Side P 32(Moriyasu Agui) 折衝2

「なるほど。さすが我がプロジェクトチームの精鋭だな」

 15年間情報を飛ばし続ける技術について、乗せる電波の種類、利用する人工衛星などをまとめて、時任先生に説明した。

 時任先生は、中央省庁との折衝のための準備で大童おおわらわだったので、こうやってじっくり話すのは実に久しぶりなような気がする。

「ありがとうございます。先生の方はどうなんです?」

「ああ。取りあえずはJAXAうちの役員にまでは話は渡っている。あとは、君の作ってくれた実施計画書を添付して、近く、役員会で承認されれば、内閣府と総務省に正式に準天頂衛星の使用許可要望書として提出される」

 やはり、話が大きくなったな、というのが素直な感想だ。

「でも、要望書が提出されてから、また時間がかかるんじゃないですか」

「なるべくそうならないように、内々には話は伝えてあるよ。内閣府の宇宙開発戦略なんたら事務局と、総務省の総合通信基盤局……だったっけな? 上層部はいろいろと顔が広い。僕のような研究一色の人間と違ってね。計画を遂行するにはそれなりにお金もかかることだろう。補正予算を組んでもらわないといかんからな」

 行政機関との折衝せっしょうに関して、俺はまったく造詣ぞうけいが深くないから、ここは正直任せるしかなかった。しかしながら、俺もゆくゆく管理職となったら、そうは言っていられないだろうな、とも思う。

「分かりました」

「やれる限りの手は尽くしていると思う。あとはもう、人事を尽くして天命を待つ、果報は寝て待てだ。でも、要望書の手交に当たっては、ポアンカレくん、君には随行してもらうことになると思う」

「一緒に行くんですか?」

「ああ。間違いなくお声がかかるだろう。だから、スーツはしつらえておいた方がいい」

「……そうですね」

 普段、ポロシャツとかせいぜい白衣をまとうくらいに俺にとって、スーツは堅苦しくて仕方のない代物だった。冠婚葬祭の最低限の場面でしか活躍しない。

「あと、老婆心ろうばしんながら。君の一人称だけど、そろそろオフィシャルな場では『私』を使うようになるといいぞ。ポアンカレくんも結構いい年だもんな」

 何だか、急に若者を諭すようなアドバイスになってきたが、本当に研究だけをやってきた自分もまた、いわゆる世間の一般常識に疎かった。時任先生も若い頃はそうだったのだろう。親心で言ってくれているのだろう。

「そうですね。32になりましたからね」

「え? ポアンカレくんって、もう32!? まだ25くらいかと思っとった!」

 この発言に俺はずっこけそうになった。ずっと長く付き合ってきているのに、どうしたらそんな計算になるのだろう。

「25なわけないじゃないですか? 大学卒業して大学院も修了して、結婚して子どもも生まれて、そして離婚までしてるんですよ」

「いやー。僕の中じゃ、ずっと教え子感覚なもんでねぇ。ほら、ポアンカレくんって大学時代から見た目がほとんど変わってないから」

「そりゃ、毎日いますから。先生だって、俺からしたらあんまり変わってないですし」

 時任先生は研究以外のことは無関心だから、時にこんな頓珍漢とんちんかんなことを言う。先生らしいと言えば先生らしい。


「センセー、あたしだって、もう27なんですよぉ。時間が経つのって早いですネー」

 横から慧那。

「まじか!?」

 慧那は相変わらず金髪にメッシュ、たまにウィッグを付けたりやヘアエクステを編み込んだりして、ギャル感満載である。白衣を着ているので、コスプレでもやっているかのような姿容しようである。普段着も、流行の先端を行っているかの如く、おしゃれに着こなしていて、淡麗な容貌も手伝って、ギャル雑誌『iggイッグ』の表紙を飾れそうなほどだ。

 5歳差だから27歳なのは当たり前なことだから、どうもこの身形みなりや舌っ足らずな口調で、惑わされる。

「だって、センセーが大学生の頃、あたしJKだったんですヨ。さりげに結婚適齢期なんですから」

「……」

 結婚適齢期が誰に対するアピールなのかもどんな意図があるかも分からない。セクハラになるから「相手はいないのか」とかも聞けないし、返せる言葉はなかった。

「センセー、いま黙り込んだな。イイ人紹介してくださいよぉ」

「そういう返答に困る発言はよせ」

「あたしこー見えてイイ女ですよ」

「自分で言うなよっ」

 慧那は本当に相変わらずだ。確実に時間は進み、俺自身に様々なライフイベントが訪れたはずなのに、ここにいる面子メンツはあまり変わらない。研究室には実は巨大な重力場が働いていて、ここだけ時間がゆっくりと進んでいるような錯覚さえ感じる。


 このまま、時間の流れが止まり、C世界が訪れる恐怖からまぬがれられれば良いのに、とさえ思ってしまう。時任先生や慧那と一緒にいると、ちょっとした現実逃避を味わってしまい、それに浸ってしまうのだ。



 そして、俺は、実施計画書の体裁を整え、JAXAの役員会で諮られ、承認が得られた。

「第一関門突破だな。次は、行政のトップ・オブ・ザ・トップ、中央省庁の官僚様たちに要望書を突き付けないとな」

「ありがとうございます。ひとまずホッとしました。協力してくれたみんなのおかげっすよ」

「そだな」時任先生は少し考える素振そぶりをしてから、「そうだ、今日くらいみんなで飲みに行かないか?」

 時任先生がこういう提案するのは珍しい。研究者は、得てして個人プレーなので、突発的に飲みに行くという提案をあまりしない。

「イイですねー! 安居院先生も独り身ですし!」

 そう言ったのは、坊主頭の野口研究員。本当にみんなくちさがない。

「じゃ、決定だね! 慧那、どっかいい店知ってる?」

了解りょ! 時任教室随一のパリピ、星簇ほしむれ慧那にお任せあれ!」



 急な飲み会の提案にも関わらず、参与の邨瀬を除くプロジェクトチームのメンバー全員が集まった。分倍河原ぶばいがわら駅近くの居酒屋だ。慧那のことだから、もっと陽キャでパリピが集まるような店を選ぶかと思ったが、意外とサラリーマンも利用するようなアットホームな店だった。こういう店は邨瀬が好きだから、彼がいないのは少し残念だ。

「意外だったでしょ? あたし、こーゆー店も好きなんだよネ」

「慧那は飲めればどんな店でもいいんでしょ?」

「エヘ、バレた?」

 慧那とは飲みに行ったことはないが、酒が好きだということはチームで周知の事実だ。

「今日は飲み放題らしいが、飯も好きな分だけ頼んでいいぞ。僕が奢ってやるから!」

「キャー、時任センセ、イケメン!」

 既に酔っ払っているかのような、慧那のテンションの上がりっぷりに、先が思いやられた。

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