Side P 41(Moriyasu Agui) 順風満帆

 早いもので、NASAに来て、数ヶ月もの月日が過ぎた。

 最初は、言語の壁、文化の壁、食事の壁に悩んだものだが、NASAの研究者たちは気さくな人物が多かった。研究員は皆、俺と同じ境遇だし、日本よりもある意味無礼講なところがあって、研究所の中では、ボスと研究員との師弟関係、上下関係はあったものの、研究所を出ればエリソン博士はまるで友人のように垣根なく接することを許してくれる。欧米の文化はそういうものなのだろうか。


 また、週2回、JAXAの研究員とのオンライン会議もまた、最初こそ緊張はあったが、そのうちそれもなくなり、楽しいイベントになりつつあった。14時間という絶妙な時差があるため、一方が勤務時間中なら他方は在宅ワーク中のようになるのはネックだったが、時任先生は、科学者たる者、言葉や文化を越えて全員友達と言わんばかりの姿勢なものだから、あっという間の打ち解けようだった。エリソン博士も、ドクター・トキトーはナイスガイだね、と言う。


 時任先生以外の研究員は、言語の違いから最初はだんまりだった。俺も含めて、留学経験とかないと、英論文を『読む・書く』はできても、『聴く・話す』は不自由するのだ。しかし、そのうち、「安居院センセ、あたしの言葉、通訳してー」などと言ってくる星簇慧那とかいう奴がいるから、他の研究員も図に乗って、俺を頼ってくる。それが、ある意味、忌憚きたんのないディスカッションを可能にしている。俺は通訳ばかりさせられているから、大変なわけだが。


 そして、次第に双方の研究員同士打ち解け合うようになった。特に、慧那とキャサリンは、研究員である前に、オシャレに興味ある同年代の女子として、すぐに仲良くなった。慧那のネイルアートを見たキャサリンが、『それカワイイ! 自分でやったの?』と褒めたことがきっかけだった。オンライン会議なのに女子トークを容認してしまう、時任、エリソン、両ボスの寛容な性格がそれを可能にしたのかもしれないが。


 肝心の研究の方は、JAXAにいるときよりもスピード感を持って進んでいる感じがした。これは、NASAの方が人材が優秀とかそういうのではない。組織としての決定の過程が、良くも悪くも日本が慎重すぎるのかもしれない。JAXAも国家機関だからお役所のような決裁に時間がかかるのだ。アメリカにいると、そんなに簡単に決まっちゃっていいの、と思うこともあった。

 でも、最大の要因は研究費用の違いだ。悔しいことに、お金は諸問題を一気に解決する。日本での不可能を、いろいろ可能にしていった。


 未来に情報を送信する技術、さらに7年前に飛ばした、宇宙ヨット『ミムジー』と時任チームが発見したワームホールを活用した過去に情報を送信する技術を可能にさせる計画は、順風満帆に進んでいった。



 順風満帆と言えば、邨瀬から頼まれていた監修の件も、研究内容の機密性だけ守ってくれればいいよ、とあっさり承認されてしまった。

 おかげで、NASAの研究機関がどうなっているのか、いろいろ取材という名目の電話がかかってくる。しかも、邨瀬あやつは時差を無視して電話してくる。勤務時間中だろうと夜中だろうと容赦ない。

 しかも、執筆中の原稿のネガティブ・チェックまでお願いしてくる。それは、監修じゃなくて出版社の仕事じゃないのか。

 結局、天王星探査が研究テーマとなってしまった。内々に調べたところ、いまNASAで天王星探査を、やってるということはなさそうだったので、容認するしかなかった。出身地は熊本にはしないという約束は守られていた。念のため、何県にしたのか聞いたところお隣の宮崎県にしたとのことだったので、「近いな」と思わず突っ込んだ。なお、ヒロインの名前は、まだ考え中とのことだった。



 そうこうしているうちに、NASAでの生活はあっという間に進んでいった。NASAでのポスドク期間が終了する3年が経過しようという頃、ついに、JAXAと横浜理科大の時任光透チームとの共同研究である、悲願の『ワームホールを活用した過去への情報送信技術の理論』が確立された。

