Side P 34(Moriyasu Agui) PTの継続

 無事に慧那を家まで送り届けてからの帰り道も、そして自宅に着いてからも、左頬のほのかに潤った触感の余韻があった。

 お互いに落ち度がなく、また喧嘩とか性格の不一致とか、そういう離婚じゃない。お互いに愛し合い、愛盛あいざかりの娘までいながら、運命的に別れさせられたのだ。

 しかし、再度相見あいまみえることが叶わない以上、この空虚な気持ちを満たすのは──。独身時代は、大好きな映画にふけったり、邨瀬と飲み明かしたりしていれば良かった。しかし、失ったものの大きさを考えると、それでは満たされなかった。

 不純かもしれないが、それこそ新しい女性ひとを探すこと以外になかった。


 そして、養育費のタスクを負った30過ぎの俺を、好きと言ってくれる女性がいる。幼稚っぽいところはあるが、科学者としては一流の慧那だ。舞理と比べてはいけないが、引けを取らないくらいの見目麗しい容姿と太陽のような明るさは、普通の男なら二つ返事で受け入れるほどの女性なのかもしれない。20歳代後半になった現在、ギャルっぽさの中にも大人っぽさが出てきた。


 でも、俺は自他ともに認める生真面目きまじめな人間だ。養育費以外の繋がりが絶たれた関係とは言え、舞理にも申し訳なさを感じるし、プロジェクトチーム内に私情を持ち込んではいけないような気がした。

 そんなことを思えば思うほど、葛藤に押し潰れそうになる。いっそのこと、酔った勢いに任せて慧那を襲ってしまえば良かったか。やけにボディラインを強調したような服を着ることがあるが、それを見る限りスタイルも良い。彼女の裸体を想像して、カテキョの元教え子に欲情するなんて、陋劣ろうれつけがらわしいと、自分を非難する。


 悶々とした感情を、追い酒で麻痺させると、ようやく眠りに就けたのは午前2時半過ぎだった。電気もエアコンもけっぱなし。二日酔いで頭が痛い。今日は土曜日で、休みをもらっていたから良かった。こんな自堕落じだらくなことをしていたら、舞理は目くじらを立てていたことだろう。でも、いまはとがめる者はいない。


 午前中は布団の上でゆっくり酔いが覚めるのを待ったが、やはり研究のことが気になる。


 15年後の未来に電波を送るプロジェクトは、これから中央省庁のお偉い様案件となるが、胡座あぐらをかいて見守っていれば良いわけではない。

 俺の予想では、B世界、つまり地球の滅亡を迎えない未来においても、過去にメールを送ることができている。理由は、俺が未来の俺から受信したメールの中に、B世界から受け取ったものがあったからだ。例の、俺が見逃していて時任先生からお叱りを食らっただ。


 何が言いたいかというと、適切にB世界に進ませるためには、何としても過去にメールを送る技術を確立させなければいけないのだ。横浜理科大で発見したワームホールを使うことが想定される以上、その技術を確立させるのは、間違いなく俺たちだろう。

 未来への情報送信の技術を考案し、そして過去への情報送信に繋げる。研究は一連だ。おかげさまで電波の仕組みについてやけに詳しくなったような気がする。


 プロジェクトチームは継続されるだろうか。何だかんだ言って、チームのメンバーはみんな頼りになる仲間だ。

 きっと、時任先生も俺の感じている問題意識は共有できていることだろう。チームの継続について、改めて俺から先生に頼んでみようと思った。



 そして、休み明けの月曜日はすぐにやってくる。

「時任先生、プロジェクトチームは解散させないでください。お願いします!」

「何だ、ポアンカレくん。急に畏まってさ?」先生は怪訝な表情をする。

「だってまだ、プロジェクトは、やっと第一関門を通過したところだ。風邪か? 寝不足か?」

 体調不良を心配されるほどおかしな発言だったようだ。

「いや、すみません。確かに唐突すぎましたね」

 冷静になって考え、いきなり本題から入りすぎたことを自覚する。確かに、慧那との一件から、思考回路がショート気味だ。

「今は、15年後の未来に情報を通信するために立ち上げたプロジェクトですけど、確実にB世界に辿り着くためには、過去に情報を送る技術を確立する必要があります」

「そうだな。しくもB世界からのメールを見つけてしまったもんな。いまは、未来への情報送信技術の確立に僕らは躍起になってるが、もちろん、ある程度目処めどがついた時点で、過去への送信技術も再開する。そのためにもプロジェクトチームの継続は、必須だろう」

「ありがとうございます」

 安心したら、喉が渇いた。デスクの上の水筒に口をつける。

「……ところでさ、慧那ちゃんとはどうなんだ?」

 ブーッ!! 30超えのいい大人が、先生の前で水を吹いた。ゲホッゲホッ! 少年ギャグ漫画のようなリアクションをとってしまった。

「何言い出すんですか!? 先生」

 一応この部屋には、いま先生と俺しかいなかったのが救いだった。でも、それを見越しての質問だったのかもしれない。

「いやさぁ、ポアンカレくんが、未来の人類を救うために、犠牲になってくれたんじゃないか。君の師匠として、案じるわけよ」

 そう、思ってくれるのはありがたいが余計なお世話だ。先生には申し訳ないけど。

「ありがとうございます。でも、いろいろと飛躍してます! だって、離婚してまだ1ヶ月も経ってないんですよ!?」

「でも、慧那ちゃん、ポアンカレくんのこと気になってるみたいだし、慧那ちゃんだったら、性格的にもルックス的にも未練とか孤独とか吹っ切れるんじゃないか?」

「いや、元・教え子ですよ?」カテキョのバイトだけど。

「でも、いまは適齢期じゃないか? しかも5つしか変わらんのでしょ?」

「そーですけど……」

 意外なことに、時任先生の表情は真剣だった。いつもおちゃらけているくせに。

「B世界からのメールだけど、ポアンカレくんが舞理さんと離婚したことは書かれていたけど、再婚については情報がなかった。言い換えると、B世界では君は独り身かもしれないし、誰かと結ばれているかもしれない」

 論理に基づいた推測とは言え、内容が内容だけに、先生に占われているみたいだ。先生は続ける。

「僕としてもねぇ、いつも頑張ってくれてるポアンカレくんには、幸せになってもらいたいんだよ。プライベートが充実していないと、今後の研究にも影響が出そうだ」

 気持ちはありがたい。しかしながら、いまもなお独身貴族を貫き通している時任先生に言われても、説得力に欠けると思うのは俺だけだろうか。

「考えときます」

 俺は適当にお茶を濁した。



 1週間後。ついにいよいよ内閣府に説明に行くことになった。行くのはJAXAの理事長、部門長、時任先生、そして俺だ。内閣府の幹部に謁見するのは、理事長、部門長で充分な話なのだが、上層部から是非、プロジェクトチームのリーダーと副リーダーも、とのことで随行する。

 恥ずかしながら、この年になっても慣れないネクタイに四苦八苦して、襟を正した。

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