Side F 33(Fumine Hinokuchi) 期待からの絶望

 お母さんから聞かされた内容は、自分もまた宇宙に強い憧れを抱いていたことだった。高校一年生になって初めて知る事実。いまさらな話であるが、あたしはそれだけお母さんと希薄な関係だった。それに、お母さんは、自分のことについてほとんど語らなかった。


 物心つく前に両親は離婚したため、お父さんの顔もよく覚えていないけど、それでも幼稚園だったあたしに星空を見せては、いろいろなことを教えてくれたっけ。とても優しいお父さん。大好きなお父さんの影響で、壮大な荘厳な宇宙に興味を持った。

 あたしが思うに、お父さんとお母さんが喧嘩をしているところはあまり見たことはなかった。ただ、お父さんは仕事がとにかく忙しそうだった。最後の思い出は、大きなプラネタリウムに連れて行ってくれたことだ。とても楽しい思い出だったけど、その旅行を最後に、姿を消してしまった。正確には、あたしたちがいなくなったのだけど。お母さんの実家のある熊本に移り住んだのだから。

 あたしは悲嘆に暮れて、いて叫んで、お母さんに当たり散らした。いままで『お利口さん』で通っていたあたしが、初めて本気でお母さんから怒られた。

 離婚の理由は一切教えてくれなかったけど、お母さんもはらわたがちぎれる思いで別れたのだと主張する。そして、お母さんは離婚のストレスなのか、次第に笑顔がなくなり、教育ママ化して、あたしには辛辣に当たった。養育費はちゃんと入ってきていたらしいから、お母さんの仕事だけで充分やっていけたけど、心の隙間が埋まることは決してなかったように思われる。


『篁未来ってね、あなたのお父さんのお友達なの』

 そんな衝撃的な発言をしたのは、その後だった。

「え!? お父さんの?」

『そう、ハーシェルの愁思も、お父さんが監修してるし』

「マジで!」

 『ハーシェルの愁思』は穴が開くほど読んだが、監修の名前までは覚えていないし、ましてや、それがお父さんだと知るよしもない。お母さんは、離婚前の姓を教えてくれたことがない。


 本当にお母さんが言うとおり、これは何という因縁なんだろうか。

 お父さんはどこで何をやっているのだろうか。『ハーシェルの愁思』の監修を務めるくらいなら、きっと宇宙に関わる仕事を、いまも続けているに違いない。

 そうだ。それこそ『ハーシェルの愁思』に書いてあるだろう。スマートフォンを通話モードにしたまま、その本を取り出す。篁未来の本は、本棚のいちばん取り出しやすいところに、すべて並べている。


「あった! 監修『安居院あんきょいん守泰もりやす』?」

 何となく、アインシュタイン博士を髣髴とさせる字面じづらだ。

安居院あぐいって読むの。それ』

「あぐいもりやす。これがお父さんの名前なの? NASA!? NASAにいるの?」

 あたしはなぜか感極まって涙が出てきた。

 お父さんが、大好きなお父さんが活躍していたこと。それも、宇宙を生業なりわいとする人間としては、おそらく最高峰の施設であろうNASAにいること。そして、あたしが敬愛する小説の監修をしていたこと。

 こんな身近なところにいたとは思いもよらなかった。日本とアメリカ、物理的には遠く離れているが、なぜか近く感じる。勝手な憶測だが、お父さんからあたしへの、ロマンスの贈り物のように思えた。

 あたしが、この作品に出会い、何度も読み返すくらい大好きになることはもはや運命で、必然かと思った。


 そして、あたしが、『ハーシェルの愁思』のヒロインを演じられることは、この上ない歓びだ。

 これは、何としても、あたしがクランクアップまで演じ切って、お父さんに恩返ししたい。そのためにも何としてもお母さんに法定代理人のサインをもらわないといけない。


 あたしが、宇宙に想いを馳せ続けられるのは、お父さんが宇宙のロマンを教えてくれたからだ。そして、あたし自身が、お父さんの遺伝子を受け継いでいるからだろう。

 会いたい。会って、またあのときのように、不思議ミステリアスな宇宙を、驚異的マーベラスな森羅万象を、超自然的スーパーナチュラルな相対性理論を教えてほしい。幼稚園の頃はきっと頭にはてなマークをいっぱい付けながら聞いていたのだろうけど、いまはもっとマニアックな話題も理解できるだろう。