 本来なら、実証実験を行いたいところだが、それができない(証明できない)のがこの研究の痛いところだ。31年と3か月15日前に送るのだ。31年3か月15日前の世界に存在する誰かに送ってみても、この世界の人間は誰も確認できない。そして、当然ながら31年前に未来にメールを送る技術は確立されていないので、A世界に返信を寄越すことは不可能なのだ。


 論文として投稿し著名なジャーナルにアクセプトされることが、研究者の業績を高める最もありふれた方法であることは言うまでもないが、俺が実際に受信した文字化けメールを論文に載せることはできない。誰かが、文字化けメールを解読したら大変なことになる。この研究による技術革新は、歴史的な大発見だが、政治的背景が強く、また、機密性が極めて高い研究なのだ。その事実は承服しているはずだが、やはり研究者として成果を確かめられず、公表もできないことは実に歯痒いものである。


 一方、NASAで現在いちばん力を入れている研究が、テラフォーミングだ。候補惑星/衛星の筆頭である火星に無人探査機を送って、わずかながら植樹が成功しつつあった。最初の種子が発芽したときには、世界的大ニュースになったものだ。人口増加に伴う、資源の枯渇が危ぶまれている地球で、SF映画しか見られていないような火星移住計画の第一歩が動き始めたのだ。これは、NASAの研究の花形と言ってもいい。


 テラフォーミングが空間に干渉し、支配する技術革新の1つと表現するならば、我々の研究は時間の技術革新である。タイムマシンという子どもでも知っているような輝かしい空想技術の第一歩のはずだが、あまりにも諸刃の剣すぎるのだ。ここにも公表できない大きな理由があった。時間に干渉できるようになるということは、世界を征服するにも等しい力が働くかもしれない。不用意に公表すれば、2060年を迎える前に、醜い戦争で人類と地球の滅亡を来す可能性だってあるということを、NASAの上層部に釘を刺された。


 ということで、俺は論文という形で研究成果を表に出すことには至らなかったが、NASAでの功績は認められた。約束どおりというか、ポスドク後は晴れてNASAの正規職員へと昇格することが内定した。


「おめでとう! ポアンカレくん! ノーベル賞は獲れそうか?」

 おちょくっているのか、時任先生はそんなことを言った。

「何考えてるんですか!? 研究の成果が一切表に出せないのに、穫れるわけないでしょう?」と、俺は盛大に物申す。


 科学者にとって(科学者だけではないかもしれないが)、ノーベル賞は最高の栄誉の1つだろう。俺だって、物理学賞に憧れないわけない。ジョン・クロムウェル・マザー博士のようにNASAに在籍して、ノーベル賞を獲得した偉人もいる。

 でも、俺はどうやらノーベル賞には無縁のようだ。すみません、時任先生。そして、賞を獲ったら俺の半生を書くと宣言して息巻いている邨瀬に、ほんのちょっとだけ申し訳ない気がした。


 当該邨瀬は、NASAに異動してしばらくはNASAのやれ内部事情を教えてくれだの、やれ惑星探査に関する文献はどれだだの、やれ宇宙科学者の業界用語はないのかだの、時差を無視してひっきりなしに連絡を寄越してきたが、ここ最近は落ち着いていた。文筆家が小説を上梓じょうしする制作スケジュールをよく知らないが、連絡がないということは推敲すいこう作業にでも入っているのだろうか。それとも休筆か、いるのか。曲がりなりにも監修を努めたのだから、日の目を見ないのは悲しいものだが、一方で、上梓されなければ確実にC世界は回避できる。そんな複雑な気持ちを抱えていた矢先に、邨瀬から電話がかかってきた。ワシントンDCの現地時刻で早朝4時に。

「……もしもし」

『ポアンカレくん! 獲ったぞ! ついに!』

 起きしなの寝惚ねぼけた脳みそに、あまりにハイテンションな歓呼の声。俺の聴覚神経は電撃を喰らったかのように混乱していた。

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