Side P 42(Moriyasu Agui) 新たな文字化けメール
「……はい?」
『どーしたんだよ? テンション低いな』
「当たり前だ。こっちは4時だぞ?」
『こっちは5時だ。ま、だいたい同じだな』
「……」この男は、理系のくせに時差の計算ができないらしい。夕方と朝で13時間の差だから、全然同じじゃない。
『でな、獲ったんだ』
「何だ? ノーベル文学賞でも獲ったのか?」
『──んじゅうごしょうだ』
「?」よく聞き取れなかった。
『だから、
「青木賞!?」
快眠を邪魔されて、嫌味とからかいを込めてノーベル賞かと言ってみたが、そこまではいかないまでも、作家として最高の栄誉ある賞の1つであるのは間違いない。
「天王星探査のアレか?」
『違う。「探偵の妻がサウスポーでミックスベリー!」って作品だ。並行して書いてた』
違うと聞いて落胆するよりも先に、どんな作品なんだ、ソレ!? と俺は豪快に突っ込んだ。相変わらず、タイトルの付け方のセンスがイマイチすぎる。というか謎だ。悪いが、お世辞にも手に取ってみたいと思わない題名。編集者はこれでOKしたというのか。青木賞では、タイトルの巧緻性は選考基準にないのだろうか。
「このテンションで俺に電話かけてきたなら、天王星探査の作品じゃないのかよ」
『「ハーシェルの愁思」ね。青木三十五賞にSFやファンタジーは不向きなんだよ』
『ハーシェルの愁思』とは、“Herschel’s melancholy”のことか。あの、C世界からのメールに添付されていた映画だ。結局そういう日本語タイトルだったのか。およそ13年越しに謎の1つが解決した。邨瀬の作品にしては悪くないタイトルだ。
邨瀬は続ける。
『安心しろ。そっちは、来月にリリースされる。もちろんそのときは、いの一番に電話する。ハードカバーで立派な
「あ、ありがとう。いの一番じゃなくていい。電話じゃなくてメールでいい。ってかメールにしてくれや」
監修した努力が報われるのは嬉しいが、
†
そして、きっちり1ヶ月後のことだった。国際郵便で分厚い書籍が届いた。
邨瀬の言うとおり、『ハーシェルの愁思』が
見返しの部分には、『篁未来』と崩し字でサインが書かれている。篁未来作品のファンではあるが、同時に親友でもあるので、サインはぶっちゃけ不要だなと独りごちつつ、ページをパラパラと
取りあえず、いちばん気になっている主人公(
しかし、その安堵は、一瞬のうちに幻となって消えることになる。
『そろそろ届いたんじゃないか、「ハーシェルの愁思」がさ!』
テンションが相変わらず高い邨瀬からの電話。
「ああ、まるで図ったかのように、いま届いたぞ」
『でな、嬉しいついでに予告しておくと、早くも映画化される構想があるんだ』
あの映画に出てくる主人公は、詞音だったはず。やけに早くないか。女優が変更になったのか。
『って、まだキャスティングはまだまだこれからなんだが、いま、世界でもその名を
武蔵紫苑と言えば、ここ数年、ヒット作を連発している新進気鋭の映画監督だ。でも俺は、C世界から送られた“Herschel’s melancholy”のスタッフロールで先取りして、その名を知っている。
矢継ぎ早に邨瀬は続ける。
『武蔵紫苑は、実は、俺の高校の同級生でもあってな、内々に見せたんだな。一個だけ心残りがあって、主人公の故郷を熊本にしたかったと言ったら、熊本にして映像化してやるよって、言ってくれたんだ!』
俺は衝撃のあまり、ギャグ漫画のキャラクターよろしく派手にひっくり返ってしまった。
「まじかい? 頼むから、宮崎にしてくれ?」
『どうしてさ?』邨瀬は意に介する様子はない。
どうしても、この世界は、C世界に軌道が戻っていってしまうのだろうか。
『そんなことよりさ、巻末にはポアンカレくんの名前を監修で入れといたからさ』
確かに、巻末に、『アメリカ航空宇宙局 安居院守泰』と書かれているが、そんなことはどうでもいい、と言おうとしたそのときだった。PCにメールの通知音が鳴った。
ディスプレイの右下にポップアップ表示される。そして、一目見て、それが、ただのメールではないことに気付いて、背筋が凍る。
メールタイトルが文字化けしていたのだ。しかも送信元は、横浜理科大学の俺のアカウントである。
最近は、めっきり見ることのなくなった、C世界からのメール。
『どうした。ポアンカレくん?』
俺は、邨瀬の呼びかけにも応じず、電話で黙りこくってしまった。
これが、もし31年後からのメールであれば、2066年、つまり既に長周期彗星が地球に衝突したあとになろう。そして俺が、絶命している可能性が極めて高いはずだが。
クリックすると、
『おーい、どうした!?』邨瀬は心配したようだ。
「ごめん。悪いけど、文字化けメールを久しぶりに解読してくれるか?」
『あん?』
「こんなタイミングで来たんだよ。C世界からのメールがさ」
『えええ?? 31年後ったら、俺たち死んでるんじゃないのか?』
「分からん」
日本語の文字化けメールは、NASAと言えども外国人に解読させるのは難しい。
監修を務めた借りを返させるように、篁未来大先生に解読させるのだ。日本を代表し、さらに最近では翻訳本が絶好調で、海外でもその知名度を高めつつある超売れっ子作家を
『とにかく送ってくれ? 俺もちょっと忙しい身だけど、やってみるよ』
「長いぞ。めちゃめちゃ」
そう言って、メールを転送すると、
『何だこれ? まるでステレオグラムだな。未来のお前さんが書いたのか。まぁいい、ちょっと時間をくれ』
大物作家のはずなのに、その自覚がないのかまったく偉ぶらない邨瀬は、二つ返事で引き受けてくれた。
メールの内容は気がかりだが、C世界を回避し、B世界に進むための条件は整っている。
未来へのメール送信技術の確立。ワームホールを活用したメール送信技術の確立。『ハーシェルの愁思』の映画版と原作の相違。そして、俺の離婚。
やれることはやった。きっと、この世界がB世界に進んでも、C世界そのものが消滅することはなく、パラレルワールドとして継続するのだろうか。もしそうだとしたら、その世界に生きる人々は気の毒だ。その人々の中には俺や詞音もいるのに、どこか他人事になってしまっている。特にC世界の詞音は、泉下の客となっている。
10日後、邨瀬から解読できたとのメールが入ってきた。見立てどおり、長文のメールで、本当にエッセイのようだった。
しかし、メールの送信元は俺のはずなのに、このメールの文章を
『2035年のポアンカレくんへ。2066年の邨瀬より』
メールの冒頭はそう書かれていたからだ。
『これより、この世界における「ポアンカレくん」こと安居院守泰氏の偉功を、
俺とは違って、邨瀬の文章は、どこか
『閘詞音が死に追いやられた真相を伝えたいと思う。換言すれば、これを回避することが、荒廃するこの地球を回避することにも繋がるだろう』
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