 しかし、そのとき、お母さんから無情な、無慈悲な言葉が告げられた。

『お父さんには会うのは絶対ダメよ。コンタクトを取るのも近付くのも駄目。変な気は起こさないように!』

「はっ!?」

 なぜだ。ここまで語っておいて、期待を持たせておいて、あたしはまるで崖から突き落とされたような衝撃を感じた。

「何で? 何でダメなの!?」

 お父さんは、あたしの養育費をいまも出し続けてくれているのではないのか。離婚しても、遺伝的に父娘おやこという関係性は変わらないし変えられない。せめて、ありがとうの一言くらい伝えたいと思うのは、いけないことなのか。


『これは運命なの。もし、いまあんたとお父さんが会うことになってしまっては、18年後全人類を破滅に追い込むことになる』

「ええっ!?」

 意味が全く分からない。一瞬、気が狂ったのかと疑うような、常軌を逸した発言。一瞬、おかしな新興宗教にでも没入したのかと疑うような発言。お母さんも科学には造詣が深い人のはずだが、極めて非科学的でオカルティックな発言。

『説明すると長くなるし、説明したところでどうせ信じないと思うから言わない。でも、これは別にオカルトじゃない。ちゃんとれっきとした科学に基づいた結論なの』

「でも18年後って、もはや予言じゃない?」

 明日の天気予報とかなら、充分、科学に基づいていると思うが、18年後じゃ、以前流行ったというノストラダムスと同レベルの確からしさじゃなかろうか。

 しかし、お母さんからは、そんなあたしの指摘を物ともせず、反駁はんばくした。

『これは予言じゃない。パラレルワールドに現実に起こった出来事なの。そしてその事実を立証したのは、他でもないお父さんなの』

「へ?」

 思わず、素頓狂すっとんきょうな声を出してしまった。

 かつてはドラえもんの空想科学が好きで、いまやアインシュタインの相対性理論に関する書物を読み漁ったあたしは、パラレルワールドの存在を信じている。だから、いま生きている時間軸よりも過去とか未来に無数のパラレルワールドがあることは、何らおかしいとは思えない。

 それよりもこの、事実なら大騒動じゃ済まないくらいの衝撃の未来を、お父さんが何らかの形で証明したことに驚きを禁じ得ない。というか、情報過多で処理が追いつかない状況だ。


『だから、あんたのパスポート申請の法定代理人にはなれない。あんたがNASAのお膝元に行くことは、お父さんと再会を果たす可能性があるということだから。それじゃ、何のために苦しい思いをして、一家離散したか分からない』

「お母さん。それとこれとは別でしょ? 撮影目的で行くんだから。大体、限りある予算で、外国行って、自由行動なんてする時間ないだろう。そもそもNASAの内部に入るわけじゃないんだよ」

『そうなの? でも、ばったり道端で会わないとは言い切れないじゃない?』


 お父さんの予言と、10数年ぶりに再会することの因果関係が分からない以上、理解も納得もできない。そもそも、顔もうっすらとしか記憶していないお父さんを、それも10年以上経過した姿を、ぱっと見ただけで判別できるできるわけがない。きっとお父さんだって、幼稚園から成長した姿のあたしを、認識できるのだろうか。お母さんいわく、あたしの容姿は、若かりし日のお母さんに瓜二つらしい、が。

 お母さんは、一度主張したことは、なかなか曲げないことを、過去の経験から嫌というほど思い知らされている。

「分かった。武蔵監督に、代替案がないか聞いてみる。要は、お父さんに会わなければいいんでしょ?」

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