Side F 31(Fumine Hinokuchi) 気丈に振る舞いたかったのに

 突然の告白に、あたしはすっかり硬直してしまった。初恋らしい恋も未経験のあたしの処理能力を、はるかに超越してしまっている。今村さんもシリングさんも目が点になっている。

「ゴメンナサイ。いくらなんでも突然すぎましたね」

 固まってしまったあたしを見て、アレクさんはバツの悪そうな顔をしている。

「こら、今から撮影だぞ。詞音が困ってるだろう?」

 若手と言っても売り出し中のドイツ人俳優を叱咤しったできるのは、さすが世界に名を轟かす武蔵監督だからだろうか。

「どうしても、気持ちを抑えられなくって」アレクさんは頭を掻きながら弁解している。

「詞音は、美砂に身体を貸すことによって、完璧な演技力を発揮する。でも、詞音が主演を務めるのは初めてだから、むやみに動揺させることは、演技に支障をきたすかもしれない」

「すみませんでした。自重します」

 アレクさんは、あたしに向かって深々と頭を下げる。

「あ、頭を上げてくださいっ」外国人はシェイクハンドだと思ったが、日本式の謝罪をされ逆に恐縮する。


 アレクさんは、なかなか難しい日本語も理解しているようだ。あたしに気があるかどうかは別として、日本が好きで、武蔵監督のことを慕っているのかもしれない。

「ま、アレクが、共演する女性にプロポーズするのは、いつものことだから」と、武蔵監督は笑いながら言う。

「何て、人聞きの悪いこと言うんです!?」

 あたしはつい、くすっと笑ってしまった。。



 撮影が始まる。映画の撮影は、当たり前のことだが、舞台で演技するのとはいろいろと違う。

 NGが出たら何度も撮り直しになること。目の前に観客がいないこと。研究所内では研究所のシーンしか撮影できないため、物語の順番で撮影できないこと。


 演技の基本は同じなのかもしれないが、勝手が随分と違っていた。撮影と撮影の間は、美砂を憑依させたままが良いのか憑依を解く(『解脱げだつ』と勝手に呼んでいる)のが良いのか悩むところ。長時間の憑依も、憑依と解脱を繰り返すのも、それなりに身体に負担がかかる。


 また、何度も同じシーンの撮影を繰り返すことがあるし、撮影シーンが飛び飛びになったりする都合上、憑依そのものが不完全になりがちである。言い換えればのだ。


 でも、やるしかない。武蔵監督は、初主演だから情けをかけてくれるかもしれないけど、その道を目指すと固く決意した現在いま、状況やコンディションによって自分の力をうまく発揮できませんじゃ、武蔵監督やシリングさんをきっと落胆させるに違いない。


 美砂、あたしに取り憑いて。心の中であたしは美砂を呼んだ。若干コンディションは違うが、美砂がするりと肉体に入った感覚がした。さんざん練習であたしに取り憑かせてきたのだ。無意識に、美砂が表情筋を支配し、脳細胞まで入れ替わったかのような錯覚に陥るが、これこそが憑依が完了したサインだ。


「美砂がうまく乗り移ったみたいだな。彼女の真価が発揮されるぞ。イレーナは大丈夫か」

 武蔵監督が言う。

「はい。あたしは詞音みたいに憑依型じゃないけど、その分、技術を磨いてきました。きっと期待に応えてみせます」



 演技の間は、記憶があまり定かではなかった。美砂が思った以上に、あたしの身体を支配しきっていた。カチンコ(テイクの開始時と終了時に鳴らす拍子木のような道具)があたかも切り替えスイッチのようになっており、音が鳴ると美砂に切り替わり、監督が「カット!」と叫べば抜けていく。


 休憩時には、演技に対するお褒めの言葉をいただいた。

 威風堂々たる演技とシリングさんにも評価されたが、憑依してしまっているので、あたし自身はよく分からない。


 でも、演技中に微かに残された詞音の視覚で、演技中の様子を覗いてみると、今村さんも見事にキャシーを演じていた。エリートで抜け目のない、気高けだかきアメリカ人若手研究員。世界の期待を背負っているという強い矜持きょうじを持ちつつも、それは仮面であり、内面に弱さとそれを隠すほどの並々ならぬ努力をしているという相反する二面性。これをうまく融合させて表現するのは、経験の浅いあたしでも難しいだろうことが分かる。

 しかし、今村さんは見事にこなしていた。一見すると完璧なキャラクターだが、キャシーの言動の端々にプレッシャーに屈服してしまいそうな弱さを本当にさり気なくミックスしていたのだ。間違っても彼女は、あたしのような憑依型ではない。あくまでも、今村さんが主導権を握っているはずなのに、まるで、キャサリン・ティンバーレイクという実物の人間がそこにいるかの如くであった。


「想像以上の出来だったよ。僕は君たちを少々見くびっていたようだ。初めての映画が主演で、普通なら頭が真っ白になるか、気負うあまり空回りしてしまうはずなのに、完全なる杞憂きゆうだったようだ」

「ありがとうございます!」

 今日の撮影が終わり、身体はへとへとに疲労困憊しきっていたが、それよりも監督に褒められたことが何よりも嬉しく、そして安堵をもたらした。

 すると、不本意なことに、ひとりでに涙が溢れ出てきた。

「あれ、何で涙が? 悲しくないのに」

 あたしは気丈に振る舞いたかったのに、泣いちゃうなんて情けない。正直、うまく自分の力が発揮できるか、心配で心配でたまらなかったのだ。ひょっとしたら、憑依もできず、英語も喋れず、メイクしただけの木偶でくぼうに成り下がってしまうんじゃないか、この撮影現場は、女優としての出発点ではなくて墓場になるんじゃないかという悪夢にうなされてさえいたのだ。

 そのプレッシャーに見事打ちったのだ。憑依型のあたしは、憑依型でない俳優から羨ましがられたりするが、それとて努力がないわけじゃない。あたしの抱いた美砂のイメージを、監督が抱くイメージに近付けなければならないし、それをうまくあたしに取り込ませなければならないのだ。


 ふと、横にいる今村さんを見ると、彼女も泣いていた。

「もう! 何、勝手に泣いてくれんのよ。もらい泣きしちゃったじゃない! せっかくもうちょっとこの綺麗なメイクでいたかったのに……」

 泣き顔なのに笑っていた。確かにメイクはぐしゃぐしゃだが、そんな彼女のぐしゃぐしゃな泣き顔がこの上なく美しかった。

「ホントだよ」

 あたしもつられて泣いた。今村さんとの距離がまた少し縮まったような気がした。


「ありがとう」あたしは小さな声で、あたしの中にいるはず美砂に感謝の言葉を投げかけた。

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