Side F 41(Fumine Hinokuchi) 緊張の凱旋
成田空港を経由し、東京に立ち寄らずに熊本に向かった。
まだまだ幼い高校生。普通なら帰郷に胸を躍らせるはずだが、残念ながらあたしに懐かしさや感動はなかった。見慣れた風景を、ちょっと久しぶりに見たくらいの感想しか抱けない。
あたしはわがままを言って、監督たちが泊まるホテルに泊まらせてもらった。
熊本での撮影スケジュールはこうだ。最初は、熊本城を眺めながら久しぶりの友達にも会いながら、故郷を散歩するシーン。そして、クランクアップとなる舞台は
あたしは熊本市出身で、お母さんの実家は
美砂の母親役は、
しかしそれ以上に気になったことが……。その写真を見た瞬間、誰かに似ている気がしたのだ。
「吉海弥生さんっても、もしかして──」
「あ、宮本先輩のお母さんだよ」今村さんはさも当然のように即答した。
「でも、監督はそんなこと一言も……。宮本先輩からも聞いたことないし」
「照れ屋なんでしょう? 少なくとも先輩は、舞台の上とプライベートでは全然違うんだから」
聞くところによると、吉海弥生は熊本県出身の女優らしい。結婚前は、ドラマや映画に多く出ていたらしいが、出産を機に一線を退いたようだ。しかし、持ち前の演技力で、子育てが落ち着いた頃から再び映画界に復帰。いまでは名脇役として活躍することが多いそうである。
地元愛が強く、都会の喧騒を避けて、熊本で子どもを育てたいという意志が強いため、武蔵監督という世界的な監督を父に持つ宮本先輩が、なぜか水前寺中学校にいたわけである。前々から疑問に思っていた謎が1つ解決した。実は、美砂の出身地を熊本にしたかったのは、武蔵監督だったんじゃないのかな。そして、『ハーシェルの愁思』を撮影するときから、宮本先輩から情報提供をもらっていたのかもしれない。変な話、熊本弁がある程度操れるあたしが抜擢されるのは必然だったのかもしれない、といろいろ邪推してみる。
なお、熊本では、キャシーの出番がないため、今村さんは撮影ではなく、あたしの演技を見守る役割だ。そして、千尋ちゃんがメイクアップアーティストとして、再度担当することになった。今村英玲奈、園田千尋、閘詞音の、元・水前寺中の演劇部の女子部員3人が、地元で集結することになった。
熊本城近くでは高校時代の友達と会うシーンがあるが、この友達役が誰なのか知らされていなかった。登場シーンが短いのであまり気に留めていなかったが……。
「実は、この友達役ってあたしなんだ」ちょっと照れくさそうに千尋ちゃんが言った。
「ええっ!?」
熊本弁が使えて、あたしと同年代で、演技の経験があるというところで、メイクアップアーティストでありながら異例の抜擢だった。
「完全に宮本先輩のコネだよ。ノーギャラの友情出演なんだから」
「でも、よく引き受けたね」
「そりゃ、あたしだって演劇部にいたときは、舞台に立つことにも憧れてたんだもん。ちょい役でも世界の武蔵作品ならめちゃめちゃ嬉しいよ。しかも、詞音ちゃんと今村ちゃんが主演、助演を張る映画なんだよ」
†
翌日の撮影は、当然ながら日本語での撮影だ。でも、武蔵作品で初めて日本語で他人と会話するシーンがある。英語に慣らされて、逆に日本語がおかしくならないか、熊本弁の
このシーンでは、美砂でありながら、完全な憑依ではなく、閘詞音も50%くらい表に出ていた。何と言うか、すごく説明の難しい絶妙な状態だった。武蔵監督が「君のありのままを出しなさい」と言っていたのは、このことだったのかな。おかげさまでNGテイクはなかった。
しかし不安は残る。クランクアップだ。母親との久しぶりの再会のシーン。でも実際のあたしは、お母さんの愛情を存分に受けていないと感じる。離婚する前は優しかったような気がするけど、離婚してからは正直言って冷たくなった。そして、あたしがお父さんと偶然会うことすら忌避するくらいに、お父さんのことを忌み嫌っているのか。お父さんのことは全然教えてくれなかったし、顔写真すら見せなかった。そんなあたしが、演技で持ち味を出せるのか。
翌日は、熊本市からは電車に乗って撮影だ。ローカル鉄道に無人駅。空気はおいしいが、同じ県内なのに馴染みはなかった。閘詞音のままじゃやはり演技にならないような気がしたから、美砂に憑依してもらった。
水上村に着くと、まさに喧騒を離れたように静かで、鳥の
通常、撮影前は共演者と挨拶を交わすのが一般的だが、なぜか武蔵監督はそれをさせず、着いたらいきなり撮影を始めると言うのだ。出演者は脚本どおりに動くので、極論、挨拶は不要だが、でも共演する人に「よろしくお願いします」くらいは言っておきたいではないか。何かしら意図があるのだろうが、そこまでは監督は教えてくれなかった。
昭和初期かその前からそこに建っていたんじゃないかというような年季の入った家。東京じゃ考えられないほど広大な家だった。
「ただいま」
美沙が憑依したあたしは、玄関の引き戸をがらがらと開けた。
ふと、この瞬間も、お母さんは別室かどこかで見ているのだろうか、と思った。いかんいかん、憑依しなきゃいけないはずなのに、余計なことを考えては演技にならない。
「あ、美砂、おかえり」
ぬくもりのある声。宮本先輩のお母さんなら40歳代半ばのはずだが、そんな年齢には見えない。メイクの効果なのか、不思議とあたしのお母さんにちょっとだけ似ている。他人の空似なのは間違いないが、表情は若かりし日の優しかったお母さんに似ている。
この人が、母親役の吉海弥生さんなのか。心の中で、はじめまして、よろしくお願いしますと挨拶をした。ダメだ、やはりさっきから憑依しきっていない。これじゃNG連発じゃなかろうか。
「どう? アメリカでの生活は? 大変かい?」
「うん。でも、意外とあたしと同じくらいの若い研究者もいるとよ」
「すごか。友達はできたと?」
「う、うん。ちょっとずつやけどね」
脚本どおりのはずだが、美砂ではなくて詞音が喋っている。つまり憑依していないまま淡々と進んでいる。こんなセリフ回しで大丈夫だろうか。でも、NGは出ない。
「あ、美砂が今日帰ってくるかい、用意しちょったとよ。あんたの好きな──」
こっぱもちだ。干したさつま芋ともち米を蒸して混ぜ合わせた、熊本の伝統的なおやつだ。昔、
さっそく食べてみる。食べた瞬間分かった。ちょっと塩味が強め。市販のものではない。まさしくあたしのお母さんのアレンジだ。
「懐かしいかい?」
「……うん、おいしい」
あれ、脚本と若干セリフが違う。正しくは「どうか? 久しぶりの味は?」と聞いてくるはずだった。
その後も、脚本とはちょっと違うセリフ進行で撮影は進んでいく。でも、不思議なほど違和感がなく、むしろ本来のセリフよりも自然だ。これが吉海さんの演技なのだろうか。さらに言うと、つられるようにあたしもアドリブを交えながら応答している。そして相変わらず、美砂は憑依していない。これは、初めてのことだった。
しかし、次の瞬間、あたしは吉海さんの驚きの行動に目を見開いた。
「詞音、女優としての生活はどうか?」
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