Side P 30(Moriyasu Agui) 明るいラボ

「最近、このラボが明るくなったと思いません?」

 高校球児っぽいチクチクの坊主頭の野口研究員が、ある日俺に言った。

「そうか?」

「確かに俺もそう思うっす」と、ラウンド型の眼鏡に天然パーマ頭の日向研究員も同調する。

 残念ながら、どこがどう明るくなったか分からない。シーリングライトは交換していない。そもそもLEDだから、滅多なことで交換する代物ではないし。


 ひょっとして。こんなときに自虐的に考えてしまうのが、俺の悪い癖だ。

「さては、俺の電撃離婚のせいか」

「そう! それな! まじウケる!」

 ギャル語(?)で同調するのは、言うまでもなく慧那。

「俺は、冗談で言ったんだけど、同調されるのは、結構傷付く……」

 俺はわざとらしく項垂うなだれてみせた。

「存外、間違ってないかもしれませんよ」アンダーリムの眼鏡が妙に似合っている山崎研究員が、腕を組みながら言った。「だって、先生、眉間にしわ寄せてましたけど、いま割といい具合に肩の力抜けてますよ」

「私も思った。先生はそのつもりないかもしれないけど、ちょっと怖かったもん」と、波多野さんまでも。


 なるほど、明るくなったというのは、物理的な光度ではなく、精神的、心理的に環境の変化を感じ取ったというのか。俺以外の全員がそう思うというのは、釈然としないが。


「センセー、思わん? ラボもセンセーも何てゆーか何かイソスタえしそうなんだよね~。ひょっとして、これがB世界の入口だったりして~」

 科学の第一線で活躍しているの慧那が、非科学的っぽいことを言う。しかし……。

「何か分からんでもないですね~。慧那ちゃんのこういう発言、意外に当たったりするから」

 日向研究員が言う。確かに家庭教師をやっているときから、ギャルにしては頭が良いが、それ以上に、妙に察しが良い子だなと思うことがあった。そして、非科学的で感覚的なところから着想を得ることも。

 しかし、こんなことに気を取られていても、仕方がない。いまは休憩時間じゃない。

「みんな、俺のことはいいから、持ち場に戻れ」



 その日は、不思議なことに、時任先生も、ライトを換えたか、と聞いてきた。しかも、よく分からないことに、空気が綺麗になったとまで言ってきた。

 先述のようにライトはそのままだし、空気清浄機も置いていない。至って、以前のまま変わっていない……はずだ。俺が鈍いだけなのか。

「しかも、離婚したからか、面構えが良くなったな」

 相変わらずイラッとする発言だが、当の本人に悪気はサラサラない。慧那も「センセーがイソスタ映えしそう」みたいなこと言っていたが。


 トイレに行ってふと鏡を見てみる。すると、心なしか肌が綺麗になっているように見える。目の下にあったくまもない。逆に気持ち悪くなってきた。

 この変化は何なのか。最近自分の顔を鏡でじっくり観察することもなかったから、たまたま久しぶりに見て、みんなに言われたから、そう思っただけだと信じたい。


 ところが、不思議なことは他にもあった。ここ最近、正直研究にも身が入らなかったが、この日は驚くほど頭がスッキリしていた。離婚の話を切り出される前と比べても、ここまで冴えていた感覚はないし、身体も軽い。酸素濃度が普段より高くなっているんじゃないかと疑うほどに。


 その冴えている感覚は、なぜか、帰途に就いた後も続いていた。 

 それは、久しぶりに浴槽にお湯を張って、肩まで浸かっているときだった。

 ひょっとして、俺は閃いたのではなかろうか。地球上の障害物の影響を受けず、長距離の電波送信が可能で、電波の減衰を解決できる方法を。しかも、コストは割と抑えられるはず……。


 俺は、夜中にも関わらずある人物に電話していた。

『……はい。波多野です』電話の相手は寝ていたのか、思い切り眠たそうな声を出していた。

「思い付いたかもしれないんだ。明日相談していいか?」

『明日ね、分かりましたよ。でも、明日なら、こんな夜更けに電話してこなくてもいいじゃないの? 疑われるよ、奥さん……じゃなかった。離婚したんだね』


 興奮のあまり夜中に電話してしまった俺も悪いが、このラボのチームメイトは、何かと俺の離婚に言及したがる。

 でも構わない。ひたすらノートにシャープペンシルで書きなぐった。専門外の分野も入っているので、やや自信のないところもあるが、まずは、思い付く限りのアイディアを、忘れないように書き留めておく。その作業は、深夜2時まで及んだ。


 いままでの中でいちばん実現性の高い方法ではなかろうか。

 もし、慧那が言ったように、この世界に起きた些細ささいながらも不可思議な変化が、B世界への入口だとしたら、未来に電波を送る方法を確立できているはずなのだ。そして、15年経過すると、過去の俺から送信されたメールが届くはずなのだ。



 そして、翌朝のこと。短い睡眠にも関わらず、目覚めはスッキリだった。

 やけに空気が清々しく感じるのは、気のせいなのか、それともこの世界が、パラレルワールドであるB世界に上手く分岐してくれたことの裏付けなのか。

 そして、奇妙なことに、確かに世界が明るく見えた。


「安居院くん。分かったの?」

「ああ、たぶん行ける。理論的には行ける」

「理論的には行けても、上手くいかないことばかりだったでしょ?」

「それでも、おそらくいちばん成功に近いんじゃないかな? いまの技術で可能な範囲では」


 俺は、書き留めた汚い字のノートを見ながら、波多野さんに話した。

「なるほどね。この方法なら、確かに理論的には電波を確実に飛ばし続けられそうだね」

「良かった。あと、コストがどれくらいかかるかだな」

「コストよりも、役所の壁が大きいと思う。内閣府を説得する必要があるんじゃないかな?」

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