今村さんの言葉を聞いて、ちょっとだけ安堵あんどするけど、もともと勉強一筋でやってきて、お母さんだってずっと大学に進学させることを夢見てきたわけだから、心のどこかで落胆していないだろうか。

 そんな心配が頭をよぎる。物別れしていたときは、そんなことつゆほども思わなかったのに、皮肉なものである。


 そんなときだった。

 事務所を経由して、ある手紙が届いたのだ。

 いや、有名になってから、ファンレターはたくさん届くようになった。あたしはそれすらも実感がなく、手紙を読んでいても、自分ごとのように受け入れられなかったが、その手紙だけは、どうしても見逃すわけには行かなかった。


『前略 門河詞音 様

 突然の手紙を失礼します。

 私は安居院守泰と申します。

 銀獅子賞を受賞した「ハーシェルの愁思」の監修をさせていただいた者です。

 私は、貴殿のご活躍を心から嬉しく思うとともに、受賞を機にどうしてもお伝えしたいことがあり、勝手ながらこの手紙を認めさせていただきました』


 安居院守泰。この文字に、あたしは、思わず胸が熱くなった。

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